#28 発芽したものは青い春の芽吹きとなるのか
もう限界かもしれない。
昨夜、部屋の明かりを消してベッドに入り、ぼうっと天井を眺めていた時に、ふと思った。
よくよく考えて、よくよく考えなくたって、そこには歴然とした答えがあったのだ。あまりにも当たり前すぎて見えなかったのかも――そうじゃない。誰かに頼られたのが嬉しかったのだ。
小学校から現在まで、同級生に何かをお願いされた記憶がない。記憶障害ではない。無論、認識の違いでも――ああそうだ。一つだけお願いされたっけ。
小学校の修学旅行の班決めで一緒になった男子に「キモいからこっちにくるな」って。なーんだ。ぼくも一端に他人からお願いごとをされているじゃないか。はぁー、やばい、死にたいなー。ボスケテ。
危うく睡眠じゃなくて永眠しそうになりつつ暗闇に慣れ始めた目で天井を見ながら、藤村くんと雲然くんの件をどうしようかと考えてみた。
考えた結果、「無理」と判断した。
友だち付き合いも碌にしてこなかったぼくが、どうして他人の友情を修復できようものか。無理だとしか言いようがない。
ぼくは、つかさを頼ることにした。
椋榎司も同様に、涙なしでは語れない波瀾万丈な学校生活を送ってきているだろう。けれど、コミュニケーション能力の高さを鑑みれば、友だちが一人もできなかったなんてことは、万に一つもあり得ない。
イケメンで、可愛いくて、才色兼備なつかささんだぞ?
ぼくは早速、ススガクに向かう道中、その旨を書いたメッセージをつかさに飛ばしてみた。
『おはよう』から始まって、『そういえば』と繋げる。何が『そういえば』なのかは自分でもよくわかっていない。メッセージのやり取りに不慣れすぎるがゆえの、『そういえば』である。
それにしても。
電車でスマホを弄る日がくるとは夢にも思っていなかった。
何だか高校生をしている気分になって、気分じゃなくて実際に高校生だろ、と自分にツッコミを入れるくらいには上機嫌だった。ゲームで難しい達成目録を獲得した感じ。はしゃぎすぎだ。
とはいえ、電車でスマホを弄るのは控えたほうがよいだろう。
世の中にはちょっと頭のネジが飛んでいるというか、常識に囚われないとでもいうか、一般人とはかけ離れている思考を持った人々もいる。
「東大学部は頭が悪い! 本当だからだ!」と宇宙的思考に基づいた超次元論を叫ぶおじさんや、「その心、嘲笑ってるね!」って、急に読心術を披露する極道お嬢先生風おばさんなんかもいて、いつ何処で誰に反感を買うかもわからないのだから、電車では大人しくしていたほうが身のためでもある。
薄野駅に到着すると、改札を出た場所でつかさが待っていてくれた。
昨日の夜に引き続き女子モードのようで、ヒラヒラが多いシャツを着て、白と黒のストライプ模様が入ったフレアスカートを穿いている。
「ともえ! おはよー!」
ぼくを見つけるなり遠くから手を振られて、自分の頬が、かーっと高揚していくのを実感した。
もう、藤村くんと雲然くんの件なんてどうでもいいやって気分にさせられる。――いけないいけない。その事でつかさに相談を持ち掛けたのだ。しっかりしないと。かーっ。
入学当時は満開だった桜の枝には新芽が増え始め、初々しかった新入生たちの顔にも慣れが見て取れる。
歩道橋で記念撮影していた女子二人も、今では別々のグループに所属しているのだから、友情って何なんだろう? って思う。
「今日も浮かない顔。マスターみたいになるよ?」
「ぼくはあんなに口が悪くないよ」
「でも不器用なとこは似てる」
「……否定はできない」
にくのふじむらの看板が見えて――。
「藤村くんのこと、どうするの?」
先に話を切り出したのはつかさ。
こういう時のつかさは話が早くて大助かりだ。
ぼくの眉を読んだのかもしれない。
つかさにも読心術の心得がある――と、勝手にそう思ってるだけ。
「手は貸してあげたいんだ。でも、その方法がわからなくて」
「藤村くんって鎖の人だよね?」
我がクラスでの藤村くんは、『にくのふじむらの息子』ではなく『鎖の人』で認知されている。
いや、全学年に渡って『鎖の人』が通例かもしれない。インパクトが強すぎて『にくのふじむら』が霞んでしまうようだ。コロッケめっちゃ美味しいのに。
「相談するならもっと早くしてくれてもよかったんじゃない?」
むすっと頬を膨らませる。
あざといけど可愛い。
この現象を、ぼくは『あざいい』と名付けた。
語呂の悪さは否めないが……いいでしょう!
あざいいよー、つかさー。
「そうなんだけど言い出しにくくて」
「しっかりしてよ?」
「ぼくに一番相応しくない言葉だね」
「ははっ、たしかに」
いや、そこは否定してほしかったなぁ……。




