#25 鬼が金棒を持てば魚が跳ねる
「口調まで強制されて辛くなかった?」
「辛くないよ」
どんなに可愛い服を着ても、口調や態度を変えても、有るべきモノを無いように小細工しても、逆に、無いモノを有るように見せたって、身体が、心が、ホルモンバランスが物理的な壁を超えるなんてあり得ない。
とどのつまり、女装をして、女性になりきっても、根本は男性のままだってこと。
月に一度だけになった『特別な日』。
特別な日と言い始めたのはママだった。
その日だけは息子が娘になる。
それゆえに「特別な日」だと。
ママにとっては――ううん、違う。
女の子が欲しかった両親にとって、わたしが娘として生活することは何よりも特別なんだと思う。それを『寂しい』と感じたことはない。御門家では恒例行事のように行われていたので、最初のうちは疑問にも思わなかった。
家族ってこういうものなんだ、程度の感覚。
それを異常だと決定付けたのは、わたしが学校に通うようになって他所の家庭を知り、見比べて、そこでようやく異常なんだと実感した。実感して、理解して、普通になりたいと願って――ママを壊した。
女装を続ける決意をした理由は、ママの心を壊してしまったことに対する罪滅ぼしだけれど、つかさと知り合ったことで本当にそれだけの理由で女装を続けているのかわからなくなった。
女装をしている最中は、わたしがわたしじゃないような、奇妙な感覚に襲われる。このまま御門智栄が消えてしまうような……でも、嫌じゃない。そうなってもいいかな? って気になってしまう。
それでもわたしは男性だ。
月並に性欲もあるし、恋をする相手は女性がいいと思ってる。同性間の恋愛を否定してるわけじゃなくて、趣味趣向の話。わたしはそうだってだけで、他は好きに恋愛すればいい。
ネットで有名な名言「幸せならそれでOKです!」じゃないけど、恋愛は当事者同士が決めることだから、第三者がああだこうだ言うのも違うでしょ? って。――でも、と思う。
同性間の恋愛に寛容的なのは、きっと、女装をしている自分を否定されたくないからなのだ。否定されたくないから肯定する。拒絶されたくないから受け入れる。
目上の者を敬うのは怒られたくないからで、嫌いな食べ物が出ても残さずに食べるのは褒められたい一心だ。どこまでも打算的だなって嫌になるけど、それが『わたし』という存在。
そして、わたしを一番否定しているのは、わたしなんだろう。
* * *
なんやかんやとやっているうちに、終了予定時間を超過してしまった。
「随分と遅かったじゃねえか。ま、鎌わねえけどよ」
急いで階段を駆け下りたぼくたちに、草臥れ顔でマスターが言う。
そこまで忙しかったのかな? と店内を見渡したけれど、カウンター席に初老の男性が二人、一つのボックス席に主婦四人。とてもではないが、猫の手を借りたいほど忙しくなる客数ではない様子である。
「お前、今、暇そうだと思ったろ」
「い、いえ」
思っていることが顔に出てしまうのは、どうにもこうにもマイナスにしか作用しなさそうだ。
誰だよ、寧ろプラスだとか抜かしていた阿呆は。――ぼくであった。
こうなったら本気でポーカーフェイスの練習と、ついでにミスディレクションも習得して幻のシックスマンを名乗ってやろうか。いやしかし、ぼくが影になったら本当に誰からも相手にされないだろうし、そうなると、友だち百人でマウント富士に登っておにぎりぱっくん計画が台無しだ。うん、やめておこう。
「まあいい。――で、ケーキセット二つの約束だな。飲み物はどうする」
「冷たくて甘いのがいいな。ともえは?」
「じゃあ、アイスコーヒーで」
「あいよ。座って待ってろ」
つかさのケーキセットに付いてきたのはアイスカフェラテだったけど、「甘いのがいい」って言ったからだろうな、「これでもか」ってくらいガムシロップが大量に乗せてあった。
ぼくのはと言うと、いつものストレートグラスじゃなくて、ビールジョッキにアイスコーヒーが注がれていた。
「サービスだ。絶対に残すんじゃねえぞ」
そう言って戻っていくマスターの表情は、イタズラをした子どもみたいだった。
「そのガムシロ、もしかして全部入れるつもり?」
「まさか。そこまで甘党じゃない」
でも、四つのガムシロップの残骸が積み重ねられた。
甘党じゃないと断言しつつも十二分に甘党のつかさである。
ケーキとコーヒーを味わいながら二階で撮影した写真を見るという、字面だけを言えば地獄に仏なこの状況下で、写真をズームしたり、反転させてみたり——つかさだけが心底楽しんでいた。
ぼくはその様子を引き気味に見つつ、羞恥心と激戦を繰り広げている真っ最中だ。女装した姿を他人に見せるのは、裸を見られるよりも恥ずかしい。拷問だ。いっそのこと殺してくれない? ねえ、どうしてズームしたり反転させたりするの? それ、何か意味あるの?
「はあ……眼福だった」
「もちろん削除してくれるよね?」
「しないけど?」
いやいや、お願いだからしてくださいよ。
「ともえはサラブレッドだな」
オレの愛馬が! じゃなくて。
「ある意味これは女装の理想型というか、英才教育とでも言うべきか。女装界隈でトップを取れる逸材だ」
「そんなトップは要らない」
「オンリーワンってこと?」
「元々特別でもない!」
素直じゃないな、とつかさが笑う。
性別を変える度に口調も変化させるのは、つかさも同じだ。
ぼくらの境遇は少し似ているれけども、その少しの差がとても深そうで、どれくらい潜れば底に辿り着けるのか見当もつかない真っ暗な海底を一人で突き進む勇気は、ぼくにはなかった。
明かりがなければ進行方向もわからないし、酸素ボンベがなければ息もできない。海底探査機に乗り込めば楽だと思う。でも、楽して知った真実に価値があるのか、それで納得できるのかも疑問だ。
椋榎司を知るには、いつもどおり地道にやっていくしかない。
「難しい顔をしているね」
「何が難しいのかもわからないもので」
「複雑にしているのはともえ自身じゃないかな」
うん、と頷いた。
「それを知ってても悩む必要が?」
「ぼくにとって女装は迷路なんだ。女装したらした分だけ、目的がわからなくなる」
目的にルビを振って『出口』と読ませたいけれど、それを口頭で説明するのはオヤジギャグの解説をするみたいでやめておいた。
「ママさんに対する罪悪感?」
「つかさ」
「ごめんごめん。――だけど、女装している時のともえは活き活きしていたな」
これなんてとても可愛いじゃないか、と一枚の写真を見せられて、ぼくは動揺した。激安の殿堂で販売されているコスチュームの質がよいのもある。ログハウスのような木製の部屋だから写真映えするってのもある。けど、それだけじゃない。
最後の最後、マスターにバレないようにこっそり階段の踊り場で撮影した一枚は、膝を曲げてステンドグラスに祈りを捧げるメイドの姿。ガラスには何も描かれていないし、何に対して祈っているのかも不明だ。
でも、祈りを捧げるぼくの横顔が、あれほど嫌だった長い睫毛が、この一瞬だけは最高の武器になっている。
鬼に金棒ならぬ勇者にエクスカリバーとはよく言ったものだ。どんな言い回しだよって内心激しくツッコミを入れたけれど、今だけ、あの日のクラウディアくんの心境が手に取るようにわかった。
そして、ぼくは間違いに気がついた。
この状況を正しく言うのであればこうだろう。
水を得た魚のよう、だ。




