#20 御門家の特別な日、彼は粛々と何かを失い続ける
週の初日、つかさは女装の麗人の姿で静かに文庫本を読んでいた。
ぼくが着座するまで気が付かないほど集中していたのか、ぼくの存在感のなさが原因かは定かではないにしろ、文庫本から目を離した瞬間の間の抜けた表情を見るのが密かな楽しみでもあった。
「おはようともえ。何だか顔が疲れてるけれど、何かあったの?」
「ああ、えっとー……」
あるにはあるのだが理由は言いたくなかった。
「まあいろいろとね」
言葉を濁すとつかさはそれ以上の言及はせずに、「そう」とだけ。
関心があるのかないのかいまいちよくわからない態度だ。でも、踏み込んでほしくないところにずけずけと言い寄られるのは面倒だし、こっちのほうが気楽ではある。ただ、素っ気なかったかな? と、自分の返答を省みた。
「いつも何の本を読んでるの?」
どうにか挽回しなければ。
「宗玄膳讓って知ってる?」
「確か昨年に映画化された……」
「それの文庫本」
「面白い?」
「映画よりは面白い」
実写化というのは上映時間の都合もあり、重要なシーンだったとしても省略しなければならなかったりするものだから良し悪しだ。
件の小説もベストセラーで、様々な賞を獲得していただけに実写化の期待値が非常に高く、上映初日、映画監督が評論家とファンたちに「改悪だ」と総叩きにされ、監督のSNSアカウントが大炎上。ついにはアカウントを削除するまで追い込まれてしまった経緯がある。熱心なファンが多いから仕方がないことではあるけれど、さすがにやりすぎだ。
「映画はあれだったけど原作は面白いんだね。ぼくも読んでみようかな」
「読み終わったらでいいなら貸してあげるよ?」
「本当? じゃあ、お願い」
ここで会話が途切れ、ぼくは一限の授業の準備を始めようと筆記用具を用意していた。
「ねえ、ともえ」
「うん?」
「実はずっと気になっていたんだけど」
「なに?」
「どうしてマニキュアを塗ってるの?」
……え?
「いつもよりも爪が綺麗だなって思って。それ、マニキュアでしょう?」
「……」
「薄いから遠目ではわからないけど、近くで見れば塗ってるってわかる」
「……」
「もう一度訊くけど、どうしてマニキュアを塗ってるの?」
うわああああ、と思った。
* * *
「おかえりなさい、ともえちゃん」
喫茶『ロンド』から帰宅すると、母が玄関で待っていた。
母の足元には女性ブランドの紙袋が両脇に置いてあって、今日のために用意した物だと直感した。ぼくが学校に行っている間に購入したのだと思われるそれらは決してハイブランドではないものの、オシャレ好きな女子高生たちから「コスパ最強」と太鼓判を押されている人気ブランドだった。
「いくら使ったの……?」
戦々恐々としながら、買ってきた服を早く着せたくてうずうずしている母に訊ねた。
「思い出はプライスレスよ」
答えになってない!?
言い回しがいちいち昭和臭い母だが、流行に疎いぼくと違って毎日のようにファッション雑誌を捲っているだけあり、服選びのセンスだけは折り紙付きである。だからと言って喜ばしくも何ともないのだけれど。
「一ヶ月に一度の特別な日でしょう? ママ、頑張って選びました!」
普段は「お母さん」でも、この日だけは『ママ呼び』を強要される。もし女の子が産まれたら絶対にママと呼ばせたい、と言っていたのを知っているぼくは、病の再発を恐れているのも相俟って逆らえないのだ。
「パパももう直ぐ帰ってくるって。ほら、そんなところに立ってないで、お風呂に入ってらっしゃい? お風呂に入らないとお化粧の乗りも悪いんだから」
毎度のことながら有無を言わせない態度である。
お風呂から上がると、脱衣所の洗濯機の上に女性用の下着、Cカップを作るパット、そして、何処で買ってきたのか聞いても教えてくれない『男の部分を隠すシリコンパンツ』までもが用いされていた。多分、ネット通販サイトで仕入れたのだろう。
因みにこれは二代目で、一代目よりも作りが妙にリアルである。多少こんもりするのだが、「もっこりするよりはいいじゃない?」と母の拘り――執念とも言える――が窺える一品。他に方法がないわけじゃないけれども、手頃なアイテムがあるならばそれを使う合理主義なのだ。
だがしかし、年頃の高校生に見せるには刺激が強い物である。動画でも、写真でも、女性のシンボルには必ずモザイクが施されているのに。このシリコンパットを見る度に、大切な物を失うような気分がしてならなかった。
そうは言ってもこれまでに幾度も経験している身だ。抵抗感ってなに? 美味しいの? くらいは薄れているし、胸部のパットも、ブラの装着も、それなりに作業で着れる。着てしまえる。おかしいな。男としての尊厳は機能しないの? 羞恥心よ、ぼくに還れ。
下着類を全て装着し終えて鏡を見ると、そこには御門智栄の面影を残した女の子が引き攣った表情を浮かべていた。
嫌になるほど白桃色の下着が似合っていて、板についている。元々の身体が女性的だってこともあって、この姿を見た男子は焦りながら、「失礼しました!」と脱衣所のドアを閉めること必至だろう。
でも、これで終わらないのが『特別の日』である。
下着姿のまま脱衣所を出たぼくを、母が満遍の笑みを湛えて待ち構えているのであった。
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by 瀬野 或




