#2 居場所はないが、あるものはある
黒に染め直すこと自体は、そこまで気にする問題でもない。
それよりも、他に懸念すべき問題がある。
髪を伸ばすと毛先が内側にカーブする癖が付いていて、天然のゆるふわカールなのだ。『愛されゆるふわカール』と題されたポスターを理髪店で見たときは、何とも名状し難い気持ちにさせられたものである。
担当の美容師が「天然モノなの? すごいね」なんて言うものだから――ぼくを鮮魚みたいに言うのはやめてほしいところだ――、ツーブロックにするつもりで家を出たはずなのに言い出せず、店を出たらショートボブになっていた。
もう、初めて入った理髪店で「お任せ」なんて言うものか。渡されたメンバーズカードも駅のゴミ箱に破り捨ててやった。
性別が『女性』になっていたのも気に食わないし、何より担当した美容師が終始話し掛けてきて煩わしかった。『会話はお控え致しますか?』の項目に『はい』とチェックした上でこれだ。
チェックシートを漏れなく記入した意味がない。ついでに言うと、男性美容師が付けている香水がきつかった。接客業舐めんな、です。
でも、間違えられてもしょうがないとは思っている。
男なのに低身長で、声変わりする気配もない少年声。男性キャラを女性声優が当てたのを想像すればわかりやすいだろう。
極めつけは、この年齢であれば生えてくるであろう部分の毛だって未だに芽吹かないでいるところ。腕も、足も、脇もそうなのに、どうして睫毛だけは長い。カーラーを使えばさぞ立派なぱっちりお目々が出来上がることだろう。
伊達眼鏡で目元を隠そうと試みたけど、鏡に映った姿が「んちゃ!」と挨拶する某キャラクターのそれでやめた。どっちかと言うと、ぼくの場合は眼鏡に掛けられている感が否めなかった。
ここまで自分の身体が女性向きだと、本当は女の子として生まれてくるはずだったんじゃないかって思うことも屡々だ。
肉体と精神(=魂)が上着のボタンを掛け間違えたかのように、収めるべき器に収められなかったのかもって。
早産だったために、性別のミスを修正する時間がなかったと考えると辻褄が合う……合ってしまう。
いつだったか、父と母が「女の子が欲しかった」と話しているのを聞いた。
ぼくはテレビ前にある黒いソファーで転寝をしてしまおうかと目を閉じ、数秒だか数分だかが経過した頃、ちょっと離れた位置にある食卓でお酒を飲み交わしていた両親が酔った勢いでぽろっと口を滑らせた。
両親の願いはついぞ叶わなかったけれど、これは両親の執念の業とでも言うのだろうか?
性別に対して身体は見事に女の子と言っても過言ではない。さすがに胸は平らだし、付いている物はしっかりと付いているんだけど。
だとしても、母の遺伝子を多く受け継いだぼくに両親は満足している様子だ。
本当は女の子がほしかったのに産まれてきたのは男の子で、どんな思いで産まれてきたぼくを抱き上げたのだろう――とは、怖くて訊けそうもない。
そんなぼくの容姿を見た同級生たちの反応は正直だ。
男なのに男子の輪に入れず、しかし、女子の輪にも受け入れられない。
同年代の男子から「オトコオンナ」と蔑まれ、中学校では腫れ物を触るような目で見られた。異物が混ざっている感覚に近かったのだろう。
酢豚で例えると、ぼくはパイナップルのような存在である。
日本には、果物を炒める食文化はなきに等しい。でも、酢豚にはパイナップルを入れる。肉を柔らかくして消化吸収をよくするためだ。裏を返せば、パイナップルがなければ肉が硬くなり、消化吸収が悪くなる。
これをクラスの人間関係に置き換えてみると、異物が教室に存在することで、「あんな風になってはならない」という集団心理が働き、その結果、クラス全体が上手く纏まるって寸法だ。
気持ちのよい話ではないけれども、理に適っている。
ぼく一人が犠牲になればそれで済むのだから、これも協調性と呼べなくもないのかもしれない。
そういう経緯があって、地元の市立高校に進学することだけは避けたかった。高校まで中学のヤツらと顔を合わせるのは嫌だ。
ぼくは、電車で片道およそ一時間半掛かる、私立薄ヶ丘学園高等学校――略称をススガクと言う――を受験した。
ここまで地元との距離が開けば同級生が受験する確率は低く、担任に確認を取ったところ、同学年でススガクを受験したのはぼくしかいなかった。
自由と自立を謳うススガクは、一般の高校とは一線を画す。制服もなければ髪色の指定もなく、アルバイトだって各自の判断で行ってよい。
一番驚いたのは、テストと宿題が出されない、という点だ。勉強は大切だけれど、学力と数字だけで生徒を判断しないって方針らしい。
主だった校則もないのだが、「薄ヶ丘学園では差別を徹底してさせません」と、学校説明会の教壇に立った校長先生が強く言っていたのが印象深い。
差別という強くて非常に曖昧な言葉を選んで発したその意図は、心に深く傷を負っている子どもでも安心して学園生活を送れる場所である、と示したかったのだろう。少なくとも、ぼくはそういった意味だと受け取った。
しかし、現実はそう甘くはないことを、ぼくたち子どもは理解している。痛感していると言ってもいい。小学校でも、中学校でも、大なり小なり問題を抱えつつ、それでも我慢して生活してきたのだ。
自分が、クラスの誰かが、時には担任が理不尽な状況に追い込まれたとしても、知らぬふり、見て見ぬふり、隠蔽に隠蔽を重ねてここまできた。
甘言で誤魔化そうとも、直接見て、触れて、感じてきた悪意を、容易く払拭できたりはしない。
大人も、子どもも嘘を吐くことは、わかっていて、理解していて、それでも、校長先生の言葉を『偽りじゃない』と信じたかった。藁をも縋る思いで見つけた高校だったから――。
そうして、ぼく、御門智栄は、この春より、私立薄ヶ丘学園高等学校の入学式を迎えた。