#19 もうひとりの彼と、もうひとつの闇
お互いに閉口したまま時間が過ぎてゆく。
マスターが気を利かせてくれた二杯目のアイスコーヒーはミルクが多めに入ったコーヒー牛乳で、「子どもがコーヒーばかり飲むと眠れなくなるからな。コイツはサービスだ」と置いていった物。仏頂面で言動はあれだけど本当は子どもが大好きで、照れ隠しなのがバレバレだ。
そんなマスターだからなのか、喫茶『ロンド』はとても居心地がよい。落ち着いた雰囲気の店内も、常連客が各々の楽しみ方をしている様子も、何だか実家にいる以上の安心感がある。
いい店だな、と思った。
「いい店だよね」
ぼくの眉を読んだかのようにつかさが言う。
テレパシーみたいだ。
単純に、顔に出ていただけかもだけど。
「うん」
頷くと、満足そうに目を細めた。自分が調べた店を気に入ってもらえると嬉しい半分、誇らしい気分になるのだろう。そういう気持ちはわからなくもないし、ぼくもいつかはつかさにお店を紹介してみたい。
でも、どういう店を紹介すれば喜んでもらえるだろうか。朝は教室で読書をしながらぼくが登校してくるのを待っている。本屋がいいかな。本屋を紹介して誇らしげな気分に浸れる? どうなんだろう、いまいちぴんとこない。
「ともえ」
「なに?」
「ともえは誰かを好きになった経験ある?」
随分と藪から棒な質問だ。
「渡る世間は鬼ばかりだったし、恋愛するタイミングなんてなかったよ」
「お互いに波瀾万丈そうだから、やっぱり経験なしだよね」
そうは言ってもつかさのルックスならば言い寄ってくる相手の一人や二人いたんじゃないか? と、無意味な嫉妬心がコーヒー牛乳入りのグラスを揺らした。
「私は誰かを好きになっても、誰かに好きを求められるのは得意じゃない。ともえは逆に、誰かから好意を寄せられたいんじゃないかな」
目から鱗だ。
そんなこと、一ミリだって考えたことなかった。
他人から悪意を向けられることしかなかった反動で、誰かに必要とされたいと願っていた? 確かに、高校生になったら友だちを作りたいとは考えていた。それがつまり、求められたかったって事実に繋がるとすれば、言われてみればなるほどである。
「ともえが私にどんな感情を抱いているのかは聞かないでおくけど、ともえに好意を持たれるのは、嫌じゃない、かな」
「それって告白?」
「愛じゃないほうの告白……恋の告白?」
初めて聞く単語だ。
「うん。多分、恋の告白。恋してないかもだけど」
「どっちなの?」
「さぁ? わからない」
出会ってたった数日の関係性で、愛だの恋だの自覚できるはずもないか。それこそ一目惚れでもしなければ、友だち以上の関係を求めることもないわけで。
一目惚れ、か。
誰かを好きになるってどういうことなのかを言葉にはできないけれど、格好いいとか、可愛いとか、そういったプラスの感情は一目惚れと呼べなくもなさそうではある。現に、つかさが恋人になったらと考えなくもない。
今はまだミステリアスすぎて具体的にどうこうすることはないが、つかさの秘密が解き明かされた暁には、その全てを受け止め覚悟と決意があれば、友だち以上の関係になりたいと望むのかも?
「とりあえずは友だちから、だよね」
と言うと、つかさは顎を引く程度に頷いた。
「ところで、ともえはどっちの私が好み?」
「男装と女装のどちらがいいかって?」
「女装の麗人をしてもいいけど?」
また知らない単語が出てきた。
「女装の麗人って、それはもう、正真正銘、麗しい女性じゃない?」
「確かに」
それに、言わないけど、女装の麗人姿は既に見ている。
「どっちにしたってつかさはつかさだし、ぼくが決めることじゃない」
「だけど、私と友だちになるってそういうことなんだ」
友だちになるならどちらかを選べって? 冗談じゃない。
「男友だちと女友だちが同時にできると思えばいい」
「普段は女の子らしさ全開なのに、こういう時は男らしいよね」
「ぼくは三六五日丸っと男子です」
「女装、教えようか?」
余計なお世話だと冗談めかして、ぼくとつかさはくすりと笑い合った。
* * *
女装の経験がないわけじゃなかった。
というか、お小遣いを貰う条件として、一ヶ月に一度だけ女装を強要されている。それが御門家のルールだ。
我が家ながら闇が深い家庭だと思いつつも、幼少期からそうなので、すっかり慣れてしまっている自分がいる。おそらくこれが世間にバレでもすれば、「虐待だ」と両親は批難されるだろう。それが『普通』。
子どもが嫌がることをしているのだから、批難されても文句を言う筋合いはない。歪んだ愛情だとも思える。
でも、ぼくは知っていた。
女の子が欲しいと望んだ両親は、男子として産まれたぼくを女の子として育てようとしていたのも知っている。
それを拒んだのは他でもないぼくで、母はとても寂しそうに「ごめんね」と、父は申し訳なさそうに「すまない」と頭を下げた。
女の子が欲しいのであれば、また子作りに専念すればいいと思うかもしれない。
でもそれは叶わないのだ。もう一人子どもを養えるほど御門家の家計は安泰ではない。病弱な母は仕事ができないし、父も父で苦労をしている。
一時期、母が心の病を患った。
ぼくが反抗して、両親が謝罪した夜から一週間後のことだった。病弱ながら明るく振る舞う母が、朝になっても寝室から出てこなかった。様子を見にいくと父が、「母さんは疲れているようだからそっとしておこう」とぼくを部屋の外に追い出した。
ストレスからきた母の心の病は、ぼくのせいだろう。
母の様子を見に寝室を訪れた時、母は、一番似合うと言っていた花柄のワンピースを両手で抱きしめ、遠くの空をぼうと眺めていた。
その日の夜、ぼくは父に、女装してもいいよ、と告げた。
最初こそ「それは駄目だ」と断固拒否していた父だったが、ぼくが自ら女装して母に会いにゆくと、それまで無気力だった母の表情に光が差して、これが決定打となった。
母のためとはいえ無条件でと言わなかったのは、一度頭を下げた父なりのプライドだったのか、当時は『一週間に一度』の条件を引き換えに、女装代と称して五千円を貰っていた。
そして現在、父の健診な介護とぼくの女装が功を奏して母の病はすっかり晴れ、週に一度の女装が一ヶ月に一度のルールで我が家に定着してしまった。
このルールが今も尚残り続けているのは、病の再発を恐れているのもある。
つかさは自分を「異常だ」と言っていたけれど、ぼくの家庭のほうが異常だ。
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by 瀬野 或




