#14 喫茶『ロンド』で大人の味を
カロンコロン――、ドアベルが軽快に鳴る。
店内は妙に薄暗く、落ち着いた雰囲気だ。
カウンター席とボックス席に分かれており、カウンター席には常連客と思わしき丸まった背中の老齢の男女数人が、珈琲を片手に会話したり、新聞を読んだりしていた。
「おう? 高校生がくるなんて珍しいな。適当に空いてる席に座ってくれや」
接客業としてどうなのだろう? と考えてしまうぶっきらぼうな態度だが、つかさはそれがツボの様子。
オールバックに黒縁眼鏡、黒いエプロンを掛けた細身の中年男性のマスターに、「こういうのを望んでたの!」と興奮気味だ。――枯れ専だったりするのかな?
ぼくとつかさは、一番奥のボックス席に対面で座った。
つかさが座るその先へと目を向ければ、年代物の煙草の自販機が壁に合わせて設置されている。銘柄はわからないけど、選べるのは四種類しかない。
「なんかいいね」
声を潜めて言うつかさが楽しそうで何よりだ。
ぼくはというと、落ち着いた雰囲気の店で落ち着けないでいる。余りにも場違いで、高校生が気軽に立ち入る店ではないように思えた。先程、店主も「高校生がくるなんて珍しい」と発言していたことだし、ススガク生徒も滅多に訪れない店なのだろう。
穴場と言えば穴場だけれど、さすがに穴場がすぎる。
「いらっしゃい。まあ、ゆっくりしていきな」
水とメニュー表を持ってきた店主の男性は、それだけ言うとカウンターに引っ込んでしまった。仏頂面で無愛想とはいえ、頑固一徹というほど酷くはない。
「何を飲む?」
店主が持ってきたメニュー表をテーブルの中心で開いたつかさは、「こういう店だとやっぱりブラックコーヒーかしら」と呟いた。
値段は割と良心的な設定。
そこら辺のカフェチェーン店より数百円は安い。
ブラックのみ、お代わりが二百円でできる。
「ぼくもブラックにしようかな」
「酸味が深いとかそれっぽいこと言ってみたいもんね」
形から入るタイプらしい。
悪いことではないけれど、ミーハーな気がしてちょっと恥ずかしいからやめて? 初めて都会にきた田舎者のお上りさんじゃないんだから。
「じゃ、注文するね――マスター、ホットのブラックを二つ」
「他に注文は?」
「以上で!」
「はいよ。ちょっと待っててくれ」
数分後、淹れたてのブラックコーヒー二つが運ばれてきた。いい香りだ、と思う。中学時代にいろいろと拗らせて、一時期はブラックコーヒーしか飲まなかった。
勿論、インスタントのブラックなんて美味しくないのだが、『ブラックコーヒーは大人の飲み物だ』と当時のぼくは考えており、不味いと感じながらも無理して飲み続けた結果、慣れた。苦手な食べ物を克服する荒療法と似ている。
「お待ちどうさん。ごゆっくり」
店主を見送ると、つかさがわくわく顔で一口飲んだ。事前の打ち合わせどおりに「酸味が深い」と感想をぽつり。大人びた容姿のつかさだからこそ、台詞に妙な説得力がある。
「飲まないの? 美味しいよ」
「あ、うん。いただきます」
ほう、これはなかなか酸味が深い……のか?
どちらかと言うとマイルドで、酸味はそこまで感じない。舌に残った苦味のキレがよく、飲みやすいコーヒーだとは思う。
しかし、カフェチェーン店すら足を運んだことのないぼくでは、味の良し悪しまでは判断できない。インスタントと比べるのは失礼だろうし。
「こういうお店にはよく行くの?」
「カフェなら何度か。でも、甘いコーヒーってコーヒーって感じしないでしょう? あれはコーヒー飲料の類だと思うの」
なんだったかな? ペペロンチーノみたいな名前の飲み物だった気がするけど。喉元まで出かかっているのに出てこない。
これは相手に正解を言われる前に自分の口から伝えないと気が済まないやつ——ああ、そうだ。やっと思い出した。
「フラペチーノだっけ?」
「うん。美味しいけど、何か違うなって」
そうなのか。
流行りのカフェで提供されるフラペチーノやマキアートも、全部コーヒーの種類だと勘違いしていた。
「具体的には何が違うの?」
「コーヒー! って感じがしない」
コーヒーの部分を大袈裟に強調する。
説明にすらなっていないけど、まあいいか。
「そういうものなの?」
「そ。そういうものよ」
結局、コーヒー、フラペチーノ、マキアートの違いはよくわからなかった。
店内から客が一人、また一人といなくなる。
それだけの時間を、ぼくとつかさは共有していた。これまで独りだったのに、今は『誰か』と一緒にいる。不思議な感覚だ。どうしていいのかわからなくて、コーヒーを二回もお代わりしてしまった。
両手のコーヒーからちらりとつかさの様子を窺うと、コバルトブルーの双眸がミステリアスな輝きを纏っていた。
本当に、つかさはミステリアスな人間だ。普段は大人っぽくて凛々しいのに、ロンドを訪れてからは子ども丸出し。新しいオモチャを与えられて喜んでいるみたい。
「そう言えば、どうして『穴場』がよかったの?」
本格的なコーヒーを飲みたいだけなら、別にこの店じゃなくてもよかったはずだ。
「もしかして、人払いがしたかった、とか?」
「どうしてそう思うの?」
「駅前にあるカフェにはススガク生徒がいる可能性がある」
つかさはコーヒーカップに口を付けてから、カップをゆっくりと受け皿に置いた。
「続けて?」
と言われても、そこまで深い理由はない。
単純に「そうなんじゃないか」と思っただけだった。
でも、ちょっと考えてみよう。存外、ぼくも他人のことを言えず、場の空気に当てられてしまうお上りさんタイプなのかもしれない。




