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日曜日、居間のソファに寝転がり、昼前あたりからスマホで延々とKA線などについて調べているうちに、すっかり夜になってしまった。
「望依ー、いつまでケータイいじってんのー。テスト近いんでしょー」
台所の方から母の声が飛んでくる。
それをきっかけに肺に溜まった重苦しい空気をげろげろと吐き、起き上がって伸びをする。そして適当に返事をしつつ、スマホを部屋着のポケットに滑り込ませた。
母に言われるまですっかり忘れていたが、来週の月曜から五日間に渡って中間テストが控えているのだった。どうでもいいことだ。いまは数学の公式や英単語を覚えるより、知りたいことが山ほどある。
目につくところでスマホを弄っていれば文句を言われると思い、邪魔が入りにくい自分の部屋で調べ物を再開しようと居間を出て台所を横切った。その時、夕飯を作るために野菜を切る母の後ろ姿がふと目に留まった。
そういえば母親と〝こういう話題〟について、話したことがなかったような気がする。
いつからか、なぜか、これは訊いてはいけないというか、口に出してはいけない思いがどこかにあったからだ。
私は少し腹に力を入れ、思い切って問いかけてみた。
「お母さんはさ、知り合いが召集命令で呼ばれたことってあった?」
「召集命令? いきなりなんで?」
「や、まあ、なんとなく……いまテレビのニュースでたまたまやってたからさ、呼ばれた人の家族のインタビュー……的なのが」
意を決したのはよかったが、そのための準備もなく口に出した結果、実に間の悪いものとなってしまった。もうすぐサザエさんが始まろうかという時間帯に、どの局でもそんな重いテーマを扱う番組など編成していない。
咄嗟に思いついた言い訳はひどく不自然で、自信のなさに浮き上がってしまった言葉尻の格好もつかず、私の言葉が嘘なのは明白だった。母は一旦手を止めて少しだけ振り返ってくれたものの、ひどく怪訝そうな顔をしていた。
母との間にじわじわと立ち込めていく暗雲のような空気が、今更のように告げる。当たり前だけど、常識だけど、少しだけタブー。普段の話題に上らないのは、みんなこうして無意識的に避けたい話題だからだよ、と。
さも話したくなさそうな雰囲気を醸しながら、母はなにも言わず再び野菜を切り始めたので、内心に気まずさを重たく抱えながら、答えを聞かないうちに台所を出ようとした。
すると、母がぽつりと漏らした。
「そういえば小学生の頃、クラスメイトの子で一人いたわねえ」
「えっ、いたの?」
予想外の答えだった。私はいつの間にか、母には〝そういう経験〟がないものと決めつけていた。だって誰かの死を感じて乗り越えてきたようには、とても思えなかったから。
「その時、どうだった? どう思った?」
知らず、私は食いかかるように訊いていた。
しかし母の答えは、すこぶる素っ気なかった。
「どうって……まあ、法律で決まってることだし、しょうがないことでしょ?」
「しょうがないって……友達じゃなかったの? 仲良くなかったの?」
「どうだったかしらねえ。仲悪くはなかったと思うけど、昔過ぎてあんまり憶えてないわ」
こともなげに答える母を目の当たりにして、そういう経験がないと思いこんでいた理由がわかった気がした。召集命令のことを臭いものには蓋の要領で忘れ去り、こうやって話題として出ても、きっぱりと他人事の位置を保っているからだ。だからテレビで防護措置予報が流れても、何事もなかったかのように聞き流せる。きっと天気予報より関心が薄いのだろう。
そうしてKA線という胡散臭い死神の存在を疑いもせず、誰かの人生が終わっていく日常を〝しょうがないもの〟として受け止めている。
自分の母親が死というものをあまりにもあっさりと認識していることに、信じがたいほど戦慄を覚える。いくら昔のこととはいえ、クラスメイトという身近な誰かがあの砲台から撃ち出されたのなら、思い出す機会はいくらでもあったはずだ。
いま問うまで忘れていたのは、その人と仲が良かったかどうかさえわからないこと? それとも、その人がこの世にはもういないこと? じゃあ、たとえば。
「じゃあ、もし私が呼ばれても、しょうがないで済ませる?」
恨みがましい思いで滑らせた一言に、今度こそ母は完全に手を止めて振り返り、訝しさを込めた視線をこちらに向けた。
「あんた、なに言ってんの? どうかしたの?」
「……や、ごめん、なんでもない」
心配そうな母の表情と気まずい空気を置き去りに、私はそそくさと自室に逃げ込んだ。
我ながらなんと棚に上げた話だろう。母を責めることなんてできるわけがない。
私こそ一昨日まではそうだったのだ。母だけを非難しようとした浅はかな自分に、遅まきながら自己嫌悪を感じる。
しかしそれを踏まえても、心に受けた衝撃をすぐには和らげられなかった。
今日まで自分の中にくすぶり続けていた疑惑。母との間に開いた死に対する認識の相違、KA線を取り巻く一連の仕組みに対する認識の相違は、思ったよりずっと深い断絶だった。
私は強い不安に襲われていた。これは私と母だけの断絶なのか。世間の通説とは、母と私のどちらに寄っているのか。死というものの認識は、どちらが正解に近いのか。
そこへいっちゃんの言葉が重くのしかかる。死ぬことをラッキーと表現した意味。消えてなくなってしまいたいと言うほどの、強い死への願望の原因。私はそれらの間を繋ぐ重要ななにかが、きっとわかっていない。
机に向かってノートや教科書を取り出してみても、まったく勉強をする気が起こらない。不随意に跳ねたり沈んだりするおかしな動悸に喉を絞められながらスマホを取り出し、再びネットの海へと乗り出した。台所から漂ってきた煮物の香りも母の夕飯ができたと告げる声も曖昧に躱し、テスト勉強もそっちのけで延々とスマホを弄り続けた。
どんなに馬鹿げた意見でもいい。どんなに信憑性の低い情報でもいい。なにかヒントが欲しい。そう思って次々にリンクをタップして、幼稚な水掛け論や扇情的な提灯記事を、取り憑かれたように読み漁った。
しかし画面越しの有象無象に繰り出される恣意的な言葉では、余計に不安を煽られるばかりだった。沈む心は底なし沼へ嵌るように、インターネットが織りなす深淵なる闇へずぶずぶ引きずり込まれていった。
やがて疲労困憊して、自然とスマホを放り出した。時計を見たら午前五時を周っていて、窓の外が薄白んでいた。
結局動悸が収まることもなければ、これぞと信じられる意見が見つかることもなかった。スマホの電池残量表示が真っ赤な二パーセントに染まるまで粘って得られたのは、ネットの言論は現実に聴こえてくるそれと大きな溝があるということだけだった。
友達も、先生も、母親でさえ、死というものについて語ったことはない。日常でそう話題に上るものではないといえばそうだろう。
ならばなぜネットの世界では、こんなにも多くの記事や意見が交わされているのか。ちょっと調べるだけで数千数万とヒットするのに、現実においてはこの話題を持ち出すことさえ、忌み嫌われている。この乖離を埋めるものとはなんなのか。
思うに、面と面を突き合わせて難しい事柄について話すのは、実に勇気や気力といったエネルギーを要する。もし私のような〝臆病者〟の比率が世間的に高く、誰もがそのエネルギー消費を嫌っているのだとしたら、乖離の正体とは〝場の空気〟――つまるところ 〝日常の雰囲気〟とでもいうようなものではないだろうか。
誰も難しい話や恥ずかしい話、正解のわからない話、あるいは主義や思想など、自分の内側へ直接通じるような話題、そういった〝日常の雰囲気〟が破壊されかねないような話題を好まない。普段から自分の心の内をひけらかして生きるのは、疲れてしまう。
それを気兼ねなく話すには、誰にも傾聴されることのない密やかな空間、その内容をよそへ吹聴されても支障のない相手といった、日常から遠く離れて影響を及ぼさない存在が必要になる。つまりネットの世界が適当だ。
そういう条件が揃わない限り、日々の生活をこれでもかと積み重ね続けるために必要な話題とは、芸能人のスキャンダルだの、身近過ぎない事件事故のニュースだのといった自分の生活範囲、認識範囲の範疇から外れた世間話だ。さもなくば疲労や苦労を突きつけ続ける現実から逃れることなく、病むこともなく生きていくのは、到底不可能に思える。
〝空気を読む〟とはこれらに附帯する一連の努力の総称であり、日々現実と戦い続けるため気力の消費を抑える長期省エネ型処世術なのではないか。世間的にはそれを〝大人〟という一言で表現して、面倒な話題を避けているのではないか。
ネット上の言論は当てにならなかった。かと言って現実の誰かに問いたくても、場の空気がそれを阻む。だとすれば、自分で考えて答えを見つけ出すしかない。
KA線に関する知識は別としても、土日まるまるかけて、たったそれだけのことしかわからなかった。そんな結果にいよいよ徒労感が強まる。
机から離れて倒れるようにベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めながら独り言ちた。
「大人になれって……ことなのかな」
大人。抽象的で、自己都合的で、いい加減な表現だ。
不得心であっても納得し、耐え難きを耐え、知りもしないことを知っているかのように振る舞うさまを肯定し、場の空気を――日常の雰囲気を壊さないよう努めることを強要する。
それが本当に〝大人〟なのだろうか?
「わけわかんない……。わかんないよ、いっちゃん……」
みんな、いつ〝大人〟になったのだろう。どうやってなったのだろう。
身近な誰かが籤引きで死ぬことになって、それが取るに足らないようなこととして受け止められるようになるには、どうしたらいいのだろう。
酷使した眼球のひりつく痛みがジクジクと沁み、使い慣れない脳みそがフル回転したことによる頭痛と相乗効果を生んで、頭全体が内側から何度も打たれているかのような重い鈍痛に苛まれている。その痛みの中、あの時のいっちゃんの一言が、暮れ泥んだ風景の向こうで黒く聳える砲台の姿とともにぐらぐらと蘇った。
――これはこれで、ラッキーなんじゃないかな、って思ってさ。
「死ぬのがラッキーってどういうこと? 冗談なんかじゃ……なかったの?」
外からは雀や鴉の鳴き声が小さく聴こえて、窓の向こうに広がる空には秋らしい鱗雲が綺麗な青紫色に染まって浮いていた。静かな朝の空気が満ちる部屋は空っぽで、間抜けな自問自答に応えてくれるものはなにもない。忌々しい静寂が不愉快で、ベッドの上でもぞりと寝返りを打ち、冷たい右腕を火照った額に置いて天井を仰ぐ。
「いや、違うか……」
私は私なりに、いっちゃんのことをわかっているつもりだった。〝生き苦しさ〟に喘ぐその苦しさ、辛さ、痛さを知っている〝つもり〟だった。
大きな間違いだ。辛さを知っているなら、ちゃんと向き合うべきだった。その勇気を持てず逃げたからこそ、いっちゃんが発していた死の言葉を冗談だと思いたかったのだろう。
私は親友で、他の人が知らないことを知っている――そんな優越感に自惚れていた。
「バカみたい……。冗談で死にたいなんて……いっちゃんが言うわけないのに」
あれが冗談ではなく本当のSOSだったなら、随分と長い間それを無視していた私は筆舌に尽くし難いバカでクズだ。いっちゃんは無論のこと、自分自身をも欺く臆病と弱虫に恥じもせず、よくも友達面をしていられたものだ。
いっちゃんの告白を聞いた時、耐えるべきだった言葉を晒し、震えて泣きそうな身体にしがみついたのを思い出した。
私のような人間未満があんなことをしたって、薄ら寒いだけだ。羞恥と自己嫌悪で思わず叫び出しそうになり、ぎゅっとシーツを握り込んだ。
毎朝、いつもの交差点で待ち合わせて、学校まで通う道程。休み時間、誰かがなにかを言わずとも集まって、お弁当を食べる。そしてあの堤防の上から夕焼けた街並みを眺めながらだらだら帰る。たまに寄り道もする。休日になれば映画を見に行ったり、インスタで持ち上げられた店を冷やかしに行ったり、くだらないものを一緒に衝動買いしてみたり。
ありふれて、あって当然で、楽しかったすべての時間が、いっちゃんにとっては常に死の衝動が伴うものだった。どんなに面白い話をしていても、楽しいことをしていても、美味しいものを食べていても、心の片隅には死が顔を覗かせていた――。
そうだとしたら、こんなに悲しい人生はない。どんなに夢中になってもふとその熱に冷水をかけられる。どんなに心が踊っていても不意にその熱が霧散してしまう。
そう考えると、死ぬことがラッキーと語った後に言っていた〝頭の天辺から燃え尽きて、なくなっちまいたい〟という言葉の意味も見えてくる。最近口癖のように言っていた〝死にたい〟の本当の意味はつまり――〝消えたい〟なのではないか。それはただ死ぬより苦しく、恐ろしいことだ。
痕跡を残さず真実も残さず、誰にも忘れ去られてしまうようにすうっと静かに、最初からいなかったかのようにいなくなる。そこにあるのは明確な周囲への拒絶、そして深い絶望だ。
そんな闇がいっちゃんの心にずっと巣食っていたのだとしたら。それを自分に置き換えてリアルに考えれば考えるほど、転げ回りたくなるような恐ろしさ虚しさ、なによりそれに気づかなかった恥と後悔が襲ってきて、頭の中心をぎゅうぎゅうと締め付けた。
死にかけたスマホのスイッチを入れ、LINEのトーク画面を呼び出す。『いっちゃん』を選び、過去の会話を遡る。他愛ないやり取りには、過ぎ去った平穏の日々が記録されている。このメッセージのひとつひとつを打ち込む裏で、いつもいっちゃんが死に苛まれていたのだとしたら……。
それを眺めるうちに微量だった電池は完全に失われ、スマホの電源が落ちた。どうにもならない感情に嘆息しつつ充電コードを差し込み、逃げるように布団へ潜り込んだ。
あと数時間もすれば、あの交差点でいっちゃんに会える。でも私のような不出来な人間がこれからどんな顔をして、どんなことを言えばいいのだろう?
そうして寝逃げに走った結果は果たして悪く、ひどく苦々しい思い出を作る羽目になったある夏の日の夢を見た。