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――いっちゃんと初めて出逢った日。
幼稚園の年中に上がって数日後に言われた一言目を、いまでもはっきりと憶えている。
――ねえ、宇宙人ってどこにいると思う?
当時クラスにいた女子のほとんどが流行の魔法少女アニメに夢中になっている中、朝に弱い私は日曜の早朝に放送されるそのアニメを見ることができず、すっかり話題に乗り遅れてクラスの端っこで暇を持て余し、ひたすらに絵を描いていた。我ながらなんと暗い幼稚園児だったのだろうかと思う。
そんな中、いっちゃんは流行に目もくれず、ひたすら宇宙人の知識を追求していた。そして私に話しかけてくれたのだ。
――ねえ、宇宙人ってさ、どこにいると思う?
なにも答えられない私に、いっちゃんは同じ問を重ねた。
いまにして思えば、正直に「わかりません」とたった一言を言えば済む話だとわかる。
しかし生まれついて人付き合いを恐ろしいものとして忌避し、ほとんど他人と関わらなかったせいで沁みついたコミュ障の弊害は、その時にはすでにはっきりと顕れていた。だからそう訊かれた瞬間、全身の血が沸騰するような焦りと恐怖を感じていた。
一度も考えたことのない問題を、一度も口を利いたことのない女の子から訊かれた衝撃は重く、どう答えたら正解なのか、あるいは正解のわからない時はなんと答えれば正解なのかを決めあぐねた。限界を突破した焦燥のせいで、なんと答えたのかは憶えていない。
そうした不可思議なやり取りをきっかけに都合十二年間、クラスを共にしたり離れたりしながらもずっと仲良く過ごしてきた。そんな私が抱くいっちゃんの人物像と言うのは、初めて会った時からさほど変わっていない。
超然にして唯我。奔放にして偏奇。常識、先入観、既成事実、そういったなにもかもに囚われない。自由人と言えば聞こえはいいが、悪く言えば手のつけられない電波娘とも言える。特に中学に上がった頃からの偏向ぶりは著しい。
父親のお下がりでPCを手に入れたいっちゃんは、どこで覚えたのか検索の極意なるものをマスターして、ネットに蔓延る政治ネタや時事ネタなど(いっちゃん曰く〝世界の真実〟らしい)に傾倒し、動画やニュース記事を漁っては覚えたての単語を連発するようになった。
そこからは坂道を転がるようにインターネットの闇へハマってゆき、見る人が見れば一目でわかるほど見事な中二病に羅患してしまった。とうに中学を卒業して高校二年生になったいまも、まったく治る気配がない。
成績優秀で運動神経もそれなり、外見も可愛いと非の打ち所がないため、数度は告白を受ける側の経験もしているらしい。ただ遺憾なことに可憐な見た目から想像がつかない強烈な電波具合のギャップが、夢見がちな男子諸君には刺激が強すぎるらしく、また本人の「教養のない有象無象に付き合っている暇などない」という取り付く島もない一言で、全員が一刀両断の元に斬り捨てられている。
中学の終わり頃からだったか、アニメやゲーム、漫画の知識も入り乱れるようになって、私にはもうついていけなくなってしまった。私もたまに単行本を買う程度には漫画を愛しているけれど、いっちゃんの知識はそんなニワカで語れるほど浅くも狭くもない。実際にはどの程度の見聞を深めているのか計りようもないけれど、少なくとも私が理解可能な範疇はとうに超えてしまっている。
そんな奇天烈な言動に付き合っているのは幼馴染の私を含めても数人で、大多数はやんわりとスルーしている。重度の中二病を拗らせた人がいる一方、触らぬ神になんとやらとばかりに処世術を爽やかに身に付けて、静かに距離を取る人もいる。
それでも私は、そんないっちゃんが大好きだ。
他人に怯え、決断ができず、すぐに現実逃避してしまう私の横で常に笑い、笑わせてくれる。どんなに言葉が刺々しいように聞こえても、本当に人を傷つけるようなことは言わないし、言い返してこない相手に喧嘩を吹っかけることもしない。中二病のせいで伝わりにくいけれど、いっちゃんは本当に優しい人なのだ。
きっとあの日、私に声をかけてくれたのも偶然ではなく、隅っこで一人ぼっちになっていた私を気遣ってくれたからだ。始まりこそ宇宙人の所在なんていう不条理なギャグみたいなものだったけれど、その出逢いでいっちゃんと友達になっていなかったら私はいまでも一人ぼっちで、もっと塞ぎ込んだ人間になっていただろう。
だからどんなに言動が電波でも、毒々しくても、妙ちきりんでも、ブラックジョークばっかりでも気にならないし、それ自体は心配していない。いっちゃんのそれは元気がある証拠だからだ。
私が最近ことに心配しているのは、そういうあれやこれやに入り混じって、やたらと〝死ぬ気〟を主張し始めたところである。
マイブームは〝滅亡〟〝終世〟〝消滅〟。この世界はキリスト教原理主義者の根拠のない歪んだ価値観によって歪められた偽りの世界で、どうにもこうにも〝生き苦しい〟らしい。
けれど私はその〝生き苦しさ〟の本質が、そんな小難しいことではないのを知っている。いっちゃんの人生は、随分前から面倒な方向に進みつつある。具体的にいつからかといえば、まさに中二病の病状が深刻に進み始めた頃と一致する。
他人を厭い、現実から目を背け続ける私とは別のスタイルで、いっちゃんもまた現実から逃げ回っている。そのための方便が奇しくも中二病という現代の文化と相性がよく、適当な発散方法になるらしい。
だから私はいっちゃんが電波なことを叫び続ける間、安心する。わけのわからないモノマネも、正当性があるのかわからない演説ごっこも、いくら続けたところでなんの出口も解答も得られない堂々巡りだけど、そうすることが少しでもいっちゃんの人生を彩る絵の具になるのなら。たとえば、私もその一色になれるのなら。
存外、そういう電波な人生だって悪くない。私は心底、そう思うのだ。