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「……こんな状況下、ネットを駆使して少しでも多くの事実を掴み、各種SNSで拡散する以外に我々国民が為せる行動があるだろうか⁉ 然るに! 暢気にサルみてえなヤリたい盛りの男なんぞとケツをど突き合ってる場合じゃねえんだ! わかるだろ、ゾゾエ!」
よく回る口だなあ、などと思って油断していたら、演説の矛先が急旋回して私に向いた。
「えっ⁉ あっ、うーん、そうなのかねえ? ハルちゃんはどう思う?」
話の内容が全然入っていなかった私は狼狽を抑えつつ、ちょうど視線の先に映ったハルちゃんにレシーブした。こうなってしまったいっちゃんは止められない。暴走するダンプカーの前に飛び出すようなものだ。それをわかっていながら一瞬で身代わりを立てて遁走する自分のしたたかさに、内心少しの罪悪感と笑いをこらえる。
そんな大暴投を受けたハルちゃんは卵焼きを齧って幸せそうな顔をしながら、のんびりと答えた。
「そんな難しいこといきなり聞かれても知らんがな。とりあえず、男は三次より二次に限る。壁ドンしながら真顔で『お前のすべてが欲しい。いや、奪ってやる。覚悟しろ』っていうセリフを吐いていい男が三次にいるとは思えんからにゃ。ねえ、なっさん?」
「せやな」
ハルちゃんの幼馴染にして戦友、なっちゃんがうんうんと頷く。さすがは天をも恐れぬ断金腐女子コンビだ。この状況に対し、よもや真顔で二次元男子唯一論を以って応戦するとは。ギリシャで行われるロケット花火打ち合い祭りのようにやたらめったらぶち込み合う我と我の応酬で、お互いに論旨がまったく噛み合っていない。しかしいっちゃんも負けじと、追加のロケット論説を発射する。
「なんてこった、お前らもか! お前らも二次元の幻想に取り憑かれた憐れで蒙昧な消費者だったのか! ちっ、こうなったらお前らの妄想力と画力を最大限に活かせ! 各国を擬人化の上、微妙な国際情勢の現状を受け攻めで巧みに表現し、ラブコメ風に描いたクソみたいなBL漫画でこの状況のヤバさを盛大に喧伝してやろうじゃないか! 立ち上がれ日本国民、立ち上がれ腐女子! 手始めにピクシブあたりから制圧し、ゆくゆくはBLで世界を救え! すっかり聞かなくなっちゃったクールジャパン戦略の往生際を、いまこそ見せつけてやれ!」
「なるほど、わからん。国同士の擬人化なんて手垢がつきすぎだし、オンリーイベントもこの頃はすっかり下火だにゃ」
「ウケる」
室温よりよほど高い熱量の込もった演説は、二人にすげなく躱されてしまった。
「ほら見なさい中二病、この同意の少なさ。真実とやらが見えてくるのはまだまだ先ね」
もはや完全に興味を失ったらしいローちゃんがスマホを見ながら、止めとばかりに冷たくあしらった。
「ひ、低い……! どいつもこいつも精神の成熟度が低すぎる……!」
せっかくの大論説を三者三様にいなされたいっちゃんは、大仰に絶望する大物政治家の真似事をしながら机の上へ盛大に崩折れた。
「とりあえず彼氏作ったら? 話はそれからでしょ、中二病」
「ふざけんな、そんなカップ麺みてえに作る恋愛ごっこなんぞ犬に食わせてやる! 僕はたとえ一人になっても戦うぞ! 虚飾に塗れたこの水平線に、いつか勝利と栄華の暁をもたらさん! 正義は我にぞあるッ!」
「やべー、世界一声のでかい勇者の誕生にゃ。正義の根拠がガバガバ過ぎて草生えるにゃ」
「せやな」
「ゾゾエ、あんたがちゃんと面倒見るのよ。世界を救う前に、まず彼氏を作らせてやって」
「う、うん……頑張る」
ローちゃんの正論にぐうの音も出ない。
まあ友人の一人として、いっちゃんの将来を心配していないわけではない。
このまま中二病が治らなかったら付き合う男は現れるのだろうか。就活の面接で『少子高齢化対策の進捗状況についての答弁で責任転嫁する官僚の国会答弁モノマネ』をしないだろうか。そもそも大学に進学する気はあるのだろうか。とにかく様々にある。
けれど元気にぶっ壊れているいっちゃんを見ていると、安心する。
いっちゃんがもしまともなことしか言わなくなって、意味があるのかないのかわからないマシンガントークをやめてしまったら嫌だ。
こんなに刺々しい言葉を並べてもいっちゃんが憎めないのは、本心で喋っているからだろう。一言も嘘や見栄を混ぜていない、極めて純度の高い本音。普通なら空気を読んで、胸の内にしまいこんでしまうもの。それをあっけらかんと吐き出す様が気持ちいい。
そう感じてしまうのは、私も大概いっちゃんに毒されている証拠に違いない。
「そういやさー、なんであんたらはあんな派手に遅刻したの?」
ローちゃんが思い出したようにいっちゃんに訊いた。するといっちゃんは私を見て、ニヤリと笑った。
「機密事項だ。宇宙平和のため、答えるわけにはいかんな。そうだろ、ゾゾエ」
「あー、うん、まあ……命が惜しかったら、ってやつ?」
「なにそれ。ま、なんだっていいけど、宇宙平和より田村先生への言い訳のほうが重要なんじゃない? 先生カンカンだったよ」
ローちゃんがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、私たちのほうへ身を乗り出す。
結局私たちは一限目に間に合わず、教室に入った時には二限目が始まる寸前だった。あの田村先生を怒らせてしまったと聞いて、胃にひやりと氷が滑るような焦燥が走った。
「マジかよ。クソやべーな」
そう言いながらのんびりパンを齧る様からは、微塵も動揺を感じ取れない。そんないっちゃんを見たら、焦燥は一瞬で掻き消えた。
いっちゃんはパンをもぐもぐと咀嚼しながら、さも名案と言わんばかりに手を打った。
「よしゾゾエ、あとで一芝居打ちに行こう。某県議会議員並みに泣き喚いて土下座のひとつもカマせば許すに決まってるさ」
「それってどっちが泣き喚く係なの? あともう片方はなにしてるの?」
「決まってるだろ。耳に手を添えて、終始聞こえないふりしてるんだよ」
「わー、すっごく怒られそう! もう二度と許してもらえないね!」
「案ずるな、地の果てまで逃げる算段はついてる。いざとなったら新潟あたりからすこぶる怪しい小型船に乗って、お隣の独裁国家までフルスロットルで過激な逃避行と洒落込もうぜ」
「ぜーんぜん行きたくなーい! ぜーんぜん行きたくなーい!」
「強いわね、あんたら……」
処置なし、と言った具合に首を振ってローちゃんが私たちから離れたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
熱気と喧騒は一気にしぼみ、三々五々自分の席に散らばり直していく。弁当を食べ終わったハルちゃんや、いましがたまで漫画を広げていたなっちゃんも、いつの間にやら戻っていた。ローちゃんも国外逃亡する前にLINEくらいは送りなさいよ、とだけ言い残して足早に立ち去っていった。
あとには席が前後に並び合う私といっちゃんだけが残り、五限目の先生が来る直前まで逃亡した後の独立国家建国計画を練る話で盛り上がった。