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 昨日通った時は辺りが真っ暗だったので気づかなかったが、赤塗の橋から見える風景はそれなりに明媚なものだった。見知った商店はひとつもないように思われたが、橋を渡りきって少し行った先にある交差点の角にコンビニがあった。そこでペットボトルのお茶を買って、昨日通った道を逆に辿って駅前に出た。

 するとちょうどバスが停車していたので、スーパーパスポートをちらつかせて乗り込んだ。後ろの方の席に座ってデパートで買い込んだお菓子を食べながら、なるべくKA線のこととは遠い話題を選んでおしゃべりをした。私もいっちゃんも表向きは上手く誤魔化せていたが、内心は高まり続ける緊張を抑えようと必死だった。

 ついに召集令状という名の死神を生み出す元凶にまみえる。これまで漠然と信じ込まされてきた〝世界の真実〟の真偽がはっきりする。

 親も、先生も、教科書も、テレビも、ネットも、その真偽について問うているところなんて見たことがない。それはつまり疑う余地のないものなのかもしれない。

 しかしいっちゃんの言うとおり、一縷の望みがまだ残されているとしたら。いや、たとえ本当に一分の隙もない完璧な事実であったとしても――諦めるに足る確信を得なければ、観念することはできそうにない。

 空白地帯の最寄りのバス停に辿り着くには二回乗り換えが必要だった。一度目、公民館の前で乗り換えたあたりから、いっちゃんの口数が徐々に減っていった。私も高ぶる鼓動で胸が痛いほどになっていたので、なにも言えなくなっていた。

 無言のまま胸の痛みだけに向き合っていると気が滅入りそうだったので、スマホで動画サイトを開いていくつかの動画を視聴してみたものの、気を晴らすより先に乗り物酔いの症状を呈してきたため、いっそう体調が悪くなっただけだった。

 二度目、無人駅の前で乗り換えた後は、もはや完全に無言だった。

 私は猛烈な吐き気や跳ね上がる胸と腹の痛みと戦って、ひたすら遠くだけを見つめようと努めていたが、その横でいっちゃんはスマホをフリックする指を止めなかった。

「いっちゃん、酔わないの?」

「大丈夫。昔からこういう時はずっとゲームとかしてたから」

「へー、すごいね。ところで、さっきからなに見てるの?」

「うん、それは、まあ……」

 私が問うた途端、急に手を止めてスマホを鞄に入れてしまった。

「あ、ごめん、もしかして訊いちゃいけなかった?」

「や、ゾゾエにあの金を遺せないかな、と思って色々調べてたんだ。どうも無理っぽいけど」

 予想もしなかった答えに驚いた。

「あの金って……藪から棒に、どういうこと?」

「昨日見せたあの冊子には書いてないけど、実は僕が死んだ後に『応召者の遺族に対する特別弔慰金』っていう結構な名目で、親に一億出ることになってるんだ」

「一億……」

 思わずいっちゃんの言った金額を諳んじる。

 一億。それが人を空に撃ち出すための値段。

 数字の高低の感じ方は人それぞれだろうし、少なからず衝撃的な金額ではある。けれど親友を暴挙の鉄槌で押し潰して、空に撃つことを許さなければならないと思えば安すぎる。

 どんな根拠があって一億なのだろう。この決まりを作った人は、大切な人を同じように撃ち出さなければならなくなったとして、本当に一億で納得できるのだろうか。

「あのクソどもの手に渡るのをどうにかできないもんかと調べてみたけど、遺言書とかじゃ駄目らしい。どうも支給される前はあくまで政府の金であって、支給された後に個人の財産として認められるんだが、その個人ってのに本人は入ってないから遺言で希望は言えても強制力はないんだと。わけわかんねー話だよなあ、僕の命に支払う金なのに」

「そんなのどうでもいいよ、いらないし。っていうか、死ぬ気満々で喋るの、やめない?」

 死んだ後のことをぺらぺらと話すいっちゃんに腹が立ったのか、それともこんな不条理につけられている値段に苛立ったのか、思いがけず言葉が刺々しくなってしまった。

「ごめん、キツい言い方になっちゃって……」

「いや、こっちこそデリカシーがなかった。確かにどうだっていいよな、こんなこと……」

 別にいっちゃんがわざわざ私を苛つかせようとしているわけではないことくらい、わかっている。喋ったり手を動かしたりしていないと、不安に押し潰されてしまいそうなのだろう。

 あるいはバスの速度に合わせて迫り来る現実からいよいよ目を背けきれなくて、否が応でも考えてしまうのだろう。お互いに余裕をなくしているのは明白だった。

 私たちは再び無言になり、数十分ほど揺られて、ようやく目的の停留所に着いた。

 いっちゃんが先頭に立ち、私はそれに従って歩いた。少し行ったところに分かれ道があり、山の方へ続く道の入り口には『この先、行き止まり』と書かれた大きな看板が立ちはだかっていた。確認のためにマップを開いてみると、やはりこの道の果ては空白地帯に吸い込まれるように途切れていた。

「さて、こっからは歩きか。鬼が出るか、蛇が出るか……。ゾゾエ、覚悟はいいか?」

 いっちゃんがキャップの庇を下げて目深に被り直し、鋭い視線をこちらに送る。まるで猛獣の巣食うジャングルにでも挑むような格好だ。

 じんわりと嫌な汗が浮かぶ。手汗がどれだけ拭ってもびしょびしょのままで、震えが収まらない。いよいよこの先に揺るがしようのないなにかがある。怖くてたまらない。

 それでも、行かなければならない。

「うん。大丈夫」

「よし、じゃあ行こう」

 お互いに勇気を補うようにして頷き合い、ゆっくり歩き出した。

 廃止された二車線の国道は、日本の道路とは思えないほど荒れ果てていた。

 道の端やアスファルトの割れ目から草が生い茂り、泥や石ころがあちこちに堆積している。手入れをせず、人も車も通らなければこうも朽ちてしまうものなのかと思い知った。

 そんな悪路をローファーで登るのは過酷なことだった。勾配は緩めなものの、時たま落石や倒木などの大きな障害物があったり、泥や砂利に足を取られたりして思うように歩けない。

 曲がりくねる道に遠回りを強いられているような感覚を与えられるのも、精神的にくるものがあった。気温はさほど高くなく、むしろ過ごしやすいくらいの風が吹いているのに、三十分ほどですっかり汗だくになってしまった。

「こりゃあ想像以上だな。コンビニでもっとお茶買っとけばよかった。デパートで靴も変えとくべきだったな。クソ、こんな獣道みてーなとこだとわかってりゃなあ……」

 早々にペットボトルの中身を飲み干したいっちゃんが、苦々しい表情で愚痴をこぼした。

「慣れない靴で歩くほうが辛かったかもよ。こっちもちょっとしかないけど、飲む?」

 残り僅かとなった私のペットボトルを差し出したが、いっちゃんは手を振って断った。

「自己責任だ。いいさ、JKの底意地を見せてやる」

 汗びっしょりの額や頬に黒髪を貼り付けたままにっと笑う。その顔に元気づけられ、私も少しだけ気力が回復した。

 それからは無言になり、ひたすら緩い坂道を登り続けた。元陸上部だから大丈夫、なんていう朝の威勢を足の裏や膝の痛みが嘲笑ったが、とにかく登り続けた。下手なハイキングよりよほどハードな道行のおかげで、不安や絶望といった負の感情が一時的に消えてくれたことだけが唯一の救いだった。

 どれほどの時間を歩き続けたか、最後の急勾配を登りきったところでついにそれは現れた。

 伸び放題の鬱蒼とした木々に囲まれているところに、ぽっかり開いているトンネル。

 その前にはあの動画で見た、不吉な印象を刻みつける《指定消滅区域の為、立入禁止》と書かれた赤い看板が立てられている。

「魔界の入り口だ」

 魔界――いっちゃんの表現は言い得て妙だと思った。

 命の息づきを拒絶し、深い闇を孕んで山腹に開いた冥いトンネルは、まさにこの世ではないどこかに通ずる門のようだ。低く響く唸り声のような風鳴りが止まないのも、その錯覚に拍車をかける。

「行こう、ゾゾエ。〝世界の真実〟は、すぐそこだ」

 言葉こそ強いが、その声は確かに震えていた。

 そうだ、怖いのは私だけではない。いっちゃんはきっとこの何倍も怖いのだ。怖気づいている場合ではない。

 少しでも勇気を出せるようにと強く頷き返し、手を繋いだ。そしてスマホのライトを点け、意を決してゆっくりと闇の中に一歩を踏み入れた。

 山を貫く長い長いトンネルの中は身震いするほど冷え切っていて、季節が逆転してしまっているかのようだった。

 その冷えた空気とは別の冷たさが、魔物のように心を侵していく。不気味に反響する足音が亡霊のように、いつまでも足元をついて回る。厳しい道程の疲労で誤魔化されていた不安が一挙に舞い戻る。なんの障害物もなく平坦なトンネルが、いまはひどく恨めしい。

 このままでは駄目だ。怯えに挫けてしまいそうになる。私は懸命に頭を巡らせ、この苦境をなんとかする方法を模索する。

 そしてひとつだけ思いついた。いまこそ中二病が役に立つ。

「ここマジですごいね、いっちゃん! めっちゃ雰囲気あるよね! なんかこう、ゲームのラスボス前のダンジョンって感じしない? ずっと震えてるけど、MPの残りは大丈夫?」

 這い回る冷たさに心が負けてしまわないよう渾身の空元気を捻り出し、どうにか面白がってやろうという努力を試みる。

 辛い現実と戦うため、いっちゃんが編み出した最終手段。

 妄言でも虚勢でも、この際なんでもいい。

 ただこの歩みが止まらないだけの勇気を二人分、少しでも支えられればそれでいい。

 するといっちゃんも握る手の力を強くしながら、私よりもさらに明るい声を張り上げた。

「そりゃあ震えるさ、さすがに。でもここまで来たら今更取って返すわけにはいかねえ。行こうぜ、ゾゾエ。〝世界の真実〟を知りたいだろ? さっさと二人でラスボスをぶっ飛ばして、このクソゲーを作りやがった長ったらしい戦犯リストを拝んでやろうぜ!」

 しかしその強い言葉とは裏腹に、声は入口にいた時よりも明らかに震えを増していた。

 〝行こう〟と言うのは、きっと〝逃げよう〟の裏返し。だから何度も言っているのだろう。

 そうやって言い聞かせ続けなければ、足を前に進めることができないから。その証拠に握っているいっちゃんの手は、まるで雑巾でも握っているかのようにしとど濡れている。

 心霊的な、超自然的なものに対する恐怖ではない。

 この闇の先に見えるであろう、ただ圧倒的な現実が。揺るがしようのない、どこまでも現実的な現実が、怖くてたまらない。

 でもいっちゃんの言うとおり、ここまで来てなにも見ず帰ってしまっては、貴重な時間をなんのために浪費したのかわからなくなる。どんな覚悟を決めるにせよ、この目で本当のことを見なければなにも受け入れられない。

 私たちは歩いた。何度も虚勢を張り直しながら、おっかなびっくり、永遠にこの闇が続けばいいのにと、くだらない矛盾をひたすら願いながら歩いた。

 やがて、光が見えてきた。

 外の、向こう側の景色が近づいてくる。吹き付ける風が強くなる。

 ドラマや映画の演出でよくある、光が曖昧に差し込んでくるような心優しいオブラートなんてなかった。出口の数メートル前からじわじわと骨身を蝕むような違和感があった。

 それでも歩いて、ついに私たちはトンネルからよろぼい出た。

 そして、息を呑んだ。

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