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「あれが旅館だ。いやあ、遭難した人の気持ちがわかるな。文明の光って素晴らしい」

「街灯はちょこちょこ点いてたし、マップの案内どおりに歩いたんだから迷ってないじゃん」

「気分だよ、気分」

 いっちゃんが予約してくれた旅館は想像よりかなり立派で、古めかしい大きな和風の建物だった。門をくぐると灯籠や松の木、小さな池などが暗がりにうっすら見えて、上品な雰囲気に満ちている。

 予定より遅れて到着した私たちを迎えてくれた女将さんに歩いてきたことを告げると、少しだけ目を丸くしたが、嫌な顔ひとつせず荷物を持ち、フロントに案内してくれた。

「お電話いただければ、迎えの者を差し上げましたのに。大荷物で駅から夜道を歩かれて、大変でしたでしょう」

「ありゃー、ちっとも思いつきませんでした。旅慣れてないもんで」

 談笑しながらつつがなくチェックインを済ませるいっちゃんの横で、縮こまってそのやり取りに眼をきょろきょろさせていると、スーパーパスポートを受け取った女将さんの表情が少しだけ曇った。それはデパートのレジで見た人々の表情と似ているような、しかしどこか違って感ぜられた。その意味を計りかねてどぎまぎしているうちにまたにこやかな顔に戻り、慣れない手付きでカード端末とパソコンを操作して、処理を済ませてくれた。

 通された和室は建物の外観から受けた印象に違わない落ち着きがあって、女子高生が二人で泊まるには贅沢なほどの広さだった。

「大変申し訳ないのですが、先にお食事を運ばせていただいてもよろしいですか? 厨房が片付けに入っておりますので……」

「ご迷惑をおかけしてすみません。お願いします」

 戸口に荷物を置いて会釈をし、そそくさと下がった女将さんを見送ったいっちゃんは人心地をつけたのか、大きな溜息を吐きながらぐぐぐと背を伸ばした。

「いーやはや、遠くまで来たもんだ。ま、なんとか無事に着いてよかったな」

 しかし私は女将さんがチェックインの時に見せていた表情がどうにも気がかりで、ちっとも落ち着かなかった。

「ねえ、さっき女将さんがカードを受け取った時さ……なんか、変な顔してなかった?」

「変な顔?」

 脱いだキャップを指先でくるくると回しながら、いっちゃんは不思議そうな顔をする。

「まあデパートで買い物してた時も、レジの人たちみんな変な顔してたけど……なんていうのかな、うまく表せないけど、それとはちょっと違うような……」

「そりゃアレだろ、いきなり『弾丸』が目の前に現れたからビビッたんじゃねえの。常日頃から見るもんでもないだろうしな」

 キャップを部屋の隅へフリスビーのように放り投げたいっちゃんは、にやつきながらスーパーパスポートの入ったポケットを叩いた。

「『弾丸』に出逢うなんて幽霊に遭うようなもんだ。誰だって動揺するだろうさ」

 応召者の誰かと出逢う確率は、街中を歩いていて死亡事故を見かける確率とほぼ同じだ、というふうによく喩えられる。

 これから死ぬか、もう死んでしまったかという後先の違いはあれど、つまりは――〝明白な誰かの死〟に出遭う確率。だから幽霊という比喩は的確ではあるけれど。

「いっちゃんは幽霊じゃないよ。私の目の前でちゃんと生きてるんだから」

 そういう表現がいまは好きになれず、目ざとく否定してしまった。

「……はー、思わぬ長旅でちょっと疲れたな」

 私の言葉を無視して、いっちゃんは藺草が香り立つ畳の上にごろんと大の字に寝転がった。

「ほんとに驚いただけだったのかな。ねえ、パスポートに生年月日って書いてあったっけ?」

「そりゃあね」

「じゃあ、もしかしたら、通報されちゃったりとか……」

「なくはないな。偽装工作は見かけだけだ。パスポートを使えば一発で未成年だってバレる。こんな山奥の宿にガキだけで泊まってりゃ、なんか勘繰られるかもしれねーけど……」

 いっちゃんは「んしょっ」と言いながら起き上がった。

「どうする。タクシーを使えば帰れんこともない。引き返すならいまだぜ。僕はどうとでもなるが、ゾゾエにはまだ明日が続いてる。ここでノリに任せて困るのは……お前だけだ」

 いっちゃんの顔は真剣だった。この期に及んで、選択権を私に預けてくれている。

 明日が続いている。まだ日常を続けなければならない私には、戻るべき道もあるということ。このままいっちゃんに付き従い続けることは、その日常に困難をもたらすかもしれない。

 もちろん、どこまでも付いていく気持ちに変わりはない。別に明日や明後日にちょっとくらい困ったことになったっていい。

 ただ、なんらかの社会的な力――親だの警察だのが動き始めて、それらが本気で私を止めようとすれば、抗うことは難しいだろう。ただでさえ残り少ない時間をそんなことで縛られたり減らされたりしたら、悔やんでも悔やみきれない。ならば一旦冷静になって、戻るのも手のひとつなのか。

 現実はどこまでも先回り、暗い影を落としながら覆い被さる。ただいっちゃんと一緒にいたいだけなのに、あれほど執着した日常がいまや宿敵のように立ち塞がる。

 明日を続けよ。壊してはならぬ。その罪は常識という法によって裁かれる――。

 その時、私のスマホが鳴った。

 嫌な予感がして画面を見ると、果たして発信者はお母さんだった。

 時刻はもう九時になろうとしている。こんな時間までなにも言わずに帰っていないので、用件は聞かずともわかった。いっちゃんも緊張した面持ちで私のスマホを凝視している。

 静かな部屋にコールが重なる。戻れ、戻れと説き伏せるように長々と鳴動する。

 行くも戻るも、決められるのはいましかない。

 ディスプレイの上で親指が震える。決意が揺らぎそうになる。

 このまま行くべきか、それとも戻るべきか。行くか、戻るか――。

「……えい!」

 目を瞑ってスマホの側面に指を滑らせて電源を切り、そのまま鞄の中に放り込んだ。

 心臓が早鐘のように打っている。でも、後悔はなかった。

「大丈夫かよ。それ、家からじゃないの?」

 いっちゃんが恐る恐る尋ねてくる。

 疼痛が響く心臓を右手で抑えながら、ゆっくり頷いた。

「そうだけど、いいんだ」

「ほんとに、いいのか……?」

「どっちにしたってどうせ怒られるし、いまあれこれ言われたら心が折れちゃいそうだし。それにいっちゃんが召集のことを教えてくれた時にも言ったじゃん。一緒にいるよって」

 唐突に思い出した言葉が、自然と口から出た。あの時はでまかせのように言ったものだったが、いまになってようやく実感が湧いてきた。

 一緒にいる、と言ったのはいいものの、あの時はひどく漠然としていて曖昧だった。

 しかしいまは行動が伴っている。捻りもなにもないけど、事実として私はいっちゃんとこの無謀な旅路を共にしている。そうすることを自分で選んでいる。だから……。

「だから……いいんだ」

 自分に言い聞かせるように、噛みしめるように言って。

 うっかり揺らぎかけてしまった決意を再び強固にするように、もう一度深く頷いた。

 すると緊張で強張っていたいっちゃんの顔が、気の抜けたように和らいだ。

「あーあ、どうなったって知らねーぞ。僕なんかに付いてきちゃって、やべーことになるぞ」

「そうかもね。でも、それでもいいかも」

 いいかも、と言った途端、顔が勝手に綻んだ。こういうのも共犯意識というのだろうか。

 一人ではできない悪戯も、誰かと一緒ならできてしまう。悪いことと知りつつ、そんな秘密を共有できるのが嬉しくて、薄笑いを浮かべあってしまう。それもまた繋がり方のひとつ。

 いっちゃんが悪そうな顔で笑っている。きっと私も同じような顔をしているのだろう。

 二人して怪しげにニヤニヤしていると、扉を叩く音がした。

「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」

 返事をすると、若い仲居さんがたくさんの料理が載った盆を持って部屋に入ってきた。海鮮を中心とした見栄えのいい和食が、所狭しと並べられていく。真ん中に鎮座した固形燃料の火が揺らめく小さな囲炉裏鍋には、いかにも上等そうな牛肉やきのこ類がくつくつと煮えている。私の人生で一番豪勢な食事かもしれない。

「ちょっと、凄すぎるんじゃないの。こんなの食べていいの?」

 綺麗なお辞儀をして下がっていく仲居さんに憚りながらぼそぼそ問いかけたが、いっちゃんは遠慮する素振りすら見せずに割り箸を割った。

「海外だって行けるカードでこんなド田舎に来てるんだぜ。どうせ将来払う予定だった血税だ。パーッといこう、パーッと」

 わけのわからない論理を展開しつつばくばくと食べ始めたので、私もそれに習って白身魚の刺身を一切れ食べてみた。程よい脂が口に広がり、とても美味しい。こんな山の中で出てきた魚なのに、普段食べている刺身より遥かに美味しいとはどういうことなのか、などと思いつつ、気がつけば食欲の塊のようになってあっという間に平らげてしまった。

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