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「そうだ! 隕石が落ちてきて地球がダメになるなら、宇宙に行けばいいんだ。これ、なかなか名案じゃない?」

 普段の私なら決して言うことはない、バカバカしい提案だ。脈絡がなく、意味もない。

 しかし手元にこの鬱屈とした現実を吹き飛ばす術が、他にない。

「宇宙か……。いいな、名案だ。もしこの辺から宇宙の果てまで行ける船が出るなら、乗り込もう。そんで、何万光年でも旅をしよう」

 いっちゃんの雰囲気が少しだけ、和らいだ。

 それを絶やしたくなくて、矢継ぎ早に問いかける。

「旅して、どーする?」

「そうだな……。お空には散っていった偉大なる先人たちがおわすんだろう? だったらそいつらにインタビューして回ろう。きっとどいつもこいつもキチガイばっかだぜ。空前絶後のトンチキな回答がどんなもんか、胸が踊り狂ってしかたねえ」

「よおし、わかった!」

 私はいっちゃんの自転車のハンドルを引っ掴み、サドルに跨った。

「乗りなよ、お嬢さん!」

 私の唐突な奇行に、いっちゃんは口を開けてぽかんとしている。

「いきなりどうした。盗んだバイクで走り出したいの? そういう反社会的な行為に耽りたい年頃なの?」

「そうだよ! そしてこれは、宇宙の果てまでぶっ飛ぶサイコーの宇宙船! 発着は銀河歴で一時間に一本、地球時間換算では百五十三年に一度の超絶レアな定期便だよ!」

「百五十三年に一度ってなに⁉ すげー中途半端! 気持ち悪っ!」

「細かいことはどうだっていい、乗らなきゃ次は一時間後だよ⁉」

「そいつは……大損だなっ!」

 いっちゃんはにわかに明るい顔になってぴょんぴょんとはしゃぎ、大喜びで荷台に飛び乗ってきた。

 背後に心地よい重みを乗せた私は足に力を込め、ぎこちなく自転車を走らせた。

 ふらふら、ふらふら。重たいペダルを懸命に踏み込む。自転車は揺れて、いまにも倒れそうになりながら、もたもたと走る。

「お嬢さん、まずはどこ行く?」

「とりあえず月だ! 月面にあるっつーウサギのモチ工場を社会見学する! ブラックな労働環境になってないかどうか、監査しに行く!」

「それから⁉」

「次はヴァルハラだ! とりま信長に会って本能寺でどういうポーズでくたばったか訊く! 松永弾正が茶釜にニトロを詰め込んだ時の心境も訊きたいしな!」

「からの⁉」

「からーのー、えーっと、えーっと……やっぱ王道を往ってヒトラーもいっとくか! ドン引きするくらい扇情的な衆愚の煽り方を教えてもらう! そしたらどこでレスバトルしても常勝無敗の最強だ! キング牧師でもいいし、チェ・ゲバラでもいいな! あとオバマ!」

「オバマまだ死んでねえー!」

「とにかくアメリカだ! サンフランシスコを駆け上がってベガスまで頼む!」

「よっしゃ任されようっ! しっかり掴まってて。亜光速ドライブ!」

「うわ遅ええええー! 亜光速なのに風景が止まって見える! ねえ亜光速なの? これ亜光速なの?」

「エンジンがJKなんでね! 目の前に甘い物かイケメンでもぶら下げてくださいよっ!」

「即物的で大変よろしい! じゃあ銀河系の向こうまでどこまでもスイーツ巡りと洒落込もう、一緒にっ!」

 私たちは、てんで勝手にわーわー騒いだ。私たちはまさに、バカそのものだった。

 けれどバカな言動を周囲の目も憚らず垂れ流して、汗びっしょりになって自転車を転がし、がしゃがしゃと駆けていくのは最高に気持ちよかった。

 私はまた泣きかけていた。それをぐっと堪えながらバカなことを叫び、自転車を漕いだ。

 私たちは、あとどれくらいの時間、こんなバカがやれるのだろう。

 本当なら、あとどれくらいの時間、こんなバカがやれたのだろう。

 いっちゃんの声も、だんだんと歪んできている。首筋に垂れてきた水滴は汗なのか、それとも涙なのか、背中越しではわからなかった。

 無駄な抵抗だ。ここで泣くのを我慢したところで、なにひとつ現実は変わらない。

 それでも私たちは、示し合ったかのように涙に抵抗していた。そうすれば本当に、宇宙の彼方まで飛んでいけるとでも錯覚しているように。

 いつだってそうだ。私たちは二人して同じ幻想に迷い込む。そういう日常が好きだった。

 どんなにくだらない妄想でもいい。突拍子もない空想でもいい。私たちは二人して現実に足を着地し続けられるほど強くなかった。だからそういう逃避が必要だった。

 そしていつも迷った。逃避の中では当然、人生の生き方にも、人との関わり方にも答えは出せなかったから。いつまでも堂々巡りしてしまう、二人ぼっちの安く、甘く、軽い絶望。

 そんな絶望が大好きだった。たとえそれが絶望だとしても、それこそが私たちの繋がり方だった。建前だけの美辞麗句より、固くて確かな繋がり方だった。

 しかしいつだって妄想上の絶望でしかなかった不特定多数への不条理は、ついにその身にKA線という大いなる絶望を纏い、現実へと顕現した。

 もう時間がない。なのにどうすることもできない。どうしていいかさえ、わからない。

 ああ、教えてください先生。努力をすればいつか報われるって言いましたよね。頑張ればいつか結果は出せるって言いましたよね。

 なら、いまからどんなことをどれほど頑張れば、いっちゃんは助かるのでしょう。

 あるいは今日までどんな努力を重ねていたら、いっちゃんは助かったのでしょう。

 嘘ばっかりだ。なにをどれだけ頑張ったって、KA線がなにかもを奪って台無しにする。

 そんな世界でどうしてみんなは平然と生きて、なにかの目標に向かって走っていけるのか、心底理解できない。

 私は骨組みのしっかりとした、丈夫な将来が欲しいのだ。シロアリがいつの間にか土台を食い散らかし、建物の基礎が揺るぐように、いつしか私の時間軸の基礎もKA線に蝕まれて、人生という大きな柱はボッキリ折れてしまう。その確率は限りなく低いのだろう。

 けれどその確率にいっちゃんは当たってしまった。たとえ0.00何%の確率であっても、嘘や空想、他人事ではないことが証明されたのだ。

 平穏な毎日がクソだとか、昨日と変わらない今日、繰り返される平々凡々な毎日が退屈だとか、そういうナナメな若者思考は全然肌に合わない。平和が一番。安穏がなにより。昨日と変わらない今日を続けて、何事もなく穏やかに死ねるなら、こんなに幸せなことはない。

 けれど何事もない人生なんて、それこそ異常事態でしかない。他人がいて、自分がいて、世界があって、そこに生まれて、誰かと関わって生きていく以上、何事もないだなんてあり得ないわけで。

 それともこの絶望を内包したまま、なお走っていけるほどみんな強いのか。

 それが世間から求められる〝普通〟なのか。

 そんなの、RPGで世界を救う勇者並みの強さじゃないか。

 私はそんなに強くなれない。

 それを標準的に備えていないといけないのなら、私はとても――生きていけない。

 ひとしきり河川敷を駆け回って、飽きて、疲れて、私たちはとぼとぼと家路に着いた。

 楽しい時間は、切なくなるほどあっという間。人の夢と書いて儚いと読む。ああ、これは夢なんじゃないのか。

 ついに中二病を発症してしまった私は、それを唯一の寄す処とするしかない頭は、不思議なほどくだらないことを次々と思いついていく。

 私は、ぽつりと呟いた。

「旅とか、行きたいね。ほんとにどっか……行っちゃいたいね」

 夕日に照らされるいっちゃんの横顔が、少し笑った。

「いいな、それ。ほんとに、行っちゃう?」

 私より重症な中二病患者のいっちゃんは、にやにやしながら言う。

 無理なことだ。たとえ現実を振り切ろうとしたところで、そう簡単に振り切れるものなら、私たちはこんなに悲しい気持ちになっていまい。

 旅。漠然とした願望だ。そうするために必要なのは、なにはともあれお金。私の貯金なんてお年玉の残りが幾ばくかと、財布に入っている小遣いくらいしかない。どこへ行く、ということを考える気にもならないほど、どんな用にも足りやしない。

「行きたいよ。……行けないけどさ」

「行けるよ、今週の金曜まで待ってくれたら」

「金曜? どうして?」

「秘策がある。金曜になったら、僕は『魔法』が使えるようになるからさ」

 いっちゃんは悪戯っぽい笑みのまま嘯く。

 金曜。秘策。魔法。いかにも危ない計画のようで、まるで幼稚でいて、ときめいてしまう。

 残された僅かな時間をただ待つことに使うほど、それは魅力的な策謀なんだろうか。

「ガチだぜ。本気なら、期待してくれていい」

 楽しげな自信満々の顔が、橙色に上気する。

 いっちゃんに期待してくれていいなんて言われたら、否が応にも気持ちが昂ぶってしまう。

「わかった。金曜だね」

 週末に予定された、とっておきの秘策。それがどんなものであれ、私はどこまでもいっちゃんに付き従うことを心の内に決めた。

 二人だけの秘密を共有して、多少の甘酸っぱさみたいなものを感じる。そうしてお互いにふふふと笑い合いながら、またね、といつもの交差点で別れた。

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