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『えー大丈夫かな。こんなクソ田舎に警察とか来るのかな? でも通報する人……いないよね。まあ誰もいないもんね。うわ、超孤独。やばいやばい。ってか、マジで監視とかしてないのかな? 監視カメラとかなかったと思うけど……誰も見てないのかな?』
湧き立つ不安に抗い切れないのか、ヒロヒロの口数が加速度的に増えていく。答える人間が一人もいない場所だから、不安を疑問という形に変えて吐き出しているのだろう。
懸命に自分を正当化したり、励ましたりしながら進んでいくものの、怯えのせいか画面の震えはどんどん大きくなっていく。さながらホラー番組のようなテイストだが、画面の中の時間は真っ昼間、しかも舗装されている国道か県道と思しき道路を歩いているので、お化けはおろか狐さえ出てきそうな雰囲気もない。
にもかかわらずヒロヒロの怯えようは異様に大きく、しかしなにがそれほど彼を怖がらせているのかがわからない。ただ正体不明の恐怖は画面越しにもはっきりと伝わってきており、みんなの間にじんわりと汗ばむような嫌な空気が立ち込めていた。
誰かが停止ボタンを押せばいいだろうに、それができない。それは単に好奇心によるものか、あるいは彼のように恐ろしいものを予感しながらも、中途半端のままでは止められなくなってしまった怖いもの見たさ――一種の呪いのせいか。
唐突にヒロヒロが立ち止まった。
『え……⁉ えっ、えっ、えっ⁉ うわ、うわうわうわ、ヤバイヤバイヤバイ! うわっ、うわっ、うわあああああああああ――っ!』
悲鳴を上げて逃げ出し、判別がつかないほど揺れるシーンが数秒続いたが、急にカットされて自室で締めのコメントを喋るところに切り替わった。喉元過ぎればなんとやら、というものなのか、尋常でない恐怖を発散させながら遁走したとは思えないほど饒舌に喋っている。
そのあたりでローちゃんは再生を終了した。
「どう? これ、どう思う?」
ローちゃんはいやに真剣な顔でみんなの顔を順番に伺う。
ハルちゃんはウインナーを齧って口をもぐもぐさせながら思案顔をしているが、どうにもピンときていない様子だった。
「んー、どうって言われてもにゃー。え、これで終わり、って感じ? 途中まで結構ドキドキしたけど。なっさん、どう?」
「せやなー。結局最後って、なんであんなにビビったの? よくわかんなかったけど」
私もなっちゃんの言葉に賛成だったので、うんうんと頷く。
肝心な最後の場面は、Z地区はもちろんヒロヒロの顔すら捉えられないほど乱れたため、なにがなんだかわからなかった。しかしローちゃんはなにかがあると思っているようで、興奮気味に食い下がる。
「それがわかんないからこうして見せたんじゃん! Z地区に現れた幽霊とかUFOとか、そーゆーヤバイもんが映ってたのかなって思ってさあ……」
「いやだって、幽霊どころか怪奇現象すら起きてなかったし。大体、あれじゃほんとにあそこがZ地区だったのかどうかもわかんないにゃ。ねえ、なっさん」
「せやな。あの看板だけならお金かければ仕込めそうだしね。ユーチューバーならやりそう」
二人が揃って懐疑的な声をあげたせいで、ローちゃんもそちらの意見に流されつつあるのか、だいぶ拍子抜けしてしまった様子だ。
「んー、そっかー……。一葉、珍しく静かだけど、あんたはどーよ?」
ローちゃんに水を向けられたいっちゃんは、それまで神妙そのものだった表情をころりと変えて、いつものいっちゃん節をぶち上げた。
「コメント欄を見りゃわかるだろ。ヤラセ以外のなんだっつうんだ。こんな地味顔のクソユーチューバーが仕掛けた、小遣い稼ぎのための小細工にまんまと引っかかって再生数を伸ばしてしまうとは、いやはやゴーイングマイロードさんは」
「ふーん。ゾゾエは?」
「うーん、私もよくわかんなかったかなー……」
私も二人の意見に同調し、似たような回答を繰り返した。しかし内心ではコメント欄に散見される〝そもそもKA線自体がヤラセだ〟という言葉を心から信用したい気持ちだった。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、途端にみんなも非日常から日常の中へ帰っていった。まもなく五限目の授業が始まったが、私は平和そのものの授業風景の中で、動画の内容を反芻していた。
まさか軽率甚だしいユーチューバーなんかに、Z地区らしきものを見せてもらうとは思わなかった。それ自体の真偽はどうだっていい。重要なのは、KA線という胡散臭い死神の実在性を疑う人が、さっきのコメント欄に溢れていたことだ。私と同じ思いを持つ人がいる。そこに光明を見出した気がした。
もしKA線がヤラセ――嘘っぱちだったとしたら。世間が本当のことだと信じ切っている、常識だと思っているそれがもし嘘なら、いっちゃんが死ななければいけない理由はなくなる。まさしく〝世界の真実〟というべきものを暴き出すことができれば、いっちゃんを助けることができるかもしれない。
しかしそのためには、Z地区へ行く必要がある。教科書に書いてあるとおりの場所ならば、ほんの数十秒で命を落としてしまう場所。安易な思いつきで行くには、あまりにも危険だ。
そこまで考えて、疑問が二つ浮かんだ。
まず第一に、本当にヒロヒロがZ地区へ踏み込んだのなら、なぜ彼は死ななかったのか。
こっそりスマホを取り出し、先生の目を盗んでさっきの動画を調べ、もう一度コメント欄を順番に読む。やはり私と同じ疑問を持つ人は多く、それを以て彼はZ地区に行っていない、ヤラセだと断じている人もいた。
それより遥かに目立つのは、KA線の実在を疑う人だ。その人たちが疑心を抱く理由は、第二の疑問と同じだった。それはなぜあれほど簡単にZ地区へ行けるのか、ということだ。
踏み入れば死ぬ危険のある場所に繋がる道を塞ぎもせず、ただ看板とバリケードが置いてあるだけなんて不自然だ。本当にKA線が存在するのなら、誰も入れないようにしなければああいう人がみだりに踏み込んで、なにかしらの事故が起こるはずだ。
では仮に嘘だとして、なんのためにこんな嘘を世間に信じさせる必要があるのだろう?
その答えを考えた時、先日いっちゃんが冗談めかして言っていた言葉が脳裏を駆けた。
〝KA線は少なくとも、戦争という一番重篤な病を掻き消す、なによりの特効薬〟
まさか、そんな子供じみた陰謀を本気で? でも実際、世界から戦争がなくなった要因としてKA線の存在が語られているのは事実だ。
たとえばどこかの偉い人が本気で世界中の戦争をなくそうと考えて、誰もが逃げ出すほどの絶対的恐怖たるKA線をでっち上げた。その制度にリアリティを持たせるために、いっちゃんがいじめっ子体質と表現した共通悪を憎む一体感を人類に持たせるために、一人を犠牲にし続けることを選択させたとしたら――こんな陰謀論、まったく馬鹿げているが、一応の辻褄は合っているように思える。
逸りそうな気を抑えながらマップを開き、小遣いで行けそうなZ地区を探す。しかしどんなに近くても、隣県の山奥にしかないことがわかった。急行電車一本で行けそうではあるものの、その費用は出せそうにない。
少し落胆はしたが、それでも緊張でどきどきと心臓が跳ね回る。どうにかしてここに行きさえすれば、あるいはいっちゃんを救う手がかりが見つかるかもしれない。
私の浅はかな考えがどこまで正しいのか、確証は持てない。そもそも私程度が思いつくようなことで〝世界の真実〟が突き崩せるのだろうか。ただユーチューバーに触発されただけの、荒唐無稽な思いつきでしかない。
でもこういう荒唐無稽こそを超えていかなければ〝世界の真実〟なんて大それたもの、掴みようがないのでは――。