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「おい、おいっ」
水の中を揺蕩っていたような身体が揺り動かされて、一気に現実へ引き戻される。
「いつまで寝てんだ。飯食おうぜ」
突っ伏していた机から起き上がってみると、いっちゃんが肩に手をかけていた。
四限目は終わっていて、昼休みに入っていた。
「あ……私、今日はお弁当ないんだった。ちょっと購買行ってくるね」
「そうかい。じゃ、待ってるよ」
パンの袋を開けようとしたいっちゃんに軽く頭を下げて、鞄に突っ込んだ制服のポケットから五百円玉を取り出し、急いで購買に向かった。
クリームパンとジュースを買って教室に戻ってみると、クラスメイトたちは相変わらず酷暑に耐えながらほとんど居残っていて、めいめいに喧騒を膨らませていた。真っ赤になってふらふら遅刻してきた私のことなんて、もうすっかり忘れている様子だった。
みんながいつものように集まって私を待っていてくれたので、軽く謝りつつその輪に混ざる。それから揃ってお弁当を開けた時にローちゃんが切り出した話題も、私の遅刻とは無関係のことだった。
「ねえ、さっき授業でKA線の話を聞いてて思い出したんだけど、みんなはこの動画見た?」
「なになに、来クールのアニメ情報とか?」
ハルちゃんが卵焼きをかじりながら、ローちゃんが差し出したスマホの画面を見遣った。
「じゃなくて、このユーチューバーの動画がガチでヤバイって昨日ツイッターに流れてきてたのよ」
「ユーチューバー? はん、しょうもない動画をシコシコ上げては広告料でケチな稼ぎを続けるアホどもがどうしたって?」
いっちゃんの毒舌をまったく聴こえなかったかのように無視したローちゃんが構わず再生ボタンを押したので、ひび割れたiPhoneの五・五インチディスプレイにみんなが注目する。(いっちゃんもあれだけ言っておきながらしっかり見ている。)
『どーもー! そこそこ有名なユーチューバー《ヒロヒロ》でーっす! 自分でそこそことか言うなってね! まあまあ、そんなことは置いといてぇ……今回の動画は毎回大好評の、視聴者さんによる投稿協力型企画! 《ヒロヒロ頑張れ! 超頑張れクエスト!》です!』
「なんつーか、このユーチューバー特有のクソ寒い喋りどうにかならんのか、腹立つわー。地味顔がパリピっぽい喋りしてんのが余計に腹立つ」
「まあまあ、ユーチューバーって大体こんなもんじゃない?」
「普段は陰キャないしはキョロ充止まりのお兄さんが、必死にテンション上げて一旗揚げようとしてるんだにゃ。このいじらしさが可愛い……可愛くない? ねえ、なっさん」
「まあ、せやな」
「ちょっと、静かにして!」
気がつくと勝手に喋り出す私たちに、ローちゃんが強く注意する。
動画の再生バーが進むにつれ、徐々にその企画とやらの内容が説明されていく。ようは不定期に視聴者のコメントを参考にして様々なチャレンジをする企画で、時には過激なこともやらかすこのコンテンツを主軸に再生数を稼いでいるらしい。
そんな前口上が終わったヒロヒロは、派手なテロップとともに今回のチャレンジ内容を高らかに宣言した。
『今回の企画は《ヒロヒロが行ってみた! Z地区ってほんとにあるの?》クエスト~!』
予期していなかった『Z地区』という衝撃的な単語に、思わず変な声をあげそうになった。
アルファベットの最後という意味と、この世の最果てという意味をかけ合わせて『指定消滅区域』を指したネットスラング『Z地区』――KA線によって浸食され、地図上で真っ白になってしまった場所のことだ。当然、日本にも何十箇所も点在している。ヒロヒロという青年はそんなZ地区のうち、自宅から最も近い所へこれから向かうと説明している。
それまでなんの期待感も持たず漫然と見ている風だったみんなも、身を乗り出して小さなディスプレイに食いついている。
「マジで⁉ こいつ、Z地区に行くって言ったかにゃ⁉」
「これはやべえな、やべえよ。Z地区って一般人でも行けるの?」
「ちょっと飛ばしていい⁉ 見てほしいのはこの後だから! Z地区のところだから!」
「やーめやめ、ローさん! ネタバレとかギルティにゃ! ねえ、なっさん!」
「せや……うーん、でも再生時間的に休み時間ギリだし、さっさとオチ見たいかも」
「いーじゃん! ってかさっきまで超くだらねーって感じだったじゃん! なに急にアツくなってんの!」
「これはなんというおまいう。ローちゃんが真っ先にアツくなってたやないかい」
「な、なっさん……結構言うにゃ……」
三人が動画に色めき立って盛り上がる中、私はこっそりといっちゃんに目配せをした。Z地区の動画を見せるなんて残酷だと思い、視聴をやめさせようかと考えたからだ。
しかし視線に気づいたいっちゃんは首を横に振り、人差し指を唇に寄せる仕草をした。
――黙ってろ、ってこと?
三人の様子やいっちゃんのサインを見る限り、どうやら招集命令のことをまだ誰にも教えていないようだ。
どうしてこんな大事なことを隠そうとするのか、その真意は量りかねたものの、この場はひとまずいっちゃんに従うことを選び、なにも言わないことにした。幸いセンセーショナルな動画のおかげで、私たちが妙な動きをしたことに気づく人はいなかった。
その間に三人が色々と言い合った結果、前半のトーク部分を飛ばして目的地近くの駅に降りたあたりから見ることになったらしい。
『えーここからはですね、Z地区の最寄りのバス停まで行って、そこからは歩いてみようと思いまーす』
前半を飛ばした動画は、ヒロヒロがバスに乗ってどことも知れない田舎道を進むシーンに差し掛かった。道中はEKA政策やKA線に関する薄っぺらい知識を、彼以外に客のいないバスで延々と喋る様が続いた。
やがて駅名が読めないほど錆びたバス停で降り、そこからノロノロと山中の道を歩き始める。薄い知識が尽きたらしく、いかにも行き当たりばったりといったふうにアニメやゲーム、芸能情報や最近観た映画のうろ覚えな話を脈絡なく点々として、お世辞にも面白いトークとは言い難い。加えてスマホを手に持って撮影しているようで手ブレがひどく、じっと見ていると酔ってしまいそうだった。
そんな展開を二分ほど見せられた後、ついに目的の場所に近づいたらしく、鞄からタブレットを取り出してマップを表示する。
『えーとですね、現在僕はこのあたりに来てます。うちから最寄りのZ地区のはずだったんですが、メッチャクチャ遠いですね。超田舎。コンビニすらないとか、マジ二度と来ないわ、こんなとこ。んー、Z地区はもうすぐのはずなんですが……ん? あ、あれっ、あれ? なんだあれ、看板? あれ看板?』
なにかを見つけたらしいヒロヒロが走り始めた。元々ブレていた画面はさらに激しく揺れたがすぐに収まり、威圧的な赤い文字が並んだ看板を鮮明に映し出した。
『皆さん、見てください! 《指定消滅区域の為、立入禁止》と書いてあります! えーと《これより先は国際基準値を大幅に超えるKA線が発生しており、防護措置による線量緩和が困難なため、行政による生活管理業務及び施策等が停止された地域です》か……。はい、というわけで、えー、この先がマジのガチでZ地区ということになるっぽいです!』
動画はついに問題の場面に差し掛かり、私たちの緊張はいよいよ高まっていた。ほんの数分前まで世界で一番くだらないものを見ているかのようだったのに、いまは固唾を呑んで画面を見つめ、息苦しくなるほど心臓が早鐘を打っていた。
横に長い六角形の不吉な看板とともに立てられているのは、工事の時によく見かける橙と黒の縞が描かれたバリケードを並べただけの極めて簡易な境界線で、誰でも簡単に越えていけるものだった。ヒロヒロはおっかなびっくりそれを乗り越えたが、誰が駆けつけてくるでもなく、不気味なくらい容易に奥へ進んでいく。