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「本日までこのクソバカバカしくも穏やかで美しい世界のご愛顧、どうもありがとうございました。お名残惜しくはありますが、これにて滅亡とさせて頂きます。それではいつか、また会う日まで。さようなら!」
九月二五日、金曜日。もう十月は目の前なのに、季節が移り変わるのを忘れたかのような残暑の厳しい朝だった。そんな雲ひとつない青空に、今日も今日とて元気ないっちゃん節が炸裂する。
妙に芝居がかった言い様なのに、さして中身のない言葉。それによって薄く伸ばされた絶望がクレープ生地のようなひだを作って拡がって、私たちをふんわり覆っていく。
この世を満たす不条理に向かって叫んだ、甘ったるいチョコレートや生クリームのような姦しさ。その上から容赦のない朝陽がいっぱいに降り注いできて、アスファルトごと焼き付けてくる。言葉はすっかり焦げ付いて、私の中で燻った。
私たちは薄い汗を額に浮かべてうだうだと自転車を漕ぎながら、灰色の住宅街を高校に向かって駆けていた。鼻先には百日紅の空気に混じり、私の前を走るいっちゃんの長い髪からシャンプーの香りが匂ってくる。
「や、だからさ、そーゆーのじゃなくてさ」
「じゃなかったらなんなのさ? 小生はね、もう飽き飽きしたんですよ。右見ても平和、左見ても平穏、左見右見天下泰平がどぅっぱどぅっぱですよ。こんな真っ平らな世の中じゃね、小生の出番はねえんだ。革命者が力を発揮するのはいつだって情勢不安な世紀末感がそこはかとなく立ち込めるような、お先真っ暗い世情になってからだ。ゾゾエさんよ、おわかる?」
「それにしたって、おいそれと学校に遅刻していくのはマズイと思わない? もう一限目が始まって何分経ってるのやら……」
「そいつは言わないでくれよ。遅れた僕が悪かった。ただ言い訳がましくもなるが、これだけは申し述べておきたい。学校ってのは君のような愚民には必要な教育機関かもしれないが、僕のようにヒネくれた社会不適合者にとっちゃブタ箱だ。そんなところに毎朝早くから行かねばならぬこの暗鬱を、わかってほしいとは言わない。だからせめて遅刻だなんて可愛らしくもささやかな反骨精神くらい、許してちょんまげ」
不意に吹いた風が制服のスカートをひらめかせ、いっちゃんの白く細い脚を眩しく晒す。
せっかく可愛い顔をして、見た目はこんなにも女の子らしさに溢れているのに、次から次に飛び出す電波発言がその魅力を台無しにさせてしまう。天から与えられたチャームポイントを全力で無駄遣いする様に嘆息しつつも、調子を合わせる。
「ええ、許しました。だからちゃっちゃか漕ぐのです。いっちゃんはこれからブタ箱に収監される哀れな受刑者さんなんだね。それならお勤めは迅速かつ誠実に、だよ。模範囚にさえなればその後の人生は薔薇色はっぴっぴ。だから、とにかく一生懸命に走ってよね!」
「やれやれ不毛だぜ……はっぴっぴー!」
わざとらしい大仰な言葉であれこれと騒ぎ立てているけれど、なんのことはない。ただ待ち合わせにいっちゃんが間に合わなくて、学校に遅刻するのが確定しているだけだ。
私たちは数十分もすれば教室に辿り着いて、ねちっこい性格で定評のある数学の田村先生にたっぷり五分はかけて嫌味を言われる。そして受験を命の次くらいに重要視している真面目なグループから、授業を遅らせた大罪の十字架に恨みのこもった視線で磔にされるだろう。
だからといって別に世界が滅んだりはしない。多少ヘコむかもしれないけど、死ぬほどではない。明日になったら薄情に任せて、ありふれた日常のひとつとして忘れている。
でもそれがふとした瞬間に頭をよぎったりして、またヘコむ。気分次第で、そうなる。
「でもさー」
先を走るいっちゃんがとぼけたような表情で、肩越しに少し振り向いた。
「クソ几帳面に待ってなくったってさ、僕なんか置いてさっさと行けばよかったじゃん?」
悪びれもせずそんなことを言ういっちゃんに少し腹が立ったので、自転車のスピードを上げ、追い抜きざまに軽く後頭部を叩いてやった。手のひらに軽い衝撃がぱあんと響いて、ざまあみろと心地良い。
ふらついた細身のいっちゃんは少しの蛇行運転の後、息を切らせながら体勢を立て直した。
「おいっ、暴力に訴えるか! ここは民主主義の法治国家だぞ。拳じゃなく口先で戦え!」
「うるさい! 今日なぜ遅れて来たのか、神妙に理由を述べてみなさい!」
「外宇宙第七惑星エルトリオンの先遣調査班によるキャトルミューティレーションに引っかかってただけさ! 決して朝寝坊して、食パンが中々口に入らなかったわけじゃないぞ! このくだらない地球を、くだらないと思いつつも救っていたんだ! 奴らの通信機はがっつり破壊しておいた! 極悪非道でちょっとレトロな虐殺船団のご一行どもとマザーシップが来るのはちょっと先になったぞ!」
いっちゃんがけたたましい声を張り上げながら、右手を高々と突き出す。
なるほど、そういう理由なら仕方あるまい。私は偽りの優しさを塗り固めた声で応えた。
「そんな修羅場帰りのいっちゃんを、私が待ってなかったら誰が迎えるの? 英雄の凱旋がぼっちじゃ寂しいでしょ。感謝で泣き叫んだっていいんだよ」
「ゾゾエ、お前って奴ぁ……今度宿題で困ったら写させてやるからな!」
「ヘンな気を遣わなくていいよ、ウザいから」
「おい、いまウザいっつったか? 謗言はレギュレーション違反だぞ。いまの判定はナシだ。ノーカン、ノーカン!」
追い抜いた背後から、いっちゃんの矢継ぎ早な大声がガンガン飛んでくる。蒸し上がった草の匂い、私の汗の匂いと風に混ざって、ぐるぐるになってどこかへ飛び去っていく。
住宅地を抜けるとなだらかなスロープが見えてきて、川沿いの堤防の上に出る。
小高くなったそこは遮られるものがなく、町内を一望できる。水辺を渡る生ぬるい風をかき分けて走れば、少し低くなった景色がぐんぐん通り過ぎていく。
緩やかにカーブしていく川に沿って、堤防の道もゆるゆると曲線を帯びている。ぐぐっと東のほうへ吸い寄せられていく道行の途中、高くなった視界が開けて、家々のはるか向こうに駅前のビル群と、ひとつの大きな影が見えてくる。
それは大きく、どこまでも高くそびえる黒い砲台。
周りの風景に一切馴染むことなく、今日も斜めになって屹立していた。
誰も改めて話題にしない、私にとっても日常風景のひとつにすぎない。見慣れているし、ありふれている。
けれど、ふとした瞬間に頭をよぎったりする。どうかすると、私の脳内に滑りこんでくる。
たとえば、うっかり足を止めてしまった時なんかに強く引き起こされる現象。
物理的に、精神的に、心や身体が静止してしまう時間というのがある。それがやってくると頭の中にこの景色が蘇り、独りでにあの砲台が動き出す。本物の稼動音なんて聞いたことはないけれど、ぐぐぐと砲身が持ち上がっていく軋みが聴こえてくる。
しかし、いまは妄想ではなく現実だった。よく晴れた空の向こうにくっきりと映った砲台が、ゆっくりと動いている。
別にそれほど珍しいことではない。週に一度や二度は見られる光景だ。
私たちはどちらともなく自転車を停め、その様子をじっと見つめた。
「今日も動いてんな、世界を救う正義の砲台が。つーか、予報あったっけ?」
「あったよ。いっちゃんは寝坊したからテレビ観てないんでしょ」
「正常な時間に起きたって虚飾まみれのテレビなんぞ観てないぜ。真実はネットの海にある」
「ああ、そう……」
見る間に最大仰角まで持ち上げられた砲身は天高くを睨み、がしっと止まった。
微動だにしない照準の先には、抜けるような青空が広がっているばかりでなにもない。
それから砲身にほんの少し青白い光の亀裂が走っていくのが瞬いて、けれどその口からはなにも出てこないし、音さえない。あんなにも大きな砲台が射撃したのならきっと耳に轟き、眼を晦ませるであろう臨場感がまったく欠落している。
聴こえず、視えもしない弾丸。
それが、この世界を救う希望の光。
『本日の防護措置』をつつがなく終了した砲身が、ゆっくりと下がっていく。あまりにも呆気ない光景で、あれが担う重要性を知らなければ、これほど間抜けなものもないだろう。
「また、撃ち出されたんだね」
「ああ、そうだな」
私の独り言のような呟きに、いっちゃんは気のない返事をする。
あれは実際、兵器というより注射器だ。敵陣に砲撃して殲滅する性質より、薬を注入して体内に蔓延るウイルスを駆逐し、病気を治す性質に近い。
世界はずっと、治すことのできない〝病気〟に冒されている。
病気と揶揄される恐ろしいものの正体は特殊な放射線――通称『KA線』と呼ばれるもので、地球上のありとあらゆる地域で普遍的に、突然発生する。有機物を貫通する際に細胞へ甚大な損傷を与える性質を持ち、一定以上の線量濃度で浴びるとヒトは死に至る。
地中に埋めて廃棄した核燃料から漏れ出したのだとか、地球が未知の重金属を生成し始めたのだとか、破壊されたオゾン層の穴から漏れた宇宙線が変容したのだとか、偉い科学者たちによって様々な推論が打ち立てられたが、悉く解明の糸口に結び付かないまま消えていった。初めての観測から約四十年もの時間を経た現在でも、発生要因は判然としていない。
しかし長い年月をかけて多大なる犠牲を払った結果、人類は原因の根絶には至らなくとも、身を守る術を得ることはできた。
それが人類希望の光、市民の平穏な暮らしを護る礎、恒久的安全を護る英雄的装置、その名を『線量抑制台場』というあの大きな砲台だ。
あそこからKA線の発生源に向けて弾丸を撃ち込んで相殺・無害化する。約三十年前から全国に設置が進み、現在では百ヶ所以上にあんな砲台が据えられている。いま見えている砲台は『第八七塔てんくう』という名で、個別の名称はそれぞれに異なる。
という、客観的な情報だけは知っている。学校の授業でも教わるし、ネットの海に一歩でも足を差し出せば的を射た批評にしろ荒唐無稽な煽り叩きにしろ、様々な角度や状況の意見が日々飛び交っている。言ってみればこれもひとつの常識で、ありふれた日常なのだろう。
だからあれに詰め込まれ撃ち出される弾丸の正体だって、誰もが知っている。
それは――〝生身の人間〟だ。
国家特定災害防護対策特別召集法とかいう物々しい法律によって、全国民には出生届とともに遺伝子情報の提出が義務付けられている。
その中からKA線を打ち消す特殊な遺伝子構造『指定遺伝子情報保持者』――俗に『EKA構造体』と呼ばれる人を抽選で選び、あの砲台から撃ち出すのだ。
けれどそんな常識を知っているからといって現実感があるのか、実感があるのかと問われれば、私は首を横に振る。主観性はまったくないのだ。
それはどこか遠い場所のできごと。ニュースで見るもの。知らない人の家が火事になったり、どこにあるのかさえ記憶があやふやな国が震災に見舞われたり、そういった種類のもの。痛ましく思う気持ちもなくはないが、心の半分以上は傍観者の位置で冷めている。
そんなことを思いながらぼんやり砲台を見ていると、隣に立ついっちゃんが鼻で笑った。
「ここも未開人が神様に生贄を捧げて祈りまくってた頃と変わらないんだ。洒落た服着て、iPhoneでラブソングなんか聴いちゃって、ハウスダストのないキレイな家に住んでたって、つまるところ本質は一緒だ。いじめっ子体質というか、弱肉強食というか、つまり籤運の一番弱いやつをあれに詰めて、正体不明のカミサマモドキモンスターにぶち込む。そのおかげで天下泰平の万歳三唱だ。人間様は声と態度だけは一等デカイが、犠牲なくして生きていけるほど、世界を敵に回して生きていけるほど強くねえってこった」
「生贄……か」
いっちゃんが言わんとする生贄という言葉の裏はわかっている。
このロクでもない放射線には功罪があり、人類にひとつだけ恩恵をもたらしている。
「なにかを引き換えにしなきゃなにもできないってのが摂理だろ。魔法を使うならMPを消費する。モノを買うなら金を消費する。世界を救うなら――生贄を消費するんだ」
その言い様は婉曲だが的を射ていた。KA線は誰かの命を捧げなければ否応なく世界を蝕む恐怖を突きつける代わりに、人同士の争い――戦争をなくしてくれた。
いまの人類が安全にいられる場所は、線量抑制台場があるところだけだ。そしてどこの国も、弾丸となる数少ない人間を探さなければならない。何百年も内戦の絶えなかった中近東やアフリカのほうの国でさえ、何十年も前に争いをパタリと止めてしまった。紛争地域がKA線に脅かされることもあるので、そんな場合ではなくなったのだ。
KA線のせいで世界は削れたが、KA線のおかげで人は戦争の悲劇から救われた。
あまりにも短絡的な欠点と幸福を曝しながら、KA線は今日もどこかから涌き出てくる。
ということに、なっているけれど。
「ねえ、いっちゃんは本当にあると思う? KA線なんてものがさ」
私は伏し目がちになって、爪先で地面を掻きながらいっちゃんに問うた。不安になるとついやってしまう悪い癖だ。
たとえばこれが神様だとか世界だとか、運命だとか天罰だとか、そういう抽象的でいい加減なものではないとしたら? 誰かによって操作された情報を信じ込まされているだけだとしたら? そんな疑問がいつも頭の隅に仄暗い部分を作って消えない。
いっちゃんは風に靡いて少し乱れた前髪を弄りながら、飄々と答えた。
「どうかね。だが、偉い人があるっつってんだ。ならあってもなくても、少なくとも現代の日本、そしてこの街においては〝ある〟のさ」
身も蓋もない答えだった。でもそれが却っていっちゃんらしい。気取った手付きで砲台の方を指し、いっちゃん節を朗々と諳んじる。
「見ろ、あのクソでけえ砲台を。あんなもんをとんでもねえ額の税金で全国におっ立てて、三十年の間に何万人もぶっ放しちまってる。本当はKA線なんてもんは丸ごと誰かの勘違い、どっかのオタクが書いた三文妄想SF小説でした、なんて雑な四コマ漫画みてえなオチがついても、もうなかったことにはならない。とっくに社会のシステムとして回ってる以上、笑い事じゃ済まないんだ」
恐ろしい放射線を打ち消すため必要なもの。人々の命を救うため必要なもの。それは残酷にして皮肉なことに人の命だった……なんて、なんとわかりやすい題目だろう。あまりに短絡的な発想に目眩がしそうだった。
「人類共同の害悪に立ち向かうために、一致団結して非情な現実に向き合うなんて、出来の悪いハリウッド映画みたい。それが真実でもどうでも構わないのかな、みんなは」
「いいんじゃね? 全人類がいじめっ子体質を共有したおかげで、実際戦争はなくなったんだからさ。銃や爆弾の矛先が人でなくなった以上、多少の間違いは見ないふりでいいのだ。KA線は少なくとも、戦争という一番重篤な病を掻き消す、なによりの特効薬なのであーる」
言葉の最後のほうで人差し指を立てて、演説家のような口ぶりで仰々しく言った。確かにそれは一理あるようにも思える。
でも嘘か本当かもわからないご都合主義的な喜劇のために、決して少なくない頻度で命を空に向かって撃ち出さなければならない。ロシアンルーレットのような死が、誰にでも降り注いでくる世界。冷静に考えてみれば狂っているはずなのに、誰も異論を唱えない。
戦争で大勢死ぬよりマシだから。もはやそれさえ〝常識〟になってしまったから。
「それもこれも、人間が弱っちいから。乗ってる人が全員、暴走列車だと気づいていても止まれない。ブレーキ係さんは永遠に空席。いつか大脱線するまで、それでみんな不幸になるまで、誰もなんとかしようとは考えない、っと」
「相変わらず朝っぱらから詩的だな、ゾゾエさんは。現実逃避するクセが身についちまってるってこった」
「別に……いいじゃん。まっすぐ見てばかりいたら、疲れちゃうもん」
季節の移り目に居残ったぬるい夏風の残骸が、私たちを揺らして抜けていく。
川辺に生えた草がざわめき、遠くの空からジェット音が微かに響いてくる。
こんなに残酷な現実があっても人は滞りなく息づき、生きている証拠。
こうしてぼっ立っているだけでも、周りのすべては確かに生きている、その証拠。
世界中で殺人放射線が漏れ出している。へえー。
それを打ち消すためにあの砲台が必要。なるほど。
装填される弾丸は人間。……だから?
万事が万事、他人事。絵空事。
確たる事実であって、私たちの人生に大きく深く横たわるテーマであって、なのに普段は認識さえしない。それを忘れ去ってしまっても、十分に生きていけるけど。
で、で、で?
気が遠くなるような疑念が頭をもたげかけた時、スマホを取り出したいっちゃんが素っ頓狂な声を上げた。
「おいっ、時間がやべーぞ! あんなもん眺めてる場合じゃなかった!」
慌ててその画面を見た途端、全身の血がさあっと引いた。時刻はもう九時半を過ぎている。砲台に気を取られて、遅刻のために急いでいたことをすっかり忘れてしまっていた。
「ほんとだ、ヤバい! ガチで一限目終わる、終わっちゃう!」
「ええい走れ! 最速で進撃すればまだ間に合うかもだ! 進撃、進撃ーっ!」
「あーもー、今日は全然遅刻するような日じゃなかったのに! 待ってよーっ!」
急に走り出したいっちゃんの後を、私も全力で追いかける。
そう、私たちには滅びゆく世界の危機より、大事なことがある。
たとえば、遅刻が確定しているのに、それでもなぜか走ることとか。
たとえば、そうやって一生懸命に学校へ行って、なんとなく授業を受けることとか。
たとえば、進学したい大学を受けるには足りない内申点に悩むこととか。
RPGならこんな時、勝手に現れてお節介に世界を救って回ってくれる救世主がいる。謎の魔術や魔物による侵略を食い止めて、黒幕の魔王だの秘密結社だのを打ち倒したりする。
現実にそんなものはどれも存在しない。都合のいい手前勝手な救世主も、すべての身代わりの悪役もいない。仮にいたとして、フィクションでは一面的な善悪だけで捉えられるけれど、現実はそんなにシンプルじゃない。どこまでも冷たく、はっきりとありのままで、宇宙の片隅に小さく、足の裏を巡る惑星として大きく、複雑だ。
そんな複雑さに反して私たちの現実とは学校で、家で、この通学路で、町内で、そんな狭い範囲で展開されるコント劇のようなものが全部だ。バカバカしく感じることもあるけれど、きっと人一人分の世界観なんてそんなもの。地球全体だなんてスケールの大きい話はとても理解が及ばない。死に至るほどの事実なんて大き過ぎて、私なんかに見えるはずもない。
頭の中の砲台がぎぎぎと元に戻っていく。今日の勤めを終えた現実の砲台を見て安心したのか。それとも遅刻確定のせいで胸に迫る焦燥感が、常日頃から私の内側をちくちくと突き刺す淡いモヤモヤに打ち勝っただけか。
私たちは残暑の日差しで焼けあがった堤防道を、がしゃがしゃとひた走った。