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第九話


 三日後。指定された会合場所へ顔を出した俺を、旦那様は軽く片手を持ち上げて迎え入れた。頭を下げて入室し、後ろ手に扉を閉める。

 よく貴族間での会食でも使われる料理店の一つだ。あまり聞かれたくない話をするのに向いているらしく、店員の案内も慣れたものだった。


 室内にあるのは白く滑らかな木製のテーブルと、繊細な装飾の施された椅子が二脚。調度品も白系統で統一されており、全体的に清潔感のある造りだ。

 あまり高く見えないが、多分この椅子ひとつでも目を剥くような値段がついているのだろう。いつものカフェじゃダメなのか、と思ってから、まあ、ダメだろうな、と結論づける。


 本当は部屋に入った時から気づいていた。旦那様の纏う空気が普段とは違う。俺がお嬢様にとんでもない罠をしかけてお怒りになっている時とも、部下を前にした厳格な騎士団長としての顔とも違う。

 これは明らかに何事かあったと見て良いだろう。面倒事じゃないといいんだが、と何処か他人事のように考えながら、馬鹿高いに違いない椅子をそっと引いて、座る。いつものように一月分の報告を纏めた書類を出そうとした俺を、旦那様はやや強張った声で制した。


「良い、今回は此方から話がある。それは後で目を通しておくから置いておけ」

「承知しました。ではお帰りの際にお渡しします」

「ああ」


 どうせ報告と言っても聖女パーティとしての連携についてや、どうしたって廊下を勢い良く駆けるお嬢様だとか、食堂の料理が美味しすぎて一定の所から一向に痩せませんね、とか、その程度の報告しかないのだ。娘を心配する父親にとっては重要な情報だろうが、聖女の状況や光魔法の研究にはさして必要な情報でもない。……それでも報告はさせるあたり、やっぱり元から親馬鹿なのだろう。

 さて、そんな親馬鹿な旦那様がこんなにも深刻な顔をするからには、余程重要な話に違いない。


 身を引き締めて背を正した俺が聞く態度を取ったのを見やった旦那様は、一度ゆっくりと天井の角に目を逸らしてから、苦々しげに口を開いた。


「まず初めに言っておく。光魔法の依存性を打ち消す方法が判明した」

「おお、本当ですか。それは目出度い、待ち望んでおりました」

「それに伴い、お前に直接確認しておくべきことがある」

「私に、ですか」


 初っ端から良いニュースだ。こういう場合、大抵は悪いニュースが後に続くものだが、どうだろうか。

 やや警戒した面持ちで話の続きを促した俺に、旦那様が組んだ手の上に顎を乗せ、真剣な眼差しと共に言葉を向けた。


「カコリス。お前、この世界の人間では無いな?」

「は」


 三年前の懸念が、突如頭を過った。異世界人。それがこの世界でどのような扱いを受けるのかは知らないが、言及されたからには、手放しで受け入れるということもない筈だ。

 思わず身を引いた俺の下で、椅子の脚が僅かに床を引っ掻く音が響く。その反応だけで答えとしては充分だったのか、旦那様は一度目を閉じてから、頭痛を抑えるように眉間の皺を軽く指で揉んだ。


「……まさか、本当にそうだとはな。成る程、珍妙な人間の筈だ……」

「お待ちください。旦那様が気づかれた訳ではないのですか? こう、何か私に異世界人特有の特徴がある、だとか……」

「いいや。気づいたのはリュナンだ。私はお前が貧民街の暮らしで頭がイカれた種類の人間だと思っていた。過酷な場で生きる者は度々常識を外れた思考回路に至るからな」

「…………成る程」


 旦那様は俺の奇怪な行動にそうやって理屈をつけていたのか。騎士団長として戦場を駆けることもある分、そうした人間の精神構造には理解が深いんだろう。そこはまあ俺としても納得出来るとして、まさかあの場で顔を合わせたきりの国王陛下に見破られるとは思わなかった。やはり魔法検査で異常でも見つかっていたのだろうか。だとしたら此れまで見て見ぬ振りをされていた訳で、単に異世界人だから、というだけで変な差別や処罰は受けずに済みそうだが。


「……あの、私が異世界人であることが、何か重要な確認事項なのですか?」


 真意を探るように尋ねた俺に、旦那様は組んでいた手の片方で頬杖を突き、大きな溜息をひとつ落とした。


「重要であると言えば重要だが、重要でない、とも言える」

「はあ……なんだか面倒な言い回しをなさいますね……」

「お前が異世界人であろうとなかろうと出す指示は変わらないが、異世界人であることでお前との意思疎通が難しいものになるやもしれない、とリュナンは懸念している」

「……ふむ、陛下は何か、私にこれ以上のことをさせようとなさっているのですか?」

「というより、元よりさせている」


 旦那様は此処で一度言葉を句切った。扉の外に掛かったベルが鳴らされたからだ。内側のベルを鳴らして答えると、両開きの扉が静かに開く。給仕の者は運んできた食事をテーブルに置いて一礼し、再び扉の向こうへと消えた。

 並べられた皿の中で一際目を惹くのは、大皿に盛り付けられた黒煙鳥のグリルだ。常に黒煙の吐き出す大柄なこの鳥は、少しでも処理を間違えるとえぐみが強くて食べられたものではなくなる。そんな食材を堂々と姿焼きにする辺り、料理長の自負が見て取れた。


 目で促してくる旦那様に従い、とりあえず口をつける。おお、美味い! 美味いぞ! 黒煙鳥は火入れのタイミングを間違えれば、途端に噛み切れない程に硬くなってしまう。均一に、尚且つくどさも生臭さもなく、ふっくらと噛み切れる絶妙な火加減。プロの仕事だ。つや出しに塗られているのも、恐らく普通の甘味ではない。こっちではメープルに似たリファという樹木から取られた樹液を使うことが多いのだが、口の中に微かに残るこの爽やかな香りは一体、


「……夢中になっているところ悪いが、話を続けるぞ。ちゃんと聞けよ」

「ええ、はい。勿論、きちんと聞いております」


 あんまり信じていない胡乱げな視線が飛んできたが、俺は澄ました顔でカトラリーを置くことで答えておいた。こんな美味いもんを重要な場で突然出してくる方が悪いと思うのですがね、どうなんですかね、その辺りは。


「お前が三年前に陛下に提案したイカれた話を覚えているか」

「イカれた? はて? 名案の間違いでは……?」

「本気で言ってるなら一度病院に連れて行ってやるが、どうする?」

「正直なところ、私もどうしてあれが通ったのか未だに疑問に思っております」

「そうか。流石にそこまで阿呆ではなかったか」


 親馬鹿に阿呆呼ばわりされてしまった。言いたいことはなくもなかったが、こんなところで話の腰を折っても仕方が無いので、切り分けた肉を口に含んで物理的に言葉を抑え込んでおいた。


「これは五年の付き合いを経て、お前が国家転覆など頭の片隅にもない、特に考え無しの碌でもない男でしかないと確信を得たからこそ言う話なんだが」

「もしや旦那様も私を罵倒しないとならない某かの理由がおありですか?」

「無い。黙って聞け」

「はい」


 つまり旦那様はただ俺を罵倒したくてした訳だ。

 そんなことをされる謂れは、まあ、限りなくあるので、素直に黙っておいた。


「リュナンがお前を『聖女』であるリザにつけている理由は、現時点でふたつある。ひとつは光魔法の依存性を打ち消すため、もうひとつは他国の間者への牽制だ」

「おっと、何故か急に帰りたくなってきました」

「聞けと言うに」

「申し訳ありません、一介の碌でなし執事が国政に巻き込まれている気配を察知したもので」

「私の黒煙鳥もやるから聞け」

「はい」


 頷いてしまった。俺も俺で阿呆なのかもしれない。いや、でも、本当に美味いんだよな此処の。どんな製法を取ったらこんなに美味く焼き上がるんだ? 天才なんじゃないか? 一口食べて確認してみる。やはり天才だ。俺にはひっくり返っても真似できない。


「魔王の顕現は大体五十年周期で起こるとされているが、どの代でも聖女により平和が訪れたとされた後には裏で国が荒れている。国家間のあらゆる事情を、魔王討伐という目的だけで一時的に収めている為に、解決した後に歪みが大きく出るのだろうな」


 その理屈には聞き覚えがある。共通の敵がいることで一致団結する職場、みたいなものだ。

 途端に規模が小さくなったが、まあ、俺の感覚に合わせるとそうなる。


「魔王顕現時の緊急移動用に鷲獅子(グリフォン)を貸し出すと言っている国があるだろう?」

北の大国(フェールメルズ)ですね。魔法生体研究で財を築いた国だと聞いていますが……」

「我が国の宰相がそこと裏で繋がっている。『聖女』の研究で得た情報を横流し出来ないか画策しているようだな。フェールメルズは我が国の肥沃な土地を生体飼育に使いたいと、三百年も前から度々戦争をしかけて来ている。今は停戦状態だが、魔王討伐の後にはどうなるか分からん」

「…………………」

「耳を塞ぐな。聞け」


 声が厳命の空気を帯びていたので、素直に手を下ろした。正直に言えば聞きたくない。とんでもなく面倒臭い上に、恐らく、予想している通りならば俺は既にその『面倒臭い』ことに巻き込まれているに違いないからだ。

 おかしいな。俺はただお嬢様を罵倒してダイエットをさせる為の執事だった筈なんだが。まあ、それはそれでおかしい、という話は置いといて。


「リュナンはその宰相の動きを止める為に、お前の存在を利用している。宰相はお前もまた、得体の知れない何処かの大国の間者だと思っている。最も警戒しているのはフェールメルズと対立しているナナヴァラ国の間者だった場合だな」

「……下手に動けばナナヴァラを刺激しかねない、と考えて多少は大人しくしてくれている訳ですね」

「ナナヴァラは光魔法の依存性について勘付いている節がある。魔王討伐後、大陸統一の道具とする為に聖女の身柄を拘束しかねないが、それもまた、得体の知れない何処かの大国の間者であろう男を警戒して下手には動けない」

「………………」

「そしてリュナンはお前の力を解明し、光魔法を完全に御することで歴史を変えようとしている訳だが」

「………………」

「此処までの話は良いか?」

「よろしくありませんが、良いということにしておきます」


 俺の阿呆な提案の裏でそんなことになっていたとは思わなかった。知らない方が幸せなこともある。今知ってしまった訳だが、まあこれも意味があって話されていることなのだから、一応雇われの身としては素直に聞く他ないだろう。

 最悪、どうしても危うくなったら周囲を巻き込んで自爆でもしてやろう。なんか、面倒になったりしたら。既に充分面倒だという点には目を瞑って一人覚悟を決めた俺に、旦那様がひとつ頷いてから続ける。


「実を言うと光魔法を抑え込む方法自体は、今から一年程前に発見されていた」

「なんと」

「今日までお前に伝えてこなかったのは、リュナンが未だにお前の出自を警戒しているからだ。先日、俺の説得でこの話をお前にすることが決まった」

「なんと」

「五年間お前を見てきて、お前が警戒する程の大それた存在ではなく、ただ美味いものを食って適当に死ぬつもりのどうしようもない男だということは分かっている。野望も大望も抱かない男にこれ以上付き合わせるからには、一度きちんと話をするべきだと、俺が判断した」

「なんと」

「カコリス貴様、ちゃんと聞いているのか」

「もちろん聞いていますとも。一言一句聞き漏らしてはおりません」


 『なんと』以外に言いようがなかっただけだ。こんなことを突然聞かされて、他に何を言えと言うのだろう。前世も今世も一介の平民、それも貧民街出身の碌でなし執事に、少々多くを求めすぎではなかろうか。

 俺には政略も分からなければ知略を巡らせる知恵も無い。あるのはその場を誤魔化す勢いと、割と回る口だけだ。そんなただの食いしん坊バカが、気づけば国に使われてしまっていた。しかも、地位も名誉も得られないというのに、そこそこ重要なポジションで。

 遠い目になりつつある俺を宥めるかのように再びベルが鳴り、今度はウェズト牛の香草焼きが運ばれてきた。確信した。この料理、完全に俺の機嫌取りと懐柔の為に用意されている。確信してもついナイフを手に取ってしまう辺りが、どうしようもなかった。


「リュナンは早々にお前がこの世界の者ではない魂を持つ存在だと見抜いていた。此処とは異なる世界……魔界の間者ではないか、と」

「成る程、それは確かに警戒してしかるべき相手ではありますね。一応言っておきますと、魔族ではないです」


 こちらで『異世界』と言うと魔界のようなものを指すのか。完全に日本人として同意してしまっていたので念の為付け足した俺に、旦那様は分かっていると言いたげに軽く首を振った。こんな阿呆な魔族がいてたまるか、とでも言いたげだ。

 異世界と言って現代日本社会を浮かべるのは、俺が日本出身の異世界人だからだろう。流石にそこまで予測されていたら凄いを通り越して恐ろしくなってしまう。いや、異世界人という発想が出てくる時点で充分怖いといえば怖いのだが。


「魔族……と言えば、クレイバー様にもそのようなことを言われましたね」


 『この男、魔族の回し者なのでは?』という言葉をアザンの口から聞いたのは先月のことだ。光魔法の依存性を打ち消す存在である俺には、依存性や多幸感を呼び起こされることがない代わりに、光魔法の回復や身体強化といった恩恵も受けられない。

 お嬢様はなんの疑いもなく「わたくしの聖なる魔法まで拒絶するだなんて、一体どこまで不敬なのかしら!」と憤慨するに留めていたが、他人の身体に魔法を付与することの多いアザンは、特異体質といってもいい俺の身体の仕組みを、何処か穿った目で見ているようだった。


「アザン・クレイバーか。パーティの適性検査には合格した男の筈だが……どうやら随分と揉めているらしいな。陛下の後ろ盾はあるが、なるべく面倒事は避けろよ」

「避けているのに向こうからやってくるのです。どうやらお嬢様を随分と信奉しているようでして、それはもう、希代の聖女、この世の女神と言わんばかりに崇め奉っている始末で御座います」

「ほう、察するに人前では聖女らしくする術を身につけたのか? 我が娘は」

「いえ。いつも通りのお嬢様で御座います」

「………………見る目がないな」

「仰る通りで御座います」


 旦那様は相変わらず親馬鹿であることに変わりは無いが、それでもお嬢様がどのような人間であるか見定めるだけの冷静さは持ち合わせている。

 どれだけ淑女教育を施そうと気位の高さとプライドの高さ、他人をナチュラルに見下す癖が直らないお嬢様を相手に何の疑問も持たずに褒めそやしている時点で、自分の目は節穴ですと宣伝しているようなものだ。


「光魔法の効果かと思い何度か目の前でお嬢様を罵倒してやりましたが、一向に熱が冷める気配もなく。これは私の勝手な憶測ですが、クレイバー様は肩書きに非常に弱く、権力を持つ者を盲目的に信仰する節があります。更に言えば光魔法の恩恵を過大に捉える節があり、お嬢様が優れているのは光魔法の使い手として『当然』のことであり、そこにはお嬢様自身の涙ぐましい努力があることを理解していないようですね。若さ故の視野の狭さかとは思いますが、到底お嬢様を支えるには相応しくない人間かと」

「……ならばどのような人間が相応しいと考える?」

「はい?」

「貴様はどのような人間ならばリーザローズに相応しい、と考えるのだ」


 何故だろうか。妙に空気が硬くなった気配を感じる。

 流石に旦那様を怒らせるほどお嬢様を貶めてはいないと思うのだが。むしろ褒めた方だと思ったのだが、何か間違えただろうか。


「……そうですね、まずはお嬢様の性格を理解し、ある程度手綱を握れる人間であることが必須条件でしょう」

「…………続けろ」

「次にお嬢様と対峙してもある程度まで立ち回れる人間であること。これはお嬢様が努力によって令嬢らしからぬ身体能力を得てしまったから非常に難しい条件ではありますが、まあ私程度の力があれば問題ないかと思います。国内を探し回ればそれなりに候補はいる筈です」

「…………そうだな」

「更にお嬢様が好意的に捉える人間でなければなりません。お嬢様は自分が嫌だと思った相手と長く付き合えるタイプではありませんから……まあ、此処は公爵令嬢としては直した方がいい点でもありますね。もしくはその点も補える相手を宛がうのがよろしいでしょう。クレイバー様はお嬢様から好意的に見られこそしていますが、この点に関しては落第もいいところです。二人を揃えれば増長を重ねていき、いずれは救いようのない事態になることは明白です」

「…………成る程」

「そして最後に何より光魔法の効果に振り回されない人間である必要がありますが……これはいずれ研究で解決出来るのですよね?」

「…………ああ、そうだ。……そうだとも……うむ……」


 いつの間にか組み直していた手の平に顎を乗せ、何処か射抜くように俺を見ていた旦那様は、唸り声染みた呟きを零すと、ぎり、と軽く歯噛みした。

 なんだ。何故そんなに怒っていらっしゃるんですか旦那様。何か不味いこと言ったか? 条件の厳しさ的に『将来お嬢様の相手に出来る男がほとんどいませんね』みたいな言い草になったのが気に食わなかったか? でも事実だしな。


「貴様がそこまで理解しているのなら……話は早いな……」


 やはり唸り声染みた呟きを落とした旦那様は、何故か派手な舌打ちを響かせてから、話を続けた。


「先程説明しかけた『光魔法の効果を抑え込む方法』について説明する。口を挟まず黙って聞け」


 鬼の騎士団長様の眼光に気圧されるままに、黙って頷いておく。口を挟むなと言われたので、黙らせる予定の口は切り分けた香草焼きを咀嚼するのに使っておいた。なんだ此処、何もかもが美味いな。


「まず、お前のその特性は『異世界人特有の魂』による効果だ。一体どうしてその魂の効果が罵倒を口にすることで周囲に拡散するのかまでは判明していないが、現状、そのように結論がついている。これはお前から提供されたリーザローズの髪を使用した擬似的な光魔法の発現実験の結果からも明らかだ。

 そして魔導師団の研究によれば、光魔法の使い手である人間の魂にも特異な性質が見られる。光魔法の効果と依存性を切り離せない点は此処に原因があるそうだが、一先ず我々が理解するべきなのは、『光魔法の使い手の魂』と『異世界人特有の魂』を混合し分け与え合うことにより、効果は薄れるが依存性や高揚感を除いた状態にすることが可能である、ということだ。これは実験用の魔鼠によって確証が得られた。

 だが、この処置を今すぐ行う訳にはいかん。過去最大規模であると予測される魔王に立ち向かうにはリザの力がどうしても必要であり、依存性を打ち消す為とは言え威力を半減させるような真似は軍事方針としても認められないからだ。此処までいいか? おい、食うな」

「聞いております。しっかりと」

「次に『この肉は一体どのような処理でこの旨さを保持しているんだ……?』とでも考えたら首を叩っ切るぞ」

「申し訳ございません、少々芳醇な肉に惑わされておりました」


 きちんと話を聞いていたのは事実だというのに、何とも恐ろしいことを言われてしまった。

 というか、旦那様は本当に俺の心を平気で見抜いているようだった。恐ろしいな。普通に。


「故に、光魔法の効果を抑える処置は、魔王討伐後に施すことになる。この際にひとつ言っておかなければならないことがある」

「まさか、何か危険が?」

「……この施術は両者の魂を混合する、言わば人間の根源に干渉する深淵魔法だ。魂──という、『人が存在するための核』を混ぜ合わせる。

 つまり……この術を施された者は、概念として、個を保ったまま『同一の存在になる』ということだ」

「…………申し訳ありません、深淵魔法には疎いものでして、今ひとつ理解が及びません」

「要するに、魂の共有だ。どちらかが死ねば、もう片方も命を落とす。更に言えば、極端に距離を取ることも出来なくなる」


 思わずナイフを止めた俺に、旦那様はやはり苦々しげに眉を寄せたまま、小さく溜息を吐いた。

 そりゃそうだ。何処の馬の骨とも知れぬ男と、最愛の娘が魂の共有をする羽目になるだなんて、予測もしていなかったことだろう。


「処置の際には両者の同意を得る予定だ。勿論、その時が来ればリザにも説明をする。娘は……思慮に欠ける部分はあるが、根本的には利を解する人間だ。何方が己に取ってよりよい選択か、分からないほど愚かではない……筈だ、と信じている」


 随分と予防線を張ったな。まあ、俺も大体同意見だが。


「……しかしお前にとっては何の利にもならない話だ。どころか、本来不要である危険を負うだけの話でしかない。とんだ厄介事だと、逃げ出したくもなるだろう。そもそもこんな事態で逃げ出していないことが奇跡のようなものだ。

 だが、俺は……一人の父親として、お前に頭を下げてでも頼みたい。どんな報酬でも払う。お前が望むものを用意しよう、どうかこの話を受けてはくれないか」

「あ、はい。それは構いませんが」

「……………………おい、そんなあっさり引き受けるな。俺の葛藤をなんだと思っているんだ」

「いや、まあ、元よりこの命はお嬢様に捧げるつもりでいますので、今更と言いますか。それよりも重要な確認事項があるのですが、宜しいですか?」

「………………なんだ」


 『よろしくないが、よろしいことにしてやる』とでも言いたげな、苦々しい声が返ってきた。仕方ない。俺の覚悟はとっくの昔に決まっているのだし、この先は何もかもどうでもいいか、と思って生きている俺よりもお嬢様の方が気になる点だろうから、お嬢様の為にも確認しておかないとならない。


「魂の共有……でしたか? 私はそれでも構わないのですが、私が相手ではお嬢様の方が拒絶なさるのでは? 一定以上の距離を離れられないというのがどのような距離かは知りませんが、お嬢様はいずれ私を公爵家から追い出すつもりでいらっしゃいます。疎ましい私と一生を共にしなければならない、となれば流石に幾ら利があれど聞き入れない恐れがあるかと思いますが」


 憎たらしく思っている相手と魂を共有した挙げ句、人生を共にしなければならないなんて、お嬢様からしたら拷問も良いところだろう。幾分成長しているお嬢様のことだから、ルナ嬢や周囲への悪影響を考えて飲み込めたとしても、かなり苦痛を伴う生活になる筈だ。

 旦那様としても、大事な娘にそんな思いをさせるのは忍びないだろう。その点に関して解決方法は考えているのか、と思って聞いてみれば、旦那様はあれほど鋭く、強い光を宿して此方に向けていた瞳を、何処か意識を投げ出すように宙へと泳がせた。


「…………カコリス、お前よく鈍いって言われないか?」

「はあ、指摘されたことはありませんが、特別鋭いという自負もありませんね」


 何分、陛下の思惑にも気づくことなく三年過ごしているような男だ。しかも周囲から向けられていた視線や噂にも疎く、予測を立てることすら出来ていなかった。これで『鋭い』などと自称しては、頭脳派の人間に失礼にも程があるだろう。

 分相応な評価だと判断し頷いてみせた俺に、旦那様は一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸して、更に深い溜息までついて、言った。


「その点に関しては心配するな」

「旦那様がお嬢様を説き伏せてくださる、ということでしょうか」

「……ああそうだ、そう思っておけ」


 まあ確かに、お嬢様は両親をこの世の何より信頼しているからな。その両親が言うのであれば、少しは素直に聞いて、納得してくれるかもしれない。

 ただ、奥方様は未だに第一王子との婚約に拘っている筈だから、俺のような厄介者がついたことでお嬢様の婚約者選びに支障が出る──とかいった状況になると反対しそうなんだよな。魔王討伐までの間になんとか条件に合うように折り合いを付ける予定なのだろうか、とまで考えた所で、俺は本来、今日この場で自分が解決したいと思っていた事柄があったことを思い出した。


「旦那様。私からもひとつ伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」

「なんだ」

「つまり今回の話をまとめると、魔王討伐までは私は依然何の説明もなくお嬢様を罵倒しなければならない、ということですよね?」

「…………そうなるな」

「……そろそろ……限界なのですが…………」


 精一杯の憐れみを乞う声を出してみたのだが、旦那様から返ってきたのは冷たい一言だった。


「何とかしろ」


 そんな無茶な、と思ったが、運ばれてきたデザートが異様に美味しかったので、俺は何も言えなくなってしまった。報酬としては完璧すぎる。


 全くどうしたものか。困った。

 早急に、真っ当に頑張っている時のお嬢様を罵倒しても心が痛まない方法を探さなければなるまい。


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― 新着の感想 ―
[一言] 旦那様の哀愁がよく伝わってくる回でしたね。 いやうん、男親ってどれほどいい相手だとわかっていてもお相手できただけで拒否感を覚える生き物だもの。それが‘これ’だもの。そりゃこの反応にもなる。…
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