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第七話 【リーザローズ視点】



 それを初めて自覚したのは、きっと魔法学園に入学して一月が経った頃だった。


 あの見苦しく何のプライドもない、ただ此方に張り合っているだけの無様な公爵令嬢をわたくしの視界から追い出したあの日。

 わたくしはふと、自分の価値観の真ん中に、憎たらしい執事が居座っていることに気づいてしまった。

 権力を笠に着て取り巻きを集め、集団で弱い者を虐げようとする令嬢。あれはいつかのわたくしだった。そして、忌々しい執事に出会うことがなければ、わたくしは今でも、あの令嬢の行為に何の苛立ちも覚えなかっただろう。むしろ、喜々として加担していたかもしれない。


 けれども、癪に障る執事に出会ってしまったわたくしには、あの令嬢の振る舞いは見るに堪えない、無様でみすぼらしい行いにしか思えなかった。そう思ってしまった自分に驚いて、そして、あの日小憎たらしい執事が言い放った言葉を再び頭の中で繰り返してしまった時、悔しい、と思った。


 誰の許可を得て人の価値観を勝手に変えているのよ、と心底憤慨した。ので、八つ当たり気味に件の令嬢には言葉の刃を浴びせておいた。


 ムカつく。ムカつくし、苛立つのだ。そう、あの専属執事ときたら! 憎たらしいったらないのよ!


 あの忌々しい、我が人生において最大の敵である性悪執事と出会ったのは八歳の時だ。

 突然御父様が拾ってきた、みすぼらしい身なりのわたくしの下僕は、わたくしの五つ上で、カコリスと名乗った。


 貧民街とかいう下賤な場所の出身で、だというのに何処か大人びて落ち着き払った妙な雰囲気を宿した子供。

『よろしくお願い致します、お嬢様』なんて、嫌味なくらいに丁寧な口調で頭を下げた男に、反射的に『気に食わない』と感じたわたくしの勘は間違っていなかった。


 この男、屋敷に来て早々、よりにもよって世界の至宝たるわたくしを怒鳴りつけたのだ。しかも『デブ』だとかいう、これまでわたくしの耳には入ったこともない、下々の者たちが使う下品な言葉でわたくしを貶めた。

 ついでに、ボンレスハムだとか、豚だとか、ミートボールだとか、なんだとか、とにかく、今までの人生で聞いたこともないような罵声を浴びせてきたのだ。


 その上、どんな手を使ったのかわたくしの教育係の座に収まり、聞くに堪えないようなむごたらしい拷問にまでかけ始めたのである。

 あの時のことは涙無しには語れない。聖女候補たる神聖な存在であるわたくしに、中庭を五周もさせるだなんて。

 信じられないと思った。わたくしはこれまで『ロレリッタ家の麗しい姫君』として、日々御父様と御母様から寵愛を受け、手足となって働く忠実な下僕に囲まれて、約束された幸福な生活を送っていたのだ。


 それが、あの悪魔のせいで一瞬で砕け散ってしまった。


 聞けば、この卑劣なウスノロは、貧民街での伝手を使って御父様の弱みを握り、脅しているのだという。高潔な騎士として国のために働く御父様を、こんな不気味で生意気な子供が脅しつけているだなんて、我慢がならなかった。


 御父様を守らなければ、と強く思った。わたくしは今まで御父様の強さと逞しさに守られてきたのだ。今度はわたくしが御父様を守らなければならない。いつまでも頼ってばかりではいられないのだ。

 今まではわたくしが命じれば何もかもが思うがままだったけれど、あの悪魔だけは思い通りにならない。頼りになるのはわたくしだけだ。わたくしが、御父様と御母様を守らなければ。


 そう思って立ち向かっては泣きながら撤退し、駄々を捏ね、わたくしがやるべきでもないくだらない出来事は遠ざけ、また決意を固め、逃げ出し、それを一年繰り返した頃、わたくしは長期戦を覚悟した。

 恐らく、あのウスノロは我がロレリッタ家を足掛かりに国家転覆を謀っている為、当家をすぐに没落させることはない、と気づいたのだ。わたくしの頭脳をもってすれば、浅はかな悪魔の考えることなどお見通しだった。


 表向きは執事として振る舞わなければならない以上、多少はわたくしの我が儘に付き合わなければならない、というのも察した。

 だったらいずれわたくしの高貴さに気づいて、自ずと頭を垂れるに違いない。そう確信した。


 それまではこの極悪執事に弱みを見せることなく、正面から戦わなければ。そんな覚悟を決めてから早四年。


 わたくしは此処に来て、人生最大の窮地に陥っていた。とんでもない窮地。まさしく。そんなことはあってはならない、と分かっているのに、気づいた時にはもはや抑えきれないところまで来てしまっていたのだ。


 わたくしは、あの碌でもない、憎たらしい執事を、執事に、その、あの、そうよ、あの、分かってよ。分かってよ!!

 口に出すどころか、心で思うことすら出来ずにいる。だってこんなのは許されないからだ。

 あの男はわたくしの愛する御父様を脅している非道な男なのである。何かやむを得ない理由が、なんて思えない性根をしているのだから、絶対に趣味か何かで脅しているのだ。


 そんな男に惹かれている、だなんて、公爵令嬢としても聖女としても失格もいいところだった。

 まだその、あの、あれと……あれ(あれよ、分かりなさいよ、言いたくないのよ)と決まった訳ではない。

 それでも、耳元で『失礼、少々罵倒してもよろしいですか?』なんて囁かれれば(毎回思うのだけれど、何を思ってこんなこと言っているのよ。変態だわ)変に赤くなってしまうし、わたくしの食事中になんだか妙に優しい目で見てくる時なんて、どうしようもない気持ちになってしまう。


 わたくしのことなんて家を利用するついでに虐げているだけに決まっているのに。

 罵倒も嫌味もどうせ暇潰しの趣味で、わたくしで遊んでいるだけに決まっているのに。


 けれど、あの陰険執事はわたくしが負傷者の前で怯えて動けもしない時、握った手を振り払ったりはしなかった。

 怖くて恐ろしくて、目を逸らしたいのに治療の為に逸らすことも出来ずにいるわたくしの横で、その手に爪を立てるほどに強く握り締めてしまっても、『おやお嬢様、普段の威勢はどうなさったのですか? そうして大人しくしていらっしゃるとまるで聖女様のように見えますよ』なんてせせら笑うだけで、痕の残る手のひらについて口にしたことは一度もなかった。


 あんなに苛つく馬鹿執事なのに、握った手のひらは温かいだなんて狡い。時折意味不明なタイミングで褒美の飴を作ってくるところだって狡いし、美味しいものを食べる時にいつだって嬉しそうな空気を漂わせているのも狡いし、何もかもがずるい。


「ずるいのよ……」


 先日の式典だってそうだ。自分のことだけ考えていて下さい、なんて、また意味不明なことを言い出した。どうせ、国王陛下から聖女の証を賜ったとしてもその裏には影の支配者である自分がいるのですよ、とか、そんなところだろう。わざわざ誤解を招くような言い方をするところが腹立たしい。


 そう、あの男はいつの間にかその魔の手を国王陛下にまで伸ばしていたのだ。

 こうなってはなんとしてもあの男の目を覚まさせ、わたくしを聖女として崇め奉り、『リーザローズ様に忠誠を誓います、もう二度と国家転覆など企みません』と誓わせて傍に置いておくしか許される方法がない。

 公爵家の令嬢が国家規模の犯罪者と結ばれるなんてそれしか、むす、結ばれるなんて!? え!? いえ!! 違うわ!!!!


「違うわ!!!! そんなこと考えていないわ!! 幻覚よ!!!!」


 ベットの上で抱き締めていた枕を思わず壁に叩き投げる。丁度よく何の装飾品も無い部分に当たった枕は軽い音を立てて壁にぶつかり、力なく落下した。


「とんでもないわ……わたくしが、こんな……これは明らかに、なんらかの精神汚染に決まっていますわ……そうよ……そうに違いないわ……」


 そうでなければ高潔なロレリッタ家の一人娘、気高き公爵令嬢であるわたくしがあんな碌でなしの執事に、その、あの、あれを、あれするなんて、有り得ないことだわ!!

 衝動を振り払うように強く目を閉じる。串焼きを差し出してくる阿呆執事の阿呆面が浮かんできたので、慌てて目を開け身体を起こした。


 あの阿呆執事、国家支配を企む碌でなしのくせに、国王陛下の弱みを握ったからと思って余裕の態度で日々を楽しんでいるのだ。お忍びで食べ歩きだなんて、わたくしを余程甘く見ていないと出てこない案だった。


 たまに、もう全て筒抜けになってしまっているのでは、と思って何もかもが恥ずかしくなる時がある。かと思えば、わたくしを微塵も興味の対象に入れていないことを察して妙に苛立ったりもする。


 乙女心は複雑だ。聖なる乙女でもそれは変わらないらしい。歴代の聖女は皆第一王子や第二王子などと婚約を結んだらしいが、そこには今わたくしが振り回されているような感情があったのだろうか。分からない。何も分からない。


 わたくしは社交の場では常に崇め持て囃される側だったので、下々の者と言葉など碌に交わしたことがないのだ。聖女なのだからそれでいい、とみんなが言ってくれる。が、あの陰険執事は別だった。


 溜息に似た吐息を零しつつ、部屋に設えられた書き物机に向かう。引き出しを開ければ、ここ最近やり取りをしている貴族令嬢との手紙が入っていた。

 ほとんどは高位貴族。わたくしを褒め称える言葉を記した見込みある令嬢たちとは、文面だけだが懇意にしている。一応、件の令嬢からも丁寧な書状とそれなりの詫びが届いたので、適当に許しを与えておいた。


 色取り取りの、様々な思惑が詰まった美しい封筒たち。

 その中から淡いグリーンの封筒を指で掬い上げて、ゆっくりと開く。


 差出人はルナ・ウィステンバック男爵令嬢。例の公爵令嬢に虐げられていた気弱そうな令嬢だ。なんでも、入学前から度々社交界でも目を付けられていて、裏ではずっと憂さ晴らしに使われていたらしい。

 『突然のお手紙を差し上げる無礼、どうかお許しください』から始まった手紙に並んだ長ったらしい礼の言葉を半分以上読み飛ばしたのは既に一年も前のことだ。


 そこから半年空けて、今では月に一度の頻度で手紙のやり取りをしているのだから、人の関わりというのは不思議なものだ。

 ルナはわたくしの聖女としての価値を非常に深く理解して、日々わたくしの尊さを褒め称えている。男爵家にしては中々に見込みのある令嬢だった。


 そんなルナから、思わず破り捨てたくなってしまう手紙が届いたのはほんの一週間前のことだ。


『私のような愚鈍な人間の的外れな憶測だと思うのですが、もしやリーザローズ様は、あの方に恋慕の情を抱いてはいらっしゃいませんか?』


 勢い良く破りそうになって、なんとか堪えて、叩き付けるようにしてしまい込んだ。そこから返事を書き始めてもいない。書けるわけがなかった。

 ルナにも分かってしまうということは、もしかしてあの碌でなしにも伝わってしまっているのではなくて?と思うと、気が気ではなかった。思えば、ルナに送った手紙にはそれらしい文言を無意識にでも綴ってしまったような。今すぐ燃やしに行きたかった。そうね、燃やしておきましょう。


 インク壺と羽根ペンを取り出し、ルナに長期休み明けに手紙をまとめて渡すように、と命じた文を記す。伝達鳥に送らせたりして紛失でもしたら事だ。絶対に直接受け取り処分しなければ。

 わたくしからの手紙を聖遺物として扱おうとしているルナは食い下がってでも拒否してくるだろうが、そこはわたくしの私物のひとつでも与えてやれば黙ることだろう。


 れ、恋慕、がどうだとか、こうだとか、そういう話は、絶対に文面に残してはならないのだ。わたくしは高潔にして偉大なる聖女。いずれ本当に歴史に残ってしまう可能性だって大いにある。

 全く、魔王の他にも解決しないとならない問題が多すぎるわね。


 溜息混じりに封をして、伝達鳥に手紙を括り付けに向かう。

 途中、中庭で筋トレ?をしている執事と目が合ったけれど、無視しておいた。ふん。ヒョロガリのくせに生意気なのよ。ヒョロガリと呼べなくなった辺りが特に生意気ね。


「………………」


 無事に手紙を出し自室に戻る道すがら、そっと片手で腹部の肉を摘む。

 幼少期からは大分減ったと自負しているが、ルナや他の令嬢たちに比べるといささか、認めたくはないけれど、そうね、確かに、太かった。

 そもそもわたくしはお肉のつきやすい体質なのよ。だから致し方ないのだわ。しかも、あの馬鹿執事、美味しいものを見つけるとそれとなく勧めてくるし。ちょっと陛下の弱みを握ったからと言って、わたくしのことを舐め腐っているのよ。


「────見てらっしゃい!! 今に、今に目に物見せてやりますわ!!」


 腰まで伸ばした髪を一つに括り、ドレスを運動着に着替えるべく部屋へと戻る。汗を流した馬鹿執事が「お嬢様は今日も非常にやかましく元気でいらっしゃいますね、怪鳥のような雄叫び、見事でございます」などと言ってきたので、奇声で返しておいた。

 誰が怪鳥よ。あんなウスノロ、鼓膜でも破れればいいんだわ。



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