第六話
お嬢様の入学から二年が経った。
入学当初の虐め問題以外には、特に目立ったトラブルもなく順調な学園生活となっている。
あれからも何度か負傷者が運び込まれる事態があったが、お嬢様は俺の片手を握り潰しつつも、きっちり聖女として役目を果たしている。闇の存在による負傷は、大人でも目を背けるほど酷いものだ。俺の片手くらいでお嬢様の覚悟が決まるなら、まあ安いものだった。
ひとつ辛いことを挙げるとするなら、光魔法の依存性を打ち消すために、治療中も時折罵倒しなければならないことだけだ。本当に、頑張っている人間を横で小馬鹿にしないといけないのは、割と精神がやられる。
お嬢様共々疲弊の滲む顔をしているのは旦那様にも分かったのか、治療を終えた日には大抵、料理長から俺とお嬢様に揃って慰労の菓子が贈られるのがお約束になりつつあった。
「ふうん、今日のウルウェートは生地が固めなのね。わたくしはもう少し柔らかい方が好きだわ」
「私はこのくらいが丁度いいですね。食べ応えがあります」
「お前の好みは聞いていないわ。わたくしに与えられた褒美の菓子なのだから、わたくしの好みを優先させるべきだとは思わないの?」
「思いませんね、私にも用意される以上は私の好みも反映されるべきですので。料理長、おかわりをください。お嬢様の分は要りません、生地が固くて好みではないそうなので」
「要らないとは言っていないでしょ! 料理長! わたくしの分も用意なさい!」
ウルウェート──伸ばした生地で様々な材料を巻き、魔鋼窯で焼き上げたパイに似たお菓子──は、お嬢様の舌を今日も満足させたらしい。
運ばれてきた菓子を嬉しそうに口に運ぶお嬢様を見ながら、そんなに食べるとまたリバウンドしますよ、という文言が浮かんだが、今のところは口にしないでおいた。
最近のお嬢様は勉学にも真面目に取り組み、魔法実技でも優秀な成績を収めている。
学内では本来、光魔法は成績評価の対象に入らない。あまりにも規格外で希少であり、他と比較して評価することが出来ないためだ。
故にお嬢様は聖女特権で実技試験も評価される筈だったのだが、学園長直々の検査によって、強大すぎる光魔法には及ばないものの炎魔法の才もあると判明した。
それを知ったお嬢様は光魔法だけではなく火属性の魔法にも力を注ぎ始め、見事、正規の評価方法で優秀な成績を収めたのである。
何故生来怠惰なお嬢様がそこまで熱心に取り組んだのかといえば、動機は単純、俺の土魔法が植物を道具としがちだからだ。
燃やし尽くされてしまえば、俺にできるのは土の盾で炎を防ぐ程度の回避方法しかない。
そして、土そのものの操作は植物を操るより割と難解だ。あの速度で渡り合ってくるお嬢様に蔦の罠を封じられてしまえば、俺も流石に、楽勝とまでは行かなくなるだろう。
気に入らない俺をぶっ飛ばす為ならば、お嬢様は大嫌いな勉強にも身が入るということだ。動機はろくでもないが、その勤勉さと努力は本物である。あまりの分からなさに泣きながら机に向かっていたこともあったが、それでも投げ出すことはしなかった。
その点に関してだけは、俺も素直にお嬢様へ尊敬の念を抱いている。
「あら! ひとつひとつ生地の中身が違うのね、甘酸っぱくて美味しいわ。これはルイェットのカーゴベリーかしら?」
「どれですか?」
「ほら、これよ。ねえ料理長、そうでしょう?」
弾んだ声で話しかけるお嬢様に、料理長はにこやかに肯定を返してから『聖女様への特製仕様でございます』と続けた。
ほらやっぱり!とはしゃぐお嬢様。二個目にこれを用意するあたり、当然おかわりすると思われていたんだろうな。
「カーゴベリーが焼いたらこんなに美味しくなるだなんて、わたくし知らなかったわ!」
「そんなに美味しいのですか? 私も食べてみたいですね」
「ふふん、これはわたくしの為に特別に作られた菓子なのよ! お前のような卑しい人間が口にしたいと言うのなら、『この哀れな陰険執事めに麗しい聖女であらせられるリーザローズ様の慈悲をくださいませ』とでも言うことね!」
「この哀れな陰険執事めに麗しい聖女であらせられるリーザローズ様の慈悲をくださいませ」
「こ、こんな時ばかり素直に……ッ」
俺は食い意地のためならある程度のプライドを捨てる男である。艶々と輝くカーゴベリーの甘酸っぱさとクリームの濃厚な甘味、そしてそれらを包むしっかりとした生地の歯応えを想像し、食べておきたい、と切に思ったので、素直に復唱しておいた。
「リーザローズ様」
「な、なによっ」
「慈悲をくださいませ、リーザローズ様」
「うるさいっ! 名前で呼ばないでちょうだいっっ!!」
いつもは名前で呼べと言うのに、呼んだら呼んだでキレる。なんとも厄介なお嬢様だ。
しかし、いかんな。光魔法がキラッキラに伝播しつつある。態度こそ顔を真っ赤にして怒っているようだが、内心ウキウキのご様子だ。余程人を下に置くのが好きと見える。
それにしても、そろそろ罵倒を挟まないと周囲への悪影響が激しいな。貰う前に罵倒して貰えなくなるのは悲しいし、勝手に貰っておくか。やや無礼だが仕方あるまい。
きちんと言葉にしたにも関わらず一向に差し出される気配のない焼き菓子を切り分け、口に放り込む。おお、確かにざっくりとした生地の程よい塩気と中の濃厚なクリーム、甘酸っぱい果実のバランスが絶妙で非常に美味い。
咀嚼し、満足して飲み込んだ俺の前で、お嬢様は菓子と俺を交互に見やり、しばらく言葉も出せずに唇を開閉してから、叫んだ。
「セバスチャン!!!!」
「私の名前はカコリスでございます、お嬢様」
「お前、お前わたくしの、っ、口を、っ、はっ、はしたないっ、はしたないですわ!!」
「確かに、御令嬢らしからぬ声量で常日頃から叫び続け他者に謂れのない罵倒を浴びせる人間など、はしたなさの権化でございますね。ようやく自覚が出てきたようで何よりです、これからは何卒、公爵家の御令嬢に相応しい淑女としての振る舞いを心がけて下さいませ」
ノルマ達成である。辺りに漂う妙な高揚感が消え失せ、周囲の生徒はやや冷静を取り戻した様子で各々の予定へと戻っていく。
しかし最近になって何故か、依存性を打ち消している割には妙に生温い空気が漂っているような気がするのだが。気のせいだろうか?
初めは聖女として悪の権化たる俺に立ち向かうお嬢様へのエールか何かだと思っていたのだが、それにしてはあまり敵意が感じられなかった。
予想では俺を敵視する令息くらいは現れるだろうと思っていたのだがその気配も──無いとは言わないが──予想よりは少ないのだ。もしかしたら、陛下が流している噂は、俺が当初考えていたものとは違う部分があるのかもしれない。
まあ、確かに五年も脅され続けているなんて噂が続けば、俺を配下に置く程度では回復不能なほどに名誉に傷がつくか。予定よりはややマイルドな噂を流していると見ていいだろう。
恐らく、入学当初にお嬢様が同格の公爵令嬢を細切れのメッタメタに言葉で切り刻んだことも関係していると思われる。
国内有数の公爵家の令嬢を相手にしても情け容赦なく振る舞うお嬢様が、執事には無礼な物言いを(反論しているとはいえ)許しているのならば、それはロレリッタ公爵家でのルールなのだろう、と捉えられているに違いない。
こうなるなら初めから勲章も貰わずに家庭内ルールです、とごり押しておけばよかったかもしれないな。
だが、お嬢様があの時男爵令嬢を助けたのは全くの偶然であったし、結局お嬢様をやむを得ず罵倒する時には役に立つので、これはこれで正解だったとも言える。
結局、人生なんてどう転ぶか分からないものだ。
「ところでウスノロ、お前、長期休暇はどうするつもりなのかしら?」
「どうすると申されましても、去年と同じく屋敷に戻るつもりですが……もしや今年は別荘で過ごされる予定なのですか?」
「そうじゃなくて、今年は認定式があるでしょう。まさか忘れたの? わたくしが公的に聖女として君臨する素晴らしい式典を?」
「…………ああ! すっかり忘れておりました! そういえばそんな式もございましたね」
「そんな式!? お前、わたくしのっ、わたくしがこの国に威厳と名誉を知らしめる歴史的な日をそんな式呼ばわりですって!?」
憤慨した様子で席を立つお嬢様の後ろにつきつつ、先日届いた通達を記憶の底から掘り起こす。
先日十二歳の誕生日を迎えたお嬢様は、本来は顕現の予測との兼ね合いで受ける予定の聖女認定を、繰り上げて受けることが決まったのだ。どうやら、光魔法の他に炎魔法も習得したことが評価されたらしい。
長期休みに合わせて式典を開き、王城で聖女の証の首飾りを授与されることになっている。とうとう公的に聖女として認められる訳だ。
めでたいと思う気持ちと共に、これまで散々、公的に認められてもいないのに聖女を自称していたお嬢様へと感心も浮かんできてしまった。流石はお嬢様、といったところである。これに関しては全く褒めてはいない。
だが、実力が正当に評価されての認定であることは確かだ。
旦那様も奥方様も、誇らしい娘を持てて幸せだと、通達が来た日には涙ぐんでいた。
「予兆被害への慰労も込めて、式典の後に城下町で屋台を出すことが決まったのよ。当日は大いに盛り上がって、全国民がわたくしを気高く美しい聖女として認めることになるに違いないわね!」
「屋台」
「…………屋台にだけ反応しないでちょうだい」
「良いですね、串焼きはありますか?」
「………………お前って本当に無礼で不敬な執事だわ!」
「そこが取り柄ですので」
不敬で無礼でいることが、現在の俺の存在意義である。お嬢様が実力で得た正当な評価に、生来持ち合わせただけの能力による依存性で変な上書きをされては困るのだ。正しい努力は、正しく評価され報われるべきだと思っている。俺は。
早く光魔法の依存性を解決する方法が見つかれば良いんだがなあ。情報を広く公開して大勢で当たれる問題でもないのが、研究が遅々として進まない理由でもあるだろう。
あと多分、今の時点でもお嬢様はそれを聞いたら六割くらいは『これでこの世はわたくしのものですわっ!』と嬉々として言う。これは旦那様とも相談して予測したので、多分間違っていない。絶対に言う。
リーザローズ・ロレリッタは、この世で最も『権力を得てはいけない人間』である。権力を得るとどうしようもない破滅をするタイプの人間だ。
旦那様もそこは分かっているので、奥方様を説き伏せて、第一王子との婚約は無期限延期中である。
「お嬢様は屋台を回られる予定はあるのですか?」
「わたくしが? 冗談も大概にしなさい、わたくしの舌に庶民の味が合うとは思えないわ。平民のご機嫌取りならばパレードで顔を見せるだけで充分ではなくて?」
「庶民の味を侮ってはなりませんよお嬢様、庶民の味とは食材も調理法も限られる為、その筋の人気店では特別な品ではなく毎日親しめる、胸を打つような懐かしくも愛おしい味が残っていくものなのです! 毎日此処に通いたいと思わせる魔力にも似た暖かく包み込むような味! 俺は此処に帰ってくるために一日を乗り越えたんだ、と第二の家のような気持ちで通う店で注文もなくお決まりのメニューを出された時の喜びと来たら、しかも通い詰めると賄いとして出しているちょっと挑戦的な一品を共に試すことも可能! 豪華な特殊ログインボーナスの趣を感じさせる小鉢! なんとも素晴らしいではありませんか!」
「……………………何を言っているのかさっぱり分からないけれど、なんとなく、お前が妙な情熱を捧げていることは分かったわ」
「ご理解頂けて何よりです、お嬢様。それでは当日は共に食べ歩きましょうね」
「まあいいけれど……………………えっ?」
屋台か。俺の気に入りの串焼き店も出店してくれているといいんだが。
式典の頃だと恐らく北側の山で採れるトトコリ熊が最高に食べ頃である。あの旦那さんならば絶対に入荷してくれる筈である。信じている。楽しみだなあ。
「……………………えっ?」
その日のお嬢様は、何故か珍しく静かであった。なのに光魔法はキラッキラの余波を放っているので、俺は何もないところから嫌味のネタを拾うという、職場のめちゃくちゃ嫌な上司みたいなことを半日繰り返さなければならなかった。
式典で浮かれすぎではなかろうか。
* * *
式典当日。お嬢様は朝から何やらそわそわしていらっしゃった。
いつも以上に念入りに髪を梳かし艶やかに整え、珍しく縦ロールに巻くこともなく、式典用に用意された白いドレスを身に纏ったお嬢様は、成る程確かに、『聖女様』としての体裁は保てる程度には聖なる乙女を取り繕えていた。
公式に聖女として認められるのがそんなに嬉しいのか、朝から光魔法が周囲に影響しまくっている。
余波にすら回復魔法が含まれているので健康になる反面、お嬢様が側を離れた時の精神的虚脱感が酷いことにもなるので、程々に俺の嫌味で打ち消しておく必要があった。
あまりにも面倒なので、後半は『聖女様はお疲れのようですから、全て私に任せてお下がりください』と二人きりにしてもらった。
俺には光魔法の依存性は効果が無い。周りに誰もいないだけでも面倒ごとは減るのだ。
どうせならこのままの勢いで普段も隔離出来てしまえば一番良い気もするが、『光魔法の使い手隔離案』は、誰とも顔を合わせることも許されずにいる人間が民のために命を賭けて戦うか?とか、使い手の気分に左右される魔法故に本人にもある程度幸福を感じている必要があるとか、そういう色々な面でダメだったことが、既に過去の歴史から判明している。
現状、対処療法しかないのだ。今回の世界は俺がいるだけマシであるとも言えた。
光魔法の依存性や高揚、幸福感は、物理的な距離の他に、使い手が意識を向けた相手により強く働きかける。
お嬢様にとっては下々の者など羽虫に等しいため、周囲も普段は少々当てられる程度で済んでいるが、今日は式典。お嬢様は民草が自分を崇め奉ると信じて疑わない日だ。
見物人がちょっと視線を向けられただけでも、強めの酒を飲んだくらいの衝撃がいかないとも限らない。それを食い止める為だけに何百人単位の前で嫌味を放ち続けるのは、正直言って建設的な案では無かった。
陛下もそれを考慮して式典会場では十分な距離を取り、聖女のお披露目も王城三階のバルコニーからのみ、としている。
まあ、式典を無事に終えるだけならそれで充分な対策だろう。
だが今日は食べ歩きをすると決めている日なのである。俺は出店のリストに愛しの串焼き店が出ているのを知ってしまった。
お嬢様の光魔法が強まり、傍を離れられる時間が減っている今、この機会を逃せば次に食べられるのはいつになるか分からない。なんとしても、周囲を混乱に巻き込まないまま食べ歩きを決行する必要があった。本当はないかもしれないが、俺にはあった。
王城に用意された控室で、式典の開始を待つ。まだ時間はあったから、言うなら今だろう、と口を開いた。
「お嬢様、一つだけお願いがあるのですが」
「何よ、くだらないことだったら承知しないわよ」
「今日はどうか、私のことだけを考えて過ごしてくださいませんか?」
「………………………………」
「お嬢様?」
「………………………………」
「いけませんか? お嬢様?」
目を剥いたお嬢様はあまりにも聖女らしからぬ顔で俺を見上げた後、せっかく誂えた聖女用の式服をきつく握りしめ、三度大きな深呼吸をしてから、怒鳴るように、というか、怒鳴った。
「いッッッ、いけど!?!?!?」
「お嬢様は聖女様になられましても悲しい程に落ち着きというものが見られませんね」
「はあ!? 誰のせいだと思ってるのよ!!」
「誰か元凶がいるのですか?」
はて、どなたでしょう?と首を傾げる俺に、飾り付きの扇子を投げつけようとしかけたお嬢様は、ぶすくれたように口を引き結び、そっぽを向いた。
「いないわ! いないのよ! いないからいいのよ! ほっときなさいよ!」
「はあ、ではお言葉に甘えまして」
放って置いても許されるなら、仕事が減って有難い話である。どうせ支度は済ませて暇なので、窓の外の鳥でも眺めておくことにした。
二人きりの部屋に沈黙が落ちる。ぱちん、ぱちん、と手持ち無沙汰に扇子を開いたり閉じたりするお嬢様は、しばらく黙り込んで何か考えている様子だったが、やがて勢い良く立ち上がると、窓際に立つ俺を指差した。
「何か話しなさいよ、ウスノロ!!」
「何かと言われると困りますね、お嬢様の方が話の種には事欠かないのでは?」
「お前に話すようなことなんて何もないわ! いいから早く、わたくしの暇を潰す話をしなさいっ」
「では『ゴチラスのうたた寝』を」
「幼児向け絵本を諳んじようとしないでくださるっ!? 無礼にも程がありましてよ!!」
「『そのひはとても たいようがげんきでした。ゴチラスはいつもおかあさんといっしょにねていましたが そのひはもっとよいばしょでおひるねをしたくなったのです』」
「諳んじないで!! 馬鹿!!」
シンプルな罵倒をいただいてしまった。お嬢様は今日も元気でいらっしゃる。
元気なお嬢様はそのまま元気な様子で式典を終え、無事に聖女の首飾りをゲットすることが出来た。これで公式に聖女として認められた訳である。
途方もないドヤ顔で光魔法を周囲に拡散しかけていたので、式典の最中すら一度だけ、陛下とお嬢様に聞こえる範囲でだけ罵倒しておいた。はっと我に返った陛下の顔には、ルヴァのかわいい一人娘ではあるが、やはり此奴に権力を持たせてはならんな、という、何とも言えない笑みが薄らと浮かんでいた気がした。