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第五話


『…………』

『…………』

『…………』

『…………頼む、何か言ってくれカコリス』

『……何を?』

『…………えーと』


 月に一度の念話。

 無事に魔法学園への入寮も済ませ、入学式を終えて落ち着いた頃を見計いここひと月の事柄を説明した俺に、カコリスは丸々五分ほど黙り込んだ。


 正直、念話切れたのか?と思うレベルの沈黙だった。

 何か言ったら不味いことを言ってしまっただろうか。


 説明したのは、『光魔法の性質』と『俺にそれを抑える力がある』ことだけだ。カコリスに光魔法を増幅させる力がある、というのは伝えなかった。過去の念話でカコリスからそんな話は聞いたことがなかったからだ。

 カコリスはあくまで、自分の土魔法がお嬢様を守るのに都合がいいから連れてこられたのだと──自分の魔法の才能を理由に連れてこられたのだと思っている。

 それが本当は『お嬢様の光魔法を増幅させる為』だけだったなんて知ったら、ただでさえ傷つけられていたカコリスの心が余計な傷を負うことになる。


 流石に十五年も会話していれば親友みたいなものだ。

 知らない奴ならともかく、友達が嫌な思いをしているところなんて見たくはない。


 そういう訳で聞いた話の内の二つを説明したのだが、それだけでもカコリスにとっては衝撃的な話だったようで、しばらく黙り込まれてしまった。

 国王陛下が他言するなといった情報をあっさり話した俺に呆れているのかもしれない。

 でも、カコリスはもうこの世界の人間ではないのだし、念話は他の誰にも聞こえないからいいんじゃないかと思う。


『あー、大丈夫だぞ、陛下はこの国の人間にはバラすなと言ってただけだから、カコリスは聞いても平気な筈だ』

『情報漏洩については別に気にしてない』

『じゃあ、何をそんなに怒って……怒ってるよな? 怒ってるんだ?』


 カコリスはあまり怒らないタイプだし、怒り方が静かなので鈍い俺には察しにくい時があるのだ。それこそ声を荒げたところなんて、初めて会った時くらいしか見たことがない。

 しかもあんなのは怒って当然の事態であって、他の奴ならその場で女神を呪っていてもおかしくなかった。俺がしゃしゃり出たことでそんな気分でもなくなってしまったのかもしれないが、とにかく、カコリスは底無しに優しい奴である。だからこそ、前回の世界では周囲の人間の悪意に飲み込まれてしまった。


 『永松秀久』として生きる世界では順調にやっているようだし、このまま沢山のいい人に囲まれて幸せに暮らして欲しいものだ。カコリスを好きな女性たちも、最近ではハーレムというより親衛隊みたいな空気になっているらしい。どこのアイドルだ。別に俺の顔はアイドル系でもなかった筈なんだが。


 ちなみに俺は断然C子さん(カツ丼を五杯食べる人/バレー部)推しなので彼女とくっついて欲しいんだが、まあ、それも俺の勝手な我が儘だろうから適当に祈る程度にしておく。

 ついでに、俺の推すヒロインは大抵主人公とくっつかずに悲しい思いをするので、あまり強く応援しないようにしたい気持ちもあった。


『……ヒデヒサ、お前自分が何を言ったか思い出してみろ』

『え? あー、お嬢様の力を抑える必要があるからこの先も付き合うことになりそうだなー、と』

『そのあとだ』

『そのあと? ……えーと、あー…………でも俺は魔王戦で死ぬっぽいから、そのあとの面倒はどうすりゃいいのかな、と……』

『………………ヒデヒサ、一つ言っておきたい』

『おう。なんだ』


 念話の向こうから、何処か震えた吐息が聞こえる。

 脳内で会話しているのに喉の震えが伝わってくるのはどういう仕組みなんだろうか。


『俺は、君が死ぬ位なら、お嬢様を守る必要なんてない、と思っている』

『……あー、カコリス、でもな、一応、』

『分かっている。ヒデヒサと共に居るお嬢様は俺の知っているあの女(・・・)じゃない。言動や性根は似ているが、邪悪さだって比べものにもならない。きっと君が側に居れば、お嬢様はもっと真っ当に、ちゃんとした聖女になるのかもしれない。

 だが、それでも、お嬢様とヒデヒサなら、恩人であるヒデヒサが生きていることの方が大事だ』

『…………まあ、俺だって俺の命の方が大事だぜ?』

『嘘だ。君は好きなことが出来ればいつ死んでも良いと思っていて、しかもその信念で本当に死んだ奴だ。自分の命なんて少しも大事にしていない』


 反論は出来なかった。事実だからである。

 だがそれは何も悲壮な動機があってのことではなく、ただ『美味いもん食って身体を壊すことなくぽっくり逝きてえ』というあるあるな夢を叶えただけの話だ。

 もし仮に実は悲壮な動機が──無意識にしろ──あったとしても、俺は死ぬ間際まで幸せだったし、死んだ瞬間だって幸せだった。


 幸せに生きて幸せに死んだ奴が、辛く苦しく生きた人間の人生を自己満足で肩代わりしているだけなのだ。

 カコリスは俺のことを何か、自己犠牲精神に溢れた人間だとでも勘違いしているが、断じてそうではない。むしろ、なんか、こう、魔王戦で切り良くぱっと終わっとくか、みたいな気持ちだ。

 だって、この先一生高飛車ボンレスハムの世話なんて嫌だし。喋って食べれるマジのボンレスハムの世話ならともかく、お嬢様は人間である。俺には何の旨味もない。


『ヒデヒサ。君は今、何か別のくだらないことを考えているだろう。俺が真剣な話をしているのに』

『げ、念話って思考も伝わるんだっけか』

『何年話してると思ってるんだ。君の考えなんて分かる』

『おお、すごいな。親友って感じで良いな』


 前世では親友どころか友達と呼べる者もいなかったからな。そうか、親友ってこんな感じか。

 感心する俺の心中すら察しているのか、何処かぶすくれた声で返したカコリスは、ひとつ盛大な溜息を零してから、疲れの滲む声で言った。


『とにかく、君が命を賭けてまでお嬢様を守る必要なんて無いだろう。危険な時にはすぐに逃げてくれ』

『でもそうしたら魔王が完全に封印できなくて大変なことにならないか? それは困るんだよな。王都って飲食店多くて、俺の給金じゃ全然食い切れなくてさ。しばらく寮生活で外食もしづらいし。しかも隣国には海があるだろ? 王都にまで届かない海産物とかも食べ尽くしたいんだよなあ』

『…………今からお嬢様を鍛えて、魔王に匹敵する力をつけさせればいい。まともにトレーニングもせずに遊び呆けてアレだったんだ、鍛えればさぞ素晴らしい聖女様になることだろうさ』


 カコリスにしては珍しく、棘のある声が耳を刺す。

 いかん、余計な記憶を刺激してしまった。あまり過去のことは思い出させたくないから、現在のアホな公爵家の話ばかりしていたのに。


『まあ、それは勿論そうするつもりだぜ。美味いもんを作る人達まで不幸になるのは困るからな』

『そうだな。君が不幸になるのも困るから頑張ってくれ』

『お、おう』

『……なんて、逃げ出した俺が言える訳がないんだが』


 いかん、非常にいかん。不味い方向に話が流れていっている。元々内罰的な面があったカコリスが、日本での生活でようやく前向きになれていたところなのに。

 自分の幸福が俺の不幸の上で成り立っている、だなんて絶対に思わないで欲しい。カコリスが不幸になろうと幸福になろうと関係なく、そもそも俺は二十歳で死んでいたのだ。

 むしろ、このまま健康的に生活して俺の身体を二十歳よりも長生きさせてくれるなら有り難いくらいである。


『いいか、カコリス。俺は自分のことを不幸だと思って生きてきたことは一度だって無いんだ。そして、これからも思わないし、思わないで済むように努力するから、そんなに心配するな』

『……そうだな。俺が思い悩みすぎてもヒデヒサだって困るよな。分かった、幸運を祈っている』

『おー、祈っててくれ。ところで、お前の方はなんか変わったことなかったのか?』


 少々強引だが話題を世間話へと変えることにする。

 大分無理な話題転換ではあったが、その後カコリスから『君に報告する為につけていた食べ歩きブログがバズった』と聞いて、すっかり興味はそっちに移ってしまった。どうでもいいが、異世界人から『バズった』って聞くと何だか妙に面白かった。




   *  *  *




 さて。そういう訳で、心配性のカコリスの不安を取り除くためにも、淑女教育のみならず聖女教育にも力を入れなければならないお嬢様なのだが。


「昼休みね、ウスノロ!! 演習場でわたくしの相手をなさい!!」

「お待ちくださいお嬢様! 全くもって御令嬢らしからぬ速度で走るのをおやめくださいお嬢様! 豚というより最早猪でございますよお嬢様!」

「誰が猪よ! お前にはこの麗しい、神馬のようなしなやかさで廊下を駆けるわたくしが見えないというの!?」

「廊下を駆ける時点で御令嬢としては目も当てられませんし当てたくもありませんね! ご覧下さい! 周りの方々も目を覆っていらっしゃいますよお嬢様!」

「うるさい!! 黙ってついていらっしゃい!! このウスノロ!!」


 午前の授業を終えるや否や教室を飛び出したお嬢様は、『私より下位の存在(つまりお嬢様にとっては家族を除いたこの世の全てである)は黙って道を空けなさい』と言わんばかりの速度で制服を翻して演習場へと駆け出した。


 目的は勿論、俺と『鬼ごっこ』をする為である。

 鬼ごっこである。お嬢様が『シャンデリアエクストリーム・ゴージャスデュエル』と名付けていたが、とりあえず内容は鬼ごっこである。

 まったくもってアホみたいな話だが、『わたくしにも追う側をさせるべき』というお嬢様の御要望を叶えるにはこの方法しかなかったのだ。


 入学直前から始めたこの新たなトレーニング──に最早なってしまっている──は、入学後も学園長の許可を得て続き、初めは奇異の目で見ていた貴族令嬢や令息達も、半年経った今ではお嬢様の勇姿を見るために演習場を覗きに来る始末だった。


 猪突猛進という言葉がそのまま似合う猪系令嬢へと進化しそうになっているお嬢様は、やはりやや太ましい足で力強く廊下を踏み、まさしくドドドドと効果音のつくような勢いで演習場へと向かっている。

 その後ろをあくまでも姿勢を崩さず大股の早歩きで追い掛けるのが俺だ。執事らしい所作を取り繕うとした結果、こんなことになった。


「昼休みは一時間しか無いのよ! 時間を無駄には出来ないわ、すぐに用意をなさい、セバスチャン!」

「私の名前はカコリスで御座います、物覚えの悪いお嬢様」

「今日こそお前を取っ捕まえてふん縛って踏みつけて『この憐れなセバスチャンに慈悲を下さいませ』と泣かせてやるわ!!」

「お嬢様はお耳がついていらっしゃらないのですか? そのゴテゴテと飾り立てているお耳は、ド派手でセンスのない装飾品と同じく飾りなのですか? お嬢様?」


 入学から半年経っても何の変化もなく、唯我独尊・傲岸不遜を地で行くお嬢様である。

 此処までブレないと最早尊敬しそうになってしまうところだ。


 実際、学内ではこのろくでもないお嬢様を尊敬している御令嬢もいたりいなかったりする。

 どこに目をつけていたらそうなるんだ、と思ってしまいそうになるが、一応、尊敬に値するだろうエピソードは存在しているので弁明がてら紹介しておこう。



 ────入学からひと月が経つ頃の話だ。


 ロレリッタ公爵家と同等の地位にあるウォンバート公爵家の御令嬢が、取り巻きと共に一学年上の下位貴族の御令嬢を虐めている、との噂が立った。同時期に広まっていた『国王陛下から勲章を頂いた怪しい男がいる』との噂とは別に、完全に根も葉もあるタイプの噂であったから、虐めの証拠はすぐに挙がった。


 しかし、上位貴族の行いを下位貴族が咎めるなど、本来は御法度である。加害者が国内有数の公爵家の御令嬢ということもあり有耶無耶に終わろうとしていた。

 それをばっさりと、両断どころか細切れにする勢いで切り捨てたのがお嬢様である。


『────貴方、自分よりも弱い者を前にしてお仲間を作らないと相手が出来ないくらいに情けない方だったのね、失望したわ。

 貴方が惨めに、プライドのない方々と羽虫の群れのように集まって何をしようと自由ですけれど、貴方のような存在が目の端に映るだけで不愉快極まりないですわね。

 尊き聖女であるわたくしに不快な思いをさせるだなんてとんでもない無礼だとは思わなくて? ええ、そうよね。分かってくれたらそれでいいの。連れ立っている御令嬢共々、二度とわたくしの視界に入らないでくださる?』


 失望も何も、お嬢様が他人に期待したことなどない。お嬢様は相手の最も嫌がる言葉を選ぶのが異様に上手いため、ウォンバート公爵令嬢の心を切り裂くためだけにこの言葉を口にしたのだ。


 ロレリッタ家と張り合って使用人を六階級で雇っているようなウォンバート公爵家の御令嬢は、当然、聖女候補であるお嬢様を敵視していた。しかしウォンバート家の御令嬢には光魔法が使える訳でもない。

 覆せない差に苛立ちが募った御令嬢は、手出しが出来ないお嬢様の代わりに下位貴族を虐めることで鬱憤を晴らすことにした、というのが事の次第だ。


 お嬢様にとっては目の端の小虫でも、ウォンバート公爵令嬢にとってはお嬢様はライバルであったのだ。ライバルにこんなことを言われて立ち直れる十一歳など、早々いるものではない。


 事実、御令嬢は蒼白になるほどショックを受けて、ひとつの言葉も返せずにその場から逃げ出した。

 今では、お嬢様が使う経路とは違う廊下を使って教室に向かう日々である。正直やりすぎな気がしなくもないが、口外できないような辱めを受けていた男爵令嬢からは泣きながら感謝をされたので、俺が思うよりはやりすぎではないのかもしれない。


 ちなみにお嬢様は、泣いて礼を言う男爵令嬢に『下々の者が気安くわたくしに話しかけないでくださる?』などと宣っていた。

 そのまま振り払うように去って行く姿が何故か『恩を着せることもなく下位貴族を助ける強く気高き公爵令嬢』と捉えられたのは、いささかお嬢様に都合が良すぎやしないだろうか。

 お嬢様は本当に、心の底から思ったことを口にしただけである。ウォンバート家の御令嬢に対しても恐らくはただ苛ついただけであり、男爵令嬢を助けようなどとは露程も思っていなかっただろう。


 だがまあ、結果的に人助けになったのは事実である。その後、お嬢様の凍りつくような一言を恐れて、上位貴族も下位貴族を不必要に虐げなくなった、と聞く。動機がどうかなど、結果の前では些細な事だ。


 お嬢様の傲慢が『気高さ』として捉えられているのなら、それはそれで、印象操作としては都合がいい。ついでに、『国王陛下を影で脅している非道の執事』にひとり立ち向かう『勇敢な公爵令嬢』という立ち位置が出来上がっているらしい。此方も好都合なので、そのままにしていたりする。



 故に、俺とお嬢様の一騎打ちはこれ以上俺に悪事を働かせないためにお嬢様が牽制として行っている──ということになっている。此処まで来ると俺もヤケクソ気味にどうとでもなれ、と開き直り始めてしまった。

 どっからどう見てもアホな理屈なのにそれが通るのである。此方もアホにならなければ気が狂ってしまうのだ。


「今日こそお前を地に伏せ、わたくしへの永久の忠誠を誓わせて差し上げますわっ!!」

「お嬢様は他人を地に這い蹲らせるのがお好きで御座いますねえ、壊滅的に趣味が悪くていらっしゃる、ええ、非常に」

「わたくしの趣味を馬鹿にするだなんて良い度胸ね、ウスノロ! 気に食わない人間を地に這い蹲らせたいのは人間の性ではなくてっ?」

「少なくとも私はそのような変態的な趣味はございませんね」


 演習着に着替えたお嬢様がまさしくお嬢様らしからぬ速度で追ってくるのを、土魔法を駆使してかわす。光魔法は回復や身体向上、闇属性の存在への攻撃手段としては非常に有用だが、直接的な攻撃手段には不向きだ。

 幼い頃から無意識に行っている身体強化でもって生身で追い掛けてくるお嬢様をかわすのは、今の所はまだ容易い。しかも、昼休みの間だけ、という時間制限付きだ。

 今のままならば、100回やっても捕まらない自信があった。カコリスの身体も、なんだかんだでハイスペックなのである。


「────はい、今日はここまでと致しましょう」

「う、うぐっ、この、このひ、ひきょうもの! 聖女であるわたくしから逃げおおせるだなんて、なにか卑怯な手を使っているに違いないわ! 許しがたい冒涜よ、絶対に、絶対にいつか地に這い蹲らせてやりますわ……!」

「そのいつかが来るとよいですね。少なくとも今日ではないようですので、敗北者のお嬢様は素直に着替えて食堂に向かってくださいませ」

「ぐ、ぐう……っ、今日の所はこれで勘弁してやるわっ! ウスノロ、今日のメニューは何!?」

「白煙ピュィの石楼焼きと塩ビエッタのコドツリフ、コロド産ファプルスのクーデンフェインです。先に行って用意しておきましょうか?」

「結構よ!! お前が取ると私の空腹が半分も満たされない量になるじゃない!!」


 魔法学園のいいところは、特殊製法の美味しい食事が食べられるところだ。名前からは料理がほとんど想像できないところが困りものだが、見た目は案外普通のスープや焼き物なので、そう身構えるものでもない。

 魔法調理人というのは自分達を一般の調理人と区別したがる節があり、日夜よくわからない名前の料理を生み出し続けているのだ。まあ、美味しい創作料理店のようなものである。とっても美味しいので、俺もお嬢様も食堂の料理は好んで食べる。食べ過ぎてリバウンドしたお嬢様が、奥方様からお叱りの手紙を受け取って涙目になっていたこともある。


 旦那様と国王陛下の思惑はともかく、奥方様が俺をお嬢様につけているのは、あくまでもお嬢様を淑女らしい適正体重にする為である。

 元々俺としても、お嬢様をプライドがなく食べ物を粗末にする許し難いデブから脱却させるために専属執事になったのだ。……なったんだったか? 時系列が曖昧だが、とにかく、目的としてはそんな感じだった。

 故に、此処で手放しに好き放題お嬢様に食事を取らせて、再度リバウンドさせる訳には行かないのである。


 従者である俺を置き去りにする勢いで食堂へと駆け出すお嬢様を追う。俺の記憶が正しければ、お嬢様は常に廊下を駆けている気がする。

 淑女とは一体。そして聖女とは一体。

 何故これが許されるのかと言えば、やはりお嬢様の光魔法が歴代でも群を抜いて優れているからだろう。


 三ヶ月前、遠方で予兆に過ぎない小規模な魔王の顕現の被害を受けた騎士が、騎士団施設の医療班では治療不可能として学園へと運び込まれた。

 片腕が腐り落ち、傷が塞がることはなく、尚も身体を蝕まれ続け発狂しかけている騎士に対し、通常の魔法治療は何の意味もなさなかったのだ。


 それをものの一時間で治してみせたのが、お嬢様である。まさしく聖女様だ、と歓声が上がった。


 見事成し遂げたお嬢様を褒めたい気持ちになったりもしたが、それをするのは旦那様の役目だったので、俺は黙って後ろに控えておいた。


 あの場での俺の役目は、騎士団長である父の為に引き受けたものの、見慣れない凄惨な負傷の様に内心怯えているお嬢様へ『おや、聖女様なのにあの程度も治せないのですか?』と飛び切りの嘲笑つきで告げることだけだった。

 あの時のお嬢様は俺の挑発に奮起し、何故か握り締めた俺の片手に潰さんばかりの力を込めながら治療に当たったのだ。つまり俺は一時間片手を握り潰され続けた訳である。

 光魔法は八つ当たりでも強くなるらしい。是非とも研究に役立ててほしいところだ。



「──遅いわよウスノロ! わたくしはもう二度目のおかわりを済ませましたわよ!?」

「己が食い意地の張った豚であることを意気揚々と宣言しないでくださいませ、ミートローフ様」

「私の名前はリーザローズよ!! 全く、生まれながらの愚か者は人の名前も覚えられないのかしらっ?」

「どうぞお嬢様、此方鏡でございます」

「あら、今日も麗しい聖なる乙女が写っているわ。午後もこの美しい顔を見るだけで頑張れそうね。ね? 皆様方?」

「答えなくて結構ですので誰かきちんと写る鏡をお持ちの方はお貸しくださいませ」


 お嬢様がにっこり微笑むと同時に無意識に放たれる光魔法の波長を、ざっくりとした嫌味で打ち消す。一瞬、熱に浮かされたようなら目を向けていた人々がこれで我に帰るのだから、なんとも厄介で面倒なものだ。

 恐らくこれで俺がいなかった場合、周囲は聖女の魔力に当てられてお嬢様の言うことをなんでも聞くようになるのだろう。学園に学ぶことで光魔法の威力が強まるにつれて、俺の罵倒の必要性を肌で感じるようになった。

 現状、この通り言動が碌でもないお嬢様であるので、罵倒のネタには事欠かないのが救いだ。


 繰り返すが、俺は別にお嬢様を罵倒するのが趣味の変態ではない。むしろ、お嬢様を褒めたくなる時だって当然ある。


 やや人格が破綻気味のお嬢様だって、何もいついかなる時も褒めるべき点がない訳ではないのだ。

 綺麗な所作で、なんとも美しく全ての食事を平らげたお嬢様は、その見事な食べっぷりで厨房の料理人を魅了してから、自らの手で食器を片付けに向かった。


「本日の料理もわたくしの舌を満足させる素晴らしい出来でしたわ、褒めて差しあげてもよろしくてよ」


 心の底から満足しているらしいお嬢様の笑みからは、まさに聖女以外の何者でもない高貴な光が放たれている。光魔法が漏れているので、実際本当に輝いていた。


 こういう時にもお嬢様を罵倒しなくてはならない、というのは俺にとっては少し辛いものがある。美味しいものを美味しいと言って、きちんと綺麗に食べる人が大好きだからだ。

 なので俺はいつも、この時ばかりは事前に許可を得ることにしている。


「お嬢様、少々罵倒してもよろしいですか?」

「……毎回思うのだけれど、お前、それでよく人を変態呼ばわり出来ますわね」


 周囲に聞こえては要らぬ誤解を生むため、囁くように告げた俺に、お嬢様は片耳を押さえつつ、やや赤い顔で睨みあげてくる。

 俺は決してお嬢様を罵倒して喜ぶ変態ではないが、お嬢様からするとそのように思われても仕方ない感じにはなっていた。こうでもしないと、食堂の人間が光魔法に当てられて人格崩壊しかねないのだ。致し方あるまい。


 勲章をチラつかせつつ言えばお嬢様は「この国の為ですものね……」と完全に騙され切った顔で言って下さるので、適当に「お嬢様はいつまで経ってもアホでございますね」とだけ言っておいた。


 しかしこの方法、魅了じみた効果と正気に戻すのを交互にやる時点で色々勘づかれないだろうか。

 察しのいい人間は具体的な作用はともかく、気分の高揚くらいは薄々気づいている様子もある。陛下にも報告はしているが、現状これ以外に方法がないので継続の意向を示されてしまった。

 研究開発によって依存性のみを打ち消す魔道具を作りたいようだが、光魔法そのものに組み込まれた性質を切り離すのは容易いことではないようだ。


 この先五年半も罵倒し続けるのは流石に心が折れそうなので、俺としては何とか道具の開発を急いでもらいたいものである。


「セバスチャン! 料理長が新作の菓子を献上してきたわ! 高貴なるわたくしをイメージしたゼリーですって! 見なさい、この麗しく鮮やかな緋色の輝き! まさしくわたくしですわ!」


 艶やかな金髪に緋色の瞳を持つお嬢様は、赤色の鮮やかなゼリーを見せつけてくると、もうすぐで午後の授業が始まるというのに再度席に着こうと踵を返した。

 その肩を軽く掴んで方向転換させ、バランスを崩しかけたお嬢様の腰を支えつつ、皿を取り上げてカウンターへと戻す。


「ななっ、なん、なんて無礼を! このっ、こ、このウスノロ!!」

「アホのお嬢様はこの後の授業をすっかりお忘れのようですから申し上げますが、始業まであと二分でございます。此方は放課後に頂くとしましょう」

「一分で食べれるわ!!」

「は? 料理長渾身のこんなにも美しいゼリーを一分で掻っ込む気ですか? お嬢様は底無しのアホでございますか?」


 それは作った者への礼儀がなってなさすぎる。瑞々しい果実を花のように切り、外側を飾るように配置されたこの美しい三層のゼリーを一分で掻っ込むと言うなら、俺も黙ってはいない。


「っ、……わ、分かったわよ!! 後で食べるわよ!! だから離しなさいよっ!! 料理長!! これは冷蔵して取っておきなさい!!」


 料理長は元から見せるだけのつもりだったのだろう。恭しく頭を下げた彼は魔石保冷庫にゼリーをしまうと、すぐさまドドドドと駆けていくお嬢様と、それを追う俺を苦笑いで見送った。




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