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第二十話




 『魔王』と呼ばれる存在と接触してから一月。俺の生活はいつもと変わらない日常へと戻りつつあった。

 言葉が通じるようになったら連絡が来る筈なので一応は毎夜ベッドの上で覚悟を決めて待っているのだが、今のところそれらしき念話が来る気配はない。


 向こうも俺と話をしたい素振りは見せていたのでこのまま音信不通、なんてことにはならないと思うが、いかんせん相手は謎の上位存在である。人間おれの予測が外れる恐れも大いにある。


 しかしどれだけ気を揉んだところで、俺には待つことしか出来ない。更に言えば、俺はいくら考えたところで自力では解決できない問題について考え続けられる性分ではない。

 ……多分、カコリスあたりが聞いたら『もっとしっかり考えておいた方がいい』と言ってくれたのだろうが、生憎と最近の彼は学業が忙しかった。

 相談がある、と言えば無理してでも時間を作ってくれるのだろうが、どうなるかも分からないあやふやな問題のためにわざわざ時間を作ってもらうのも申し訳ないので、俺はカコリスにも『魔王』と念話がつながった話をしていなかった。


 話したところで目的は変わらない、というのもある。魔王ははっきりと、『人間を滅ぼすのを自分の意志で止めることはできない』といった。だとしたら、俺たちにできるのは聖女パーティとして顕現した魔王を打ち倒すことだけだ。


 言葉が通じるようになれば何か有益な情報が手に入るかもしれないが、まだそうなっていない状況で伝えても妙な混乱を生むだけだろう。


 そういう訳で、連絡を待つしかない俺は早々に魔王の問題を頭の片隅に追いやり、普段と変わらぬ日々を過ごしている。朝はお嬢様の身支度を整え、昼はシャンデュエの申し込みを受け(ちなみに初敗北からの勝率は七割と言ったところだ)、夜はお嬢様の予習復習に付き合ってから眠る。

 時折そこに予兆によって負傷した者の治癒が挟まったり、ストレスから暴食に走るお嬢様を止めたり、突っかかってくるアザンをあしらったり、細々とした違いはありつつも、基本は慣れた日々の繰り返しだ。


 そんな日々の中、いつものように朝の身支度を整えて共に自室を出ようとしたところで、隣のお嬢様からなんだかやたらと馬鹿でかい声で尋ねられた。


「ところでウスノロ、お前、今年成人したのでしょう? 何か、祝いをする予定はあるのかしらっ!?」


 そんな大きな声で聞かなくても、隣に立っているので十分聞こえるのだが。

 ひょっとすると、まだ寝ぼけているのだろうか。


「祝い、ですか? いえ、今のところはありませんね。二十歳を迎えた年に祝うのが大陸での習わしだとは聞いていますが、別にわざわざ祝う必要もないかと」


 パージリディア国では二十歳を迎えると成人として扱われる。日本のように成人式のようなものはないが、各々の家で祝いの儀が行われることが多い。

 もちろん、強制ではないのでやらない人間もいる。俺はこっちでは家族と呼べる存在はいないし、公爵家で祝ってもらうのもおかしな話なので、やらない側の人間でいるつもりだった。

 元からあんまりそういった行事に重きを置く人間でもない。向こうの世界でも、成人式には出なかった。合うスーツを探すのも面倒だし、着るのも怠いし、行っても邪魔だろうし、美味いもん食える訳でもないしな。


 久々に日本での生活を思い出して何処か上の空で答えた俺の耳に、どことなく弾んだ声が届いた。


「あら、そう。やはりお前のような性格の捻じ曲がった執事をわざわざ祝うような奇特な人間は、わたくし以外にはいないということなのね! ふふん! 大勢の民に愛される威厳あるわたくしと違って、人望のなさが目に見えるようだわ!」

「愛されるというより珍妙な生き物として愛でられている節があるお嬢様に威厳があるかどうかは甚だ疑問でございますね、まあ私に人望らしきものが全くないことは否定致しませんが…………ん?」


 人前でもないので無理に嫌味を口にする必要もなく、単に事実を並べ、いやこれ結局嫌味になってないか?と思いつつ話を切り上げようとした俺は、そこで今しがたお嬢様が並べ立てた文言の奇妙さに気づいて首を傾げることとなった。


 俺の聞き間違いでなければ、今何か変なことを言わなかっただろうか?

 『お前のような性格の捻じ曲がった執事をわざわざ祝うような奇特な人間は自分以外にはいない』だとか、なんだとか。


 ん?


 お嬢様以外にはいない、ということは、お嬢様は祝ってくれるつもりなんだろうか?


 そんな馬鹿な、と疑惑と驚愕でもって、少し前を歩くお嬢様を見つめてしまう。

 お嬢様が俺を祝うだと? そんなことが起こり得る筈がないんだが。呪うの間違いじゃないか?


 あまりにも予想範囲外から飛んできた言葉に完全に思考がフリーズした俺は、そのまましばらく、前を歩くお嬢様が上機嫌に響かせる鼻歌を聴きながら足を進め、朝食を取るために食堂の前まで来たあたりでようやく、言葉を舌に乗せた。


「お嬢様、もしやとは思いますが、祝いと呪いを間違えて覚えておられでは?」

「は? 何を勘違いしたら祝いと呪いを間違えるのよ。意味が全く違うじゃない」

「それはそうですが。お嬢様のことですから、万が一があるかと」

「わたくしが五歳児でも覚えているような単語を間違えているとでもいうつもり? 全く、お前ときたら、なんて不敬な執事なのかしら!」


 久々の縦ロールを勢いよく振り回して振り返ったお嬢様は、何処か拗ねたような顔で俺を睨み上げる。心外ね、とでも言わんばかりの態度で見上げてくるお嬢様の目を見る限り、どうやら本気で『俺を祝う』つもりのようである。マジか。

 どうやら、お嬢様が俺が思うよりもずっと成長されているらしい。やはり主人として、正式な忠誠を誓った従僕の成人を祝わないなどというのは貴族の慣例を蔑ろにしていると思ったのだろう。


「これは大変失礼致しました。よもやお嬢様が主人としての責務を果たすためとはいえ、私を祝うと言い出すなどとは露ほども思っておりませんでしたので、少々動揺してしまいました」

「…………ふん! 高潔にして清廉な聖女であるわたくしの慈悲の心に感謝することね! それで? 不敬で無礼な執事であるお前はどういった祝いの品を望むのかしら!?」


 正直なところ、その言葉だけでも祝いとしては十分なくらいだった。

 あのお嬢様が、気に食わない執事のために成人を祝おうとしている、という事実そのものが、俺にとってはある意味祝いのようなものなのだ。


 俺が公爵家に来た当初からめちゃくちゃやらかしたことも関係あるのかもしれないが、お嬢様はカコリスから伝え聞いたような、残虐な独裁者じみた悪女にはならなかった。

 それどころか、従者の成人を祝うような立派な令嬢へと成長している。『あの』幼少期を経て共に過ごしている身としては、祝いたいという言葉自体が祝いを貰ったようなものだと感じてしまうのだ。


 祝いの儀をする前にもう祝われた気になってしまっている。

 そんな心情で望むものが出てくるはずもなく、視線を斜め上方に向けたまま黙り込んでしまった俺に、お嬢様は痺れを切らしたように詰め寄った。


「…………ちょっと、ウスノロ! 何をぼうっとしているの、早く答えなさい。欲しいものの一つや二つ、すぐに出てくるでしょう?」

「いえ、それが全く。食欲なら兎も角、物欲には乏しいもので」

「なら、何か美味しいものを食べに行くというのは……いえ、駄目ね! それじゃあ普段の食べ歩きと変わらないじゃない! 成人を祝うのだから、特別でないといけませんわ!」

「特別と言われると更に困りますね。お嬢様の方は何かいいアイデアはございませんか?」

「アイデアですって? 見つからなかったから聞いているに決まってるでしょ! 本人に聞いたほうが早いもの!」

「それはそうですが……せめてもう少し考えて下さっても良いのでは?」

「はあ!? 半年も考えたのに見つからなかったから聞いて…………何でもないわ!!!!」

「突然叫ばないでください。まさか鼓膜を破くのがお嬢様流のお祝いだとでも言うつもりですか? それはそれは、結構なお祝いでございますね。高潔にして清廉にして野蛮な聖女であるお嬢様に相応しい、極めて配慮に欠けた迷惑極まりない作法かと」


 そういえば此処は既に食堂前だった、とちらほらと見える生徒の姿を認識して雑に嫌味を付け足した俺に、お嬢様は焦燥を滲ませる表情で唇を噛み、反論を口にしようとした様子でしばらくもごもごと何やら言葉にもならない音を発した。

 結局それらの音は形になることはなく、お嬢様は再び縦ロールを振り回して踵を返すと、最近は比較的鳴りを潜めていたはずの猛々しい足音を響かせて食堂へと乗り込んだ。どうやら、反論よりも食欲を優先することにしたらしい。


 それにしても今日はよく叫ぶ日だな。

 周囲の生徒がすっかり慣れていて反応が薄いのが救いだが、『高潔にして清廉な聖女』としてはそれでいいのか、迷うところだった。




      ✳︎   ✳︎   ✳︎




「────で? いいかげん欲しいものは決まったのかしら?」

「はい? ……ああ、祝いの話はまだ続いていたのですね」

「そもそも終わっていない話でしょう! 何を勝手に終わらせているのよ!」


 午前の授業が終わり、いつものようにシャンデュエを済ませた後、更衣室から出てきたお嬢様はまるで犯人を追い詰める刑事のような足取りで俺の前までやってきた。祝いの品の話をされているはずなのだが、声音が完全に尋問のそれである。


「終わらせたというより、本当に思い浮かばないので勝手に終わったというのが正しい気もしますが」

「わたくしが祝って差し上げると言っているのよ、脳味噌を絞って磨り潰してでも欲しいものを思い浮かべるのが従者の務めではなくて?」

「祝いというより拷問じみてきましたが、本当に呪いではないんでしょうね?」

「しつこいわね、そんな回りくどいことをするくらいならわたくしは直接お前を打ち倒して勝利を掴みますわ!」

「ああ、それは確かに……」

「……大体、わたくしからすれば、欲しいものを聞かれただけでそこまで苦しむお前が理解できないわ」


 それもまた確かに、としか言いようがなかった。

 この状況で苦しみが生じているのはお嬢様のせいではなく、単純に俺の性分のせいである。

 なんたって、お嬢様はただ俺を祝おうとしているだけなのだから。


 今まで割と好き放題生きてきたつもりだから気づかなかったが、どうやら俺は『欲しいもの』を聞かれるのに弱かったらしい。

 いや、『食べたいもの』と言われれば即座に思い浮かぶのだが。主人として立派な祝いの儀をしたいお嬢様は、普段と同じ買い食いでは満足しないだろう。そうなると何か特別感を出す必要がある訳だ。はてさて、どうしたものか。


 言われた通りに脳味噌を絞ってみること数分────、俺の脳内に、ある一つの名案が浮かんだ。


「では、ひとつ提案なのですが」

「何よ。言ってみなさい、愚かな下僕の望みの一つや二つ、この麗しの聖女であるわたくしが簡単に叶えて差し上げますわ!」

「お嬢様の手料理が食べてみたいです」


 欲しいものが食物しか浮かばない俺と、イベントとしての特別感が欲しいお嬢様にとって、これが一番ベストなんじゃなかろうか。

 そう思って提案を口にした俺の目の前で、お嬢様は出会ってからこれまでで一度も見せたことのない顔で固まった。

 強いて例えるならば、埴輪に似ている。


 常日頃から感情表現に富んだ紅い瞳は驚愕から見開かれ、絶えず高飛車な言葉を吐き出す唇は丸く円でも描くような形で固まっている。

 完全なる埴輪状態となったお嬢様は、そのまま先ほど俺が悩んでいた時間と同程度活動を停止したのち、抑えきれなかった衝撃が声量となって溢れ出したかのようなボリュームで叫んだ。


「わたくしが!? お前に!? 手料理を!?」

「今日のお嬢様は音量調節機能がぶっ壊れておいでですね」

「わたくしが!? お前に!? 手料理を!?」

「もしやその他のすべてもぶっ壊れておいでですか? お嬢様?」

「わたくしが!?!?」

「やはりぶっ壊れておいでですね?」


 そんなに叫ぶほど嫌な提案だっただろうか。嫌なら嫌で断ってくれて構わないんだが。

 思考の波に飲まれているのか、最後に叫んだ切り再び固まってしまったお嬢様の背を押し、昼食のために食堂へと向かわせる。顔は相変わらず埴輪のように固まっていたが、身体は自然と歩くのか、途中で転けたりするようなことはなかった。

 しかし食堂についても一向に固まったままだったので、仕方なく俺はお嬢様の代わりに食事を受け取り、お嬢様の代わりにカトラリーを用い、お嬢様の代わりにお嬢様の口に食事を運ぶ、という行為に及ぶ羽目になった。


 どうでもいいが、半ば気絶レベルで茫然自失になっていてもしっかり咀嚼と嚥下はするあたり、お嬢様はどこまでも食に素直なようだった。




      ✳︎   ✳︎   ✳︎



「……………………おかしいわね、昼食を食べた記憶がないわ」

「しっかり召し上がられておりましたよ」

「そうだったかしら……それならいいのだけれど……」


 午後の授業を終えた頃にようやく正気を取り戻したらしいお嬢様は、意識が戻るなり真っ先に昼食に言及した。

 嘘は言っていないので特にそれ以上説明をすることもなく終えた俺に、お嬢様はどこか腑に落ちない様子ながらも一応は納得したようだった。

 頭では覚えていなくとも、胃の方はきっちり満足しているから不満が出なかったのだろう。


 ちなみに、デザートは料理長に言って夕食後に回してもらった。胃には収まるとはいえ、デザートだけは記憶もないままに食べてしまったら悲しいだろう、と思ったのだ。少なくとも俺は悲しい。向こう三日は落ち込むくらいには悲しい。


 今日のデザートは夕食と一緒になるそうですよ、と伝えたところ露骨に安心した顔をしていたので、きっとお嬢様も同じ気持ちでいることだろう。そうだよな。デザートだけは記憶がないまま食べてたら悲しいよな。


 勝手な共感を持って一人頷く。そんな俺を不審げに見やっていたお嬢様だったが、ふと顎に手を当て考え込むそぶりを見せると、朝方からのやかましさとは打って変わって、ひどく落ち着いた様子で呟いた。


「セバスチャン、祝いの品の件なのだけれど」

「おや、その話はまだ続いていたのですか?」

「続けるわよ。終わってないわよ。何を勝手に終わらせようとしているのよ」

「いえ、あんなにも嫌な顔をしておいて無理に続けることもないのではないかと思いまして」

「は? 一体いつ、どこで、誰が嫌な顔をしたというの? お前の目は節穴なのかしら?」


 顎に当てていた手を頬へと滑らせ小首を傾げたお嬢様は、珍しく素直に不思議そうな顔で俺を見上げていた。つまりこれは嫌味ではなく、ごく単純な疑問だということだ。

 どうやら、お嬢様のあの顔は『嫌な顔』ではなかったらしい。少なくとも、本人はそのように思っている様子である。


 ……まあ、俺の目は節穴かそうでないかといえば多分節穴なんだが、それでもあの埴輪みたいな顔から正確な感情を読み取れというのは無理がないだろうか。どういう感情の顔だったんだよ、あれは。


 考えてみたものの結局答えは見つからなかったが、もとより答えを求めての問いかけではなかったのだろう。すぐに目を伏せたお嬢様は、幾度か咳払いを響かせたあと、気を取り直したように口にした。


「お前はわたくしのどんな手料理を食べたいというの? 物によっては叶えて差し上げてもよろしくてよ」

「物によっては……となりますと、逆にお嬢様が作れる料理を聞いた方が良いのでは?」

「セバスチャン? まさかお前、わたくしが料理ができるとでも思っているの?」

「……………………いえ、思ってはおりませんでしたが」


 それはそんなにも堂々と言い放つことなんだろうか。確かに、公爵家の御令嬢が料理なんかできたってしょうがないし、危ないからと包丁も握らせてもらえないだろうから、できないことを恥じる必要すらない訳だが。

 しかしそうか。俺はすっかりお嬢様が公爵令嬢らしからぬ御令嬢だから忘れていたが、普通の令嬢は料理なんてできないし、そもそもやらせること自体間違っているのか。ただ、お嬢様は既にやる気でいらっしゃる。リーザローズ・ロレリッタは、一度『やる』と決めたことを譲る人間ではない。


 うーん、困った。これは専属執事として、料理のチョイスを間違えるわけにはいかない。


 まず包丁を使うようなものはダメだ。怪我をしたとしても光魔法があれば治るといえば治るんだが、そもそも『怪我をさせた』という事実そのものがあってはならない。

 そして失敗の可能性があるものもダメだろう。

 主人として祝いの儀を成功させたいと考えている以上、出来は並以上になるようなものでなければならない。


 菓子作りなんかは論外だ。

 お嬢様はどこからどう見ても大雑把なので、まず間違いなく失敗する。

 調合系の授業での成績を見ていれば、そんなことは馬鹿でもわかる。何度爆発しかける試薬から距離を取ったことか。……実験系教科の成績さえ良くなれば学年首位も目指せそうなくらいなんだがなあ。こればっかりは性分だろうから直しようがないだろう。


 まあ、成績の話は置いておくとして。


 包丁を使わず、ある程度の出来が保証されていて、なおかつ特別感が出るもの。

 真っ先に浮かんだのは『べっこう飴』だったが、お嬢様は納得しないだろうな、と思った。俺にとっては特別な食べ物だが、お嬢様にとってはそうではないだろう。

 あと、多分俺がいつも作っているので出来を比較してしまう気がする。経験の差なのだから気にすることはないと思うが、お嬢様は気にする。そして対抗心を燃やし、祝いがどうだとかこうだとかもなくなってべっこう飴バトルになり、終わった後に『祝えていないじゃない!』と叫ぶに違いない。べっこう飴バトルってなんだ?


「ちょっと、ウスノロ! 何を悩んでいるのか知らないけれど、お前は妙な遠慮も計略もせず、ただ食べたいものを言えばいいのよ! いいからさっさと言いなさい!」

「しかしお嬢様、それではお嬢様に作れるものを挙げられる気がしませんが」

「わたくしを誰だと思っているの? 高潔にして無敵、完璧な聖女であるわたくしですもの、お前が望んだものくらいすぐに習得して至高の品を振る舞って差し上げますわ! 精々感謝に咽び泣くことね!」


 一体その自信はどこから溢れてくるというのか。手を当てた胸を大きく張り、確信に満ちた顔で言い切ったお嬢様は、ふふん、と鼻を鳴らして俺を見上げてみせた。

 いちぶの隙もないドヤ顔である。そこまで言い切られると、こちらも気を使うのがアホらしくなってくる。一応、これでも従者っぽく思案したりしてみたんだがな。まあ、今更か。


「そうですね、では遠慮なく申し上げましょう。カレーが食べたいです」

「……カレー?」

「料理長が『ウシュガリテ・ナー』と呼んでいるアレです」

「ああ、あれね」


 ちなみに古代語で『西東より来たるもの』の意である。……毎度思うけど、料理につける名前じゃないんだよな。武器かよ。

 しかし美味いのでケチをつけるつもりはない。じっくりと煮込まれた焔頭牛ピュテの旨味と各種野菜がスパイスと織りなすハーモニーは、そんじょそこらの料理人には出せない旨味である。ああ、この世界に米があったらな、と何度願ったことか。


「ふうん? 確かにあれはとても美味しいけれど、ただ食材を煮込んだだけのものでいいのかしら。祝いというには足りないのではなくて?」

「お嬢様?」

「何よ」

「お嬢様?」

「な、何よ」


 今、カレーを『ただ食材を煮込んだだけのもの』などと仰りましたか?


 信じがたい暴言である。許しがたい暴言である。

 食材を煮込むだけでいいのならこの世にレシピなんぞいらんのである。カレーの真髄を極めるのに一生を費やした人間だっているんだぞ。


「お嬢様は何も分かっていらっしゃいませんね。全く、料理長の類まれな調理スキルを日々味わっていながらその程度の認識ではないとは、嘆かわしいことです。ただ食材を煮込んだだけのもの? 確かに、過程を表すにはそれもまた事実でありましょう。しかしそれは人間を『言葉を喋る二足歩行の生き物』と括る位には雑で浅い認識と言わねばなりません。

 お嬢様とて、旦那様のことを『ただ剣を振り回しているだけの男』などと評されたら心外でしょう! 一体何を見ているのかと! 一体何を味わっているのかと! 食材を選び、適切な下拵えを施し、味の調和と食べた者への驚きを与える一品にするためにどれほどの努力と研鑽があったことか!

 いいですかお嬢様、カレーは『ただ食材を煮込んだだけのもの』ではありません。もし仮にカレーをただ食材を煮込んだだけのものだと思っている人間がいるとしたら、それは『ただ食材を煮込んだだけのカレー』しか食べたことがないか、もしくは優れた品を食べても理解できない愚か者であるかでしかないのですよ!! 私は同じ食を嗜むものとして、お嬢様がそのような愚か者であるなどとは思いたくありません、発言には十分にお気をつけくださいませ!!」

「わ、わかったわ。十分に理解したわ、だから、その、も、もうやめなさい、落ち着きなさい、セバスチャン、ち、近いわ」


 思わず詰め寄っていた俺に、お嬢様は強張った顔で宥めるように言葉を重ねた。

 しまった。気づけば主人を壁際に追い詰めるなどという無礼を働いてしまっている。しかも、お嬢様の挙動不審を嗜められない程度には俺も挙動が怪しくなってしまった。いかん。落ち着こう。

 精神を落ち着けるために意識して深呼吸をすること十秒、冷静さを取り戻した俺はそこでようやくお嬢様から距離を取った。


「失礼しました、少々取り乱しました」

「別に、構わないわ。お前がおかしいのは今に始まったことではないもの」


 どこか落ち着かない様子で髪先を弄っていたお嬢様は、ぶっきらぼうに言い放つと、気を取り直したように言葉を紡いだ。


「では、そのカレー?とやらを作ればいいのね。せっかくだから料理長にレシピを聞いてみましょう、忙しくなければ直々に手解きを受けられるかもしれないわね」

「手解きを願えば、恐らく彼ならどんなに忙しくともお嬢様のために時間を空けると思いますよ」

「それはもちろん、そうでしょうね。わたくしの為に時間を作らない愚か者などこの世には存在するはずがないもの! だからこそ忙しくない時を選ばないと駄目ね。料理長のお仕事を割り振る羽目になったら、他の料理人の方々が疲労で倒れてしまうわ」


 目的が決まってスッキリしたのか、軽やかに足を進めるお嬢様がそんなことを言う。それは意識して口にしたというより、自身の思考を整理するうちにこぼれた呟きに近いものがあった。

 感慨深さに笑みが溢れてしまったのも無理はないだろう。お嬢様は本当に、幼少期からは想像もできなかったほどの成長を遂げている。時折、眩しさに目を細める程だ。いや、まあ、たまに物理的に光ってるんだが。今もそうだが。光魔法がガンガンに拡散されている訳だが。


「……はあ」


 早いところ魔王を倒して、お嬢様が俺なんかが側で罵声や嫌味を言わなくてもいいようにならないもんかな。

 ある種の疲弊をため息と共に吐き出した俺は、上機嫌で歩くお嬢様の後ろへ付き従いつつ、いつものように雑な嫌味を発しておいた。



 そして、事態が起こったのはその夜のことだった。





      ✳︎   ✳︎   ✳︎




 ────夜、いつものようにお嬢様の就寝を見届けてから部屋に戻り、俺も就寝の準備をするか、とジャケットを脱いだその時、


『閨槭%す医∪縺吶°』


 俺の頭に、頭蓋を割られたような衝撃が襲い掛かった。

 平衡感覚が保てなくなり、膝から崩れ落ちる。かろうじて頭からぶっ倒れるようなことにはならずに済んだが、絨毯についた膝と、片手は、それなりの衝撃を受けて痛んだ。まあ、頭の方が五倍くらい痛いんだが。


 間違いない、『魔王』だ。魔王が再び接触してきたのだ。だが、依然として言葉が通じるようになっている気配はない。


『縺?¥縺、縺九?譁ケか輔r隧ヲ縺励∪縺励◆縺後?√%繧後′荳、逡ェ謇九▲蜿悶jり譌ゥ縺?→蛻、譁縺励∪縺励た』


 いや。前回とは違って、耳をすませば微かに聞き取れる箇所がある……のか?


 どう聞いても理解できない、声とも呼べない情報の波にやられている俺の頭が、頭痛の中から微かに聞き慣れた音を拾おうとしている。だが、どうしたって意味が理解できるような代物ではない。

 どころか、意味を汲み取ろうと意識するだけで気絶してしまいそうになる。額に脂汗が滲み、気づいた時には頬を伝って床へと落ちていた。


 歪む視界の中で、ぽつ、ぽつ、と落ちた汗が絨毯に染み込んでいくのが見える。しかしすぐに目が霞んで目の前のことすら認識できなくなった。


『縺ェ繧九∋縺乗焔遏ュ縺せォ貂医∪縺帙k縺ィ邏?據縺う、縺励g縺??ゅ〒縺吶私と峨?∫ァ√→蜈ア縺ォ譚・縺ヲ縺上□縺輔>縲よーク譚セ遘?』


 何かを語りかけているらしい魔王に、返事をすることすらままならない。言葉を形にしようとするものの、思考が霧散してろくにまとまらない。それどころか、強制的に眠りに落ちるかのように、意識が溶けていく感覚に飲まれる。

 おそらくだが、俺はあと数秒と保たずに気絶するだろう。


 参ったなこりゃ。

 話が通じそうな相手だからと楽観視していたが、俺は不味い判断をしたのかもしれない。


「────ウスノロ! ここを開けなさい!」


 意識が落ちる直前、扉越しにお嬢様の声を聞きながら思ったのは、俺ってやっぱりアホだよな、という自省だけだった。




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