第十三話 【カコリス視点】
はっきり言って、ヒデヒサは変な男だと思う。
彼が変でなかったら俺は助かっていないのだから変であることには感謝するべきなのだろうが、それにしたって変である。
いったい何処の世界に、『ただ美味いものを死ぬほど食べたい』を本当に実行して死んだ挙げ句、ただ『美味いものを沢山食べられなかったのだから』というだけの理由で他人の人生を肩代わりする男がいるというのか。
前者はまだ有り得るが、後者は本当に理解が出来なかった。何せ、俺の生まれ落ちる環境は順風満帆な人生には程遠く、辛く苦しいと分かっているだけの転生でしかないのだ。
本当に、全くもって、訳が分からなかった。
ヒデヒサはよく、『俺は美味いもん食うくらいしかやりたいことがないからさ』などと口にする。
夢や希望はさして持ち合わせてもいないし、努力も出来ないから別に生きていたって仕方が無い、というような口振りで自身を語る。
そんな人間だから、誰かの酷い人生を肩代わりしたって別に構いやしないのだと、どうやら本気で思っているようなのだ。
そんな馬鹿なことがあるものか、と思う。
ヒデヒサはどうしようもなく変だが、同時にとても良い奴だ。ついでに言えばちょっと性格が悪いが、そのくらいでなければきっと彼は際限なく誰かに利用されていただろうから、むしろ丁度いいくらいだった。
現に今だって好き放題利用されているようなものだ。俺の人生を代わりに生き、旦那様にはお嬢様の矯正の為に雇われ、陛下には国の崩壊を抑えるために使われている。
ヒデヒサはそれら全てを『まあ、そういうもんか』で受け止め、本人曰く『適当に』こなしている。しかも、ほとんど不満もなく、だ。
ヒデヒサから聞いた不満など、貧民街暮らしでの『とんこつラーメンが腹一杯食べたい』という泣き言と、公爵家に雇われて数ヶ月の『例のお嬢様とやらが食を愚弄していて腹が立つ、ついでに減る』という愚痴くらいだ。流石にちょっとお人好しすぎやしないだろうか。
本当に彼に全てを押しつけてしまって良かったのだろうか。そう悩む夜も数え切れないほどあった。
だが、ヒデヒサはどうやら俺の人生にすっかり同情してくれているようで、俺が思い悩むこと自体が一種の悩みになってしまうようだったから、念話を初めて数年が経つ頃には俺も出来る限り前向きに人生を捉えることに決めた。
俺が日々を楽しく過ごしていると知ると、ヒデヒサはまるで自分のことのように喜ぶのだ。
生まれてこの方、家族には微塵も恵まれなかった俺だが、ヒデヒサのことはある種家族のように思っている。なんだか気恥ずかしいので言ったことはない。
故に表面上は気楽な友人として、なるべく楽しい話題だけを選んで語り合っている訳なのだが。
そんな風に念話を続ける中、なにやらおかしなことになっているな、と勘付いたのは二年ほど前だった。
俺にとっての情報源はヒデヒサからの話──つまりは彼視点の話でしかないので確証を持つのに大分時間がかかってしまっていたのだが、そこから察するに、どうやら、お嬢様はヒデヒサに懸想しているようなのだ。
なにがどうしてそうなった、とは聞くまい。日々を共に過ごす内に、お嬢様にしか分からないような心境の変化があったのだろう。
勿論、ヒデヒサは性格はあんまりよろしくないが良い奴なので(特に矛盾はしない。筈だ)、当然惹かれる女性が出てくるのは分かる。
それがお嬢様である、というのが少々おかしい点ではあったが、この際その点には目を瞑ろう。
もっともおかしいポイントとして挙げられるべきは、ヒデヒサがまったく、ちっとも、これっぽっちもお嬢様からの恋慕に気づいていない──という事態だった。
ヒデヒサはあれで結構、お嬢様以外の女性からの好意には敏感だ。
というより、好意を効果的に使う方法を感覚で掴んでいるようなので、自分に好意的な人間を利用するのが上手い方だというのが正しいか。こういうところはかなり強かだと言える。
そんなヒデヒサがお嬢様からの好意に一切気づいた様子がない。話を聞いているだけの俺ですら気づいているというのに。
いつぞやの月一の念話報告の際、『旦那様に「お前よく鈍いって言われないか?」とか言われたんだが、逆に俺の何処が鋭そうに見えるんだろうな~』などと語られてしまったが、鈍さに鈍さがかかって鈍さの二乗になり、俺は思わず呻きそうになってしまった。鈍すぎないか君……と呻きそうになったが、なんとか堪えた。
人の恋路に首を突っ込むのは野暮だと思ったのもあるし、気づかせたところで良い方向に転がる気もしなかったし、何より、その時点ではまだリーザローズ・ロレリッタという女を受け入れ切れていない、というのもあった。
俺は未だに前回の世界の聖女リーザローズの顔を思い出すと、妙な目眩と吐き気を引き起こすことがある。
もちろん、ヒデヒサから伝えられる公爵家の阿呆……馬……、いや、平和ぶりを聞くに、今の彼女は俺の知る聖女リーザローズとは違うのだとは分かっている。
ヒデヒサの語る『お嬢様』の話は、まったくもって普通に、楽しく、寧ろいっそもどかしく聞けるのだが、俺の記憶に巣くう『あの女』のことは、思い出すだけでも駄目だった。
あの日、多幸感と高揚感でぐちゃぐちゃにされていた心は、女神の前に喚び出された時に正気を取り戻してしまった。
人としてのあらゆる尊厳を剥奪され踏み躙られた人生を真正面から受け止めた俺は、無様にも泣き喚いて女神に当たり散らしたわけだが。流石にそのくらいは許されるだろう。別に八つ当たりでもなく、至極真っ当な怒りだった筈だ。
とにかく、俺にとっては世界を跨いでも尚、聖女リーザローズは嫌悪と恐怖の対象だった。そんな女と恩人が仮に恋仲になったとして嬉しいのか、と聞かれれば、たとえ名前と顔が同じだけの別人だと分かっていても、実際のところは妙な気分になる。なっていた。
彼がどんな人を選ぼうと俺に口を挟むような権利はないが、ヒデヒサなら他にもっと良い人がいるんじゃないか?とは思っていたのだ。何も、リーザローズ・ロレリッタでなくとも、と。
だから、気づかないままでいるのなら幸いと少しも触れずに居た。その思いが薄くなった──というか形を変え始めたのは、今年に入ってからだ。
何故かと問われれば答えは明白で、ヒデヒサのお嬢様への向き合い方が以前と明らかに変わったのである。
元々、ヒデヒサは努力を惜しまない人間が好きだというのは知っていた。お嬢様が学園の試験勉強や光魔法以外に火属性の魔法訓練に励んでいる時も、動機はともかく努力は本物だ、と素直に褒めていた。
魔王を討伐する為の聖女パーティでも、お嬢様の努力を『聖女として天から与えられた素晴らしい力』としか見ないメンバーに対し、静かに不快感を露わにしていた。そこまではまだ、フラットな視点で捉えていたように思う。
俺が気づくほどの変化が起きたのは、確か三学年の半ば頃だったと記憶している。
魔王討伐までは事情を説明する訳にはいかない、となったヒデヒサは、努力を続けるお嬢様をやむを得ず罵倒し続ける中で、態度で彼女への敬意を表し始めた。
食べ歩きを楽しむお嬢様のために美味しいお店を探したり、美しい飴細工を作り始めたり。
勉強に励むものの理解が及ばず、限界を迎えて涙混じりで取り組むお嬢様を気遣い、鎮静作用のある紅茶や、励みになるような菓子を用意し始めた。
要するに、口ではとやかく言っていても献身的な執事──という図が出来上がりつつあったのだ。
更に言うなら、これは専属執事としての職務を全うするためや光魔法の拡散を食い止めるためではなく、ヒデヒサの心情を反映した行為である。
そして恐らく、お嬢様もそれを無意識に感じ取っているからこそ、口ではなんと言おうとヒデヒサにより強く惹かれているのだと、聞いているだけでも察してしまった。
二人の間には多少歪であれど確かな信頼が生まれているのだ。『聖女リーザローズ』はそう出来るだけの成長をしたのだと、俺は確信した。
そして、だからこそ、俺は再度、『鈍すぎないか君……』の言葉を飲み込むことにしたのだった。
『────そういう訳で旦那様に手紙を出してさ、明日の夜王城に行ってくることになったんだよな』
某月某日、月一の定期報告とは別に緊急で念話がかかってきた。話を聞いてみれば、どうも学園内に魔王の予兆が顕れ、お嬢様の親友とも呼べるルナ嬢が傷を負ってしまったらしい。
治療は上手くいったが、私情を優先して判断を誤りそうになったお嬢様を窘めた際、彼女は強いショックを受けたのだという。
前回の聖女リーザローズからは考えられない態度だったが、ヒデヒサと共に過ごしてきた『お嬢様』ならば、確かに彼の言葉に強い自省を抱くこともあるだろう、と思った。
そしてヒデヒサはそんなお嬢様の態度から、彼女がこの世界で生きる一人の人間である、ということを改めて認識し直したらしい。俺の身体を使って転生する、という少々特殊な形で世界と関わっているヒデヒサには、ある種の当事者意識が薄い傾向がある。その意識が、感情を露わにしたお嬢様によって変わり始めたのだ。
ヒデヒサの言葉に悩んだお嬢様と同じく、お嬢様の態度に悩んだヒデヒサは今、『今のお嬢様の努力や在り方に報いるべく、彼女を不用意に傷つける嘘を吐きたくない』という話を俺に持ちかけている。
『やっぱり長く側にいるからかね、俺の言葉でも重大に捉えてショックを受けるようになったというか……まあ、あれは場面が場面だったのもあるんだけどさ……』などとやや気落ちした様子で語るヒデヒサに、いや、他ならぬ君の言葉だからだろ……とは思ったが黙っておいた。
もはや此処まで来たら、お嬢様のために黙っておいた方が良い気がしてきたのだ。
恐らくお嬢様は認めこそしていないもののヒデヒサが好きだとは自覚しているはずだ。それでいて直接的にアプローチしていないというのに、外野がとやかく言うのは違うだろう。
更に言うなら、ヒデヒサは現時点ではお嬢様に対し恋愛感情は抱いていない。当初に比べ、明らかに人として好ましく思い、なんなら尊敬の念は抱いているかもしれないが、それでも、それは未だ恋愛には程遠い感情のはずだ。
こんな状態で変に突っついて、ヒデヒサがばっさり断ったりした日には悲惨だ。魔王討伐後、『魂の同一化』でさほど離れられないような状況になってしまうのだというなら、それこそ二人の関係や距離感は慎重に測るべきだろう。
故に、俺に出来るのはヒデヒサの話を聞き、意見を求められれば述べ、困ったときには励まし、共に不安を分かち合うことくらいだ。なんと無力か、と嘆きたくなることもあるが、ヒデヒサはそれが必要だと言ってくれるのだから、誠心誠意答えたいと思う。
『毎月の報告で大分まともになってんのも知ってるし、なんなら旦那様はOK出してくれそうな気配はあるんだけどさ。やっぱり王城に呼び出されたってなると、そういうことか……?とは思うわけよ』
「まあまず陛下は話し合いの場につくことになるだろうな」
『結局ここ数年で報告してても警戒はされてるし、俺もしてないと言えば嘘になるし、断られたらそれまでなんだけどな。……でも、この先も同じような場面があるかもしれないって考えたら、俺も流石に嫌なんだよなあ』
溜息混じりに語るヒデヒサの声はあくまでも軽いものだったが、そこには確かに本心が滲んでいた。
元々、会って数分の人間の人生を聞いて同情し、代わりに転生してしまうような男だ。何年も隣で世話を焼き、努力を重ねて成長していく人間にいつまでも(表面上は)意味も無く暴言を吐いていたくはないのだろう。確かに、俺だってそんなことはしたくないので気持ちは分かる。
『そりゃ、お嬢様は未だにとんでもねえことを平気でするし高飛車は一生治らんと思うし、やったらいけないことをしたときに窘めるくらいはするけどさ。それにしたってただ頑張っているだけの人間を馬鹿にするのって疲れるもんだぜ』
「……そもそもどうして罵倒が効果を持つんだろうな?」
『それな。褒め言葉じゃ駄目だったんかよ、と思うけど……それはそれで意味も無く褒めることになるから駄目か』
「異世界人特有の魂によるものである以上、ヒデヒサの固有の魔法……魔法?いやスキル?になる訳だが、女神がわざわざ持たせた効果だとは思いづらいんだよな」
女神は新たな人間を生み出し世界に加えることで魔王を倒すことを目的にしている以上、なるべく有益な人間を送り込もうとはする筈だ。際限なく生み出せるわけでないのなら尚更。
だが、ヒデヒサが転生する際にはそのような説明はなかった。出来ないのか、しなかったのか、それとも女神自身すら知らなかったのか。
分からないが、かなりイレギュラーな状況にあることは確かだろう。
『つーか、大体ここまでめちゃくちゃな世界になってんのもおかしな話だよな。管理が出来てないっていうか、十度も繰り返して魔王が倒せないって、流石にどうかしてるというか。そもそも魔王ってなんだ? 魔王だって女神が生み出したんじゃないのかよ?』
「どうなんだろうな……詳しく聞けば良かったのかもしれないが、あの様子だと答えてくれたかは分からないな」
一見慈愛に満ちた笑みを湛えていた女神だったが、その本質はやけに無機質だったように思う。言うなれば、女神さえも与えられた使命をこなしているだけ、というか。魔王を倒さなければならない、という点に対し、正義や使命といった強い感情は抱いていないように思えた。
彼女が感情を見せたのなんて、ヒデヒサが『日本のことなんざ何も分かってない異世界人をあんなややこしい現代日本に放り込む気かよ。説明する時間がない? だったら後から説明出来るようにしてもらおうじゃないか』と情け容赦なく詰め寄り、念話の機構を生み出させたときくらいだ。四つん這いでぜえぜえ言っていたので、恐らく呼吸器官はあるタイプの女神なのだろう。
『まあ、わざわざ自分から悩みを増やす必要も無いか。とりあえず一旦置いておくとして……そうだな、明日の話し合いが終わったらまたかけるから、その時には相談に乗ってくれるか? 都合良い時間あったら教えてくれ』
「もちろんだ。君からの連絡ならいつでもいい、……と言いたいが、課題とバイトがあるから、出来れば土曜の夜だと嬉しい。其方の都合だと明後日かな」
『了解。いやあ、それにしてもカコリスが大学生とはな~……でっかくなったな』
「…………親戚のおじさんか?」
『ははは、気分はそんなもんだな。どうだよ、楽しいか? 大学生は』
「忙しいけれど楽しいよ。友達も増えたし」
『そうか。良かったな』
また今度ゆっくり聞かせてくれ、と笑いながら、ヒデヒサはやはり軽い調子で念話を切った。
* * *
それから一週間と二日が経った。此方から念話をかけることも考えたが、向こうの都合もあるだろう、と待つことにした。念じるだけで会話が出来るところは便利だが、思考をそのまま送る分、ゆっくりと時間が取れるときでないと他への注意力が散漫になって危ないのだ。
恐らくヒデヒサは土曜日に連絡が取れなかったので次の週に回すつもりでいるのだろう、と判断したのもある。
思った通り、土曜の夜にパソコンデスクに腰掛けレポートを片付けつつ待っていると、ヒデヒサから連絡があった。保存してから手を止め、答えを返す。
『聞いてくれ、陛下がループ経験者だった』
「…………は?」
『先週王城に行って話し合って来てさ。一応、陛下も最近のお嬢様が真っ当に育ってくれたことは認めてくれたんだが、やっぱり自分の力を自覚させることには躊躇いがあるって話で。俺が訝しんでいたら、そう思うに至った事情を話してくれたんだよ』
「………………巻き戻されていた世界で記憶を保っていた人間がいたってことか?」
『そう。それが陛下だった』
返事に窮した俺に、ヒデヒサは普段よりはやや真剣な調子で『陛下から聞いた話』を伝えてくれた。
陛下はおよそ七度分の世界の記憶を朧気ながら持っていること。『聖女リーザローズ』による国の破滅を経験していること。今回の世界が限りなく上手くいっているのはヒデヒサの存在が大きいと思っているが、『リーザローズが己の力を自覚していないこと』が理由であるという予測を捨てきれないこと。これらのことから、しばらくは聖女に真実を告げないでいたいこと。
そして、それらを聞いたヒデヒサはそんな陛下を安心させる材料がなかったためにその提案を受け入れ、お嬢様にはやはり真実を伏せた説明をしたのだという。
ヒデヒサはロレリッタ家の執事として雇われてから数年後に、旦那様の推薦によって陛下の腹心となった──ということになっている。そこにはヒデヒサの『特殊な能力』が関係しており、他国の間者への牽制や聖女という存在への抑止力のアピールのため、人前ではお嬢様を罵倒する必要があるのだ、という説明をしたらしい。
罵倒の原因をお嬢様の性質ではなく、ヒデヒサの性質として処理した訳だ。多少強引な誤魔化しは、陛下直々の手紙、という点で補強している。要するに、お嬢様が納得すればそれで良いからだ。
「……それでお嬢様は? どうだったんだ?」
『まあ、割と素直に受け入れたよ。旦那様からも事情があって話せないこともある、と連絡が行っていたようだし。あの時はルナ嬢が負傷していて気が動転していたのもあるから、元気な姿を見て落ち着いたのもあるんだと思う』
「ああ、そうか。無事に目を覚ましたんだな」
俺が聞いたのはルナ嬢の治癒が終わったところまでだった。その日の内には目を覚まさなかったという話だったからどうなることかと思っていたが、無事に目を覚ましたなら何よりだ。
心配が声に出ていたのか、ヒデヒサが連絡が遅れた詫びを口にする。ああいや、そんなに気にしないでくれ、多分大丈夫だとは思っていたから。
何せ、彼女の光魔法の力は俺も身をもって知っている。
……どうせ治せるのだから幾ら傷つけても良い。『あの女』は、そういう考え方をする人間だった。
記憶の蓋が開きそうになり、受け流すように溜息で誤魔化しながら言葉を探す。しかし、短い沈黙から諸々を察したらしいヒデヒサが間を埋める方が早かった。
『説明した時にだって別にいつもと態度も変わらんかったしな。終わったことをいつまでも気にするたちじゃないから、もういつもの勢いを取り戻してたぜ。廊下も走るし』
「……未だに走るのか」
『幼少期に走らせすぎたかな……とはちょっと思っている』
「反省するところはそこなのか……?」
返ってきたのは笑い声だけだった。こら、笑って誤魔化すな。
育て方間違えたかもしれん、これはいよいよ婚約者を探すのが大変かもな、と零すヒデヒサの呟きを聞きながら、今度は此方が誤魔化し笑いを浮かべる。大分乾いた笑いになったが、ヒデヒサが気付く様子はなかった。
これ幸いと、やや真面目な方向に話の舵を切る。
「一つ気になったことがあるんだが、いいか?」
『ん? どうした』
「……陛下の話が正しいのならば、世界の繰り返し、というのは陛下の幼少期のタイミングで行われているということだよな?」
『あー、それは俺も気になった。それより前にも後にもなってなさそうな感じなんだよな。そこが女神の限界値なのか、意味があってそこに戻してんのか、それとも、』
「……それ以前の世界がそもそも無いのか」
考えていたことを口にすれば、ヒデヒサからはあっさりとした相槌が返ってきた。彼の予測の内にも入っていたことらしい。
陛下が生まれてから、国が滅ぶまで四十七年。五十年周期で生まれるとされる魔王を倒したことを知る人間はいても、魔王を見たものはいない。
無論、魔王の討伐に必要な設備や計画、訓練法は伝わっているし、聖女の存在も確認されていて、『討伐されていた』という過去は存在している。だが、それらが『本当にあったこと』だと証明できるものは、恐らく本当の意味では一人もいないのだ。
『俺が気になったのはさ、今回は俺がいるから何とかなってる〝光魔法の依存性〟をこれまでの歴史ではどうしてたんだ?って話なんだよな』
「五十年周期で魔王が現れ戦ってきたのなら、仮に悪意がなくとも光魔法の効果で再起不能になった人間は出ているだろうし、表立って戦う聖女の使う魔法の特性をいつまでも隠し切れる訳がない、とは思う」
『まあ、もしかしたらめちゃくちゃ頑張って隠し通せたり、昔の光魔法はそんな性質持ってなかったり、そもそも全員疑問を持たなかったのかもしれないけど。歴史にしろ特性にしろ、魔王を倒す、っていう共通目的を持つために誘導されてる気がしないか?』
「それが目的である以上はそれなりにお膳立てはされているだろうな……。魔王を倒し切ることで初めて先の歴史に進めるからやり直している、という可能性もある。これまでの魔王戦も、勝てない内はやり直していたのかもしれない」
『……直接答えが聞けない以上は単なる憶測だからなー、この念話が女神にも届けば便利かもしれんが』
半ば独り言じみた声音でぼやいたヒデヒサは、なにやら考え込むように口を閉じた後、気を取り直すように言った。
『どちらにせよ魔王を倒してこの世界を平和にすることに変わりはないけどな。仮にループしている場面以外の世界が本当は存在しなかったとしても、今ここで生きてる人たちは本物だ』
「ああ、そうだな」
食べ歩きに励むヒデヒサは、活気ある街を作るパージリディア国の民を限りなく好意的に捉えている。
食を支える商人や料理人、日々を真剣に生きる人間と触れ合うたびに眩しそうに語る彼からは、素直な尊敬の念が感じ取れる。だから、俺は思い浮かんだ言葉をそのまま飲み込んだ。
もし仮に、この世界が魔王を倒すためだけに女神に作られたような代物なら、そんな世界を救うためにヒデヒサが命をかける必要はないんじゃないか。
そんな、俺の方がよほど人でなしだと言えるような言葉は口にするべきではない。たとえヒデヒサの身を案じてだとしても。
だから、俺は代わりに願うように呟いた。
「生きて帰ってきてくれ、ヒデヒサ。たとえ魔王戦で死ぬことがカコリスという存在の役割だとしても、これまでの世界を変えたみたいに捻じ曲げて生き残ってくれ」
世界から逃してもらった無力な俺には祈ることしかできないし、なんなら祈る権利すらないかもしれない。それでも無事を願わずにはいられなかった。生き残って、美味いものを食って幸せに生きてほしい。
何もできないというのは本当に歯痒いものだ。悔しさが声に出てしまった俺に、ヒデヒサは軽い調子で笑ってみせた。
『気が早いなー、まだ二年弱あるぜ?』
ひとしきり笑ったヒデヒサには、俺の胸の内は伝わっているのだろう。精一杯努力はする、と返ってきた言葉には強い芯があった。
『でも魔王を倒して魂を結んだらお嬢様には迷惑かけちまうんだよなあ。どのくらい離れても大丈夫か知らんが、厄介者の俺の存在も許容できて婚約してくれる男をあと二年で見つけとかないとな』
「……………………………ソウダナ」
何故お嬢様の胸の内は一切伝わらないんだろうか。遠い目で天井を見上げた俺の耳には、明るいヒデヒサの声が半分ほどすり抜けて響き続けていた。




