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第一話



 我がロレリッタ公爵家のお嬢様は豚である。

 それはもう、まん丸に肥えた豚でいらっしゃる。


「お嬢様! 何を怠けていらっしゃるのですか! 脂肪の塊に休息などありませんよ!」

「う、うう、うるっさいわね! だまってなさい! セバスチャン!」

「私の名前はカコリスでございます! ミートボール様!」

「わたしのなまえはリーザローズよ!! このウスノロ!!」


 ぽいん、ぽいん、とまんまるのミートボールが庭をかけている。

 八歳にして立派なボンレスハムのような腕を振り回し、パンパンのほっぺを真っ赤に染めながら必死にランニングを続ける小さなミートボールは、名をリーザローズ・ロレリッタと言う。


 国内でも有数の力を持つ公爵家の御令嬢。三歳の魔力測定で『聖女』の資格を持つ光属性の魔法を発現し、第一王子の婚約者候補にも上がっている(現在保留中である/理由は謎である/ということになっている)麗しの姫君。

 王家の血筋である母君と王国騎士団長である父君から幼少期より多大な愛を受けた彼女は、その愛を肉に変え、今日も元気にまんまるころりんと肉のボールと化している。


 そしてその横で筒状に丸めた新聞をメガホンにし、野次と罵声を浴びせているのがロレリッタ公爵家の新米執事、カコリスこと俺である。厳密には違うが、定義上は転生者である。

 前世の名前は永松(ながまつ)秀久(ひでひさ)だ。なんか自爆して死にそうだな、と皆に笑われていた名前が今では懐かしい。


 先ほどお嬢様に向けて訂正こそしたが、カコリス、というのはこの身体の名前であって、俺の名前ではない。

 今は俺がこの身体の持ち主なので、まあ俺の名前と言ってもいいんだが。ついでに言うと、永松秀久は正確には前世の名ではなく、現在も俺の身体の名前としては使われている。


 なんかややこしくなってきたな。


 経緯を説明しよう。現代日本に生まれ、そこそこ平凡な家庭で育ち、食べ歩きにハマり、横にも縦にもふくふくと育ち、デブによるデブのためのデブのプライドをもってデブをやっていたエリートデブこと俺、永松秀久は、現在、このロレリッタ公爵家に下僕として拾われた孤児カコリスと、世界を跨いで身体を入れ替えているのだ。


 二十歳の誕生日、俺は『太く短く脂ギッシュに生きて死ぬ』の座右の銘の通り、テカテカの身体に満ちた脂肪が心臓にかけた負担によって死んだ。

 そして同時刻、この異世界ウルベルトシュで災厄の魔王を相手に戦っていた聖女パーティの中で、肉壁として連れられていたカコリスが、十六歳の聖女──現在は八歳のボンレスハム──リーザローズ・ロレリッタを庇って死んだ。


 口の中で石を転がして空腹を誤魔化し、憲兵に媚を売ってボロ雑巾のような衣類を貰って寒さをやり過ごし、突然現れた公爵家の旦那様に拾われたかと思えば娘の玩具として心身を弄ばれ、挙句ただの肉壁として扱われた哀れなカコリスの命が、そこで尽きた訳だ。


 元よりそのつもりで選ばれた存在だ。カコリスもそれは分かっていた。だからこそ誰にも心を開かず、誰とも信頼を育むことなく、誰もカコリスの死を悼んだりはしなかった。あまりにも強大すぎる魔王の力に対抗するので精一杯で、気に掛ける余力がなかったというのもあるだろう。


 だが、決死の思いで、半端ながら魔王を封じ込めた後も、誰もカコリスを讃えることはなかった。いつまた復活するのかも分からない魔王に怯えながら暮らす人々は、生還した聖女パーティは完全無欠であり、今度また危機が訪れても問題無く対処してくれる筈だと信じたかったのだ。

 元より魔王を完全に封じ込められていない時点でそんなものはまやかしだというのに。まやかしでも、信じるために、群衆は命を落としたカコリスをパーティの落伍者として扱い、『居なかった者』とした。


 死後、天界へと招かれたカコリスは、その生涯をあまりにも不憫に思ったと語る女神により、魂の転生を望まないか、と持ちかけられたそうだ。これより世界の時を戻すから、記憶を持ったままよりよい人生をやり直さないか、と。

 カコリスはそれを拒んだ。同じ世界で同じ存在として生きるなんて、もう二度御免だと泣いた。


『貴方は聖女のパーティが魔王を完全に滅することが出来なかったから、俺に干渉して世界をやり直して、今度こそ完璧な平和を望んでいるだけだ』


 死んだ後も利用されるなんて御免だ、俺は道具じゃない。人間だ。もう誰にも良いように使われたくなんかない。


 カコリスはそう泣いたそうだ。それまでの生涯で、生理的な苦痛以外で涙を零したことは無い彼が、こんな世界は大嫌いだと、そんな世界を支える女神の前で言った。

 女神はウルベルトシュに産まれる存在に祝福を与えて天界から送り出すが、世界に組み込まれた存在に外部から干渉することは出来ない。出来るのは世界そのものを巻き戻すことか、世界に組み込まれる人間の存在を創造するくらいだ。

  カコリスという存在を生み出したのは今回が初めてで、現状、今回の世界が最も『マシ』な状態だったのだという。カコリスに詰め寄られた女神は、これが十度ほど繰り返した歴史だと白状した。


 どうやら女神にとってはこの世界に生じた魔王を完全に封じる必要があるらしい。言葉を交わす中でそれを察したカコリスは、湧き上がる衝動に任せて叫んだ。


『貴方が元凶じゃないか、貴方が世界をこんな風にしたからいけないんじゃないか。こんな世界に生まれたから俺は、俺は!』


 カコリスは痣と火傷だらけの腕で女神を叩き、まるで小さな幼子のように蹲って泣いた。

 『お前は聖女が生き延びる為の肉壁として生まれてきたのだ』と、まさか創造主から言われるとは思っていなかったに違いない。神には人の心が分からないのだ。くそったれである。

 だが、泣き言ひとつ言わずに与えられた役割を全うしたカコリスに同情していたというのは本当のようで、女神はしばらく悩んだあと、ひとつの案を持ちかけた。


 それが、奇跡的な偶然により全く同じタイミングで死んでいた俺と魂を入れ替えないか、という申し出だ。

 『カコリス』という存在は世界に必要だから、その中身を代理の者にやらせよう、という話だ。やはり神には人の心が全く分からんのである。くそったれであった。


 それではその選ばれた存在に迷惑がかかる、あんな思いをさせる訳にはいかない、とカコリスは、そこで僅かに諦めを見せた。誰かが自分の代わりになるのなら、そんなことになるならばもう一度やる、と言い出したカコリスを、謎の透明な壁をぶち壊す勢いで飛び出し、カコリス2.5人分の質量でもって押し退けたのが、俺こと永松秀久である。


『────その話、引き受けた!!』


 必殺とんかつタックル。とんかつの争奪戦時に発揮したことでつけられた技名である。ヒョロガリのカコリスは三メートルほど吹っ飛び、呆然と宙を五分見上げてから、ぶつかってきた肉と脂の塊を見つめた。目が合った俺がバチン、とウインクを決めると、得体の知れない化け物を見るような目を向けられてしまった。なんだ? デブを見るのは初めてか?


『い、……いけません! 貴方は、貴方が、あの、誰だか知りませんが、貴方にはあの苦しみが分からないのです! だからそんな風に簡単に引き受ける! 察するに貴方は裕福で、きっと食べ物にも恵まれていたんでしょう、そんな方が俺のような扱いをされて我慢出来る筈がない!』

『だからこそだ!』

『は、は?』

『君は美味しいものを腹一杯、我慢することなく、誰にも遠慮することなく、肥え太り、その結果死に至るほど欲望のままに食べる喜びを知らない!』

『し、死ぬのは不味いのでは……』

『俺はもうそれを知った! 限りなく幸福であった! デブの一生に悔い無し!』


 食べたことのないものはまだまだ世界に沢山あった。だが、俺の胃は常に美味しいもので満たされ、俺の脳は常に幸福に満たされていた。食の喜びだ。この世の春である。

 彼はそれを知らないという。そんな不幸があってたまるものか、と思う。この世に飢えで苦しむ者は沢山いるだろう。俺はその人間全てに手を差し伸べることなんて出来ない。だが、今この時、誰かの為に自分の苦しみを受け入れようとしている彼の為には、このぶっといソーセージみたいな指がついた手が役に立つのだ。


『この手を取ってくれ。君は食の喜びを知らねばならない』


 差し伸べた手を、カコリスは散々──具体的には二十五分ほど──長い──迷ってから、そっと取った。


 そういう訳で、俺とカコリスは魂を入れ替えて、それぞれの人生をやり直すことになったのだ。



 誕生から十年。正直に言えば、キツかった。

 自分に肉壁としての死が待ち受けている、という運命が──ではなくて、美味しいものが好きに食べられないというのは、それだけで苦痛だった。

 なので俺は迷うことなく、カコリスの顔を使って若い女を釣った。痩せこけてこそいるが、なんとも麗しい美少年なのである、カコリスは。そもそも天界であった時も、みすぼらしい格好なのに何処となく、原石的に輝いていやがった。


 出来る限り身なりを整え、『貧しい子供に優しくすることで自尊心を満たす』タイプの女性に近づき(言っておこう、俺は性格が悪い)、控えめかつ庇護欲を誘うように乞い、僅かばかりの食糧と、身体を洗える場所を得た。

 二年後、細々とやりすごしていたものの貧民街のボスに目を付けられた時には平身低頭し、靴でもなんでも舐める勢いで謙った。ついでに憲兵の調査が入ってくる日をそれとなく伝えておいた。女から得た情報である。その頃には俺の情報網は、既にボスであろうと無視できないレベルに育っていたのだ。あと、美貌も。


 そうこうしている内に、公爵家が『使える魔力持ちの孤児がいる』と聞いて貧民街にやってきた時には、俺はボスの右腕として重宝されていたりした訳だ。十三歳の頃である。

 問答無用で連れ去ろうとする公爵家相手にいつもの舌先三寸でああだこうだと理屈を適当に捏ね、『下僕』ではなく『お嬢様の執事』として入り込むことになった。



 そして一年。現在の俺は、お嬢様の専属執事として、このミートボールを庭先で転がす日々を送っている。


「おデブ様!! フォームが乱れておいでですよ!! 公爵令嬢ともあろう方が、御自分の手足の使役もままならないのですか!」

「もはやデブって言ってるじゃないの! すこしはとりつくろいなさい! あとふぉーむって何よ!」

「姿勢でございます! この間説明したのにもう忘れたのですか! デブは覚えたのに! 頭にハムでも詰まっているんですか!」

「つまってるわけないでしょ!! そもそもわたくしに分からないことばをつかうなんて、ふけいですわ!! 首をはねますわよ!!」

「ペースが落ちていますから今日のタスクはなるはやでシクヨロですよお嬢様!」

「本当にはねますわよ!?!?」


 どうしてこうなったのかと言えば、まあ、正直俺にもよく分かっていない。

 雇われて半年が経つ頃だったろうか。あんまりにも娘を甘やかし、甘やかされるままに肥え太るお嬢様を見ている内に苛立ちが募った俺が、とうとうキレてしまったことだけは覚えている。

 『貴方は食を愚弄している! 食べる喜びも知らぬまま太りおって! デブる資格もないわ!!』と怒鳴りつけたことは覚えている。いや、なんだか本当に我慢がならなかったのだ。出されたものを完食せず捨てる一方で好きなものは大して味わうわけでもなく貪り食い、むくむくと真ん丸のミートボールになっていくと同時に増長していくこの御令嬢と、それを助長する公爵家夫妻が、なんとも我慢ならなかったのである。


 当然、キレたその日に旦那様から折檻を受けた。ので、折檻を受けつつも馬鹿でっかい声で主張しておいた。地下牢だったので屋敷の者に声は聞こえていないだろう。


『旦那様だって薄々気づいているのではないですか!! あの奥方様に似た麗しい姫君が徐々に醜い豚に変わってしまっていると!! 理解しているからこそ今日私が怒鳴った時にやや気まずそうに目を逸らしたのではないですか!! お嬢様を溺愛する奥方様の手前私に折檻せざるを得ないことは理解しています!! ですが!! だからこそ!! 私にお嬢様への罵倒と叱責を許可するべきなのです!! 旦那様はお嬢様に嫌われたくない!! そうでしょうとも、あの麗しい、この世に生まれ落ちた宝石のような姫君に嫌われるなど胸が張り裂ける思いでしょう! ですからその輝きが鈍くなろうと際限なく愛を与えてしまう!! ですが!! 私は違います!! 道端のゴミのような私ならばお嬢様にとっては元からゴミ!! 重々承知の上ですから私はあの麗しい姫君にどんな侮蔑を受けようと屁でもありません!! 私に許可を与えて下さればきっとお嬢様を〝社交界の蒼き宝玉(おくがたさま)〟の再来かと思わせる美しい御令嬢になるまで、シュッと、シュッ!!と縮めてごらんに入れましょう!! はい!! もう少し叩いておいて下さいませ!! 手を止めてはなりません!! その程度の傷で愛するお嬢様を傷つけられた奥方様が満足するとお思いですか!? 背中に痕が残るくらいに強く!! そうです!! そして私に許可を下さいませ!! 必ずやお嬢様をこの大陸、いえ、ウルベルトシュ全土に知れ渡る奇跡の宝石として輝かせてみせましょう!! しかも!! 旦那様が一切お嬢様に嫌われずに済む方法で!!』


 以下、三時間ほど説得し、俺は旦那様から『お嬢様の教育権』を得た。奥方様は非常に、そりゃもう般若か?と見紛う勢いでキレていらっしゃったが、旦那様が何やら耳打ちし(恐らく、俺にヘイトを集めてお嬢様の体型矯正をする案を伝えたのだろう)、渋々といった様子で納得したようだった。

 よかった。『リザちゃんはあれが一番かわいらしいんですのよ!』と言われたりした日にはもう一度キレてしまう所だった。


「もう、もういや~~!! このウスノロ~~!!」

「叫ぶ元気があるなら大丈夫でしょうとも! はいあと一周!!」

「おがあざまあ~~~~!!」


 奥方様に助けを求めつつ庭を駆けるミートボール。恐らく聞こえてはいるし、涙ぐんでもいるが、最近ちょっと痩せたミートボールが本来の美しさを取り戻していることを感じてぐっと堪える奥方様。いつ俺が本当に首を刎ねられるのか、戦々恐々とする使用人達。

 今日の公爵家も、至って平和であった。魔王降臨まであと八年。それまでにはこの真ん丸ミートボールを、素晴らしい聖女にせねばならない。故に、まずは運動である。いざという時に己を救うのは己だけだ。動けるようになっておくべきである。


 どうでもいいが、俺の前世は動けるデブであった。

 心臓に負担が掛かるので、多分本当は動いてはいけないデブだった。


 さて、そんなデブであった『永松秀久』として生きるカコリスの方だが、どうやら結構順調に年を重ねているらしい。


 女神様の計らいというやつで、俺たち二人は望めば心で会話が出来るようになっているのだ。仕組みを作るのが相当しんどかったようで麗しの女神が四つん這いでゼェハァ言っていたが、まあ、このくらいはしてもらってもいいだろう。

 俺たちは月に一度ほど、お互いの近況報告として通話──念話?をしている。昔は情報交換もあって週に一度だったが、最近は俺からかけるのはよほど面白いことや困ったことがあった時くらいだ。カコリスは律儀なやつなので、きっちり月一でかけてくる。


『今日もお嬢様の特訓とやらをしたのか?』

『ああ、中庭を五周させてやった。あいつにはデブを保つ資格はないからな』

『……お嬢様を相手に……相変わらずスパルタだなあ、ヒデヒサは』

『周りの奴らが甘すぎるんだよ。だからあんな風に育っちまったんだ』


 舌打ち混じりに語る俺に、カコリスは苦笑いを浮かべる。


『ある意味優しいのかもしれないな』

『ん? 俺はいつでも優しいが?』

『……あー、ハハ、そうだな。ウン』

『カコリス?』

『いやいや、ハハハ』


 ハハハハ、と愛想笑いが響き、幾つか世間話を挟んでから、念話は切れてしまった。失礼な奴だな、と思うが、あのカコリスが人様に失礼を働けるようになっているなんて、ちょっとした感動を覚えるのも事実だった。

 カコリスの入った『永松秀久』は現在十四歳。成績優秀、スポーツ万能、人当たりの良い好青年で、やたらめったら人気があるようだ。本人に一切自覚がなさそうだが、完全にハーレム主人公みたいな人物相関図が出来上がりつつあった。最近は新しい名前が出る度にメモしているくらいだ。

 ま、幸せに暮らしているなら何よりである。


 新たに出会ったらしい『クーデレ美少女』の名を手帳に書き加えてから、俺は明日のトレーニングメニューを考えつつ眠りについた。



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