お礼の手紙 ⑵
私の言葉にフェシーもまた私を見つめていたが、長い見つめあいの末、視線を逸らしたのは彼の方だった。大きなため息とともに、彼は言う。
「分かった。別に僕も、法がどうの、と言う気は無い。ただ……腹が立っただけなんだ」
「……なに?」
「え?」
怒っていた?彼が?
瞬きを繰り返していると、フェシーがじっと私を見た。物言いたげな視線だ。
「きみの髪はせっかく綺麗な栗色だったのに。それを切らせる──切らせたことに怒っていただけだよ、僕は。……もっと言うと、きみの誘拐を防ぐことの出来なかった自分に、怒っていただけ。だから、完全に八つ当たり。……ごめん」
「…………」
思わぬ言葉にびっくりして瞬きを繰り返す。
(フェシーが八つ当たり?)
彼が怒っていたのは、気にしていたのは、ルデンの王太子妃が害されたから、という理由ではなく──。
(私が髪を切ってしまったから……?)
綺麗な栗色だと彼は言った。
私からしたら何の変哲もないただの茶髪だが、彼は気に入っていたのだろうか。
そんなに、大切に思ってくれていたのだろうか。その言葉がじわじわと浸透して、ゆっくりと意味を理解する。頬が焦げるくらいに熱を持った。思わず何を言うべきか迷い、黙り込んでしまった私に、彼もまた私の照れが伝染したのだろう。
彼の目元はうすらと赤くなっていた。
「……きみが手紙を出したいのなら出して構わない。手紙の内容だけ、後で見せて」
「え、ええ」
熱くなった頬を誤魔化すように紅茶を口に含む。
先程入れてもらったばかりだと思っていたのに、すっかり冷めてしまっていた。少し離れた先で、ミアーネがにやにやと含み笑いをしているのが見えた。
「………髪はすぐ伸びるわ」
「うん、分かってる。……分かってるんだけど、ごめん」
未だに恥ずかしさが引かないのか、ついにフェシーは口元を覆うようにテーブルに腕をついた。
私はそんな彼を見ながら、言葉を続ける。声はとても小さくなってしまった。
「これからずっと一緒だもの。髪が伸びるのなんてあっという間よ」
「…………うん」
少し間を開けて彼が言葉を返す。
冬が近づいているとは思えないほど暑くなってしまって、私たちは互いに不自然に黙り込むのだった。
***
──後日。
最近、突如として王太子妃であったアヤナが国家転覆罪で裁かれたというのは一大ニュースとなっていた。
暗殺を遂行する前にその本人が断罪されてしまったのである。彼の計画は頓挫し、立ち消えとなっていた。
そんなある日。彼のもとに一通の手紙が届く。
「なんだこれ」
封筒の裏を見るが、名前はない。
明らかに怪しいが、見ないという選択肢は彼にはなかった。刃物が仕込まれている可能性も考え、慎重に封を切る。
中には、たった一枚。白い便箋が入っていた。
【お世話になりました。ありがとうございました、とても助かりました。
ユーリ】
それだけの短い簡素な手紙。
その名前を見て、グランはそういえばそんな娘と会ったなと思い出した。ユーリと名乗る茶髪の娘との出会いは劇的だったが、その後に起こったアヤナの失脚が衝撃が強すぎて、忘れかけていた。
ほんの少し髪を切るだけでよかったのに、変に思いきりの良かったあの女。
指輪を売った金のうち、必要な分以外は全てグランに押し付けてきたのだ。本当に変わっている。
どこぞの侍女だと話していたが、不審な点が多すぎるのであれは嘘だと思っている。
とはいえ、あの時は使えるものはなんでも使いたかった。あの女がどう動くかなどグランには全くわからなかったし、アヤナの失脚には一切関わりがないのかもしれないが、それでもあの時は出来ることは全てしたかった。
ビヴォアールの王子、ガレットは若いながらも優秀として国民の誇りのような存在だった。
しかしアヤナが現れ、全て狂い始めたのだ。元々ガレットは女にうつつを抜かす愚かな人間だったのかもしれない。今まで偶然、アヤナほど好みの女が現れなかっただけであり、その本性を女が暴いただけなのかもしれなかった。
グランを始めとする情報が圧倒的に不足している国民はそう考えたが、しかし真実はどちらでもいいのだ。
アヤナが現れる前、少なくとも今王が打ち出す政策は公平性を保っていた。
平民からの無理な税を徴収することも、明らかに貴族を優遇した政策ばかり打ち出すこともなかったのに、アヤナを妃に据えた途端、ガレットはおかしくなったのだ。
暴走するガレットは議会を飛び越え、独断で動くことも多かった。
割を食うのは王政のもと暮らす国民である。
災いの元凶はアヤナである──少なくともアヤナがいなくなれば、今の苦しい状況は変わるだろうとアヤナ暗殺計画は練り始められた。
ユーリと出会ったのは偶然であったが、明らかにわけアリ娘である彼女がなにかこの状況を動かす一投になるのではないかと彼は考えたのだった。
あの女の正体が何だったのか、素性が気になったものの、どちらでもいいかと彼の興味は直ぐに消えうせた。
何はともあれアヤナは断罪され、ユーリと名乗る怪しい女も無事家に帰ることが出来たのだから。
「……さて、今日も働くか」
彼はふっと笑うと、秩序が戻りつつあるビヴォアール城下町、家の前で手紙をぐしゃりと握りしめた。
【お礼の手紙 完】




