恋心(3)
我が国のお国事情は置いといて、私はスカートのポッケから渡すべきものを取った。そしてそれをフェシーに差し出す。
フェシーは差し出されたものを見て、目を細めた。
「これは?」
「ピンクドロップと言われる花の根です。ええと、どこから説明すればいいのかしら………」
ハンカチに包まれたそれを見て、フェシーがそっと手を重ねた。びくりと思わず肩が跳ねる。
「大丈夫、全てわかってるから」
「え………?」
「これが魅了解除の薬だね。使用方法は根を煮出した白湯を飲ませればいい。違いないかな?」
「………殿下、一体どこまで」
そういった時、そっと唇に人差し指をあてられた。そのひんやりとした感覚に思わず意識がそちらに向く。
戸惑っていると、フェシーが口の端を少し持ち上げた。僅かに瞳も細めて、まるで笑んでるように見える。
「話すのが遅れたね、ユティの事情は大体はわかる。手がかりになったのはこれだよ」
そしてそっと手を離して、彼は胸のポケットから何かを取りだした。小さな小箱に入ったそれは、まるで装飾品を入れるケースのようにも見えた。
それを見て、まさか、という思いが募る。
「ユティがこれを手放したおかげで、僕は君の位置が分かった。まあ、結局きみがあの男爵家に行くことは予想していたんだけど。明確な日にちまでは分からなかったからね。非常に助かったよ」
小箱を取り出して、そっとその蓋を開ける。果たしてその中に入っていたのは私がルデンの王太子妃だと示すための指輪だった。小さなアンブリゴナイトの石とブルーサファイアの石が銀色の台座に嵌っている。
アンブリゴナイトはフェシーの目の色に近くて、ブルーサファイアは私の目の色に近い。だからこそこの指輪が作られた。一度手放した指輪。まさか手元にまた戻ってくるとは思わなかった。放心した私の左手を、そっとフェシーがとる。
「どこから話そうか?えーと、まずはユティが攫われてから、だね。僕はきみが誘拐されたと知られないように協力者を増やし、あたかもきみがいるかのように振る舞った。そして次にやったのはこの国の不正の発覚だ。調べれば調べるほど埃が出るから近年稀に見る大掃除だったよ。アレらは、あの女のためならなんでもやっていたから証拠に事欠かなかった」
そう言いながらフェシーが私の左手をほっそりとした、だけど男性らしい長く節ばった指先で触れた。そっと指先に触れられて、軽い接触なのに胸が音を立てる。フェシーの話が全て右から左に流れるようで、必死に指から意識を切り離す。
そうするとフェシーは自然な動作で跪き、私の左手の薬指をとった。そしてするりと指輪を填める。ちらりと見ると、当然のようにフェシーの左手の薬指にも指輪があった。その何気ない事実にまたしても頬が赤くなっていく。結婚していると初めて実感した。
「あの女はまだ状況を把握出来ていない。僕もあえて追い詰めることはしなかった。確たる証拠が欲しかったから………。きっときみは誘拐されても逃げ出すと思っていたから、きみが男爵家でこの根を手に入れるのを待っていたんだ」
「わ、私が逃げ出すって………どうして」
逃げ出すというより馬車を大破させたのだが、あえてそこは黙っておく。そうするとフェシーはにこりと笑った。細められた瞳の輝きに思わず息を飲む。
「ユティはルデンの王太子妃でしょう?ただの貴族令嬢とは訳が違う。だからきっと、やり遂げてくれると信じていたよ」
その言葉にどくりと心臓が脈打った。
信じていた、その言葉は表面上なら綺麗なのだろう。だけど裏を返せばこれをこなせなければルデンの王太子妃として認められないということ。信じられない圧力に、私は唇が震えるのがわかった。
「………ごめんね、ユティ。きみを普通の令嬢のように扱うことはできない。きみはルデンの王太子妃だから………。きっとやり遂げる。そう思うしかなかったんだ」
「───」
フェシーが悲しそうな声で言った。
フェシーの言いたいことは、わかる。私も小国とはいえモンテナス国の王女だ。ただ嘆いて助けを待つだけのお姫様でいれば、それはルデンの弱みになる。
行動して、プラスになることをしなければならない。それはもちろんだ。だけど今になって感じる大国の王太子妃の重圧に心臓が痛くなった。
だけど。
でも。
「……それは、褒め言葉として受け取っていいのよね?」
「え?」
照れが勝って上手く話せなかったはずなのに、この時ばかりは上手く口が動いた。考えるよりも先に言葉が滑りでる。
「たしかに今の私はルデンの王太子妃よ。でも、私はモンテナス国の王女で、それは立場が変わり──王女ではなくなり、他国の王太子妃になろうとも。私の心までは変わらない。私は──私は、王族として、王女として、王太子妃として。自分が出来ることを、私がやるべきことをやろうと思った。自分の責務を放り出すような中途半端な生き方を、私はしていないわ。あなたのその憐れみは、私が今まで生きてきた人生そのものを侮辱するのと同じなの」
フェシーの瞳が見開かれる。
王太子妃だから、貴族令嬢のように扱えない?
王太子妃だから、強さを求められる?
そんなの、当然だわ。むしろ、それが当たり前。
そんなことすら出来なくて、務まらなくて、何が王族だというの。大事な時に臆するような王族は、人の上に立つべきではない。
「……ユティ、ごめ」
「だから、憐憫ではなく、歓喜なさい。こんな出来た女があなたの妻なのよ?もっと誇ってもいいくらい」
……まあ、ちょっと髪は切られてしまったけど。
でも最終的に根は採取できてるし!
結果オーライということで!
私が明るく言うと、フェシーはふ、と笑った。破顔したようだった。
(わ……かわい)
恋心を自覚したばかりの私は有り得ないくらいちょろい。
胸が思い出したように騒ぎだした。
「ありがとう。きみは本当によくできた奥さんだ。……僕は幸せ者だね?」
「っ………」
「今日は疲れただろう。ゆっくり寝た方がいい。明日、また起こしに来るから。そしたらルデンに帰ろう。……僕が来るまで部屋を出たらダメだよ」
そう言って、フェシーは踵を返した。
私はもはや、何も言葉にならなかった。
(奥さん……奥さんですって!!)
え?奥さん?いや、結婚してるものね!そうよね!
でも、響き……。響きが素敵すぎるわ……。




