逆襲
「……………?」
思考が一瞬止まる。夫が何を言っているのかわからず脳裏に小宇宙が広がった。
しかしステップはそのまま踏み出す。驚きすぎて脳が理解することを放棄している。
何事も無かったかのように踊る私に夫がまたしても言う。
「敬語、外そうか」
「二度言わずとも聞こえていますわ。あのですね、ご冗談はやめてください」
「冗談じゃないよ、夫婦仲いいならいつまでも敬語なのはおかしい。あと、お互い愛称で呼ぶべきだよね」
「…………」
確かに、正論である。
正論であるからこそ、腹が立つ……。
(このひと、自分が初対面の時何言ったか忘れているの?)
上辺だけとはいえ、夫のことを愛称で呼んで敬語をなくして話す?
えー……嫌だ。
だけどこれが個人的なことではなく理由あっての事だということに断ることができない。
(お綺麗な顔と言い……世の中は不公平だわ)
立場を理由に断れない妃とか。
私は夫と視線を合わせないようにしながらそのままターンを取った。くるりと視界が揺れてドレスが広がる。
「ルデンならともかく、ビヴォアールで夫婦仲を良く見せることに何の意味が?」
アヤナ様対策?
「やりすぎなくらいがちょうどいいんだよ。そうすれば自ずとしっぽを見せてくるはずだから」
「?ですから、なんの話ですか」
「ね、やる?やらない?」
ちょうどその時曲が終わりを迎え、ダンスが終わった。華やかな雰囲気があたりにただようが、私たちの会話は全く華やかではなかった。そのままそっと離れると、私はちらりと夫を見た。
視線があい、意味深に夫が微笑む。
なんだか釈然としない。しない、が国交が絡んだ思惑?ということであればルデンの王太子妃として断ることは出来ない。
視線が絡んで──逸らしたのは私だった。
「……仕方ないです。分かりましたわ、フェシー、と。そうお呼びすることにします」
(このひと目力強すぎない?)
「敬語」
「善処しま………するわ」
「うん」
そう言うと夫………フェシーが満足そうに微笑んだのが気配で分かった。
やっぱり悔しい。どうしてかやっぱり悔しい。
フェシーの思惑通りということに手のひらで転がされているような感覚を覚える。
でもこの関係もビヴォアールにいる間だけ。ルデンに戻ったら何事も無かったかのように元に戻れば………いや、仲が良さそうに見えるのは私にも利点がある。というか、利点しかない。
王太子と仲睦まじい王太子妃となれば打ち捨てられることもないだろうし、貴族に下に見られることも無い。なめた態度だって取られることは無いだろう。
そう考えるとこの関係は継続させた方がいい。いい、のは分かっているのだけど…………
やっぱり悔しい。
最初夫………フェシーから関係の拒絶を申し出てきたというのに、今になって名前で、しかも愛称で呼べと言うなんて。
その時になってふと気づく。
私、こんなに強い感情を持つってことは少なからずフェシーの存在が大きいということではないのかしら………?
すきの反対は無感情という。もし本当に私がフェシーに興味がなければ怒りや悔しみといった感情は浮かばず、無感情になるのではないかしら………。
(いやいやいや、しっかりなさい!ユーアリティ・ルデン!)
いや、人間としてバカにされれば誰だって怒るわ。
私は自分の感情の整理がうまくいってないことに気づいて、ため息をついた。
「仲が良さそうに見えればいいのよね?」
「ん?うん、そうだね」
「では、お言葉に甘えて」
そう、なら好きにさせてもらおうじゃない。
湧き上がった苛立ちを抑えることは難しく、私はにこりと微笑んでフェシーの腕をとった。そして女性嫌いと知っているにも関わらず彼の腕をぎゅっと掴む。
びく、とフェシーが固まった気がするが、引かない。元はといえば提案したのはそちらよ。私は一歩も引かない体制をみせ、そのまま腕を搦めた。
「あのさ?随分……情熱的なんだね」
「あら、フェシーはお忘れ?私たち、新婚なのよ」
そう、すっかりめっきりぱっきり忘れていたが私たちは新婚。
本来であればお熱い期間だ。突然の政略結婚だからまったくそんな意識はなかったが。しかし普通の新婚夫婦と言えば熱々で目も当てられない程イチャつくのではないかしら?
モンテナスにいた時に聞きかじった知識を元に私は自分の考える最大限のイチャつきを披露する。
ぐっと体を押し付けてそのままフェシーを見上げた。
完全に嫌がらせである。やめる気は無い。最近彼の掌の上で転がされているような気しかしないのだ。少しはやり返したってバチは当たらないと思う。
「っ、」
「ふふ、何か飲む?私、喉が渇いたのだけど?」
「う、ん………あの、ユティ、もう少し離れてくれない?」
「え?何かしら、愛しのフェシー?」
さすがの密着度にフェシーが言いにくそうに視線を彷徨わせる。
意外にも、その目元は少し赤い。
頬も僅かに染っている気がする。
女嫌いというより女に慣れていないだけのような反応だが、まあどちらでもよい。
大事なのはフェシーが困っているということだけだ。仕返しを存分に楽しんだ私はようやく満足して、ぱっとてをはなした。
元より痴女になる気は無い。
「私、飲み物取ってくるわ。知り合いも何人かいるし、少し挨拶にいってきます」
私はくるりとフェシーから距離をとると、フェシーに笑いかけた。
「えっ」
突然の私の発言にフェシーはやはり戸惑っていたけれど、ややあってため息をつく。もう通常運転のようだ。切り替えが相変わらず早い。
「分かった。僕も挨拶に行きたい人がいるから、また後でね」
「はい」
そうして、私はフェシーに背を向け侍従の元に向かった。実はかなり喉が渇いていたのだ。
侍従から、グラスを受け取り、モンテナス国にいた時に多少顔を合わせた知り合いと挨拶をしてフェシーの元に戻ると、彼は女性陣に囲まれていた。まるで、私が初めてルデンに来た時の再来のようである。
(あら〜……フェシーったら本当に女性にモテるのね)
本人が女性嫌いであることを考えたら気の毒だ。
仕方ない。ここは王太子妃である私の出番だろう。助けてあげるとしますか。周りの女性から非難の視線は向けられるだろうけど、このまま可哀想なフェシーを放っておくのも忍びない。
どんどん後ずさり、最終的に壁にまで追いやられているフェシーを見ると、なんとも同情心が込み上げてくる。
「フェ……」
ここは、愛称を呼んで牽制といく場面でしょう!
そう思って出した声は、しかし肝心の本人に遮られた。
「ユティ!良かった、遅かったね」
フェシーが、女性の腕を振り払って私の方まで歩いてきたのだ。そして引き寄せるように私の腰を抱いた。
「心配してたんだ。探しに行こうと思ってたんだよ?」
「そ、そうなの?ごめんなさい。心配かけてしまって」
とろけるような甘やかな眼差しと、優しげな声に困惑する。
フェシーは私の言葉にひとつ頷いて、優しいほほ笑みを向けた。
だ、誰?人格が変わるレベルの演技だ。
「失礼、ご婦人がた。彼女が私の妻、ユーアリティ・ルデンです。私の最愛の妻ですよ」
そう言って、フェシーは私の髪に口付けをおとした。
(……!?)
びっくりして固まる私の耳に、婦人たちの声が流れ込んでくる。
「あら……そちらが例の?」
「ずいぶん仲がよろしいんですのね。微笑ましいですわ」
「ユーアリティ様が羨ましくてよ。こんな綺麗な夫がいるなんて」
「本当よね」
ふふふ、と笑う婦人の声で我に返る。
ハッとして顔を上げた私は、ようやく顔を取り繕って挨拶を交わした。
「ご挨拶が遅れましたわ。私、ユーアリティ・ルデンと言います。……どの方たちも美しくいらっしゃいますのね。嫉妬してしまいそう」
茶目っ気を混ぜていえば婦人がたはころころと笑った。
「まあ!ユーアリティ様の方がお美しくてよ」
「そうそう。今度、おすすめの化粧品を教えてくださいな」
二、三言言葉を交わし、婦人たちは去っていった。
ようやく、ホッと息を吐いた。そして顔を上げる。
「……びっくりしました」
「ごめん。ユティが来て、助かった」
「ずいぶん追い詰められていたんですのね」
「……うん。彼女たちが、というより……ちょっと良くない記憶を思い出してしまって……」
「……?」
私が不思議に思って彼を見ると、フェシーはすぐに首を振って、話を戻した。
「でも、ユティが来てくれたから何とかなった。ありがとう」
「いえ……私はできることをしたまでだもの」
「うん。ありがとう」
(……なんだか、素直にお礼を言われるとくすぐったい気持ちになるけど、ここは素直に受け取っておきましょうか)
「どういたしまして」




