魔力譲渡
医師は言わなかったが、魔力脱汗症を治すにはもうひとつ、方法がある。
なぜ医師が口を噤んだのかは定かではないが、もしかしたら王太子夫妻の関係性を見抜いていたのか………それとも、純粋な治療法ではないが故に口にすることがはばかられたのか。
それはどちらでもいい。それをファルシアが知っている以上医師がなぜ口を噤んだのかは詮索するつもりはなかった。
ファルシアはぎしりとユーアリティの眠るベッドに腰掛けると、ユーアリティの髪をひと房持ち上げた。
そして長いアールグレイ色の髪にキスを落とす。
「ユティ。……ごめん」
一言謝罪すると、ファルシアはそのままユーアリティの髪を撫でた。時折乾いた布でユーアリティの汗をふきとる。
ユーアリティは小さくうめいた。うなされているのだろう。
眉を寄せて苦しそうに息をするユーアリティの眉に触れ、宥めるように撫でる。
ユーアリティが疲弊しているのは間違いなく自分のせいだろう。
ただでさえ他国で、そして周りはみな知らない人。知っているのは彼女が祖国から連れてきたミアーネという侍女のみ。
そんな中で頼れるのは自分しかいなかった。それは驕りでも傲慢でもなく、ただの事実。ユーアリティが頼れるのは新たに夫になったこの国の王太子だけだった。
ユーアリティ・ルデンという娘が、ただ16歳の少女であることを失念していたように思う。ユーアリティが大人びた顔立ちだというのもあるが、そんなことすら思い当たらないほど、ファルシアの頭は回っていなかったのだ。それを痛感する。
(僕は顔合わせの時、自分のことしか考えていない発言をした)
簡単に許されることではないだろう。現にユーアリティが熱を出し、その罪を思い知った気がした。
許されるつもりは無い。許して欲しいと言う気もない。ただ、今後共にいることは許して欲しい。烏滸がましいだろうか?
それが彼女に許されるかどうかは、このあと自分がどう行動するかにかかってくるだろう。
それをファルシアは再認識し、再度ユーアリティの頬に触れた。濡れた汗を指で拭う。
こんな時でもなければユーアリティに触れることはないだろう。そう思うと、この状況が役得のようにも思えるが、しかしこの状況を招いたのがそもそも自分だということに気づき、呆れたため息をついた。
「……きみが早く、良くなりますように」
ファルシアは身を乗り出した。高いベッドは二人分の体重を受け止めても音がならない。
そしてファルシアは、触れるだけのキスをした。
僅かにじわりと広がる熱の感覚は、魔力。魔力脱汗症を治すもう一つの方法は魔力の譲渡。
しかしそれは高い魔力を持つものが行わないと上手くいかない。譲渡する魔力が多いためだ。
しかしファルシアは国でも有数の魔力の保有者であり、そして魔術師の称号も配している。
魔力譲渡に不足はない。しかしこんな状況とはいえ、ユーアリティの意識がないのに口付けをするのは酷い罪悪感に駆られた。必要行為とはいえ、ユーアリティに合わせる顔がない。
しかもユーアリティが倒れた原因の一端が自分であるのならば尚更だ。
しかしそれ以上に浮上する感情を押しとどめるのにファルシアは苦労した。
触れた唇は熱のせいか、熱かった。
×××
ゆっくりと意識が浮上する。
なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。目を覚ますとあたりは暗かった。目がシパシパして両目を開けるのに苦労する。
ぎゅっと目を瞑ってからゆっくりと目を開ける。やはりあたりは暗い。
えーと………私、どうしたんだっけ………。
記憶を探ると、ちょうどアヤナ様と朝食をしたあたりで止まっている。
そのまま倒れた挙句、殿下にぶつかったような…………そこまで考えた時冷や汗が流れた。
あれっ!?ということは私………エレノーワ連邦国との会食、出られなかった………!?
公務を放り出したのはこれが初めてだ。しかも自分の体調管理の不備となればより頭が痛くなってくる。
ま、まずい………これは非常にまずいわ………大事な席だったはずなのに。
窓の外から覗くのは煌々とした黒。さすがに会食はもう終わっているだろう。いや、十中八九終わってるに違いないわ………
「………あーもう」
体調管理も出来ずに倒れた王太子妃。
役立たず以外の何物でもない。
公務すらまともに果たせない王太子妃はいらないだろう。
周りにどう思われたか、殿下に多大な迷惑をかけたかと思うと胃が痛いし後悔でどうしようもなかった。どうしてあのタイミングで倒れてしまったのか。
せめて自分の体調不良を把握していれば薬で抑えることも出来たのに。
気づかなかった自分が憎いし、歯がゆい。
そのまま黙り込んでいたが、やがて扉がノックされた。
私は居住まいをただして起き上がった。
まず夫には謝罪をして、そして………迷惑をかけた周りの人にも謝らなければ。しかし王太子妃ともなれば簡単に頭を下げてはならない。しかししっかりと謝罪をしなければ。自分の矜持が失われない程度に、相手に誠意の伝わる謝罪、そう思うと難易度の高さにまたしても胃が痛くなる。
「ユーリ様、お目覚めですか………、ユーリ様!目が覚めたのですね!」
入ってきたのはミアーネだった。
彼女を見て、私も体の力が少し抜けた。全く見知らぬ侍女だったら少し居心地が悪かった。




