牽制
このまま形ばかりの夫婦になってもいずれ私の立場をそれは脅かす。
愛のない王太子夫妻とは体裁も悪いし、側室の座を狙うものも増えるだろう。
その筆頭はおそらくリンジェラ・アースティ公爵令嬢。
(難儀なものよね、私も。ファルシア殿下も、公爵令嬢も。みんな)
私たちの間に愛がないと知るやいなや、リンジェラはかなり強気でくるだろう。
もし彼女が側妃にでもなれば私の発言権は弱まるし、立場も危うくなってくる。最悪王宮で日陰者扱いされかねない。
形だけの王太子妃…………そんなのごめんだわ。
それにどちらにせよルデンは大国。夫は大国の王太子。元王女とはいえ小国の出である私とは元々の立場が違う。結局のところ彼に嫌味を言うことは出来ても否を唱えることは私にはできない。
刷り込まれた身分制度はいつになっても効果を発揮する。
一般的に考えれば夫の態度はひどいものだろう。
夫婦としての関係は諦めろと言ってきたりほかの男を勧めたり。この話を周りにしたら誰もがひどいというに決まってる。だけどその発言をしたのがルデンの王太子となれば話は変わるのだ。
この世界はどこも女性の立場は弱く、貴族女性の使い道など政略的な婚姻しかない。
男性が圧倒的に優位なこの世界、理不尽なことを言いはすれ暴言をはかない夫はいい人に分類されるのだろう。
だけど昔から僅かにとはいえ恋愛結婚を夢みていた私にはひどすぎる仕打ちだ。
平凡に恋をし、平凡に夫を愛し、そして子を産み育てる………小国だからこそ許された希望を、まさかこんな形で打ち砕かれるとは。
ひゅぅ、と冷たい風が頬を打った。………寒い。私は手で腕をさすりながら夫に答えた。
「名は、ユティと」
「ユティ?」
「私のことは今後、そうお呼びください。それでは殿下、部屋に戻りましょう。風邪をひいてしまいます」
「……ああ、分かった。足元に気をつけて、ユティ。魔力灯がついているとはいえ薄暗いから」
「ありがとうございます」
殿下に愛称………ユアだとかユーリだとか呼ばれるのはなんだか嫌だった。
だからとっさにユーアリティを短くしたユティ、と呼ぶように彼に進言した。ユティも一応愛称に入るはずだ。周りで誰も呼んでいないけれど。まあ、私の名を短縮系で呼んでいるというだけで仲良しアピールにはなるはずだ。
私の目的は王宮での立場の確保。殿下との仲は正直どうだっていい、私の立場さえ危うくしなければ。
「もう一度……手に触れていいか?」
「殿下がお嫌なのでは?」
また振り払われるのは嫌である。
「いや、多分、大丈夫。……だから、一度だけ」
多分?怪しいけど……まあ、いいか。
もとより拒否する立場にはない。
私はちらりと夫を見てどうぞ、と先に手を出した。先程のように手を出してはねのけられるのはごめんだ。
「ところで、殿下は何を考えてらっしゃるのですか?」
「何を、とは?」
今度はしっかりと私の手を握り、夫がエスコートする。そのまま庭をよぎり、私たちは部屋へと向かう。
私の手も夫の手も完全に冷えていて触れ合っていても全く温かくならなかった。
「…………ガレット王子に紅茶を差し出したことです」
「ああ。………うん、あれね」
私が訪ねたことで合点がいったのだろう。夫が頷いた。昼間見たキラキラとした宝石のような瞳は今は宵闇に馴染み暗くなっている。色素の薄い瞳が闇に紛れ、いつもより色が濃かった。
「セイサムとビヴォアールが長年諍いを繰り返しているのは知っているだろう?」
「はい」
「んー………どこから話そうかな。まず、セイサムとビヴォアールが大々的に戦争を始めたらその影響力は大陸全土に広がるだろう」
「そう…………なのですか?」
ビヴォアールもセイサムも小国ではないが大国という程でもない。中堅国といった、歴史もそこそこある国だ。
戦争になれば多大な被害が周囲に及ぶだろう。だけどそれが大陸全土に影響するほどのものとは思えない。
「セイサムにはエレノーワ連邦国がついている、戦争になったら非常に厄介だ」
「エレノーワ連邦国………?」
エレノーワ連邦国とは北方に位置する大国で、そして明日の午後に来国する予定だ。
その国がセイサムについているとは………。
歴史や政治の勉強は一通り受けているというのに全く知らなくて、自分の無知ぶりが恥ずかしくなった。
「………申し訳ありません。わたくし不勉強でして、存じ上げませんでした」
「いや………ユティが知らないのも無理ない。この話はごく一部の人間しか知らない。というのもエレノーワ連邦国がひた隠しにしているからね。だけどビヴォアールの王太子が来た次の日に来国の打診をするとは…………。知られても問題ないと思っているのかな」
「…………」
夫との会話は小声だ。ごく僅かな声でお互いのやり取りをする。そうしていれば王太子夫婦の部屋はもう目と鼻の先だった。
「だけどエレノーワの助力があってもセイサムはビヴォアールには勝てない。あの地形が問題なのだろうね。あの川を干上がらせでもしない限りセイサムの勝利はない。ビヴォアールには軍事力がないから攻め込むこともできないが、攻め込まれることもない。セイサムにとってはこれ以上ないほどの目の上の瘤だろうな」
「………殿下は、あの、何を」
彼は一体何をしようとしているのだろうか………?私の声に、夫が私と目を合わせた。だんだん温度を取り戻した私の手と彼の手は先程よりも温もりを持っていた。
「牽制だよ、両国に対してのね」
夫がふと表情をやわらげて答えた。




