都合のいい女
そのままアヤナ様は衛兵に引き渡され、再度庭には静寂が戻った。しかしこの空気で先程の話をする気にはなれなかったのか、夫がため息をこぼした。
「…………部屋に戻ろうか」
無造作に髪をかきあげ、夫が言う。私もそれには同意だった。
そのまますっと手を出され、少し戸惑う。いや………この人女嫌いだったんじゃないこしら?私が触れてもいいってこと?戸惑う私に、夫が僅かに首を傾げた。
「………手を?」
なぜ疑問形。
呟く夫に私はまあ、彼がいいと言うのなら、と彼の手を取ろうとした。恐る恐るそっと手を乗せた瞬間、バッと手が抜かれた。
………!?
何が起きたのかわからず戸惑って彼を見る。
夫は信じられないものを見たような目で自分の手を見ていた。そして数回私と自分の手に視界を走らせて見比べる。なんだか知らないが失礼すぎる。
さすがにムッとせざるを得なくて、そのままあわれ宙に投げ出された私の手はそのままそろりと体の横に戻した。顔には完璧なまでな淑女の笑みを乗せる。
「…………楽しいお遊びですわね、殿下」
「えっ……い、いや、これは違くてだな………」
何がどう違うというのだろうか。自分のお手手と私の手をしっかり見て欲しい。そのまま夫は所在なさげに視線を揺らしていたが観念したように話し出した。
「すまない、昔はこうではなかったんだ」
としょんぼりして言った。
なんだかそれが捨てられた子犬のように見えて困る。
というか寒いから早く部屋に戻りたいのだけど?
私はそのまま彼の横を素通りして、数歩行ったところで立ち止まった。
「ひとまずお部屋に戻りましょう?風邪をひいてしまいますわ」
「ユーアリティ、僕は」
「ひとつ、お聞きしたいのですが。殿下は私に名を呼ばれるのは嫌なのに、ご自分は呼ばれるのですか?………よろしいのですか。殿下の負担になっていませんの?」
手を差し伸べたくせに振り払われた代償は大きい。
にこにこと笑ってかわせることではなく、私は優雅に微笑んで夫に言った。これは顔合わせ時夫から申し出たことだ。
名前を呼ぶのは論外。私の声を聞くのもダメ、という徹底ぶりの殿下がなぜ手を差し伸べてきたのか分からない。もしかして今ならいける、とでも思ったのかしら。今なら拒否反応が出ないかもしれない……触れられるかもしれない、と?
結局ご自分の拒否反応が出るくせに私のことも考えず賭けに出るのはやめてほしいものだわ。私だって心ある人間なのだ。
そこまで考えてふと、殿下は不器用な人なのではないかと思えてきた。不器用、というより真面目すぎるというか…………掴みどころのない性格はまさに。
ーーー猫のよう。
なんてね。
第一殿下相手に猫とか、失礼だし。
「……そう、だな、私は都合がいい」
ええそうね。都合のいい妻に仕立て上げる気なのかしら?
私は祖国のためにこの国の王太子妃となったけれど、夫の奴隷になる気は無い。
そんな言葉を呑み込んで夫を見る。
「だけど、国賓の手前名前を呼ばないわけにも………」
「今は二人きりですわ」
「………」
撃沈。完全論破とも言う。夫は私の言葉に再度黙ってしまったが、ややあってからまた口を開いた。
「私は女性が苦手だ。苦手、と言うより生理的嫌悪の方が近い。………だけど、それを言い訳にしてあなたを蔑ろにしたいわけでもないんだ」
「つまり?」
彼の言わんとすることがわからず内心首を傾げる。
私の胡乱げな瞳を受けて、夫がまたも言葉を紡ぐ。
「夫婦となった以上、少しでも、いや………正直いうと少しずつでお願いしたい。お互いを知るところから始めたいんだ」
「…………顔合わせの時に言っていたこととはまったく違いますのね」
ため息がこぼれた。
それは流石に、都合が良すぎません?
というより、あなたは自分が何を言ったのかも忘れてしまったのかしら。自分の発言には責任をもって欲しい。
夫の身勝手な言葉に怒りがじわじわと込み上げる。だけど悔しいことにその言葉は私にも利点があるものだ。