突撃!隣の王太子部屋、にはならず
そんなに長い間話し込んでいたわけではないのに、時間というのはあっという間だ。
私はこれから教会で夕方の礼拝を行う。
篤信家、というわけではないが王太子妃の義務なので。
この国は愛と美の女神、アフロディーテを信仰しているようなので、私もそれに倣うのみだ。
週に一度行われるそれは、今日が今週の予定日だった。
そして殿下もこの後何がしかの予定がそれなりに詰め込まれているのだろう。
いちいち確認したことは無いからしらないが、私以上に忙しいはず。
しまったわ、明日のことについて話し合う時間が無い。
しかも午後には北方の国から将軍公爵も訪れる。
その時の打ち合わせだってまだ最終結論には至っていない。
ただでさえ突貫工事で仕立てた王太子妃なのだから、知識不足でミスをしないという保証はない。少しでも情報は欲しいところだ。
ちなみに公務の打ち合わせは大抵が彼一人が話すことによって済まされるが、だからといって学ぶことを放棄するつもりは無い。
(そうそう……確か、初めての公務の打ち合わせの時。打ち合わせが終わるまでは口を開かなくていいから、とか言ったのよねあの王太子様は!)
思い出す度に腹が立つ。
おまけに「不明点があれば後で手紙を出してくれ」とまで言われた。
まあ?聞いたら教えてくれるのだからそこまで酷くもな………いやいやいや!!
私たちって仕事上の付き合いじゃないわよね!?
新人文官と、新人教育を請け負った中堅文官でもないわよね!?
も〜〜夫婦だって言うのに、肩書きでしかないなんて。虚しいったらない。
同じ王宮に住む新婚夫婦の連絡手段は手紙のみ………。一日一言会話するかどうかの私たちの関係は間違っても新婚夫婦とは言えないと思う。
「思い出すといらいらしてくる……。ほかのことを考えましょう」
「妃殿下?」
「なんでもないわ。ごめんなさい、続けて」
ミサへ行くための化粧直しとヘアセットを侍女にしてもらっているところだった。私は崩れかけた表情筋をなんとか維持する。
大事なのは明日のことについてだ。この後手紙でも出そうかしら?律儀にも彼の言いつけを守って手紙を毎度出している私である。まあ、わざわざあいにいくのも面倒くさいし私も殿下もあったところで楽しくないし、ねぇ……。
お互いに悪感情しか抱かないのなら会わない方が懸命じゃない?
むしろ書面で済ませられることに感謝よ。
先程と考えてることが違う。矛盾していると分かってはいたが、あの王太子様の態度をどうにかするためにこちらから歩み寄るのは腹が立つのよね……。
ルデンを馬鹿にしてるのかしら?小国だからって見下してる?
小国といえど、王女は王女。
大国から見てもちっぽけでも、私にも王女として、王族としての矜恃がある。
……私から歩み寄ったらそれは、自国が劣っていることを認めてしまうことになりそうで。
「…………」
後で手紙を出すことにしよう、そうしよう。
思ったが内容が内容である。
あなたビヴォアールと縁切りたいの?どうなの?など間違っても手紙には書けない。
というか、そんなはっきり書いたら私が馬鹿だと思われそうである。いや、正直そう聞きたい気持ちではあるけれど。
それにまかり間違ってもし他の人の手に渡ってしまったら。万が一を考えるとリスクがすぎる。
だけどぼかして書いて相手に意図が伝わらないんじゃ意味が無い。聡明と名高いルデンの王太子様であれば私の言わんとすることは分かるだろけど──彼から抽象的な答えを貰ったとして。
果たしてそれを理解できるかしら……。
それを全て理解できるとは思えないし、齟齬が生まれたら悲惨。ここは恥を忍んではっきり聞くしかないのかしら……。
仮にもし『明日は晴れるらしい』なんて彼が深く考えずに書いた一文であっても散々に悩むに違いない。
そして寝不足になり、かつ彼の本当に言おうとしていたことがわかない、なんて自体も引き起こしかねない。そうなったら最悪だ。絶対に現実にしてはならない。
というか、もういっそ直接聞いた方が早くない?
「妃殿下、お髪終了しました」
「次はお化粧ですね、お顔失礼します」
侍女の声をききながら私ははっとした。
時間がない?なら──作ればいいのだわ!
寝る前の時間であれば突撃すれば少しくらい時間取れるでしょ。
私と話したくないということだけれど、そもそも夫婦なのに手紙でやり取りするなんて方がおかしいものね!そうよね!
それに今回ばかりはどうしようもないんだから対面での打ち合わせをしてもらうしかない。
何をどう言われても時間を作る!
無理やり突撃する!話す!最悪睡眠時間を削ってもらえばいい話だし!
私は眠れない夜を過ごすのも、明日からまわって醜態を晒すのもどちらもごめんである。
たった十数分話して済むことなら話せばいいじゃない!女性が苦手だかなんだか知らないが、これくらいは付き合ってもらってもいいはずだ。
「ふ、ふふ……先見の明得たり……」
「ユーリ様動かないでください」
ヘアセット担当と交代してお化粧を施してくれているミアーネが変質者を見る目で見てきた。
「ミアーネ、私賢いかもしれないわ」
「本当に賢いひとは自分でそう言わないそうですよ、ユーリ様口開けてくださいませ」
「みあーね、つめたいわ」
「紅がはみ出るので喋らないでください」
ミアーネの冷たい声を聞きながらも私は口を開き、紅を塗ってもらった。
***
夕食時。出会ってそうそう用件を突きつけようと口を開いたところで。
「あの、」
「今日、夕食後に庭まで来てくれ」
口を開いたと同時に夫も言葉を投げかけた。その言葉を理解するのにたっぷり二秒かかり、私は思わず目を瞬かせた。
そしてようやくぽつりと抜けた声が出た。
「……………え?」
「話したいことがある」
…………それは明日のことについて、よね。彼から言い出すなんて意外も意外だが、しかし渡りに船だ。このまま頷いておく。ちょうど私もその話がしたかったのよ。
「…………分かりました」
「では、また後で」
そう言って殿下は席に着いた。
彼と会う約束をしたことなんてもちろんだがない。
それだけにほんの少しだけ、僅かに面映ゆい気持ちになる。
(なんだか変な感じ)
肩透かし、というのかしら?
「…………まあ、いっか」
向こうもきっと話したかったのだろう。私と話したくないのをこらえて言い出したのだろうから、深く考えないほうがいい。それより今日の睡眠の確保とえげつない未来が回避出来たことに少し安堵した。