堪忍袋の緒が切れる
「先に言っておく。僕と関わろうとしないでくれ」
ルデン王国、王太子夫妻の部屋。
先手を打って言われた言葉に、私は目を見開いた。
沈黙する私に、本日夫となったばかりの彼は気分を害したとでもいうように眉をひそめた。
その顔立ちは固く、とてもではないがこれから夫婦の秘め事をするような様子ではない。
「わかってくれとは言わない。きみの理解は求めていない」
切り捨てるような言葉だ。
(理解は求めてない?)
突き放す言葉にますます言葉を失った。
夫となったばかりの男、この国の王太子であるファルシア・ルデンは苦々しく言った。
「女性が苦手なんだ」
「……」
沈黙が漂う寝室はとてもではないが本日初夜を迎える夫婦のものとは思えない。
ファルシア殿下を見て私は混乱した。
そして先日別れたばかりのお母様に心中便りを出す。
むろん心中にとどめているので便りが母に届くことはない。
(お母様、私ここでやっていけるのでしょうか?)
理不尽にも先手を打たれた私は、さながら言葉の通じない動物に慎重に歩みを見せるように言葉を選ぶ。
「あの、ファルシア殿下」
「名前を呼んでいいと言ってない」
「……」
(えーと……)
私はにこやかな笑みを貼り付けたまま固まった。
「女性の声が苦手だ。甲高くて、耳に障る。不快だ。同じ空間にいるのもストレスだ。きみの存在は私に負荷をかける」
「……」
「私に必要以上に近づかないでくれ」
「ですが、あの」
「会話は最低限に留めるように」
ばっさり切って捨てられ、ついに笑みの仮面を取り落とした。私はは短気で直情型──よく言えば素直な性格、悪く言えば我慢が利かないのだ。
(な……なんなの!?理不尽にもほどがあるわ!しかも会話もだめなの!?会話が出来ないなら意思疎通も無理じゃない!)
もう良妻を演じるのはおしまいだ。
先ほどとは打って変わって強い瞳で殿下を見る。
その瞳ににらまれ、いや見つめられた殿下はわずかに身を引いたものの、発言を撤回する気はないようだった。
(ええ、ああ、そう! それなら結構よ!私だって、私を嫌いな方は好きじゃないわ。誰が好き好んで……!)
よっぽどそう言ってやりたかったが、そうはできない理由が私にはあった。
よっぽどこの男が気に食わないと言えど、この婚姻は政略的なもの。
ここでファルシア殿下との関係が悪化すればそれは自国モンテナスとこの国、ルデンの関係の悪化を意味する。
それでは私が嫁いできた意味がない。
言い返してやりたくて仕方なかったがそのもろもろを呑み込んだ。
(だめよ、ユーアリティ。私は一人の女である前に、王女なのだから。相手が誰であろうと王女らしくあらねば)
しかし腹は立つものである。
祖国の母の言葉を思い出す。
『何がなんでもファルシア殿下のお心をつかむのよ、ユア! 大丈夫、わたくしに似て美しいあなたにならできるわ』
(お母様、ファルシア殿下はきっと女性に興味がないのよ。政略結婚した妻に、政略結婚の意味を忘れてふるまってしまうほどなのよ?)
むかむかしていたが、ふとファルシア殿下の顔色が悪いことに気が付いた。
私より肌が白いかもしれない。お化粧しているんじゃないわよね。どうでもいいことが気になってしまう。
(もしかして本当に女性が苦手なのかしら)
もし本当に苦手だというのなら少し不憫でもある。
いやこの場合不憫なのは私じゃない?
私は自身の立場を改めて思い出した。
兎にも角にも、互いに嫌であるのなら早く会話は済ませてしまおうと様子をうかがおうすることをやめ、単刀直入に尋ねることにした。
「あの。ではお世継ぎについてはどうなさるおつもりですか?」
ファルシア殿下は惨殺死体でも見たかのようないたましい顔をした。なんだか非常識な質問をされた、という様子だが私の質問は常識内、いや誰であろうと気にするところだと思う。
私と彼は政略結婚。子を産むのが仕事であるとも言えるのだから。
「─────養子でも貰えばいい」
たっぷり時間をかけてもたらした言葉は、全く許容できないものだった。
私は意図的に息を吐く。でなければ王女らしからぬ言葉が飛び出てしまいそうだったのだ。
その細くて均整の取れたうらやましい……ではなく、体を張ったおしたくなる。
辛うじてユーアリティは続けた。声は震えた。
「まあ!次期国王ともなる方は冗談がお上手ですわ!まさか本心じゃありませんでしょう?」
本気なわけないわよね!そうとおっしゃい!というメッセージでああるが、殿下は美しい顔をしかめたまま絞り出すように言う。
「……。わかった。じゃあきみが産めば問題ないだろう。それでいいな」
何じゃ〈じゃあ〉で何が〈いい〉のかわからない。
私はわざとらしくきょとんとした様子を見せて尋ねる。
「あら、あなたのお子をでしょうか?であれば………」
「そんなわけないだろう!!僕以外のだ」
(そんなわけないと言いたいのはこちらよ。わがまま王子って呼んでやるわよ!?)
しかし、私は何とか耐えた。
王女としての矜恃である。
「愛人を作れ、とおっしゃるのですね。殿下が公認してくださる」
「悪いようにはしない。だから僕との子は望まないでくれ。それに近しい行為も」
ぼやかしているが行為はだめだと。
私はうまくやれと尻を叩かれて国を出ただけあって夜の知識は一通り頭にある。
「面白いことをおっしゃいますのね。私が愛人を持っていると噂になれば国政にどう影響が出るか、聡明な殿下ならお分かりでは?」
なにせ、ルデン国の王太子は聡明で優秀で魔力も豊富。見目も麗しく、耳を打つ声はまるで楽器のごとく美しさ……と、まるで舞台役者のごとく国民人気を誇る王子なのだから。
私はついつい、殿下を睨んでしまうが、ファルシア殿下は落ち着いた様子だった。
「それを加味したうえで言っている。全部織り込み済みだ」
(ああ、そう。この婚姻が結ばれる前。もしかしたら婚約前から予定していたことなのね)
私はゆっくり深呼吸した後──笑みを浮かべた。
「殿下のお考え、よく理解いたしましたわ」
私は笑みを浮かべたものの、内心は全く笑っていなかった。
(ええ、ええ。わかりましたわ!よ~~~く分かりましたとも!私とあなた、絶対合わないってことがね!)
「よろしくお願いします、殿下」
妙に威圧的な私に、ファルシア殿下はいかにも嫌そうな顔をするだけで返事はなかった。
(〜〜〜もう、腹が立つ!)
それにより私の怒りゲージがまた面積を増したのは言うまでもない。