雨《スウィングバック》
その日は雨が降っていた。
弱い雨が風に流れアユムの体を濡らす。
巨大な傘と小さな傘が二つ、アユムと園長と少女が並んで歩いていた。
「あーたまで来る必要なかったのよ?」
「そう言うなよ園長、何だかんだ園長が目を離す間は一緒に居るヤツが必要だろ?」
アユムは少女を見る、相変わらずの無表情に遠い視線、三編みと眼鏡の変装、そして先週の日曜日に見た白い服。
予算の関係もありそれほど多くは持っていないとはいえ少女はこの服を好んでいた。
(最近は施設の中を動き回るようになって来たし目が離せないんだよな)
リュウコにこき使われる事もあり、アユムは日常的に施設の中を動き回っているがその行く先々で少女を見かけることが増えてきていた。
この一週間、最初は何にも無関心で動く気が無いのかと思っていたがそうではないとアユムは気づいていた。
少女は基本的に許可の下りたことしかしない、料理はリュウコが誘って行い、スパーを見に来た時もミツキが良いと言ったらしい。
興味がない訳ではない、そうでなければ動けないのだ。
そう気づいたアユムはリュウコにその懸念を伝え、その結果今ではあちこちで少女の姿を見るようになっていた。
「あー、お前も俺か園長のどっちかにかならず付いていろよ、フラフラすると危ないからな」
アユムは少女に対しそう注意する。
少女はわずかに目を動かした。
最大の問題は、少女がどこまで許可されていないと考えているかが分からないことだ。
普通の人間であれば許可を求めるまでもない普通の行動すら少女は動かない事が多い。
だから、アユムもリュウコもミツキも、園長も少女の動きが止まった時、必ず声をかけるように努力していた。
悪魔崇拝者達の牧場、この一週間その場所についてずっと考えている。
想像を絶するなどと言う事は許されない、アユムは少女が今までどんな生き方をしてきたか、少女に普通を教える為に必死に頭を回していた。
「ついたわよ、アユム、鞄濡らさずに持ってたわよね」
「おうよ、てか園長デカ過ぎて傘を差しててもホント上半身以外ビチョビチョだな…」
「だーから持ってもらったんでしょ、ま、それならアユムも必要だったわね、失礼したわ」
アユムはまた荷物持ちかと思いながら目の前の建物を眺めた。
建物の高さはそれほどではない、だがその全体を強固な鉄筋コンクリートで固め、周囲の塀の高さは見上げる程高い。
周囲には防具服を着込んだ警官たちがパトロールで歩き回っており、その手には自動小銃が握られている。
この街の警察署だった。
警察、アユムが産まれる前の事だが少なくともこの機関は【魔法】が発明されて以降、多発する魔法使いによる重大犯罪によりその体質を大きく変えていた。
園長と少女が並んで警官達とやりとりをしているのをアユムは後ろの長椅子でぼんやりと眺めていた。
解っては居るが、やはり時間がかかるので暇を持て余すのだ。
(まあこれも最初だけだ、これでアイツは晴れて正式に光輪会の家族になる)
そう思えばアユムはその暇も少し楽しくなってきた。
少女は学校に通うようになるのだろうか、きっとモテるだろう、そして周りを困惑させるだろう。
アユムはそれを想像してこみ上げた笑いを噛み殺した。
「アユム」
野太い声がアユムを呼んだ、園長だ。
「ちょっと、あの子だけで手続きがあるからあーしとここで待ちましょ」
そう言ってアユムの隣に腰掛ける――3人分はスペースを取っている――
少女がぺたぺたと園長に付いてきたので、園長はあの人に着いていきなさい、終わったら戻ってきなさい。と伝えた。
少女は相変わらずの無表情で、それでも言うことを聞いてその先に居た女性警官についていった。
「相変わらずよねぇ、素直な分リュウコとかアユムより手はかからないけど」
園長は、しみじみとそう呟いた。
手持ち無沙汰な時間ができる。
園長との無言の時間は、実はアユムは苦手ではない。
その大きすぎる体躯と変な話し方、そしてその強さと優しさはアユムにとって数少ない近くに居て安心する大人だった。
しかしふと、疑問が口に出た。
「なあ園長、園長っていつからそんな風になったんだ?」
園長は怪訝そうな顔をした。
「そんな風って何よ?」
「その話し方だよ…前レクレーションで見たプロレス動画だともっと何ていうか…男らしいっていうか…荒々しかっただろ?」
いや言いたくないならいいんだけどさ、とアユムはごにょごにょと付け足した。
アユムはまずい事を聞いたかと思って園長をチラリと見た。
その目は遠くを見ていた。
「そおねぇ、もうずーっと昔だものね…当然になっちゃって変だって忘れちゃってたわ」
「変だとは自覚してんのかよ…」
園長はサングラスを外し、クロスで拭くとアユムに微笑みかけた。
「ま、なんというかリュウコちゃんの為なのよ」
「リュウコ姐さんの…?」
「そうそう、まあ隠すことでもないしね」
園長は滔々と語り始めた。
昔々、タケオはプロレスラーだった。
キング・オブ・デス メタルサタン
物々しいリングネームを与えられ、悪役として闘い、そして事故で男性として重要な機能を失った。
当時婚約していた女性とも別れる事となり、メンタルが完全に参ってしまったタケオは団体を引退した。
それでも後輩達は看板選手だったタケオを慕い、そしてアドバイスを求めた。
タケオは求められるまま後輩たちを導き、その結果コーチとして復帰するかという話が上がった頃事件が起きた。
団体の選手が天使の嘆きに手を出し、試合中にそこに居た対戦相手や観客、そして仲間たちを殺戮したのだ。
「まー、格闘技団体なんて暴力を売りにしてるんだから昔から裏との繋がりも多かったのよね」
自分達の団体はそういった裏から完全に手を切っていたが、それでも他団体の繋がりまでは分からない。
結局今でもどこから天使の嘆きが流れてきたかは不明のままだ。
悪役はプロレスに必要な存在で、誇りもあった。それでも人が悪役を演じながら良識を持ち続けるには相当なプレッシャーがある。
「あーしはね、アイツのそれが分からなかったの、大切な後輩で、突然辞めたあーしの後継者として苦しんでいたというのに」
彼はホブゴブリンという名で戦っていた、小柄な悪役だった。
その恵まれない体格にめげずに、技を磨き、多彩な技と演出で観客を魅了した。努力家だった。
選手も大勢死んだ、団体は残ったそれを維持できず解散することとなった。
そしてそこに、事件で親を失った子供達が残った。
「それって…」
「リュウコちゃんよ、他にもケンゴとかシンタロウとか、覚えているかしら?」
アユムは覚えていた、リュウコといつもつるむ年長者達を、彼らには奇妙な友情があると感じていた。
「ま、それであの施設をあーしが引き取ってね、それで色んな人に助けてもらって、今の光輪会を始めたの」
光輪会、それは元々あったプロレス団体の名前であって、今、タケオが守る児童養護施設の名前だ。
タケオはその名前を引き継ぐことにこだわった。
「ま、最初は全然よ、いっつもコンビニ飯のこんなデカくて全身入れ墨だらけの男よ、子供達は泣くわ叫ぶわ」
そしてその中にひときわ泣き叫ぶ子供が居た。
現場で射殺されたホブゴブリンと呼ばれた悪役の娘、リュウコだった。
「まああーしも色々工夫したのよ、玩具買ったり、ご飯を美味しくするために勉強したり、でもリュウコちゃんだけはダメでね」
ある日、リュウコが一人でTVを見ているのをタケオは眺めていた。
そこには個性的な、男性でありながら女性の言葉で話す人達が映っていた。おネエ系と呼ばれる人達だ。
リュウコはそれを見て笑っていた。
タケオはそれを見て、ダメ元で真似をしてみた。
『あーし、顔怖いかしら?いやねぇリュウコちゃんみたいに可愛くなりたいのに、悲しいわぁ…』
それを聞いて、リュウコは腹を抱えて笑った。
他の子供達もみんな突然ゴリラのような男が女言葉で話し始めたのでおかしくなって笑っていた。
悪役は辞めてしまったけど、誰かを楽しませる為の演技は得意だとタケオは思った。
それからリュウコと話せるようになり、タケオは彼女の父親の事をたくさん話した。
例えそれが、彼女を傷つけた天使の嘆きの中毒者の話であっても、話すべきだと思ったからだ。
彼女の父親は自分が誇る後輩で、最高の悪役だったと伝えないといけなかったから。
そうしてタケオは園長になった。
「ま、それでこーいう感じなわけよ、わーかる?努力の成果なのよ?」
ケロっとした顔で園長はアユムに言った。
あまりにも重いとアユムは思ったが、それでも園長がここで自分に話したのは意味があることなのだろう。
「いや、それにしてはハマり過ぎだと思うけどな…」
アユムは口を歪め軽口で返す事にした。
「あーら、生意気…って帰ってきたわね、次もつかえているしさっさと行くわよアユム」
「おう」
アユムは荷物を持ち、こちらへてくてくと歩いてくる少女を園長と共に迎えに行った。
色々な施設を巡り、帰路に付く頃にはもうすっかり夜だった。
雨は地面を激しく叩くほどに強くなり、辺りは街灯の光のみが照らす暗闇。
「もーう、毎回毎回長いわね~、慣れないわ本当に」
「しゃーねえよ、園長、だって園長明らかに怪しいからさ」
「今日は軽口が多いわね、縛ってやろうかしら?」
二人はまるで親子のように軽口を叩きあう、少女はそれを二人にピッタリくっつくように聞いている。
「まーこれで頑張った甲斐もあって、貴方もあーし達の正式な家族よ、よしよし、今日は頑張ったわね」
園長は笑顔で少女にサングラス越しの目をやる、少女はその目をじっと見つめ返していた。
アユムはなんだかその光景が昔見た獣と美女のラブストーリーみたいでおかしくなってしまった。
突然、園長が足を止めた。
アユムも続いて足を止め、目の前を見た。
道の先に誰かがいる。
「いやぁ、すいません、本当はお待ちしていようと思っていたのですが待ちきれず迎えに来てしまいました」
あまりにも優しい声、聞いているだけで寝入りそうなほどに落ち着いた抑揚。
そこにいたのは神父服姿で青い目をした柔和な顔の男、シマハラだった。
「シマハラ…さん?」
アユムは混乱していた、何故彼がここに。
「ああ、アユムくんですね、どうもこんばんは、ああ本当に、本当に良かった」
シマハラは感極まるといった表情で、言う。
「君のような、他人を思いやる優しい少年に、我が娘、我らが愛が保護されていたなんて」
アユムはその言葉の意味を理解できなかった。
背後から、シャボン玉が割れるような小さな声がした。
「パパ」




