赤い覆面の少年《レッドキャップ》
初夏、夜の繁華街。
街は汗が浮かない程度のだるい暑さに包まれ、人通りはまばらとなるような時間帯。
その一角に、ある雑居ビルがあった。
6階建ての普段から人の出入りの少ないその建物は、暴力団のダミー企業が収まるビルの一つだ。
その5階――名義としては子供用の通信教育の販売業者――に明かりが灯り珍しく幾人かの影が忙しなく動いている。
用途は様々だが、基本的に非合法な行為の為に使われることが多い場所でありその日もそうであった。
まるでサラリーマンのようなスラックスにワイシャツ姿の男が動き回るヨレヨレのTシャツの男に低い声で怒鳴る。
「まだ連絡はつかねえのか!引き渡しの時刻はもう過ぎてんだぞ!」
怒鳴られた男は引きつった声で答える。
「え、あ、ハイ、いやあっちから連絡するって事で伺ってんですがね、いやどうも掛かってこなくて」
「んなこと判ってんだよ!それが何でだって聞いてんだよ!」
男は怒りのままデスクの脇のゴミ箱を蹴り飛ばす。
それに反応するように床に転がされた幾つもの影が怯えるように身じろぎをする。
「いや、アニキあんま暴れないで、ここでビビらせ過ぎると鮮度が下がるって…前クレームが…」
別のタンクトップ姿の筋肉質な男がワイシャツの男をどうどうと宥めようとした。
「うるせえよ!テメー!俺よりあのイカれ悪魔崇拝者達の方を気にするってのか!?」
アニキと呼ばれたワイシャツの男は筋肉質の男に近づきその顔面に拳を叩き込んだ
「こんなガキのお守りなんてさっさと終わらせてえんだよ俺は、それをあっちの事情だか知らねえが待たされてんだぞ!」
ガキと吐き捨てた視線の先には、後ろ手に拘束され足をガムテープで縛られた幾人もの子供達が居た。
その数は5人、いずれも酷く怯え真っ当な方法でここに来た訳ではないと分かる状況。
「それに最近はレッドキャップとかいう俺達のシノギを邪魔するヤツが出るっていうじゃねえか、俺はそういうリスクが嫌いなんだよ」
その声に殴られた男が少し呆れたような声で返す。
「いや、それ、都市伝説だって前アニキが…」
再び強く肉を殴打する音が響いた。
その光景を、反対側のビルの屋上から眺める影があった。
「ひとつ、ふたつ…さんにん、っと…」
子供と見られる小柄な体躯、半袖の黒いシャツ、ボロボロのカーゴパンツ、鉄板入りの安全靴、何より目を引く赤い覆面。
声変わりもしていない溌剌とした声で少年は男たちを指差しで数えていた。
腰にカラビナでぶら下げていたトランシーバーを持ち上げ、少年は電源を入れる。
「レッドキャップからスプライトへ、確認した。捕まってるのは5人、相手は3人、あー多分銃有り、腰がなんかデケえ、準備でき次第突入する、オーバー」
ザザと音が鳴り、トランシーバーから応答が返る。
「こちらスプライトからレッドキャップへ、これ必要あるのかなぁ、一応準備はできたよ」
こちらの声も同様に子供の声、しかしレッドキャップと名乗る少年とは打って変わり少し弱気そうなそれでいて思慮深そうな声だ。
「ただ、ごめんこっちの位置からだと人数は確認できないや、悪いけど伏兵にはそっちで気をつけて、オーバー」
「レッドキャップ了解、絶対必要だろ、文句は認めねえぞ、オーバー」
そう言って覆面の少年は腰に乱雑にトランシーバーを付け直し。
足元の鉄パイプを拾い上げる。
「クソ外道どもめ、今夜もぶちのめしてやる」
雑居ビルの5階、苛立つ男たちの頭上の電気が突然消えた。
「なんっ…」
ワイシャツの男は怒鳴り声を上げようとしたが、即座に腰の得物に手を伸ばし窓に目を向けた。
電気が消え、向かいのビルのネオンの光が薄く部屋を照らす中、不自然に影が掛かっている事に気づいていた。
「馬鹿共構えろ!」
男は叫んだ、窓の外、そこに見えたのは小柄な影、空中を一直線に跳んで居ると認識した。
それは、砲弾のように窓に直撃し、オフィスにガラスがネオンの光をばら撒きながら飛散していく。
周囲の部下達は男が呆れてしまう程反応が遅い、男は決断し瞬時に影に対し発砲した――つもりだった。
気づいた時には指がへし折れていた。
突入と同時に影から投擲された鉄パイプが男の拳銃を握る指を粉砕、影は床を滑るように着地し、その勢いのままもう一度跳ね男の顔面にドロップキックを決める。
「レッドキャッ…」
男は、デスクを巻き込みながら壁まで吹っ飛ばされ、そのまま気を失った。
「アニキ!」
遅れるように残された二人の男が、拳銃を腰から抜く。
だが、影は次の瞬間には男達の目の前から消えていた。
「は、えっ」
気づけば男たちはその影を見上げていた。
「遅えよ馬鹿」
常軌を逸した速度での回り込み、そして背後からの足払い、一瞬の出来事だった。
影の手には鉄パイプ、そして顔面を覆う赤い覆面
「あっ、えっ、レッドキャッ…」
「寝てろ外道共」
レッドキャップと呼ばれた影は男達の顔面を鉄パイプで何度も殴打した。
少なくとも当分は意識が戻らない程度にボコボコにし、独り言を呟く。
「ふぅ…断末魔まで一緒とか仲良すぎだろコイツら」
腰のトランシーバーを取り出す。
「レッドキャップからスプライトへ、3人ともボコボコにした。ターゲットは…多分全員無事、うん5人とも、オーバー」
その視線の先には言葉通り子供達が転がされていた。その目には涙を浮かべ、身動きさえ取れれば自らの救いの主に抱きつきそうな程に興奮している。
「まー、早めに来てくれ、俺はちょっとこういうのは…」
オフィスの隅で大きな影が動く、その手には拳銃が握られており照準は赤い覆面の少年の頭部に合わせられていた。
引き金に指を掛け、力が入る瞬間。
オフィスの入り口から破裂音がし、同時にその拳銃が手から床へ弾き飛ばされた。
「こちらスプライト、ごめん、遅くなった」
入り口に居たのは片手で杖を付く、白い覆面の少年、反対の手には煙を吐く拳銃が握られていた。
その先には作業着を来た男が呆然とした顔で立っている。
部屋の隅で雑用の荷物整理をしていた事前偵察でみつからなかった一人だった。
「いや、油断してた、ありがとよ」
男の視界から赤い覆面の少年が姿を消す。
そして強い衝撃と同時に、その意識を失った。
その夜、匿名の連絡によりある雑居ビルの5階で4人の男が全身に打撲を負った状態で見つかった。
男たちは暴力団の構成員と見られており、争った形跡が残されていた。
男たちは銃器を所持しており、現場の状況から少なくとも1発は銃が撃たれている筈だが彼らの銃器からその痕跡は残されていない。
警察では、暴力団同士の抗争があったとみて捜査している。