うちの伯父さんの昔の女が押しかけて来て伯父さんの本性がバレた件
刹那的な生き方というのも悪いものではない、というのが伯父さんの口癖だった。
刹那的——伯父さんの人生はまさにその一言に言い表せそうだった。
高校時分から学生運動にかぶれた伯父さんは、ある日デモで機動隊に火炎瓶を投げつけてお縄につき、学校を退学になった。
爺さんはもと警官で、試験で悪い点を取ると竹刀で殴りつけるような厳しい人だった。
息子逮捕さるの一報を受けた爺さんは問答を言わせず伯父さんを勘当した。
以後伯父さんはまともな職につかず、根無し草になってあちこちをふらついて身を立てることになった。
日本全国と言って大袈裟でなく、ある時は九州の炭鉱に、またある時は東北の農村に、食い扶持を求めて当てどなくさまよったという。
女に惚れられまくって大変だった、とこれは本人の弁だから眉唾だ。
過去のことは常に笑って話すような伯父さんだったが、広島の繊維工場で働いた時、工場長の娘と一緒になれなかったのを時折しきりに悔しがった。
いくら尋ねてもなんでくっつかなかったか教えてくれなかったが、その娘について話す時の伯父さんは少し悲しげであった。
そんな風で日本中さまよっていた伯父さんだから東京に住む弟であるうちの父を訪ねることは半年か年に一度くらいだった。
僕が高校二年に上がる頃から、伯父さんの足はめっきり遠のき、社会人になってからはまったく来なくなった。
それでも僕の脳裏には伯父さんのことがずいぶん印象深く残っている。
それはひょっとすると一種の憧れ、なのではないかなんて思ってみたこともあった。
というのも、僕は、常に何かに縛られてきたという感じがしてならなかったからだ。——あるいは、僕は、と限定するまでもないのかもしれない。
現代人が常に不自由さを感じているのはごくごく普通だ。
しかし、それはやはり隣の芝生が青く見えるのとおんなしことじゃないか、と今は思う。ひょっとすると伯父さんも、地に足ついた生き方に憧れていたんじゃないか、と。
もうしばらく前の、雨の降る日、伯父さんは多摩川の河川敷で酒に酔ってそのまま入水した。
目撃者が居て、直ぐに引き上げられたが、もう息が無かった。
身元が早くに判ったのは、伯父さんが、ボロボロになった高校の学生証を持っていたからだという。
そのことが、伯父さんが地に足ついた生き方を望んでいたことの何よりの証左であると思えてならない。
葬式は親族で済ませた。
伯父さんはろくでなしであたりに迷惑をかけ散らかしたというのに、ずいぶん好かれていたようだった。
うちの父は、兄さんはいい人だったが純粋すぎたんだろう、とポツリと漏らした。
爺さんはもう死んでいたが、晩年にはしきりに伯父さんに会いたがっていたという。
そして何より、婆さんの、バカな子だあな、という一言がやたらに寂しそうで、そういった人々の反応を見ていると、伯父さん、あなた幸せだったじゃないですか、と言いたくなった。
なんだって自殺なんかしたんです。問いかけてみても、伯父さんは黒縁の中で、若き日の笑顔を覗かせるだけだった。
伯父さんが死んで一年と少ししたある日、うちに初老の品の良い女性が訪ねてきた。
その女性は、かつて広島で伯父さんに良くして貰い、昔のつてで伯父さんの死を知りやって来たという。
話を聴くに、どうやら、伯父さんが一度は一緒になりたいと思った工場長の娘その人のようだった。
彼女は、仏壇の前で手を合わせてしばらく目を瞑っていた。
その後、ありがとうございます、これで吹っ切れました、これは今の私には要らないものです、と古い手紙を取り出した。
手紙には、おれは縛られるのが嫌だからあなたと結婚なぞできない、という内容が綴られていたが、しかしそれは到底本心と思えなかった。
兄は、照れ屋だったんです、許してやってください。父が言うと、女性は、ええ、と微笑んだ。
遠ざかる女性の背中を見ながら、僕は、伯父さんがとんだええかっこしいだったことがなんだか可笑しくて笑った。
伯父さんの口癖が思い出された。
——刹那的な生き方というのも悪いものではない。
あれも照れ隠しだったのか。
それなら何も、死ぬ時くらい刹那的じゃなくても良かったんじゃないですか?
ひとしきり笑ったあと、少し泣いた。
このお話は、刹那的に生きた叔父さんの切ない一節なんです。というダジャレのためのお話です。




