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底の見えない明日

彼の言いなりになるにしても、このまま流されてしまうのは不本意だ。

そう思ったルークは、わずかでも自分の意見が通るように食い下がろうとする。


「ひ、ひとつ聞きたいことがあるのですが」

「なんだ」

「ええと……声のほうは何とか出来るかもしれませんけど、お言葉や振る舞いまで閣下のようにするなんて、一体どうすれば……」

とっさに口をついたセリフではあったが、実際心のどこかでそう考えていたのは事実だった。


曲者(くせもの)ぞろいの軍勢を言葉と力で束ね、世界侵略の指示を行い、威厳ある振る舞いをする。

何の知識も経験もない男がいきなりこんな大役をひとりで(つと)め上げるなど無理に決まっている。

改めて襲ってくる重圧に押し潰されそうになったそのとき。

「何のために私がいると思っている?」

鋭さを増した視線が戸惑う男を射抜く。


「し、しかし」

それでもなおうろたえる男の前を、ふいに何かが横切ってゆく。

目で追った先にあったのは、ちょうど手のひらに収まるほどの大きさの球体が浮遊する光景だった。

(なんだ……これ?)

沼底から湧き出た泡のようなくすんだ青灰色をしたその球体は、音もなく宙空に静止したまま、外界からの干渉を拒むような違和感を漂わせている。


と、その表面に見えない刀で斬られたような裂け目が生じたのは、直後のことだった。

「!?」

突然のことに固まる男の前で、そこからずるりと果物の皮が剥けるように開き、わずかに中身が露出する。

その中に詰まっていたのは美味しそうに熟れた果実などではなく、一個の眼球だった。


人間のそれを何倍にも拡大したような、狂ったサイズの目玉の怪物がそこにいた。

その表面を覆っているものを『表皮』と呼ぶべきなのか 『瞼』と呼ぶべきなのか。

悪夢めいた光景に頭が回らない。


その奇怪な物体は寝起きのように二、三度と目をまばたかせてから、青年のほうをじっと見つめる。

心の奥底を探るような、それでいて興味や好奇心めいたものは何ひとつ感じられないまなざし。

幽鬼のごとくゆらゆらと漂う瞳の化け物を前に、青年は蛇に睨まれた蛙のように萎縮してしまう。


「な、何なんですかこれ?」

かろうじて絞り出した問いに、

「私の『端末』だ」

振り返った男の目に入ったのは、カルヴィヌスの周囲に浮かぶ同じ形状の物体だった。

ざっと見た限りでは、青年のそばにあるものと区別がつかない。


宰相が指を鳴らすと、彼のすぐそばにいた『端末』は飼い慣らされた小鳥のように彼のもとへと近づいてゆく。

球体はそのまま差し出した手の上に止まるかに思われた。

だが、端末を出迎えたのは手のひらではなく、その上に忽然と浮かんだ魔方陣だった。

球体とそれが触れた瞬間、球体はまるで沼に落としたコインのようにぬるりとその中に沈んでゆく。

そして『端末』が完全に呑み込まれると、魔法陣は夜明けの月が空に溶けるようにそのまま姿を消した。


「お前から訊いてきたのだろう。どうすれば? とな」

済ませた宰相が向き直る。


「今お前が見たこれを使って計画を遂行する……いや、この場合使うのは『力』の方だが、な」


《百眼の(アルゴス)

その名が示すとおり、触れた対象の精神を乗っ取り、自らの『目』として使役する固有技能(ユニークスキル)だ。

『目』といっても実際は視覚だけでなく、その支配領域は聴覚や嗅覚などにまで及ぶ。能力的にはむしろ『操り人形』という表現のほうが適切かもしれない。

ただし、相手を支配するには対象に直接「触れる」ことが前提条件となるため、敵陣にいる兵士を支配して敵地の中枢の内情を探るといったことは出来ない。

それでも偵察や撹乱など、戦場における汎用性は高い。


触れるだけで相手を支配できる。

そう聞くと、どこか無敵の力のようにも聞こえるが、裏を返せばそれは『標的となる人や動物がいなければ発動すらできない』という意味でもある。

また、一度警戒されると途端に行使が難しくなるタイプの能力でもあり、頻繁に使うことは出来ないという弱点も持ち合わせていた。


そのウイークポイントをカバーするため産み出されたのがこの『端末』と呼ばれる魔法生物たちだった。

これ自体はその大きな目で対象を観察することと飛び回るぐらいしか特別な力を持たないが、単純な構造であるぶんコストがかからず、量産に向いている。


ちょっとした監視程度であればこの『端末』で事足りるというわけだ。


うっかりすると誤解してしまいそうになるが、百眼という能力名は端末の形状から名づけられたものではない。

『端末』はあくまで『百眼の王』の能力を最大限利用するために造られた代物であり、『百眼』とは全くの別ものだ。


固有の意識を持ち、そこに接続することさえ可能ならば魔法生物であっても有効なのだろう。

浮遊していたうちのひとつを掴むと、カルヴィヌスはオレンジでも放るように投げてよこす。


かろうじてそれを受け止めると、

「『聞こえるか』」

「おぅわっ!?」

球体からいきなり響いてきた声に、あやうく手の上のそれを取りこぼしそうになる。


あわてて両手で抱きかかえた後で、この奇妙な生き物が先ほどまで飛び回っていたことを思い出す。

場の空気に呑まれて完全に冷静な判断力を失っている己の間抜けぶりに顔を伏せる。


「それを(ふところ)に忍ばせておけ」

淡々とした声が真っ赤に染まった耳を打つ。


「今ので理解したと思うが、この『端末』には発声器官が内蔵されている」


カルヴィヌスのほうへと視線を戻すと、彼の口は引き結ばれたまま動いていない。

どうやら端末に喋らせるにはイメージするだけでいいらしい。


「私がどれだけの間、閣下の側近を務めたと思っている?」

「空の器を閣下で満たすくらい造作もない」

これは皇国だけの話ではない。

世界を欺く企みなのだ。

そんな大それた謀略を、男はこともなげに言ってのける。


ルークはその言葉から(にじ)み出す狂気をひしひしと感じていた。

だが同時に、それぐらいの人間でなければ、畏怖(いふ)崇敬(すうけい)の対象たる総統閣下の腹心など務まらないのかもしれないとも思った


「何かあれば私が指導してやる」

「優しさ、痛み入ります」

「何を勘違いしている?」

頭を下げた男に向けて醒めた声が返ってきた。

「私は貴様の失態が閣下の威信に泥を塗ることのないよう策を講じているに過ぎん」

「え? あー、なるほど」

「こちらはお前が五体バラバラになろうと痛くも痒くもない」

その言葉は同志でも部下でもなく、手に入れた道具に向けられたものだった。


別に丁重(ていちょう)に扱われることを期待していたわけではないが、面と向かって切り捨てられると、今さらのように己の境遇を思い知らされる。


不服ではあったが、だからといって断ることはできない。


ここでわざわざ手の内を明かしたということは、この計画が外に漏れないという絶対の自信があるということにほかならない。

だが、カルヴィヌスほどの知将が一兵卒にすぎないルークをこの短時間でそこまで信用したとは思えない。

つまりこの告白は、カルヴィヌスが青年を「これ以降話したくても話せない状況」に置くことを意味している。

もはや自分の手の内から抜け出すことは許さないという意思表示と言ってもよかった。

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