4.
森の中を走って、走って、昨日と同じように入ろうとしたところで、入口の前に立ち止まる。
木陰を盾に様子を見ると、入口の羽犬は、五匹に増えていた。
自分の蒔いた種だが、昨日と同じようには行かないらしい。ならば、と僕は木陰から出る。
当然、羽犬は僕の存在に気づき、唸り声を鳴らして近づく。説得は、意味がないだろう。長いものに巻かれて、言葉も忘れたような連中には、何を言っても通じない。やることは、一つしかない。
鋭い牙をむき出しにして、五匹が一斉に襲いかかる。近づいてきたそれらを、引きつけ、引きつけて……ぎりぎりのところで真横に避けた。勢いに任せて飛んだ身体は、着地に失敗して、地面を転がる。
「……っ」
だけど、止まっている暇はない。
入口に目を向けると、羽犬が妙な連帯意識を持っているお陰で空いていた。その隙を突き、全力で走って塔内部へ入る。それでも、今日はまだ油断できない。羽犬は当然追いかけてきていた。
そのまま階段を駆け上がって、上層へと歩を進めるが、上に行けば行くほど羽犬も神官もいる。階層毎に人数を増やしていては、捕まるのは時間の問題だろう。
少しづつ速度が遅くなりはじめているのを感じ、焦燥感が襲うけれど、羽犬は待ってはくれない。一匹、二匹と階層が増すごとに数は増えていく。
強行突破は、無理があったか。そう考えていた時、尻尾の先に痛みが走る。
「いっ……!」
振り返ると、先頭の一匹が追いついて、尻尾に噛みついていた。羽犬一匹分の体重が重く負荷をかけ、速度が大幅に落ちる。
(このままじゃ捕まる……っ!)
咄嗟に身体を丸めて、勢いよく後ろにジャンプする。尻尾に噛み付いたままの羽犬も引っ張られた。一回転した羽犬の前足が浮き上がり、背中から階下に落ちていく。
「ギャンッ!」
それに後続の羽犬達も巻き込まれて体勢を崩す。
「~~っ!」
羽犬の後頭部から打ち付けたことで口が思い切り閉まったせいか、尻尾が噛みちぎられた。けれど、これで逃げられる。
痛がるよりも早く、足は走りだしていた。遅れて、ちぎれた尻尾がズキズキと痛みだす。痛みを、歯を食いしばって誤魔化して。押し寄せる羽犬の群れに捕まらないように。自分に言い聞かせる。
大丈夫、大丈夫だ。こんな痛み、大したことない。それよりも痛いのは、今僕を突き刺す一番の痛みは……。
このチャンスを逃すまいと階段を駆け上がる。急がないとまた、羽犬が追いかけてくる。
その時、階段の途中に空いている部屋が目に入った。とっさに羽犬を撒こうと、その部屋に入って身を隠す。呼吸を潜め、通路の方に耳を傾けると、追いかけてきた羽犬達の足音が遠ざかっていった。
安堵して、息を一つ吐く。
「一体、なんの騒ぎだ?」
直後、部屋の奥から声が聞こえて、どきりと心臓が大きく鳴った。
「すみません、神官長。どうやら侵入者のようです」
「またか……。昨日の猫か?」
「どうやら、そのようです。現在、羽犬共が追跡しております」
「どうせ駆除対象だ。見つけ次第殺すように命令しておけ!」
「はい、了解いたしました」
「……それから、あの娘はちゃんと籠の中に閉じ込めているだろうな!?」
「はい。昨日侵入者が去った後も、きちんと確認を行いました」
「ならいい……。早くその愚かな猫を駆除してこい」
「はい、了解いたしました」
神官の足音が近づいてくる。慌てて、物陰に身を隠す。
部屋の椅子に座った神官長と呼ばれる人物を一瞥して、こっそりその部屋を後にした。
◇
尻尾の先が傷んだ。
血が滴って、通路に溶ける。
これは、涙だ。リタが流すはずだった涙だ。思い切り泣いて、この石造りの床一面にリタの涙の足跡を残してやればいい。僕の小さな両手では、その哀しみを受け止めてあげられないかもしれないけど、リタの涙を拭ってあげるなんて高尚なことはできないけど。ただ、傍にいてあげたい。
身体は、既に傷だらけだった。それでも足を止めずに、ようやく塔の最上階。リタの居る、鳥籠に辿り着く。
「リタ……!!」
顔を上げたリタは、鳥籠から僕を見つけて目を開く。
「クロ……? なんで……」
リタは驚いているようだった。
鳥籠の前には、槍を持った神官が二人。僕が部屋に入ってきたのを見て、血相を変えた。ここまで来れるわけ無いと、タカを括っていたのだろう。
だが、こちらも腹を括っている。
グッと足に力を入れて、そのまま突っ込む。片方の神官の顎へ、思い切り身体をぶつける。槍を構えることも間に合わなかったその神官は、成す術なく倒れた。もう片方の神官は、それを目の当たりにして、槍をすぐに構える。
「クロ! 危ない!」
切っ先が、スローモーションのようにゆっくりと近づいて。眼前まで届いたところでリタの叫びが聞こえた。反射的に身体ごと逸らして避けるが、ひげぶくろを掠めて、僅かに切れた。僕を貫こうとした槍は、地面に当たり、切っ先が折れる。好機だ。
そのまま神官目掛け腹部の少し上、鳩尾あたりに思い切り体をぶつける……が、神官は身体を捻って上手く避ける。そして、僕のお腹を右足で思いきり蹴り上げた。
思わず声が漏れる。
それを見ていたリタは籠の隙間から手を伸ばし、片足立ちになっていた神官のズボンを思いきり引っ張る。
当然神官は思い切り倒れて、その拍子に地面に頭を強く打ち、動かなくなってしまった。
シンとなった部屋で僕の息遣いだけが大きく聞こえる。痛む身体を痩せ我慢で隠し、リタへ何でもないようなアピールをするが、それでも隠しきれないほどの傷があった。
よろよろと立ち上がって、リタの居る鳥籠へと近づく。
「クロ、どうして……」
「友達になりにきたよ、リタ……」
口元を小さな掌で覆って、悲歎な視線を送る。
最初に会った時から、彼女は多分優しいから、自分のことよりもここに来た僕を心配することはわかっていた。だからなるべく、怪我をせずに来たかったのだけれど、さすがに無理をしすぎた。
鳥籠を開けようと入口を見ると、錠が掛かっていた。
「鍵が……リタ、鍵はどこにあるか知ってる?」
「たぶん、そこに倒れてる神官が持ってると思う」
リタが申し訳なさそうに答えて、僕が神官の服を探すと、リタは「ごめんね」と謝った。それは、何に対しての謝罪なのか。
神官の服から鍵を見つけて鳥籠を開けると、リタは僕を抱きしめた。
腕に力が込められ、どんな言葉よりも先に、キツく、抱きしめる。労いの言葉も慈しみの言葉も全てが、流れ込んでくる気がした。
「出よう、リタ。ここから……この、鳥籠から」
「でも、わたしは……」
それでもリタは尚、拒む。それを聞いて気づいた。リタがここに大人しく閉じ込められていたのは、やはり贖罪なんだと思う。その重荷が枷になり、この場所に囚われている。そんな気持ちを引きずったままでは、たとえ出られても、生きづらい。
言葉は呪いだ。簡単に人を縛りつける。だから罪には罰が必要だし、償いを果たさなければならない。でも、彼女の罪は彼女自身のものではなく、すでにこの国では忘れられようとしているものなのに今なお彼女はその罪の重さに絡めとられている。
僕は、どうすれば……。
「いたぞ!」
室内に怒声が響く。上ってきた階段の方から羽犬と神官達が次々と来ていた。そして、その先頭に昂然と、神官長が姿を現す。
「コレか。昨日からリタに接触をしている羽猫というのは。言葉はわかるか? 何故、リタに接触する? 何が目的だ?」
僕を抱きしめたまま、リタはその手に力を込める。弱々しい翠緑の眼光で、神官長をじっと見据えて。
微かに、身体が震えていた。
「……リタを、ここから連れ出したい」
「……」
神官長は顔を歪める。そこから読み取れる感情は、怒りだ。
「その意味が解って言っているのか? リタはこの国の罪人だぞ? 私たちが許しても、民衆が黙っていない。フェーリンが許しはしない。そして、たかが羽猫風情が、何ができる? 神は、風だ。いつの時も私たちの傍にいる。お前がたとえここからどこへ逃げられようとも、どこまでも追いかけてくる。この世界に、お前たちの逃げ場など、どこにも無いんだ」
「僕は、リタの友達だ……! 逃げ場なら僕が作る!」
「笑わせるな! 害獣風情が、動物が人間と友達だと!? お前が、羽猫が、人間といつまで一緒に居られると思っているんだ! 羽猫の寿命など、知れているだろう? お前が消えた時に必ず後悔するぞ? お前がじゃなく、リタ、お前がな。さぁ、さっさとリタをこちらへ渡せ。知っているか? どうせ、その娘は十五を迎えた頃に、人柱になる。それで、神の怒りは収まり、この国は救われるはずだ。そして、その日はもう近くまで迫っている。害獣でも理解できるか? お前が、その娘を連れ出す意味が。たとえ、この場を上手く切り抜けても、そうなってしまっては、お前たちは一生民衆からも後ろ指を差される。神にも見放されて、同類にも見放されて、どうやって生きていくと言うんだ!?」
「そうやって、生きてきたから……僕はここにいるんだ!」
リタの腕の中から抜け出して、神官長に向かって走る。身体を丸めてそのままぶつかると、神官長は声をもらして倒れたが、それまでだった。
「……ぐぅっ、馬鹿め。自ら向かってくるとは……」
首を思い切り掴まれ、身動きがとれなくなる。
「クロ! 神官長、離してください! 私、逃げませんから! だから、クロだけは見逃してあげてください!」
(ダメだ、リタ……っ)
喉を締め上げられる程の強い力で首を掴まれ声が出ない。必死になって暴れてみたものの、脳に酸素が行き渡らず、意識が朦朧としてくる。
頭の先からスーっと、身体が消えていくような感覚を覚えた。
「よく見ていろ、リタ。お前の友達とやらの、哀れな末路を。母親や父親の時のように、その罪の意識を一生背負っていろ!」
神官長は、そう言い捨てると、換気の為に開けられた穴の方へ歩を進める。
「やめてっ! クロ、起きてっ! 逃げて! 逃げてぇ!!」
遠くに、リタの声が聞こえた。次の瞬間、僕の身体を浮遊感が包み込む。神官長の手が離れたことで、モザイクがかかったようにチカチカとする視界が戻り始めると、自分がどんな状況に置かれているか、自分でも驚く程瞬時に理解できた。穴から投げられた身体は、コマ送りさながら、ゆっくりと落ちていくように感じる。頭の中に、今までの思い出が鮮明に過ぎり、これが走馬灯というやつか、と冷静に考えていた。正面には、神官長の姿が見える。口元を歪め、今にも高笑いが聞こえてきそうだ。その横で、リタが懸命に叫んでいるのが目に入った。
(ごめん、ごめんね、リタ。僕はやっぱり、君を助けちゃダメだったのかもしれないね。僕がいなくなったことで、どれほどの迷惑が掛かるかと思うと、悔しいよ、めちゃくちゃに。あいつらの正義に、蹴りいれてやりたいよ)
身体は、重力に則り、落ちていく。
リタは叫んでいた。
綺麗な瞳に涙を溜めて、穴から手を伸ばして、身を乗り出す。そして……。
「クロっ!!」
僕目掛けて、勢いよく飛び出した。
「なっ!?」
神官長が声を上げる。
一瞬の出来事だった。
両手を広げたリタは、空中に投げ出された僕を抱きしめる。強く、もう決して離さないように、強く。僕を見つめて、何かを覚悟したように瞼を閉じる。そこに言葉は必要なかった。
このまま、僕らは落ちていく。それでいいのかもしれない。結果として、リタは神官達のもとから抜け出して、僕はリタと友達になれた。生きている限り、僕らが追い詰められるのなら、これが最良の結末だろう? 僕は、僕とリタは、友達として消えていけるんだ。その事実は永遠に、消えることはない。僕らは、ようやく自由になれる。リタの腕の中で、僕も目を瞑った。これで、やっと終われる。
思えば、僕らは弱い心と、弱い言葉しか持ってなかった。見つめ合ってわかりあうことだけが最後の手段ではないとわかっている。わかっていたはずなのに、今はこうすることしかできなかった。結ばれた掌の温度と哀しげな視線だけで、今は互いの気持ちを語り合いたかった。それが例え遺言のような内容でも、シニカルに笑いたかった。でも、全部できなかった。力を込められた、リタの両腕が痛い。僕を抱きしめているそのか細い腕が、華奢な体が、震えていることに気づいたのは、その時だった。僕は、僕たちは、こんな風に流されて、本当に自由になれるのだろうか……。
「……そんなわけ、ない」
「…………クロ?」
僕の呟きに、リタが反応する。涙が滲んだ彼女の瞳を見つめて、言葉を続けた。
「リタ……飛ぼう」
「……クロ?」
「飛ぼう! リタ、翼を広げて!」
「でも……」
時間がない。地面がそこまで迫ってきていた。
「飛べない、飛べるわけないよ。だって、私は、クロだって……」
「大丈夫だ! リタ! 僕らは、僕らの背中には翼があるだろう!? たとえ体に枷が掛けられても、僕らの心はいつだって自由だ、その気になればこの世界のどこへだって自由に飛んで行けるはずなんだ!」
だからどうか、心まで囚われないで。
祈るように、叫んだ。
「……」
不安そうに僕を見ていたリタの瞳に力が宿る。抱きしめたその腕に力を込めると、リタの片翼が、大きく開いた。その片翼を補うように、僕も翼を動かす。
「動け、動け――!!」
三枚の翼が懸命に空を掻いた。だけど地面との距離は縮まるばかりで。
それでも必死に翼を動かした。地面が迫りぶつかる間際、リタと僕は翼を動かし続けて、瞼を閉じて、お互いを確認するように抱きしめて。そして――
――風が、吹いた。
◇
言葉通り、何が起きたのか全くわからなかった。塔の最上階から落ちていた僕とリタは気がついたら、空中にいた。翼は動かしたままで、そこに風の、何かを掴むような感触が、確かにある。
体を通り抜けるモノが風なのか、僕にはわからなかったけれど、生きていることに安堵する。
ゆっくりと翼の動きを止めて、地面に降りると、リタは足がおぼつかず、その場にへたりこんだ。
「リタ、大丈夫?」
「……クロこそ」
へたりこんではいないものの、僕の足は震えていた。お互いの情けなさに、思わず吹き出す。それに同調するように、風が僕らの間で渦を巻いていた。
この“正体”が一体何なのか。気になるけれど、今はまだ、それを知る術はない。結果的に僕らは生きて、逃げ出せた。今はただ、それだけで良かった。
そして、ここはまだ塔の真下だ。油断はできない。
へたりこんだリタへ小さな手を差し出す。
「遊びに行こう、リタ」
「……うん」
リタは、僕の手を取る。
「たくさん……これからたくさん、遊び方を教えてね、クロ」
立ち上がったリタは、小さく微笑んだ。
歩き出した僕らの後ろに風が、どこからか風がまた吹いて、緑豊かな森を駆け抜け、聳え広がる丘へと届き、星の輝きを放つ海へと広がり、この国の隅々まで吹き渡る。仄暗い雲がゆっくりと辷りはじめて、フィルターが外れた陽の光が街へ降り注ぐ。僕らの溝を埋めるように、風がただ吹いていた。
自由を返してもらった日。手を取って歩き出した僕らは、弱々しい翼を広げて。空に足掻いた。
……僕らはきっと、わかりあうことはできないのだと思う。好き勝手に言い合って、衝突し合って、一方的な感情を押し付けて。
手を繋いで、簡単に仲直りなんてできないけれど、繋いだ手から伝わる温もりは、一人では生み出せない。
一人では生きれないように。
一人で生きる人がいないように。
意図して作られた欠陥品。
だからもう僕らはきっと、哀しまないで歩いていける。
風の音に耳を澄ませて、誰かの声を聞いて。
僕らの国には、風が吹いている。
心地よく語りかける風。
風の音が鯨の鳴き声のように、高く空へと轟いた。
了