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風の音に耳を澄ませて  作者: 原案:深江 碧×文章:白井 滓太
2/5

2.


 とうに動く事を止めた風車。接合部はすっかり錆ついているけれど、昔は動いていたのだという。

 窓からその接合部を見つめながら、どのように動いていたのかを想像してみる。エフネ――飼い主――が言うには、先端を中心に、四つに伸びた羽の部分が、回っていたのだとか。

 どうやって?

 それは多分、風を受けてだろう。

 僕たちが住む王国――オウェイナガート――には昔、風が常に吹いていたらしい。

 風が豊かな国の人々は、この風車を利用して産業の要を担い、それなりに栄えていたそうだ。

 ところがある日、国の王族がフェーリン――風の神――を宿した宝玉を割ってしまい、それ以来、風はこの国に吹いていない。

 風の神を祀っていた神官達は当然怒り、王族を“大罪人”として処刑し、権力を取り上げた。

 ……十数年程前の話だ。僕はまだ生まれるか生まれていないかの頃だが、その頃を知る人間にとっては、まだ記憶に新しい。けれど、栄えていたというのは、活気の無いこの国の現状を見れば、いささか嘘くさい。風車と同じく、すっかり錆びれてしまっている。

 色彩が失せた灰色の空。蘆荻のように項垂れた人々の蕭条たる眺めは、かつての活気を微塵も感じさせない。その有様に、かつてこの空を飛んでいた時代があったのかと疑ってしまうが、僕の背中には現実に“翼”が生えている。僕だけではなく、この国の人や動物にも、みんな。


 “有翼人ゆうよくじん”。


 外の国の人間は、この国に住む人をそう呼ぶ。翼を手にした彼の国の人々は、風に乗り空を飛んでいたそうだ。

 とはいえ、風の止んだ今となっては、根も葉もない話だが、本当ならロマンのある話でもある。

 窓のふちに座っていた僕は、大きくアクビをして、視線を上げる。その先には高く聳える塔があった。

 灰で濁った分厚い雲に突き刺さる程高く。王権を失った今、国の中枢となっている巨大な象徴。時に冷たく感じる石造りの景色は、民を圧倒する天空のモーメント。

 国民は、あの塔のことを“シュリーヴ・ガリオン”と呼んでいる。

 国が出来た頃、風の神フェーリンを祀るために建てたらしく、塔内には神官達が怒りを沈めるため、駐在している。国内オウェイナガートでは、一番高い建造物だ。

 もし、あの塔の上から飛べたなら、どんなに気持ち良いだろう。それは、子ども心に抱いた淡い夢だった。空を飛べない僕らには、決して叶わない。

 それに、あの塔には……。

「クロー! おいでー!」

 飼いエフネの声が聞こえた。

 窓の縁に座っていた僕は、飛び降りて声の聞こえた方向、エフネの居る一室へ小さな足音を鳴らす。

 緩く開けられたトビラを頭で押し開けて、そっと部屋に入ると、頭を撫でられた。僕は喉を鳴らして喜びを伝えた。首に付けられた鈴の音が室内に響く。

 ……僕は、彼女に飼われている羽猫ドウンという種族だ。クロという名前は、彼女から付けてもらった。体色が由来だと間違われやすいが彼女曰く、黒色が好きだから、らしい。僕を使い魔にした時も、丁度黒い猫を探していたそうなので、クロという名前は既に決まっていたそうだ。飼い主ながら安直だと思うけれど、主従の関係にあるので文句は言えない。飼われている、と言ってもただのペットではないのだから。

「エフネ、またおつかい?」

 小首を傾げて訊ねると、首に付けられた鈴がまた音を立てる。

 目深に被った黒いフードの隙間から、彼女独特のあかい前髪と、優しく僕を映す碧瞳あおめを覗かせる。だけど、その背中には、国の人間なら誰もが持っている翼はない。それはつまり、エフネがこの国の生まれではないことを意味していた。

 彼女は、異邦から来た『魔女』と呼ばれる人間だ……と言ってしまえば、不気味な存在を連想されがちだが、童話やお伽噺に登場するような魔女とは違う。よく聞くようなお婆ちゃんでもなければ、鼻も大きくない。たしか年齢はサンジュウダイゼンハンと言っていたけれど、僕には街で見かける若い女性と、そう変わらないように見える。

 全てを教えてもらった訳ではないけれど、彼女が魔女として日頃している事といえば、依頼者の要件に合った薬やお守りを作っているくらいだ。

「クロは理解が早くて助かるよ。でも、今日のお使いは、今までより少し大変かもしれないよ?」

「?」

 この疑問符はエフネの言葉の意味がわからなかったことを意味するものではない。“今までに大変じゃないおつかいがあっただろうか?”という疑問に対するものだ。けれど、こうしてあらたまって言われるのは珍しい。それだけに、少し不安になった。

「どこに行けばいいの?」

「よし。じゃあ、外に出てみようか」

 エフネに促され、風車住居ウインドミルケイブを出る。

 そして、玄関を出てすぐある方向を指さした。

「あの塔が見えるかい? クロ」

「……うん」

 指をさしたのは、僕がさっきまで見ていた、あの“高い塔シュリーヴ・ガリオン”だ。正直、既に凄く嫌な予感がしていた。

「理解の早いクロならもう解ったと思うけど、今回のお使いは、あの塔の一番上にいるコに、“コレ”を届けて欲しいんだ」

 エフネは、ポケットから取り出した小さな袋を掌に乗せて見せる。原則として、中に何が入っているのかは聞けない事になっているし、大抵は関係のないものなので、今更中身について聞こうとは思わないが、それよりも聞きたい事がある。

「でも、エフネ。あの塔は……」

 ……そう、あの塔は、この国の風の神フェーリンの象徴でもあり、神官がその怒りを今も収めている。そしてその最上階には、当時は幼さゆえに極刑を免れた、王族の娘が幽閉されているという話だ。

 そして何より、羽犬デルガと呼ばれる獰猛な種族が塔の周りを守っていて、不用意には近づけない。

 体の小さな僕らよりも三、四回り程大きく黒い体毛に、大きな牙。

 小さい頃に襲われた羽犬の姿を思い出し、身震いする。

「うん。だから今回はクロに聞いてみたんだ。どうする?」

 エフネの口調は軽いのに、その問いかけは重かった。

 確かに、羽犬は怖い。記憶にあるその姿は、僕にとって畏怖の対象でしかない。それでも、エフネに期待をかけられては、行かないわけにはいかない。使い魔にとっては、信用問題とイコールなのだから。

「……行くよ」

 それに、個人的にはあの塔の中には少し興味がある。言うなれば、これは大仕事だ。大役を任されたのだから、応えるのが筋というものだろう。

 乗せられるように頷くと、エフネは口の端を吊り上げて「ありがとう」と首輪に袋を括りつけた。

 首を振って、袋が付いていることを確認すると、エフネに尻尾を向ける。

「そうだ。塔にはフェーリン――風の神様――を祀る神官達がいるのは知っているね? 面倒だから、彼らには見つからないように行くのがいいだろう。勿論、羽犬にもね」

「……」

 さりげなく難易度を上げてくれたエフネを振り返る。

「それじゃあ、いってきます」

「うん。……頑張ってね」

 鼻をフンと鳴らして、走り出す。

 その後に呟いたエフネの言葉は聞こえないまま。

 家から出てすぐの、森の中を駆け抜けて、ポプラ木立のむらを巧みに避けて、ふと気づく。

 そういえば、今日は「いってらっしゃい」と言われなかった。


    ◇


 羽犬と羽猫は、基本的に相容れない存在だ。

 こちらとしては、野蛮な羽犬なんかと同列に扱って欲しくはないが、お互い人間に飼われている身なので、人間から見れば似たようなものなのだろう。

 簡単な違いを言えば、羽犬は人間の言葉に従順だが、羽猫はあまり人間の言葉を重視していない。野良に至っては、それが殊更顕著だ。

 それ故か、危険度こそ低いものの、現在羽猫は害獣として、国の駆除対象に指定されている。それがエスカレートして、野良の羽猫を見つけるために、年に一回ほど羽犬を駆りだす始末だ。そんな背景がある為か、羽猫は羽犬をよく思っていない。勿論、羽猫が全く悪くないとは言えない。人に尻尾を振ったか否か。ただそれだけの差異だ。

「……」

 ……塔の入口近くまでたどり着いた僕は、息を潜めて木陰に隠れていた。

 森の中で見かけた羽犬達は、上手く身を隠してやり過ごせたものの、今度は入口に一匹張り付いている。多分、中にいるという神官の“命令”だろう。

 さて、どうしようか。入口は一つ。おそらく、走って正面から入っても羽犬やつらは鈍臭いから追いついてこれない。だけど、“おつかい”である手前、事は荒立てたくないし、そういえばエフネから見つかるな、と言われていた事を思い出した。なら、やることは一つしかない。

 そばに落ちていた石ころを口に咥える。そして、頭を思い切り振って、その石を遠くの茂みに放り投げた。

 音に反応した羽犬は、耳を動かして、音の聞こえた方向に走る。

(今だ……!)

 足音を出さずにその後ろを過ぎて、塔内部へ上手く潜り込む。思っていたよりも簡単に入れたことに、少なからず安堵するも、それも束の間。今度は別の、人間の足音が近づいてくる。咄嗟に近くの置物に隠れてやり過ごした。

(し、心臓に悪い……)

 通り過ぎたのを確認して、ようやく胸を撫で下ろす。

 辺りを見回し、呼吸を整える。

 憧れていた塔の内部は、想像していたよりも広かった。王宮とは違い、門すらない吹きさらしの入口を抜けると、石造りの内壁と床。およそ人間からかけ離れた姿の置物が通路に整列している。おそらくこれが、風の神フェーリンなのだろう。

 もっと内部を良く見てみたい衝動を抑えて、通路の先を進む。どこかに上へと続く階段が無いかを探す。時折、神官の足音や声が聞こえると、その度やり過ごして。

 一階、二階……気の長い作業だったが、人目に触れず進むのは、いつものおつかいで慣れている。

 やがて、階数を数えるのも億劫になってきた頃、ようやく最上階に到達した。どうやら神官達はいないようだ。

 広い部屋の中には、最低限生活ができそうな物と、おそらく換気用に後から空けられた小さな穴――人間一人がぎりぎり通れそうな大きさのもの――。そして、中心には大きな“鳥籠”のような檻が一つ。異様な存在感を放っていた。

 空気が重い。そう感じるのは、この塔の高さのせいか、或いは、中にいる虜囚りょしゅうのせいか。……再度誰も居ないことを確認して、足を踏み出す。呼吸と鼓動が、大きくなっていくのがわかった。

 王族の娘……。その存在は、噂でしか聞いたことはなく、国内の人間は誰も見たことはない。なぜなら、彼女がここに入ったのは、赤子の時だ。

 一体、どんな人物なのか。

 ゆっくりと、鳥籠に座り込んだ人物を確認出来る距離まで近づく。

「……え?」

 そして、その姿を見た僕は、無意識に声を出していた。

 中心に座り込んだ人物……少女は、微かな声に気がつくと、閉じていた瞼を静かに開く。鮮やかな翠緑が見えて、一双の明眸に光が宿る。

 着古した一枚着ワンピースドレスから真白い腕を伸ばし、口元を掌で抑えて……何をするのかと思えば、小さく、あくびをした。接地する程長く伸びた金色の髪は、透き通るように流れて、背中から生えた“片翼”が、とても神聖なモノに思えた。

「……どなた?」

 座ったまま、少女は静かに問いかける。その仕草に、放たれた言葉に、射竦められた僕は、言葉を発する事を忘れていた。

「……あら、」

 少女がその存在に気づいたのと、僕が我に返ったのは、ほぼ同じだったと思う。

「こんにちわ、小さなお客さま」

「あ、こ、こんにちわ」

 籠の隙間から小さな手を出して、まるでチェリーを転がすように自然に、喉を撫でられる。白い指先がなぞる感触に逆らえず、本能のまま頭を摺り寄せた。

「何かご用? ここに羽猫あなた達は入れないから、きっとこっそり入ってきたのでしょう? 神官も羽犬も、しばらくは来ないけれど、早くしないと危ないよ」

 ……あぁ、そうだ。撫でられて気を良くしている場合じゃない。お使いを済ませないと。

「ねぇ、キミが」

「リタでいいよ。あなた、お名前は?」

「……クロ」

「クロ、ね。クロ。なんだか、そのままのお名前ね」

「よく、言われるよ」

 すっかりペースに乗せられている。

 リタと名乗った少女は、オブラートに包むことなく、そう言って笑みを零す。それで僕も、少しだけ緊張が解れたような気がした。少なくとも、リタが悪い人間には見えない。

「クロ、クロ、よろしくね。それでは改めて、何かご用? こっそり会いに来るほどだから、大事な用事なのでしょうけれど、この通り囚われの身だから、出来ることは少ないわ。でも、わたしに出来ることなら、」

「あ、ううん。違うんだ、リタ。僕はただ渡したい物があって……」

 首を捻って、袋を差し出す。

「これは……?」

 括りつけられた袋を外してもらい、中身を取り出す。中に入っていたのは“石”と、“手紙”。それが何を意味するものなのか、僕には知りえない。受け取ったリタ自身も、意味が良く解っていないように見える。

「これを誰から?」

「エフネだよ。僕の飼い主で、森の中に居る魔女なんだ」

「エフネ、さん……?」

 名前を聞いても、リタの中で合点がいかないらしい。この塔の頂上に居るコと言われたので、間違いではないと思う。依頼者の用事まで正確に把握して、おつかいを出すエフネが、今までに間違えたことなどない。では何故、何も知らないリタへこれを?

 疑問符を浮かべていたが、リタは一先ず手紙と石を袋の中に仕舞い、僕へと視線を戻す。

「ありがとう、クロ。後で確認しておくね。要件は、他にある?」

 頼まれたおつかいは、これを渡すことだけだ。そのことを伝えて帰ろうとした時。

「……待って、クロ」

 リタの声が僕の足を引き止めた。

「どうしたの?」

 問いかけに、どう答えればいいのか。引き止めたリタ自身も迷っているようだった。視線を迷わせる翠緑の瞳が凛と揺れる。微かな郷愁を思わせながら、記憶のどこかに少し染みた。

「クロはもう、帰っちゃうんだよね……?」

「うん。早く帰らないと、エフネが心配するから」

「そう、だよね……」

 リタの声が沈む。何か、落ち込んでいるみたいだ。何とかしてあげたいけど、どんな言葉をかければいいのかわからない。

 言葉が止んで、暫し無音が空間を支配して。耐え切れずに、僕が口を開きかけた時、リタは檻の隙間から、その真白い手をいっぱいに伸ばして、ヒゲの先に優しく触れる。

「クロ、私の友達になって」

 リタの言葉は、縋るようだった。

 恐らく、その時の僕にとって一番聞いてはいけない言葉。だけど、不思議と僕はそれを待っていた気がする。年端もいかない少女が、何年もこの場所で過ごしている。過去に罪を犯した王族の娘というだけで。

 何の罪も犯していない少女が、これからどんな刃で裁かれるのだろうか。もし少女を裁く刃があるとするなら、それは切れ味の悪いナマクラで、後に残るのは“傷み”だけだ。

 リタの“翼”を見る。片方しかない翼を。

 前におつかいに出た時、城下街の市場スークで聞いたことがある。王族の娘は幽閉されてすぐ、片翼を切られたそうだ。例え風がまた吹いて、空を飛べるようになったとしても、飛べないように。

 僕の居る場所からは、彼女の背は見れない。それでも、片翼しかない事実が、痛々しい噂に信憑性を帯びていく。

 だから、全く予想できなかったわけではない。当然といえば当然の台詞ことばだ。王族が罪を犯したという理由で、ずっと閉じ込められていた少女の境遇がどんなものだったか、想像に難くない。独りでいる辛さは、僕も解っているつもりだ。少女のささやかな願いを、たとえ飾りだとしても、受け入れてあげたい。そして今それができるのは、ここにいる僕だけだ。それはちゃんとわかっていた。わかっていたけれどそれでも、リタは人間で、僕はただの羽猫で……二人の間にある間隔へだたりは離れている。ここでイタズラに受け入れても、あとから必ず少女を苦しめる事になる。

「リタ……ごめん。僕には、できないよ」

 だって、僕らにはもう翼がないから。あの空を自由に飛びまわる事だって、叶わない。自由は、とうに失われているんだ。

「どうして? クロ、もう会いにきてくれなくてもいいから。ただ、何もない私にも友達がいた、そんな証が欲しいだけ。私が居なくなっても、少しでも私を覚えていてくれる存在が欲しいだけ……ねぇ、クロ。それでも……」

 リタは手を伸ばす。そんな少女を引き離す痛みは、この小さな心臓にはあまりにも大きすぎた。

 僕が何かを言おうと口を開きかけた時、視線を僕の背後に向けて、リタは顔色を変える。

「クロ……っ!」

 振り返ると、そこには神官と、数匹の羽犬が唸り声をあげていた。

「逃げて! 早く!」

 リタが叫んでいた気がする。

 無我夢中で神官と羽犬の脇を通り過ぎて、後ろから聞こえる罵声を振り切りながら、ひたすら走った。

 リタへの返事を保留にしたまま。

 おつかいをしくじってしまったことよりも、僕が見つかった事で、リタがどうなってしまうのか。それが心配だった。

 少女の事を考えると、胸が張り裂けそうだった。

 少女の言葉が、最後に見た哀しそうな顔が、頭から離れなかった。



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