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次の日、馬車の席は、アイシャとベルツが向かい合う形になった。
(キスさせようとしているの?)
ベルツは、そう疑ってしまった。アイシャも不安そうな顔でこちらを見ているようだ。
(アイシャ)
つい手を伸ばすと、アイシャの手に触れた。
「キャ!」
アイシャは、驚いているようだった。
『ごめんなさい』
「いえ、王子、また、あの声が聞こえたらと思って怖くなってしまったの」
(あの声?)
アイシャは、ベルツの声が聞こえるのだ。だから、とても不愉快な声なのではないかと不安になる。
(ヒキガエルのような声だったりしたら嫌だな)
そんな声を好きな人に聞かせたい人はいないだろう。
(アイシャ……)
アイシャを見つめて不安になっていた。
「あの、王子、手は握らないでください」
『わかった』
もし、嫌な声なら聞かせたくない。
ベルツは、落ち込んでいた。
『エルガドは、アイシャにとってどういう所?』
「山の奥にある、小さな村で、自然しかないところ、私にとっては、故郷かな?」
『エルガドの家族は? どんな人?』
「じっちゃとばっちゃとおじさんと四人暮らし、お母さんやお父さんは、いつのまにかいなくなっていたよ」
『アイシャ、かわいそう』
「そんなことないですよ、お母さんやお父さんは、旅に出たのですもの」
ベルツは、あの世に行ったことを認めたくなくてそう言っているのだと思ったので。
『そうか』
あいまいに返事した。
馬車は、ガタガタと進んでいく。
「王子が、エルガドに来て楽しめるものがあるんですか?」
『わからない』
「そうよね、未知の土地って感じでしょうから」
アイシャは楽しそうにそう言う。
(アイシャ、楽しそう)
ベルツは、うれしくなっていた。
「王子は、私とキスがしたいだけですものね」
『いや……』
「いいのよ、私の音が欲しいんですものね」
(アイシャ、それだけじゃないんだ)
伝えていいのかわからないが、アイシャとずっと一緒にいたかった。悩んでいると、アイシャはきょとんとしていた。
「なんか、王子といると調子が狂うわ」
アイシャが照れながらそう言った。
『アイシャこそ、私を狂わせている』
「そんなつもりはないの」
アイシャは、必死にそう言ってきた。
『冗談』
本心とも言えず、ごまかした。
「王子もジョークとか言うのですね」
アイシャが楽しそうにそう言う。
(アイシャの笑顔……)
ドキドキと心臓が高鳴る。
二人で話しているうちに一日目の宿に着いた。
「王子、今日はありがとうございます」
『うん、またね』
そう書いて、部屋に入って行った。
天蓋付きのベッドにマホガニー製のクローゼット、木で出来たテーブル、いすが置いてある。
「王子、どうでしたか?」
マティスが怪しげに笑う。
『何?』
「アイシャの、キスは奪えなかったようですね」
マティスは、呆れている。
「ここは、男を見せてだな」
『ダメだよ、今したら、アイシャは、本当に手に入らなくなってしまう』
「は?」
『アイシャは、音のためだけに利用されていると思っているんだ』
「それは、大変だね、彼女を落とすまではできないね」
『そうだろう』
ベルツが落ち込んでいると。
「大丈夫だ。ベルツには、魅力があるから」
マティスは、何の根拠もなくそう言う。
「今日は、寝て、明日考えよう、じゃあな」
マティスはいなくなった。
(アイシャ……)
アイシャの事を想ってしまう。