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ベルツは、一人バルコニーで物思いに更けていた。
(アイシャ……)
アイシャは、妻になってはくれないと言った。
(俺のどこがいやなのかな?)
彼女の事だ。格好や性格より帰らなければいけない絶対的な理由があるのだろう。
一人ふつふつと考えていた。
「おう、ベルツ」
マティスが声をかけてきた。
『びっくりした』
「そうか、アイシャちゃんの事考えていたんじゃないのかい」
ぎくっと体が動く。
「あはは、しゃべらなくてもわかるよ、考えていたんだね」
マティスは、楽しそうに笑う。
「人生うまくいかない事ばかりさ」
マティスも、物思いに更けている。
『マティスもふられた事があるの?』
「当然」
マティスは、当たり前のことのように言った。
「あの子がキスさえしてくれれば、こちらとしては、どうでもいいのだけど、ベルツはそうじゃなさそうだね」
マティスが苦笑いを浮かべそう言った。
『好きなんだ』
「俺に告白してどうする」
『アイシャにも言ったつもりでいる』
「つもりでいるって言ってないパターンだぞ」
『妻になって欲しいは、告白じゃないの?』
「いや、あの子、音の子なんだろう、それをもらうためにそう言ったと思ったかもしれないじゃないか」
『そうなの』
「そうだよ」
ベルツは、ため息をついた。
(アイシャ)
こんなにアイシャの事を想うのに、アイシャは、少しもベルツを想っていないのだろう。
「まあ、アイシャちゃんも、すぐに落ちてくれるさ」
『そうかな?』
「大丈夫だって」
そう言う風にマティスが応援してくれるのは、うれしいが、アイシャは、何を考えているのかさっぱりだった。
☆☆
アイシャは、部屋に通されて驚いていた。
「こんなに立派な部屋に私が泊まるのですか?」
天蓋付きの大きなベッドと、マホガニー製のクローゼットが置いてあり、鏡台、ソファが置いてある。
「はい、アイシャ様」
ベティと言うメイドがそう言った。栗色の短い髪の毛が印象的な、背の低い女性だった。
「夕食は、六時でございますので、忘れずに」
「は、はい」
ベティが出て行った後、ベッドに一回飛び乗ってみた。
「すごい反発力」
ボンッと跳ね返してしまった。
「なんかやたら、枕が多いわね」
そう言って、ギシギシベッドに立ってみる。
「わ~、すごい柔らかい」
しばらくして満足して、ソファに座っていた。
「王子と結婚したら、毎日こうなのかしら?」
少しばかり、ベルツの事を思い出した。
(悪い人じゃないけど、私は、村に帰らなくちゃ)
繋いだ手から伝わってきた声は、特別で、甘くささやくような、優しい響きだったのだった。
(あんな声を聞かされて平気なわけがないでしょう)
ベルツをどうしても意識してしまうアイシャがいた。
(王子……)
妻にしたいと言ったがそれは、音のため?
(そうよ、そうに違いない)
――でも、王子は、かわいいって言ってくれた。
(心の音だもの嘘はないわ)
「あ~、もう」
枕を壁に投げつけた。
「王子の気持ちがわからないわよ」
アイシャは、枕を拾ってベッドに座った。
(王子……)
思い出してしまうのをぐっとこらえた。
☆ ♪ ☆
そして、夕食。
「あの~、なんで、こんなにナイフとフォークが多いのですか? こんなにたくさん必要かしら?」
目の前に並んでいるのは、大量のナイフとフォーク。
「アイシャさんは、好きに使っていいわよ」
「村娘にマナーを守れなんて、言いませんから」
ベティと王妃にそう言われてほっとしていると、隣にベルツが座った。
『アイシャ、こんばんは』
「こんばんは」
挨拶をすると、王子は考えているようだった。
はしっと手を握り。
『どうして君はお金が必要なの?』
「村のためです」
「何? アイシャさん」
(そう言えば、この声は、みんなには聞こえないんだった)
『俺は、君が困っているのならできる限り協力する』
「お金をくれればそれでいいのよ」
『君は、本当は優しい子なんだろう』
アイシャが赤くなると辺りの人達がにやにやする。
「食事にしましょう」
ベルツは手を離してくれた。
(キスしたら、お別れの相手なのに、何なのあの声)
手から伝わってくる音の艶めかしさと言ったら、なんと例えていいのかわからないほどだった。
「アイシャさん、味は、どうですか?」
「おいしいです。この肉は、何肉でしょうか?」
「鳥だね、気に入ったかね?」
「ええ」
スープは白く、ポタージュの様になっている。サラダも豪華にきゅうりやレタスが使われている。
「みんなに食べさせてあげたい」
「アイシャさんは、どこの村の出身なのかしら?」
「エルガド村です」
「まあ、あんな山奥で暮らしているの?」
「ええ」
「それじゃあ、大変でしょうね」
「まあ……」
☆ ♪ ☆
その食事の後、ベルツと二人きりになった。
『エルガドってどういう所?』
「みんな、山奥の村だから、かわいそうだって言うけど、山奥は山奥でいいところもあるのよ、例え、食糧難でも、草だらけとか言われても、空気がきれいでいいところだもん」
ベルツは、何も言わず、アイシャの頭を撫でた。
「私、村に帰りたい」
「……」
ベルツは、アイシャを見つめることしかできない様だ。
☆☆
ベルツは、その後、マティスと語り合った。
『アイシャは、村に帰りたいんだって』
「じゃあ、さっさとキスしろよ」
『キス!』
ベルツは、忘れていた。音を返してもらわなければいけないことを。
「まさか、アイシャちゃんに見とれていて忘れてしまったとか言うなよ」
『……実は、そうなんだ』
「ほら、ベルツダメだろ」
マティスの忠告も最もだった。
(でも、それをしちゃうと、アイシャと一緒にいる理由が無くなっちゃう)
ベルツは、心の中で葛藤していた。
「あれ、ベルツ、もしかして、アイシャちゃんを手放したくないとか言わないよね?」
『ずっとそう言っている』
「そうだったか……まあ、頑張れよ」
マティスがいなくなった。
(はあ、アイシャ、なぜ、うまくいかないんだ)
心の中でため息をこぼす。
☆ ♪ ☆
次の日になると。
『アイシャの村に一緒に行きたい』
ベルツは、王と王妃にそう言った。
「ダメよ、エルガドなんて」
『だって、たくさん、食料などを届けてあげるのでしょう?』
「そうね、確かにエルガドに、食料や金銭を援助するとは言ったものね」
王妃が困っている。
『行ってもいいですか?』
「いいぞ」
王がそう言った。
すぐにアイシャが呼ばれて。
「ベルツが、アイシャの帰国についていくことになった」
「えっ?」
『よろしく』
「よろしくお願いします」
アイシャは、少しばかり顔が困っている。
「いいか、ベルツ、アイシャちゃんのキスを奪ってくるのだぞ」
『……はい』
ベルツは、仕方がなくそう書いた。
☆ ♪ ☆
ベルツは、部屋に戻り。
『アイシャのキス、アイシャのキス、アイシャのキス……』と書きまくっていた。
「ベルツ、そんなに固くなっていると、出来ないぞ」
マティスは、軽く笑ってそう言った。
『だって、アイシャとキスなんて……』
顔を赤らめると。
「お前が赤くなってどうする、王子ならリードしやがれ」
マティスの意見も最もだった。アイシャもベルツもキスをしたことがないのだから。
ベルツは、わたわたしている。
「お前ならできるって信じているぞ」
マティスに背中を押されて、旅の準備をした。