5
医務室に向かうと、寝ている王子がいた。
「王子!」
アイシャは、大声を出してしまった。
「アイシャさん」
王妃がやつれた顔で立っていた。
「王子、よくないのでしょうか?」
「えっと、ええ」
(そんな、てっきり、私が犯人を捜している間に、完全に治ると思っていたのに、どうして……)
アイシャは、思わず王妃に抱き着いた。
「大丈夫です、大丈夫ですよ」
そう言って、励ますことしかできなかった。
(王子、戻ってきて)
深く祈った。
(王子、聞こえますか?)
心の中で、王子に呼び掛けた。しかし、返事はない。
(やっぱり、死んだの?)
即効性のある毒なら死んでいただろう。
――王子。
アイシャは、あきらめきれなくて、手を握ろうとした。ところが。
「今は、安静にしてあげてください」
医師がそう言う。
「悪いんですか? もう助からないんですか?」
「わかりません」
それは、危ないと言う事だろうと思った。
「王子~」
涙が流れた。
「今まで、ごめんなさい、あなたが生き返るのなら、姫でも何でもしてあげますよ、だから、戻ってきて」
すっかり助からないと思い、そう言った。すると王妃が。
「今、言ったことは、ありがたいわ、忘れないでね」
優しく肩を支えてくれた。
(これが最後なんて……)
「アイシャさん、落ち着いてください、まだ、息はあるのですから」
王妃がそう言ってくれた。
(即効性の毒ではないのね)
少しばかり安心した。
「毒の解毒剤とかは、無いのですか?」
「それが、丁度切らしていて……」
「そんな……」
アイシャの目の前が真っ暗になった。
(王子がいたからがんばれたのに……)
心の中で悔しくなった。
(守れなかったのよね)
落ち込んでいると、病状が急変した。
「心拍数が落ちている気がする」
「そんな、何かしなくては……」
「アイシャさん、毒の場合は何もできないのよ、ベルツの回復力にかけましょう、それしかないのです」
王妃は、そう言ってアイシャを止める。
「でも、心臓マッサージとか、やってあげた方が……」
「毒の場合は意味がないのです」
医師がそう言って、遠くを見た。
(いかないで王子)
祈ることしかできなかった。
「王子の事は、忘れて差し上げてください」
「いやよ」
そう言っているうちに、王が来た。
「ベルツは、どうだ?」
「以前、動きは、ありません」
医師は、そう言って、お手上げと言う感じだった。
「こんな事なら、やはり、毒に耐性をつけてやるべきだったのではないか?」
王がそう言ったので、アイシャは怒った。
「毒に耐性をつけるべきだった? 毒に耐性をつけるのがどれだけ苦しいか知っているのですか?」
アイシャはきつい目をしてそう言った。
「当然だ。私もしたからね」
「それじゃあ、王子にしなかったのは、自分が苦しんだから、違いますか?」
「その通りだ」
王は悔しそうだった。
「でも、死ぬぐらいなら、少々苦しんだ方がよかった」
「そんなことありません、私は知っているの、毒に慣れるってどういうことか、学者のおじが試して、出来なかったもの」
「君のおじは学者なのか」
王は驚いたように言った。
アイシャは、ベルツに向き直して。
「ねえ、目を開けてよ」
ベルツに語り掛ける。
「まだ、どうして、私の事を好きになったか聞いてないですよ、起きて、王子」
しかし、声は帰ってこない。
「脈拍が早くなった」
「それは、持ち直したと言う事か?」
「どうでしょう、一瞬の奇跡ですかね?」
医師は、パニックを起こす。
「王子には、聞こえているのよ」
アイシャは、声を上げてそう言った。
「ベルツ、ベルツ」
「王子、王子」
呼びかける。
(助かって、お願い)
アイシャは、祈った。しかし、反応がない。
(やっぱり、ダメなの?)
あきらめようかと思ったが。
「最後に、王子の手を握ってもいいですか?」
「え~、少しだけですよ」
(王子は、しゃべれないんだから、もしかして、復活していてもわからないのかもしれない!)
そう思い、恐る恐る手を握った。
『アイシャ』
声が聞こえた。
「王子、王子、生きているのね」
辺りがざわめいた。
『ああ、だが、体がひどくしびれている』
(毒が回っているのね)
王子の苦しみを思うと、辛くなった。
「最後に、したいことは、ない?」
『アイシャといたい』
「そんなの、叶っているじゃない」
「アイシャさん、何と言っているの?」
「体がしびれるそうです」
「そう」
王妃が悲しげにそう言う。
「王子、最後に自分の声で、王妃と王にお礼を言いましょう」
そう言って、アイシャは、王子に口づけをした。
(体が熱い)
体の中から、何かが流れ出すような、そんな感じがした。
「たく、みんな、しびれ薬を大袈裟にするなよな」
王子が放った第一声は、その一言だった。
「しびれ薬?」
「ああ、体がしびれているが、他に症状がないとなると、しびれ薬、殺そうとして入れたものではないな」
(えっ? しびれ薬って、どういう事?)
アイシャは、目の前が真っ白になった。
死ぬほど心配した自分が情けなくなった。
(王子が話せないことを利用した罠だったのね!)
「王子、では、薬を」
医師が王子に薬を飲ませる。
「あっ、治った」
アイシャは、後ろにいる王妃と王を睨んだ。
「さては、あなた達の仕業ですね」
「はあ? なんのことだか?」
「とぼけないで下さい、心臓マッサージをしなかったのは、生きている人にしてはいけないから、薬だってあった。どう考えても、私にキスをさせるためだけの狂言でしょう!」
「あら~、ばれちゃったわよ」
「本当に」
王と、王妃は、ニコニコ笑っている。
「だって、ベルツが中々踏み切らないから、応援してあげたのよ」
「余計なことを」
ベルツは不機嫌そうにそう言った。
「アイシャ、この声で君を呼ぶのは初めてだね」
「えっと、その……」
「本当、ベルツの声ってステキね」
王妃が喜んでいる。それも無理はない、声が素敵すぎるのだ。
「もう、鈴もインク壺もいらないんだな」
ベルツは、嬉しそうだ。
「これで、成人の日を迎えられるわ」
王妃が喜んでそう言う。
「母様、待って下さい、もしかして、他国の姫とのお見合いをなさる気じゃありませんよね?」
「あら、しないと思った?」
「すると思った」
「だって、ベルツは、もうしゃべれるのよ、普通に姫を迎えられるわ」
(それって、私がいらないって事?)
アイシャは、縮こまってしまっていた。
「アイシャさんは、側室にして差し上げますわ」
「母様!」
「ベルツ、怒るの? でも、あなたは、王子でしょう」
王妃が言うのも最もだ。正妻は、他国の姫なのだろう。
「アイシャ、私は、君を愛しているんだ」
「でも、だめよ」
アイシャが、王子を突き放した。
「あっ……」
アイシャは、青くなって、部屋を出た。
その時、腕をつかまれた。
「アイシャちゃん、俺だよ、マティス」
手をつかんだのは、マティスだったので、安心して止まった。
「君が、医務室から出てきたと言う事は、ベルツは、ちゃんと声を取り戻したと言う事だろうね」
「ええ」
「そうか、協力した甲斐があったな」
「マティスさん、知っていたの?」
「ああ」
マティスは、晴れやかにそう言った。
「教えてくれればよかったのに……」
「教えたら、しなかったでしょう」
マティスは、そう言って笑う。
「うん」
頷くと、マティスは、頭に手を置いた。
「あんたは、よくやったよ」
アイシャは、涙があふれてきた。
「もう、王子といられない」
「何で?」
「だって、私はもう必要はないでしょう」
「そうかな?」
マティスは、楽しそうにそう言う。
「ベルツは、アイシャちゃんが必要だと思うよ」
「何で?」
「好きだから」
(好きだから?)
アイシャは、王子が好きなことには気が付いていた。だからと言って、離れてしまうと必要になる訳ではない気がしていた。
「男は、割り切れないから、アイシャちゃんの事を想い続けるよ」
「そんなのダメよ」
「ダメじゃないの」
マティスは、デコピンしてきた。
「少しは、素直になったら」
「素直?」
「ベルツが好きで、姫にして欲しいって言ったら?」
「ええ~」
アイシャは、驚いている。
「そんなこと、望んでいない」
「望んでいるくせに」
「ああ、しまった。俺は、次の仕事だ。国王と夫人に口封じしなくちゃいけないから、行ってくる」
「そうね、あれだけ騒いだのですものね」
「そうそう」
マティスは、手をひらひら振っていなくなった。
(私が、姫になりたい?)
考えさせられた。
(王子の隣には、いたいような気がするけど)
悩んでいると、ベティが来ていた。
「アイシャさん」
「ベティ」
ベティは、捕まってなどいなかったのだ。
「もうわかったでしょう、私に命令をした偉い人」
「ええ、王様と王妃様でしょう」
「そうなの」
「しかも、しびれ薬だったのよね」
「ええ、風邪薬に、あるものを配合した。簡単なしびれ薬よ」
「な~んだ」
ベティとは、何とか笑って話せた。
「もう一週間もすれば、王子の成人なのね」
「ええ」
ベティは、暗い顔で頷いた。
「王子は、アイシャさん以外の方と結婚なさるのでしょうか?」
「さあ?」
アイシャは、明るくそう言った。
「でも、それでもいいと思うわ」
「ダメですよ、だって、アイシャさん、今の自分の顔がどうなっているか、分かっていますか?」
「えっ!」
アイシャは、焦った。
「とても苦しそうで悲しそうだと、顔に書いてあります」
「そう」
アイシャは、泣きたい気持ちを飲み込んだ。
(大丈夫)
強気に構えた。




