涙の理由
何があったのか、と、エレナの気持ちを確かめたい喜一くん。
夏帆のことを思うと、応えることができないエレナ。
無言のまま二人は暫くその場に立ち尽くした。
「どうしても言えない…?」
力なく声を出す喜一くんに、エレナはただ黙って頷くことしかできなかった。
「……そっか。わかった。無理矢理連れてきちゃってごめん。」
それだけ伝え、喜一くんはエレナの元から離れていった。
小さくなっていく背中を見つめながら、何故だかわからないけど涙がどんどん溢れてきた。
追いかけることができたなら良かった。
でも、エレナは「行かないで…」と、小さく呟くことしかできなかった。喜一くんの背中を見送ることしかできなかった。
「うぅっ…。」
しゃがみ込んで泣くことしかできない自分のことが情けなく感じた。
涙が枯れるまでただただ、ずっと泣き続けた。
涙が枯れ、少しだけ落ち着きを取り戻した頃、空の色は真っ赤に染まっていた。
「帰らなきゃ……。」
エレナは立ち上がり、クラスにバッグを取りに戻った。
既に生徒達が帰宅している校舎はシンとしていて、静かだった。
今はそんな静けさすら、胸を締め付ける。
枯れたと思っていたのに、まだまだ溢れてくる涙をぬぐいながら1年2組の扉を開くと、誰もいないはずの教室からガタッと音がした。
音のする方に目をやると、堀くんがいた。
「佐久良…」
「………。」
「…何でそんなに目が腫れてんの?」
「……。」
堀くんには申し訳ないけど、今は誰とも会いたくなかった。誰とも話したくなかった。
無言のまま自分の席へ向かい、静かにバッグを手に取ったエレナはそのまま教室を去ろうとした。
「ちょっと待って!」
肩をグッと引き寄せられ、目の前には寂しそうにも悲しそうにも見える表情をした堀くんが視界に入ってきた。
「ねえ、奥田に何された?」
「……別に、何も。」
「奥田も目腫らして教室にきて…すぐ帰ったよ。二人して目腫らしてるなんておかしいだろ?」
「喜一くんが泣いてたってこと…?何で?」
「分からないよ…。何で佐久良も泣いてるの?」
「何でもない…。ごめん。今日はもう帰るね。」
エレナの肩にかけていた堀くんの手をそっと離し、エレナはその場を去った。
帰り道、泣いていた喜一くんのことだけがぐるぐるとエレナの頭の中を駆け巡った。
その日、エレナが一晩中眠れなかったのは言うまでもない。
翌朝、腫れた目を冷やしてエレナが登校すると、クラスの中が妙にざわついていた。
「きゃー!ほんとに?」
「ちょっともっと聞かせてよー!」
「喜一やるじゃん!」
「もう…。ショックぅ…。」
クラスメートが口々に何かをつぶやいていることはわかったけれど、「どうしたの?」と会話に加わるほどの元気も余裕もない。
自分の席につき、ホームルームが始まるまでの間、エレナは机に突っ伏していた。
そうすると、ざわつくクラスメート達の会話が耳に入ってきた。
「よりによってクラスの女王様、夏帆が彼女なんてねぇ…。」
「喜一くんも夏帆の何が良かったのかな?もっといい子いるのに…。」
「私も喜一くんのこと好きだったのに…」
そんな会話を耳にしたエレナはガバッと机から顔を上げ、気づけば会話していた女子クラスメートの元に駆け寄った。
「ねぇ!!喜一くんが夏帆と付き合ったって本当?」
「あ、エレナちゃん…。うん…。そうみたい。」
「朝からこの話題で持ちっきりだよね。」
「昨日の放課後に夏帆が喜一くんに告白したらしいよ!それで付き合い始めたんだって…。エレナちゃん、小学校の頃、夏帆と仲良かったけど知らされてなかったの?」
目をまん丸にしてエレナを見つめるクラスメート達に、「知らなかった…。」と、力なく笑うことしかできなかった。
「ショックだよねぇ〜…。喜一くんはみんなの憧れだったのに…。」
「密かに狙ってたのになー…。」
「もしかしてエレナちゃんも好きだったの?」
「え?いや…。そうじゃないけど、ちょっとびっくりしちゃって…。」
「本当びっくりだよね!夏帆が喜一くん狙ってるのはあからさまだったけど、喜一くんはそんな素振り感じなかったのに。」
「でもあの時だってさ〜〜」
ペラペラと喜一くんと夏帆のことを話すみんなについていけず、「ありがとう。ちょっとトイレ行ってくるね」と告げ、エレナはトイレに向かった。
『昨日の放課後って…、私と話した後?』
『喜一くんは夏帆のことがずっと好きだったってこと?』
『だったら何で私にあんなこと言ったの…?』
色んな思いがぐるぐると頭の中を駆け巡り、気づけばまた大粒の涙が溢れ出していた。
昨日喜一くんの背中を見送っているときは、この涙の意味が分からなかった。
でも、あの時の涙の意味も、今自分が流している涙の意味も、やっと理解できた。
「…私って、喜一くんのこと…恋愛としてちゃんと好きだったんだなぁ…。」
エレナにとって初めての恋。初めて、男の人のことを好きだと思った。
でも、自分の気持ちに気づいても、夏帆のようにまっすぐ、自分の気持ちに向き合うことができなかった。
今更自分の恋心に気付くなんて遅すぎた。
キーンコーンカーンコーン…
ホームルームが始まるチャイムが鳴っても、エレナはその場から動けずにいた。
子供のようにただ泣きじゃくることしか出来なかった。
結局、一限目の授業は出席せずに二限目からクラスに戻った。
休み時間は相変わらず、夏帆と喜一くんの話で盛り上がっていた。
冷やかす子、ショックを受けている子、質問攻めの子…。
色んな子が喜一くんと夏帆を取り囲って話していた。
幸せそうに笑う夏帆と、どこか上の空の喜一くん。
それでも二人がいる周りは幸せそうなオーラが溢れていた。
そんな二人を見たエレナは、いつの間にか芽生えてしまった…気づいてしまった自分の恋心にそっと蓋をしようと思った。