一節:いつも通りではなくなった日常
藤田カズヨシ…37歳独身はこの年を迎え、人生に
一つの…大きいようで小さいのかもしれないエンディングを迎えた。
「はい…それではこれにて藤田さんの出勤も最後となります…約17年の長期勤務
…お疲れ様でした…手続きの都合上記録上は本日の15時までですが
事実上はもう藤田さんは当社の人間では無くなってしまいましたので…何か
不備があった場合は15時以降になってしまいますと、会社の規定では
一般来社の方と同じ扱いで手続きしていただかないとなりませんので…」
「ああ、大丈夫です…」
「そう仰るのでしたら私からはもう何も言いませんが…」
カズヨシはこの秋をもって二十歳から今日に至るまで長いといえば長い
会社員生活に終止符を打ったのだ。本来ならこのご時勢噛り付いてでも
定年まで縋り付くべきかも知れない長期勤務正社員という肩書きを捨てるのだ。
「でも…先輩が居なくなるのは少し寂しいのは嘘じゃないですよ?」
「若くて可愛い後輩の事務員…でも男の君に言われても微妙だなぁ…」
可愛いというのは確かに間違ってない気がするが、カズヨシの目の前に居る
事務員の何処となく女子顔な後輩はやはりこいつも男だと思わせるしかめっ面だ。
「うわ、ひっでぇ…俺なりに先輩を気遣った思いを返して欲しいっす!」
「すまんすまん大畑…どっかで会ったら飯でも食おうや」
「じゃーそん時は遠慮なくちゃんとした蕎麦屋の上天ぷら重のざるそばとか
ビールつきで奢って貰いますからね…!」
「ってことは…あそこ行くのか…好きだなあお前、ホントに現代っ子か?」
「まー同世代からは良く古いって言われるっすわwあ、折角だから
そん時はついでに俺の妹も紹介しますw? 眼鏡地味子なんすけど、あれで
結構同級生からは意外とモテる高2女子なんすwしかも結構胸デカいw」
「お前…そのノリで妹さんに接してるのか…?」
「まさか…! 酒入ったときか寝不足で馬鹿テンションな時くらいっすよw」
「気をつけろよ大畑…16、7の女子は何時の時代もデリケートなんだから」
「そこは俺だって大人の兄として馬鹿は踏みませんよw」
いくら一大決心して長年勤めた会社を辞めるとはいえ、やはりどうにも
長い付き合いでもある後輩を前にするとついつい話し込んでしまう。
だからこそカズヨシがふと大畑の後ろの壁掛け時計を見たとき、
染み付いた習慣は良くも悪くも…等と思ってしまう。
「ちょっと拘束させてしまったな…」
「いーんじゃないすか? 先輩一応15時まではまだ先輩なんすよ?」
「その感じだとマジで15時になった途端他人行儀になりそうで怖いな」
「どーなんすかね…? 一応俺は会社規定は厳守する方っすけど」
「何だかんだでちょっと怖いからそろそろお暇するとするかね…」
「うっす………じゃあ、先輩。落ち着いたらラインしてくださいよ」
「慣れないんだよなぁ…何か…」
「何いってんすか、先輩は寧ろチャットの黄金世代みたいなもんじゃないすか」
「あれ…既読うんぬんで余計な気を遣うだろ…?」
「先輩って妙なとこ律儀っすよねw……っと、いい加減真面目にやりますか…
…それじゃあ藤田さん…これから大変かも知れませんが、頑張ってください」
「お、おう…じゃあな…やっぱ後でラインする」
「ははは…お疲れっした!」
「ああ…お疲れ様でした…」
>>>
もしかすると今後の利用も激減ないし皆無となる気がしたカズヨシは
会社帰りにはほぼ毎日寄っていた駅前のコーヒーチェーン店で
やはりほぼ毎日頼んでいた一杯のカフェラテを飲んで一息ついていた。
「…そういえば…結局ここでこれ以外のメニューはブラックコーヒー以外…」
じゃあ折角だからとメニューを見てみるが…やはりいつも通り
他のものを頼む気にはなれなかった。いつも通りなようで
その実全然いつも通りじゃない帰り道なのに…とカズヨシは変な溜息が出る。
―ぽにぽにっ☆
結局デフォルト音のままにしてあるラインの新着メッセージ音がしたので
はて? と思いながらスマホに目を通すカズヨシ。
<ちーす。大畑です。先輩、今何してました?>
スマホの時計を見れば、まだ14時ちょっとである。
「今日に限ってあいつは暇なのか…」
どこの会社もそうかは不明だが、カズヨシの勤めていた会社では
大体この時間帯にちょっと長い電話が二回くらい掛かってくるのだ。
そして何だかんだで小さいといえば小さい会社だから常勤の事務員も
大概二人くらいなので暇であることは少ないのが常といえば常だったが、
「何だかんだでやっぱりいつもと違うな…」
カズヨシはガラケー暦も長い男だったのでまだまだスマホのタッチが
覚束ない時が多い。なのでちょっとした返事も時間が掛かり気味だ。
既読だけは早いだけに、彼の小心にダメージが入る。
<いつもの喫茶店。いつものカフェラテで一息してた>
―ぽにぽにっ☆
<その一言に時間掛かり過ぎっすw>
「ぐぅ…!」
<ほっとけ。んで何の用だ>
―ぽにぽにっ☆
「化け物かこいつ…!」
違う、カズヨシが遅いだけだ。
<実は今妹がその辺通るかも知れない臭いんでもしかしたらと思ってw>
―ぽにぽにっ☆
<妹の顔はちょい前に画像見せたんで大丈夫かと思うんすけど>
―ぽにぽにっ☆
<もし生で見れたら感想とかw? どうかなってw?>
―ぽにぽにっ☆
<時間的にそろそろなんすけどw>
「連投やめれ…!」
<目が疲れる。加減しろ>
―ぽにぽにっ☆
<さーせんw>
「はぁ…」
時々この後輩は悪乗りが酷いのだが、あいつは何だかんだで
あの顔立ちなので逆に好印象を他人に与えることが多い。
結局顔面スペックというステータス補正はリアルでもチートか糞がと
中々にイラッとしたのでカズヨシは会計を済ませて帰ることにした。
無論返事は「なんかイラッとしたから帰宅する。返事はいらん」としておいた。
―ぽにぽにっ☆
<さーせんw>
今度会っても絶対天ぷらそばは奢らないでやろうと決めたカズヨシだった。
…。
当たり前だが、あくまでいつも通りじゃないのはカズヨシくらいだろう。
いつも利用していた駅前の少し静かな商店街も、時間帯が違うとはいえ
別に初めてではないので道行く人々も大体「やっぱり学生多いよな」程度である。
「あれ…?」
ふっと手前を歩く高校生数人の一人の後姿に見覚えがある気がした。
あまりオッサンが学生らをジロジロ見るのは外聞が悪いのだが、
どうにも妙な見覚えがあったので、さり気なく視線を外しつつ
その高校生数人の動きを目で追っていた。
「だからさぁ…大畑は眼鏡止めたほうがいいって!」
「うわwぶっちゃけたw」
「今時はセクハラだぞ高城www」
「先輩ひどww」
高校生数人は男子一人他全て女子という…何というか7、8年前の
ラノベにやたら嵌ってしまった時期の自分なら「爆発しろ」と
言いたくなる面子だったが、そんな男子が呼んだ女子の苗字に、え?
と思ってつい注視してしまう。
「高城くん…本気で言ってるの…?」
…?! ついカズヨシはその女子の横顔が見えた瞬間、
古いメールから後輩大畑からの受信メールを漁り、
先の話に上がってた後輩大畑の妹の添付写真を見てしまう。
「…あの子が…ユリハちゃんか…」
小声だったが出していたので、小心なカズヨシは口を手で覆う。
ふっと見れば、前に居る高校生達は彼の声に気づいた様子は無かった。
まぁ結構大きい声だし、雑踏もあるし、カズヨシの小声な独り言が
運悪く聞こえるといういつも通りではない嫌な展開は無かったので、
カズヨシは小さくホッと一息。だが、それでいて…
「…何処を見てるんだ俺は…」
さっきから横にいる高城という男子生徒にちょくちょく体ごと向いては
彼に色々言ったり言われたりしている大畑妹のユリハを、ついついカズヨシは
後輩大畑の「しかも結構胸デカいw」という兄としてどうかと思う発言に
誘われるがままに彼女の胸部を都度都度見てしまい、酷く自己嫌悪していた。
「…どうしたもんかね…」
色々と複雑な気分に苛まれたカズヨシは、ながらはダメだと思いつつも
ついついラインで後輩大畑へラインをするか否か悩み…
目の前が光り輝いたことに気づいた頃には意識も飛んでいた。