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平民を守りし最後の盾  作者: 喉元思案
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平民を守りし最後の盾5

「行くぞ」

「追いかけないのか?」

「返ってこなければそれでもいいさ。やることは変わらない」


 惜しいと思わないこともないが、たかが一人だ。そう思いながらその場を後にしようとして、クイッと袖を引っ張られた。振り返ると、ノルンがそこにいた。


「どうした?」

「ユリス、シルビア泣かした」

「む……あいつが勝手に泣いただけだろ」

「でもその原因をつくったのはユリス。謝る」

「なんで俺が」

「なんででも。女の子が泣いたら、まず男の子が謝る。これ鉄則」


 どうやらどうやってでも俺を謝らせたいらしい。いつの間にそんな友情が芽生えたんだろうか。


「俺もユリスが謝った方がいいと思うぜ! 周りから見ても泣かせてるようにしか見えなかったしな!」

「お前もか……」


 ドリアスが俺に意見するのは珍しかった。基本的に嫌という言葉を使わないような人間で、指示を出したらその通りに動いてくれる。しかし、俺が間違っているときは必ずと言っていいほど口を挟んでくる。実際、そういうときにドリアスの言う通りにすれば上手くいっていた。ノルンだけならまだしも、ドリアスまでにも言われてしまうと反論しづらい。


「はぁ……分かったよ」


渋々頷くと、ノルンも「ん、それでこそ男」といって袖を離してくれた。貴族区の一番街と二番街の中央通りに佇む、石壁よりも高い時計台を見ると、時刻は既に午後五時を回っていた。


「六時の夕食までには戻る。先に宿に戻って待っててくれ」

「おう! ちゃんと嬢ちゃんと仲直りしてくるんだぞ!」

「いってらっしゃい」


 片手を上げて返事を返しながら、俺は路地裏に入り、隣接した家屋の壁を使って屋根まで駆け上がった。


「さて、とりあえず街道から探してみるか」


 空を見れば雲までもが橙色に染まり、太陽は時計台に登れば並べるくらいまで低くなっていた。

 六時までに帰るという約束を守るためにも、俺は見回りの時よりもさらに速く屋根の上を駆け始めた。



「はぁ……」


 結局あれから当てもなく街を歩き回った後、貴族区と平民区を隔てる石壁の上に登ってきていた。壁の上に来るために長い階段を上ってきたせいか、もう一歩も動けそうにない。


 汗ばんだ顔を、優しく微風が撫でていく。あれほど青かった空が、いまや赤に近い色に染まっていた。

 私はどうすればいいか、分からなくなっていた。


 確かに、追いつけないと判断したとき、すぐに精霊術を行使したのは軽率な判断だったと言える。だが、間違ってもないと思う。私だって周りのことを全く考えていなかったわけじゃない。だからこそ火球の大きさも拳大にして、爆発も小規模に抑えたのだ。


「なのになんで……」

「教えてやろうか」

「うひゃう!?」


 風に流されて消えるはずだった私の独り言に、後ろから返答があった。驚きのあまり体を大きく跳ねさせた後、急いで後ろを振り返ればあのユリスとか言う隊長がいた。


「な、なんでこんなところに」

「お前を探しに来たんだよ。ノルンとドリアスが探しに行けってうるさいからな。まったく、こんなところにいるなんてな。区のどこにもいないはずだ」


そんなことを言いながら私の横に腰を下ろしてきた。何気なくその首筋を見ると、薄ら汗が浮かんでいた。そういえば区のどこにもいないと……まさか。


「あなた、この短時間で平民区の街を全部回ったの?」

「あぁ」

「異常よあなた……」


私があの場所から離れてから、まだ三十分程度しか経っていない。しかも、見回りの時は一時間かけて平民区を回ったはずだ。それを今、彼はその半分の時間で回ったと言う。何をどう鍛えればそんな速さと体力が身につくのだろうか。


「さっきのことだけどな」

「え?」


 唐突に、彼は口を開いた。


「どうせお前、俺がキレたことにまだ納得がいかないんだろ。自分は間違ったことはしていないはずだ。そう思ってる」

「う……でも実際、悪いことはしていないじゃない」

「懲りない奴だな。それはお前が住民を被害に合わせないことが全てだと思っているからだ」


胡坐をかいた上に乗せていた両手を、彼は自分の斜め後ろの風でひんやりと冷たくなった石床に置き体重を預けながら空を見て続ける。


「俺達が守るのはそこに住む人達に振りかかる悪事だけじゃなく、その日常や心だ。むしろこっちが本命だと言ってもいい」

「日常や心?」

「あぁ。悪人を捕まえることなんて、やろうと思えば誰にでも出来ることだ。だが街っていうのは人の目が必ずどこかにある。質問だが、もしお前が路地裏なんかで一人が三人くらいからボコボコにされて血や吐瀉物を撒き散らしているところをみたらどう思う?」


 そう言われ想像してみる。三人に囲まれ、顔や腹にひたすら無慈悲な殴る蹴るの暴行を加えられ、鼻や口から血や吐瀉物を垂らし地面には折れた歯がいくつか転がっている。

 ……想像するだけでも気分の悪くなるものだった。


「……嫌ね。街を歩きたくなくなるわ」


 顔をしかめながら言うと、彼も「だろ?」と呆れたように言う。


「じゃあそれを年端もいかない子供が見たら?」

「確実にトラウマになる――あ……」

「やっと分かったか」


 遅すぎるくらいだった。いや、まだ分かった気になっているだけかもしれないが、自分の行動がどのようなものに該当するかは明白だった。


「もし、あのままノルンが止めに入らずに男に火球が当たっていたなら、男の背中は焼け爛れ、苦悶の叫び声を上げながらのたうち回っていただろう。術の規模からして気を失うまではなかったからな」


 図星だった。あのときはただ男を止めようという気持ちだけだったため、そこまで威力を強めてはいなかった。


「精霊術は誰もが扱える生まれながらに与えられた恩恵だ。だが、その幅には個人差がある。家事をするためにしか使えないような人もいればお前のように充分、殺傷能力がある人もいる。能力がないものからすれば、それはただの恐怖の対象であり、出来るなら関わりたくはないものだ」


 人の体に宿る精霊力の大きさには限りがある。これは生まれながらに決まっていて、覆すことは叶わない。


「覚えておけ。大きな力はときには人を救うための武器になる。だが、使いどころを間違えれば、それは人を貶める武器になり得る。使いどころを間違えるな。人の上に立つ者は下の者に偉そうに踏ん反り返るのが役目じゃない。その立場に合った振る舞いが必要なんだ」


 急激に暗くなり始めた空を悲しそうな表情で睨みつけながら彼は言う。何か、過去に経験をしているのだろうか。何かあったの? と声をかけようとして、その前に彼が立ちあがった。


「さて、そろそろ行くぞ。わがままお嬢さんのことを待ってるやつらがいるからな――っと、あー忘れてた……」


 降りるための階段を下ろうとしたところで、彼は足を止めた。そして、あー、うー、とかよく分からない唸り声を上げ、後頭部を右手で音がするほど掻いた後、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で呟いた。


「……悪かったな、顔を打ったりして」

「え? あ、いや、私の方こそ私も考えなしに行動したから……」


 突然のことに、どう反応していいか分からず口籠ってしまい、なんとも言えない空気が流れる。まさか謝られるなんて思ってもいなかった。そんな人だとは思っていなかったから。


「確かに謝ったからな。それと、夜の見回りは来なくていいからな」

「え? ど、どうして」

「その足じゃ走るのなんて無理だろ。いいから家帰って寝ろ。見回りは今日だけじゃないんだからな」


それだけ言って、彼は階段を下りていった。そして私だけが残る。見れば、太陽は完全に沈み、昼は光に照らされていた家屋や街道が目につくが、夜は中から漏れる明かりや、騒ぎ声に目がいく。

悪くないな。なんて思いながら、私はこの後どうしようか考えていた。

だって今の私に、〝帰る家なんてないのだから〟――。

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