三番隊と新しい仲間
その後、俺は警邏隊の隊舎へと戻り、男達に罰金とレナルド王国への二ヶ月間の出入り禁止を命じて釈放した。幸いにも怪我人はおらず、あくまで未遂であったため軽い刑罰で済ました。話を聞くとはるばる遠くから来た所ではあったが、また犯罪を起こされたら堪ったものではない。出入り禁止は妥当な判断だ。
一仕事終えた所で時間を確認すると、時刻が既に昼食時になっている事に気がつき、隊舎を後にする。向かう先は平民区三番街。ここは先程の四番街が民家と露店が中心だとすると、宿屋と飯屋が主だ。
それぞれの街を隔てる石壁を通り抜けると、一斉に美味しそうな料理の匂いが襲撃してくる。胃が食べ物をせがむように暴れるのを感じて、それを腹部を擦ってなだめる。
ようやくいきつけの店へたどり着き、そのまま足を止めることなく店内へ。
「あ、ユリスさん! いらっしゃい、いつもの所空いてるよ!」
扉を開け、客が入ってきた事を伝える鈴が甲高く鳴り響くと、すっかり顔馴染みになったここ、〈キルルカの止り木〉の従業員と、この上なく美味しそうな匂いに出迎えられる。少女が示す方向には、大勢の客がいる中、そこだけ切り取られたかのように誰も座っていない四人掛けのテーブル席があった。
ありがとう、と一言お礼を言って、そのテーブルへと腰を下ろすと、すぐさま茶髪の別の従業員が、水の入ったコップを持ってくる。
「ユリスさん何食べる?」
「いつものを三つ。あいつらもすぐに来るだろうからな」
「はーい!」
従業員の少女は笑顔で了承すると、注文内容を伝えに厨房へと駆けていった。
出された水を一口飲むと、午前中の間に出ていった水分が補完されていくのを感じる。
一息ついて、さてなにをして時間を潰そうかと悩んでいると、扉に取り付けられた鈴が音を立てた。来客だ。
「ユリス! もう来てたのか!」
「ドリアスか」
周りの客が顔をしかめるほどの大声で声を掛けてきた彼の名前はドリアス・シギアルド。俺と同じ三番隊で、副隊長を務めている。隊服のボタンをいくつか外し、袖を巻くっているため、褐色の肌と重厚な筋肉が惜しみなく晒されている。背中には黒い布で包まれた――妙に先端が大きく膨らんだものを背負っている。
「今日は何かあったか?」
「四番街で荒くれ者を二人捕まえた。それ以外は異状なしだな。そっちは?」
「こっちも異状なしだ。まあ強いて言うなら、二番街の子供達は相変わらず元気がいいっつう事ぐらいだな! あっはっは!」
青髪を揺らしながらドカッと音を立てて座るドリアスと軽い業務報告をする。相変わらず声が大きいが、周りの客も慣れたもので、声の正体が分かると仕方がなさそうに苦笑いを浮かべていた。それからふと、ある事に気がついた。
「そういえばドリアス。朝は付けてた襟の徽章はどうした?」
「ん? ああ悪い! 子供たちが欲しいって言うから渡した! まあ予備もあるし問題無いだろ!」
「お前それ何回目だよ……」
徽章というのは警邏隊に所属する証みたいなものだ。身分証に名前、職業、年齢などが書いてあるので証としての必要性を感じないのだが、着けろと言われているので、着けていないと上から面倒なお叱りを受けるかもしれないのだ。
ドリアスはこうやって時々、平民区の住人に何かしている。荷物を運んであげたり、食べ物を買ってあげたり。今回の徽章など何度目か分からない。もちろんあげるだけでなく失くすことも多いおかげで、隊舎にはいくつも徽章のストックが置いてある。
だが呆れると同時にこんな豪胆な振る舞いが出来るからこそドリアスは平民区の住人に愛されているのだろうとも思う。この前も二日酔いで体調を崩していると、どこで聞きつけたのか、何人もの住人が心配して見舞いの品を持ってきてくれていた。その応対に追われたせいで、もっと体調が悪くなっていた事は後の話だが。
「お待たせしました!」
しばらくして、注文を聞いてきた従業員が頼んでいた料理を運んできた。そこには焼きたてのパンと新鮮そうな野菜のサラダと豆スープ。そして中央には、鉄板の上で香ばしい匂いを漂わせる分厚くて巨大なベーコンが鎮座していた。ものこそ豪華でないものの、味はこの国で一番美味いとユリスは確信している。それは王族区で食べれるものよりも確実に。
「うお! 相変わらずうまそうだ! 食おうぜユリス!」
「でもまだノルンが来てないんだよな」
「そういえば来てねぇな、どっかで寝てんじゃねぇか?」
最高の料理を目前にして、全身がその料理を食べたいとざわついているのを感じつつ、まだ来ていないもう一人の名前を口にする。いつもこの時間には必ず席に着いているはずの彼女。何かあったのだろうかと思い、探しに出ようと席を立とうとしたところで背後に人の気配を感じた。
「ノルンはここにいる」
抑揚のない声が店の二階に上がる階段から聞こえた。タンタンと木を掌で軽く叩くような音と共に、そこからユリス達と同じ隊服と同色のローブを身にまとった、薄紅色の髪に翠色の瞳の少女が眠そうに眼を擦りながら降りてきた。
彼女の名前はノルン・ウィルクス。この隊で一番若い、というか幼い少女で、歳は俺の五つほど下の十六歳で、見た目も小ぢんまりとしている。
「……ノルンお前、なんでそこから降りてきたんだ?」
「仕事早く終わったから寝てた」
「いつからだ?」
「一時間前くらいから」
ノルンは平然と答えた。
ここ〈キルルカの止り木〉は、飯屋と宿屋の両方があり、一階が飯屋。二階から四階までが宿泊施設になっている。俺、ドリアス、ノルンの三人はここで寝泊りをしているため、上にあがれば自分の部屋があるのだ。だが一時間前といえばまだ勤務中であるはずだ。
「お前がいない間に二番街に何かあったらどうするんだ?」
少し怒気を込めて言うが、当の本人は少しも動じていない。
「問題ない。悪人、一人もいなかった」
「だとしても二番街から離れるな。何があるかわからないだろ。何かあってからじゃ遅いんだ。いいな?」
平民区の月々で起きる犯罪は減少してきてはいるが、それでも減ったと断言できるとは言い難い。そうでなくても俺達はこの地区から目を離せるような状況じゃない。だからその余裕が大きな事件を見逃すきっかけになるかもしれないのだ。妥協は許されない。
「ん、りょーかい」
「よっし! それじゃ飯食おうぜ! もう俺腹ぺこぺこだぜ!」
ノルンが素直に肯定の返事を返したところでお叱りは終了。これ以上は意味がない。待ちに待った食事の時間だ。ドリアスは早速フォークを使って豪快にベーコンにかぶりつき「相変わらずうんめぇ!!」と歓喜の声を漏らしている。
その声に誘われるように俺とノルンも食事を始める。こんがりと焦げ目のついたベーコンにかぶりつく。噛むたび濃い味のする肉汁が溢れ出し、空腹が次第に薄れていく。それに合わせ、焼きたてのパンを口にすれば、それはもう極上だ。
それから充分に最初の一口を堪能した後、夢中で料理を口に運ぶ二人に向かって口を開いた。
「そういえばノルン、他の警邏隊の動きはどうだった?」
「相変わらず。雑談しながら見回りごっこ」
「そうか……ドリアス、上に送った書状の返事は?」
「なーんも。音沙汰なしだぜ」
食事をしながら始めた会話の返答に、ため息をつくしかなかった。
俺は警邏隊の責任者にむけて三番隊の人員補強と、貴族区担当の警邏隊の業務態度の見直しを願う旨をかいた書状を送っていた。それから一週間。貴族区の様子が以前と変わっていないというノルンの報告は、責任者の言葉が彼らに響かなかったか、手紙を読まれてないかのどちらかで、何か対策をしてくれているという可能性は低い。
「どうすればいいんだろうな……」
一口大に切ったベーコンをフォークに刺し、それを眺めながら考える。
この国の面積を考えると、誰がどう見たとしても一番広いのは平民区だ。そして同時に、一番問題が起きやすいとも言える。人の数だけ色々な人がいる。いい事でもあるが、噛み合わせが上手く行かなければ衝突が起きる。それはなりを潜めているだけで、いつ顔を出してもおかしくないのだ。
周りを見渡せば、楽しそうに雑談をしながら食事をしている人がほとんどだ。
(これを守らなきゃいけない)
今、他国との戦争はない。平和条約が結ばれて以降、国同士は平和なものだ。それなのにその民が平和に過ごせなければ、何の意味もない。それなのに。
「ユリス、また怖い顔」
「ん? あぁ、悪い。考え事してた」
ノルンに言われてハッとして、いつの間にか全身に力が入っていたことに気がついた。
「大丈夫。私達がいる。問題ない」
「……あぁ、ありがとうノルン」
その言葉に表情を柔らかくして、いつもと変わらない調子でそう言ってくれたノルンの指通りのいい頭髪を、感謝を込めて優しく撫でた。
ノルンはその手を「ん……」と声を洩らしながら目を瞑って受け入れる。普段あまり変わらないその表情が、嬉しそうに変化している。まるでその姿は兄に甘える妹のようだと思った。
「お姉ちゃん! ベーコンおかわりだ!」
そんな中、ドリアスはいつもと変わらぬ様子で三枚目のベーコンの追加注文をしていた。
「いやぁ、食った食った!これで午後も頑張れるな!」
それからしばらくして食事を終えた後、次の見回りまでまだ時間があったので、腹ごなしと隊舎に戻るために街道を歩いていた。ちなみにドリアスは食った食ったなどと言いつつも、露店で串焼きを五本も買い食いしていた。
「ん?」
街を眺めながら歩いているうちに胃も馴染み、そろそろ隊舎に着く頃。隊舎辺りから騒ぎ声がするのを聞きとった。近づいていくと、どうやら貴族区の隊舎前で何か騒いでいるのが見て取れた。
平民区と貴族区の隊舎は、区を隔てる石壁を挟んで隣り合わせに位置している。そのため、お互いの隊舎の前で何かが起きていたら全て筒抜けなのだ。
「だから、書状が来ているはずだって言っているでしょう!」
声を荒げているのは、鮮やかな金髪を後頭部に団子状にまとめた女性だった。
俺から見て、少し幼い。服装も平民区の住人のような質素なものではなく、張りのある肌や荒々しくも敬語使っているところからして彼女が貴族の家柄である事は明らかだった。
「そうは言ってもなお嬢さん。俺達はあんたの名前も知らないし、そんな書状も見てないんだよ」
女性と話している男は面倒そうにしながら応対している。
(まぁ貴族区の話だしこっちには関係ないだろ)
そう思い隊舎内に入ろうとして、上空からピュイ! と甲高い鳴き声が聞こえて足を止めた。見上げると、一羽の鳥がこちらに向かって下降してきていた。
腕を前に掲げると、鳥は二、三度翼をはためかせて制動して、腕に留まる。
「警邏隊管理部からだ」
キルルカはこの国で伝書鳥の役目をしている。知能が高く、人を恐れないため、このような役目に向いているのだ。そのうえ愛嬌もあり、匂いを覚えさせれば野生にかえることもないので飼う人も多くいる。
キルルカの頭を労うように何度か撫でた後、その足に取り付けられた革製の筒を片手で器用に開け、その中に収められていた紙を広げる。
「……これは」
そこにはこう書かれていた。
――警邏隊三番隊へ。書状は拝見した。そなた等の要望を汲み取り、養成学校から一人、首席で卒業した優秀な人材を配属させることにした。必要な備品は送っておく。今後の益々の健闘を祈る。
その内容を読んで目を見張り、続いて向かい側で騒いでいる女性をみて、まさかと思った。隊舎の入口を見ると、そこには丁寧に包装された両手で抱えられるくらいの包みが置いてあった。
「どうしたの、ユリス?」
「あの目の前で起きてる騒ぎ。もしかしたら俺達に関係しているかもしれない」
顔を覗き込んできたノルンに紙を渡しながらそう答え、騒ぎが起きている場所へと近づく。
「なぁ、ちょっといいか?」
「……誰ですかあなたは?」
声を掛けると女性が俺のことをまるで値踏みでもするかのようにじろじろと見てくる。敵意が剥き出しだ。感情を隠すことを知らないのだろうか?
「俺は警邏隊三番隊隊長のユリスだ。あんた、もしかしてシルビア・クライシアって名前じゃないか?」
「……どうして私の名前を?」
警戒されながらも、その説明をするために左手の親指でちょうど左後ろに位置する平民区の隊舎を指さす。
「悪いが、あんたの配属先はそっちじゃなくてこっちだ。荷物も届いてる。仕事の説明をしたいから、こっちに来てくれないか」
「なっ……」
一瞬、動揺と混乱を表情で表現した後、彼女はその感情の落ち着かない内に声を飛ばした。
「ふっ、ふざけないで! 私が平民区の担当? そんなのあり得るわけないわ! 私は貴族で、この国の養成学校を首席で卒業して、将来は宮廷魔術師になる才を持っているのよ? その私が――」
「あー熱弁しているとこ悪いんだけど、お前の経歴とかどうでもいいから早くこっちに来てくれないか? これから午後の見回りに行かなきゃいけないんだ」
「さっきから黙って聞いていれば……あなたいったい何様のつもりなの!」
「お前の上司だよ」
そこまで言ってようやく彼女が押し黙ったところで、行くぞと一言だけ告げて踵を返す。いまだ納得のいっていない様子だったが、上司と言われ逆らうわけにもいかないと思ったのか、明らかに不機嫌そうな顔をしながら跡をついてきた。しかし、その後から声をかけてくる者がいた。
「じゃあな、未来の宮廷精霊術師様。平民区の御守り、頑張れよー。くくっ」
その嘲笑を背に受けながら何も言わない。言わせたい奴には言わせておけばいい。そう思っていたのだが、彼女が足を止め、俯きながら拳をきつく握りしめていることに気がついた。
立場や環境的に、馬鹿にされたり笑われたりすることなんて一度もなかったんだろう。だがここで言い返しても何も得はない。むしろ相手を調子に乗らせるだけだ。だからやるなら圧倒的で、有無を言わせない一方的なもので。
「その辺にしとけよ」
低く、鋭利な声が静かに響いた。自分でも久しぶりにこんな声を出したと思う。表情も冷たいものに変えていて、彼女もまた驚いた表情をしていた。
「俺の部下だぞ?」
「ひっ、わ、悪かった!」
「おう。次はないからな」
男が冷や汗を流しながら物凄い勢いで首を縦に振りながら謝罪を述べると、これでもかというくらいあっさりと許した。長ったらしいのは嫌いなのだ。再び、隊舎に向かって歩き出す。
「あービビった。小便ちびるかと思ったぜ!」
「ユリス怖すぎ」
「お前らもこんな風に怒られないように気をつけろよ」
さきほどの感想を言われながら二人に出迎えられたので一応、脅しとして一言添えておくと、二人同時に背筋を伸ばして返事をした。
その光景を面白く思いながら振り向くと、歩幅一歩分くらい後ろに、シルビアが立っていた。不機嫌なままかと思ったが、先程よりも幾分かましな顔つきになっていた。
「何よ。説明するんでしょ? 早く案内しなさいよ」
あれだけ文句を言っていたのに、とんだわがままお嬢様だな。と内心思いながら、拒んだりはしない。人材は喉から手が出るほど欲しいのだ。
「なら行こうか」
そうして俺達は歩き出した。三番隊に新しい隊員を迎えて。