ユリス・フェルナータ
ここはレナルド王国の平民区四番街。街道には家屋や屋台といったいくつもの建物が道を挟むように並び、まだ朝にもかかわらずその間を多くの人々が自分の目的に向かって闊歩していた。
周りは罵声ともとれる呼び込みの声と街道を叩く靴の音が響き渡り、なんとも言えない雑音を生み出していて、目を瞑っていてもその賑わいが目に映るほどだ。
そんな混沌とした空間の中、俺は眼元まで伸びた黒髪を揺らしながら辺りを見回しつつその道を歩いていた。
ユリス・フェルナータ。それが俺の名前だ。この国は平民区、貴族区、王族区と三つに分かれていて、それぞれの地区は見上げるほど高い壁が隔てている。基本それぞれの地区の人々は他の地区に足を踏み入れることはない。とくに、平民区の人々は。
「やめてください! 離してっ!」
唐突に近くから喧騒を静める女性の声が響き渡った。街道にいる人々の視線が集まる。その視線を辿っていくと、買い物かごを持った橙色の髪の女性が大柄と小柄の男に絡まれているところだった。その女性の姿を見てすぐに気がついた。彼女がここレナルド王国に来てから、まだ間もない人物である事を。
「グフ、いいじゃねぇか。ちょっと付き合ってくれよ」
「どうせ暇してんだろ? おいらたちと遊ぼうぜぇ」
下卑た笑い声を上げながら大男が顔を近づけると、女性は顔を歪めて必死に逃げようとする。しかし、そこは男と女。抵抗むなしく、拘束が解ける事は無い。
「くぅ、こ、のぉ!」
「はぅが!」
だが女性は機転を利かせ、無防備になっている男の股間に渾身の蹴りを叩きこんだ。これには男も堪らず悶え、周囲の人間もおぉ、と感嘆の声を上げ、俺も称賛を贈る。ああいう時は体が竦んでしまい行動を起こせる人は少ない。女性なら尚更だ。
拘束が緩んだ隙に、女性は大男の手を振り払い駆けだす。けれど相手は二人。小男が駆けだす足を蹴り、転ばせたのだ。
うっ、と小さく声を漏らして転ぶ女性。その手から離れた買い物かごからは、今日買ったのであろう野菜が勢いよく散らばっていった。
それを見た瞬間、俺の取る行動は決まった。
「てめぇ、よくもやってくれたな」
回復した大男が、拳の骨を鳴らしながら女性にゆっくりと歩み寄る。女性は臀部を引きずりながら下がるも、状況は好転しない。
見ている人は大勢いるが、手を差し伸べる者は一人もいない。周りの人々は「かわいそうに」とか「哀れだよな?」とか俺に言ってきて、思わず苦笑いを浮かべる。
徐々に距離が詰まる。大男が手を伸ばし、女性の喉元に迫り、指先が触れるその瞬間。俺はその間に平然と割り込んだ。
「これ、落としましたよ。大丈夫ですか? 膝とか擦り剥いてないですか? 絆創膏ありますけど」
「へ……?」
極めて優しい口調と笑顔をつくり女性に話しかけると、頭がついていっていないのか、口を開けてポカンとしていた。
「てめぇ、なにしてんだ?」
邪魔をされたからか、大男が額に青筋を浮かべて睨みつけていた。女性が思わずひっ、と声を上げる。
「お前こそ何やってるんだ? 女に手を上げるなんて男として最低だろ」
「あぁ!?」
「おめぇ兄貴になんて口ききやがるんだ!」
癇に障ったか正論を言われて俺の態度にムカついたか。恐らくは両方だろうが、大男は丸太のように太い腕一本で俺の胸倉を掴み上げた。踵が浮く。
「へっへ、なかなかいい恰好してんじゃねぇか。さぞかし金も持ってるんだろうなぁ? 痛い目見たくなきゃ金目のもの全部置いていけ」
大男は俺が着てるものに目を付けたのか、既に勝ち誇った顔で命令をしてくる。
確かに、俺が着ているものはここでは手に入らないようなものだ。だが俺はこの恰好があまり好きではない。堅苦しすぎて息が詰まる。出来るなら貰って欲しい。
周りは俺が胸倉を掴まれているのを見て「うわーやっちまったな」「知らないんだな」などと言っているが、大男達にその声は届かない。怒りが沸点に達しているからだろう。それなら好都合だ。
「あぁ悪いな。生憎、手持ちはこれくらいしかないんだ」
左手を降参の意思を伝えるように上げながら右手を後ろに回す。男は注意散漫になっている。そして俺が〝手持ち〟と口にしたことによって男はそれが金銭の類のものだと思っているのか、目の前の男は優越感に浸って表情が嘲笑うものになっている。
もちろん、金銭を渡すつもりは毛頭ない。こいつらにやるのは〝制裁〟だ。
俺は腰のホルダーに差し込んでいる手も平サイズの棒状のものを右手で取り出す。そして空いた左手で胸倉を掴んでいる手を捻り、手首の関節を極める。
「ぐっ!」
いきなり奔った痛みに顔をしかめた男は胸倉の拘束を緩めた。その隙をついて大男の側面に移動し、後ろ首めがけて右腕を振るう。
カシュッ! という音と共に右手に握っていた警棒が連鎖的に伸び、そしてその丸みを帯びた先端が吸い込まれるように狙った後ろ首の中心に当たる。
「がっ……」
「あ、兄貴!?」
ドッという小さな衝突音と共に、大男は受け身も取らず顔面から地面に飛び込んだ。小男からは死角になっていたのか、何故大男が倒れたのか分からない様子で慌てていた。
今度はその小男の前まで行き、懐から身分証を出して告げる。
「俺は警邏隊三番隊隊長のユリス・フェルナータだ。今回、我が国の平民区において、その住民にお前らが危害を加えたと判断し制圧させてもらった」
警邏隊というのは盾と折れた二本の剣を紋章に掲げる、国の治安を守るための部隊の名前だ。それぞれ一番隊から王族区、貴族区、平民区を担当している。つまり、三番隊の俺は平民区の担当というわけだ。俺達は毎日のようにこの街の見回りをしている。だから住民はこの上質な素材を使っている真っ黒の隊服を着ている俺を見つけて、かわいそうになどと言っていたのだ。
「さて、治安を乱す奴には容赦はしないが小さいの。お前はどうする? 抵抗して痛い目を見るか、素直についてきて罰金と軽い刑罰で済ませるか」
「つ、ついていきます!」
「よし」
そう問うと、間髪いれずに小男が答える。あの大男のくっつき虫的存在なのだろう。先に大男を倒しておいて正解だった。
無抵抗になった二人に手錠をかけ、警棒を腰のホルダーに直す。それから後ろを振り向くと、まだ尻餅をついたまま動けないでいる女性いて、声を掛けた。
「お姉さん、この辺は物騒な人がよくうろついてるので気を付けてくださいね。美人なのに傷がついたら大変です。この辺で店を出している人達は頼りになる人が多いですから困ったら頼って下さい。もちろん解決出来ないことであればいつでも警邏隊を訪ねてきてください。必ず力になりますから」
「あ、ありがとうございます」
「いえ、それでは」
それだけ言って、俺は男二人を連れてその場を後にした。
振り向けば既に人溜まりは消えていて、街はいつもの活気を取り戻していた。