第八話 邪推とバックボーン
放課後、俺はリュックを背負って教室を出ようとした。言うまでもなく、生徒会室に行くためだ。普通なら、野球に誘うみたいな感じで、『おい香澄、生徒会室に行こうぜ』と言えるのだが、まだ俺が生徒会メンバーだと発表されていないので、言うに言えなかった。
ドアの手前で止まり、俺は香澄のいる席をチラ見した。勿論、その前につっ立っていたら邪魔になるので、クラスメートたちが通れるように少しだけズレた。
見ると、そこにはカバンが置いてあるだけで香澄はいなかった。
その代わり、一之瀬のいる所に彼女はいた。
一之瀬も荷物をまとめて、立ち上がろうとしているところらしかった。香澄は彼女の前に立って、何かを話している。位置的に香澄の顔はよく見えなかったが、一之瀬は小さく溜め息をついた後、小さい子を窘めるみたいな顔で何かを言っていた(周囲がうっさいせいで聞き取れなかった)。
二人のやりとりを見て、昼休みのことを思い出した。そう言えばアイツ、『今日返却する予定の本を持ってくるのを忘れた』っつってたな……。
多分、本を忘れたことを謝っているのか。本当に律儀なヤツ――
「浦上?」
「!?」
いきなり声をかけられ、俺は思い切りビクッとなった。振り返ると、赤いスポーツバッグを背負った高島が後ろにいた。
ということは、もうサッカー部に入ったのか。それにしてもマジでビビった。
「突然後ろから声かけんなや! ビクッただろうが!」
その場とか関係なしに、俺は思いっきり声を荒げる。
「や、だけど、ドアの前でつっ立ってたからよ。一体どうしたのかと思って」
「あぁ……悪かった」
俺は教室から出る。高島もその後をついて行く。
「で、何見てたんだ?」
言いながら、俺の見ていた方に首を伸ばして、視線をやる高島。
あ、待っ、ちょ、おいバカやめろ!
違う、違うから! そういうんじゃないから!!
「あーはいはい、なるほどね。……瀬戸さん見てたんだな」
「あ、その、えっと」
「いやいやいやいや、言わなくていいって。お前の気持ちはよく解ってる」
その言葉通り、『俺は解ってるよ』みたいな表情で、高島は俺の肩をポンポン叩きながら、首を緩く横に振った。
何だよそのドヤ顔。めっちゃ腹立つ。
正直言って、少しだけイラっとした。
「瀬戸さんって、可愛いし、優しいからな。一目見て気に入らない男なんていないだろ。」
「…………た、確かに」
首を小さく縦に振る俺。これは事実だから、肯定せざるを得ない。
俺は自分の肩に置かれている高島の手を払いのけ、
「でも、そんな下心バリバリの感情で見てた訳じゃねぇよ」
「じゃあ何で?」
「ほら、あの~……アレ」
クソッ、いい言い訳が思いつかない。今の時点で『俺と香澄は生徒会役員だから』なんて、絶対に言えない。
かと言って、『ちょっと気になったから』なんてのも、恥ずかしくて言えないし。
どう考えても反論ができなかった。
これが袋小路ってヤツなのか……何て言おうか。
「あ〜」とか、「その〜」とか言いながら、時間稼ぎをしてから、
「アレだよ。『アイツって性格悪いところあんのかな』って思ってさ」
「性格悪い? 瀬戸さんが?」
うんうん、と俺は頷いた。
「ほら、女ってさ、キャピキャピしてるヤツほど裏は腹黒いもんだろ」
「え、ちょっ……え?」
「だから瀬戸も腹ん中で、勘違いする俺達のことをほくそ笑んでんのかなって、チラッと思ってさ」
節操ないことをペラペラと喋る俺だった。本当に腹黒い女は香澄じゃなくて由希だけどな(アイツがキャピキャピしてるところは未だ見てないが)。
「でも、もし瀬戸さんが実際にそうだったら、もうとっくに化けの皮が剥がれてるんじゃね? 中学時代から海藤にいるらしいけど、三年もの間、ブリっ子演じるとか無理だろ」
耳の後ろをポリポリ掻きながら反論する高島。
彼にしては結構的確な指摘だった。見た感じ、深く物事を考えてなさそうな感じがするから。
「やっぱりそう思うか」
「おう」
「…………」
「…………」
謎の妙な沈黙が二人の間を包む。そして俺は、
「ま、アイツに限ってそりゃないか」
と肩を竦めた。
「アイツの人の接し方って自然体だもんな。あざとい感じとか全然ないし、カワイイアピールとかしないし、誰に対しても平等に接するし、くだらないこと邪推しちまった」
「めちゃくちゃ瀬戸さんのこと見てんじゃねぇかよ!」
「すいません見栄張ってました。本当はめっちゃ気になってました」
高島のツッコミに俺は笑いながら応じる。
「照れ隠ししやがって!」
「あっはは、やめろって!」
「もしかしたら一之瀬さんのことも……」
「いや、それはないから!」
漫画みたいに俺の側頭部をグリグリし始める高島。
オモチャみたいにされるがままだったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
この感じ、とても懐かしい。何だか中学時代を思い出すな……。
そんなことを思いながら、俺は笑った。
★ ☆ ★
あの後、俺は高島と別れた。今は教室棟から特別教室棟へと移動している。
その道中、俺は多くの生徒の後ろ姿を見た。
黒、茶色、金色――。色んな髪の色をしたヤツがちらほら目に入る。
海藤学園は私立校でありながら、校風や校則はあまり厳格ではない。はっきり言ってしまえば、自由に等しかった。
制服を着崩してもお咎めなしだし、髪の染色もピアスもOK。実際先輩だけでなく、新入生の中にも髪を染めている猛者はいた。なのに学園内は荒れていなかったし、先輩達もそういったヤツに何も言わなかった。
俺は由希から、『生徒会の人間は生徒のお手本と言うべき存在だから、制服を着崩すのは極力避けて』と言われたが、そこに関して苦はなかった。
中学時代に着崩したことなんてなかったし、そういうヤツらの思考が理解できなかったからだ。
この学校、風紀的に大丈夫なのかよ……?
こんな光景は無法地帯と錯覚してもおかしくはない。一応、海藤学園にも風紀委員会は存在するが、中等部の生徒にしか注意しない。高等部の生徒は、身だしなみに関しては完全にフリーなのだ。
そんな頭髪がカラフルな生徒達の中に紛れて歩いていると、ベージュの通学バッグを背負った、見覚えのある後ろ姿を見つけた。このカバンとショートヘアは美奈だ。
俺は声をかけ――
「おい、美――」
――ようとしたが、彼女は急に立ち止まり、横を向いた。その視線の先には、スポーツバッグと、テニスかバドミントンのラケットのケースを担いだ、茶髪のショートの女子がいた。
青いブローチは三年生。ということは先輩か。その人はニコニコ顔で、招き猫みたいに手招きしていた。
美奈は嘆息するような素振りをした後、その先輩の方に行った。
俺は遠くから様子を見ることにした。教室と同じく周囲がうっさいせいで、会話は聞き取れそうになかった。
最初に先輩が美奈に対して何かを話していた。態度や言動からして、何かをお願いしているようだった。それを聞いた美奈は、首を横に振る。このリアクションはどう見ても断ってるよな……。
そんな応酬がしばらくの間、続いていた。時間が経つにつれて、互いの言動が大げさになる。先輩は必死感丸出しで両手を合わせ、美奈は首だけでなく、手を横に振り始めた。
しかし、このやりとりは美奈の方が優勢だった。最終的に彼女は、先輩から逃げるように去った。そして人混みの中に消えていった。
お願いを拒否られたのが不満なのか、逃げ出されたのが気に食わなかったのか、先輩は落胆と苛立ちを混ぜたような顔で俯いていた。
「………………何だアレ」
何があったのか気になった俺は、美奈の後を追いかけた。
★ ☆ ★
「滝口!」
「ん、は……浦上?」
人混みの中から彼女を見つけた俺は、彼女に声をかけた。
人目を気にしている俺の思いを察したのか、美奈は俺のことを名字で呼んだ。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ。さっき、女子の先輩と話してるお前の姿を見たぞ」
「あぁ、見られてたんだ……」
面倒くさそうに、もみあげをクリクリいじる美奈。
俺はそんなことなどお構いなしに、話を続ける。
「一体どうしたんだよ?」
「その前に忠告させてもらうけど、あまり人の行動を細かく詮索しない方がいいわよ」
「お前と先輩とのやりとりが滑稽だったから気になってな」
「アンタ絶対彼女できたら、ガンガン束縛するタイプね……」
こんな調子で人と接し続けたらウザがられるわよ、と言いながら、美奈はジト目で俺のことを見てから、
「女子テニス部の先輩に『ウチの部活に入らない?』って勧誘されたのよ」
と答えた。俺はそれに「ふーん」と返す。
「まだ見てないけど、お前運動神経バツグンらしいからな。運動部の人間にとっちゃ、喉から手が出るほど欲しい逸材なんだろ」
「ま、多くの人から見たらそうなんでしょうね」
自分で言うのもアレだけど、あたしはスポーツの大会とかで、そこそこの成績を立ててるから。
結構実力ある相手とか負かしてるからね。あたし強いからね。
「本当にアレだなお前!」
そんなことを言いつつも、美奈から驕っている様子は微塵もなかった。まるで過去に起こった事実を淡々と述べているようだ。
……やがて美奈は歩き始める。俺も彼女の後をついて行った。
「てか、海藤って部活の掛け持ちとか大丈夫なのかよ?」
「届出を提出すればOKよ」
「そっか。……じゃあ断る理由なんてないだろ」
「でも受け入れる理由もないから、入っても意味ないわ」
そっけない口ぶりだ。『興味ないね』みたいな。
「というか、あたしが生徒会から与えられたポジションは、あくまで『運動部の助っ人』だから、どこかの部活だけを、えこひいきする訳にはいかないのよ」
「えこひいき……」
「それに、あんまり大人数と絡むのって苦手なんだよね。あと誰かと足並み揃えたり、一緒に行動するってのも抵抗あるし」
言って、美奈は再びもみあげをいじり始める。
「あたしにとっちゃ、友達や仲間は生徒会メンバーぐらいでちょうどいいのよ。香澄達とベタベタするのだってたまにでいい。これ以上増えたら抱えきれないわ」
「………………」
何て返せばいいのか、言葉が見つからかった。
そう言えば、コイツは初めて顔を合わせた時、俺に向かって『まだ仲間とは言い切れない』と言っていた。
もちろん、『初めて互いの顔を知ったから』という理由もあるし、結局、自己紹介を経て仲間になれたが(あと妹をいじったりと、かなり軟化した態度を見せたが)、それを行うまでは俺らのことを煙たがっていた。
由希が『仲間であり友達であり家族よ』って、言った時だってそうだ。美奈はアイツの言葉に同調したような顔をしていたけど、どこかで複雑な顔になっていた気がする。
そこから美奈は自己紹介を提案し、俺と日和を入れた新生生徒会は、今のような感じになった訳だ。裏を返せば、それをしなければコイツは俺達のことを認めるつもりがなかったのだ。
過去に人との繋がりで、何か辛い出来事があったんじゃないか?
俺は少しムッとしたような、美奈の横顔を見ながら、そんなことを思った。