第五話 浦上家でのひと時
海藤学園の教育理念は、生徒の長所を徹底的に伸ばすことと、優秀な生徒を全国から集めて育成することである。そのために、学園側が設備や道具などに莫大な金をかけたり、ある分野で有名な人間を教師として雇用したりする。そして、中でも飛び抜けて優れた才能を持った生徒には、特権とまでは言えないが、何らかの特別な待遇を受けられることがある。
その中の一つであり、学園内でもっとも有名なのが、『最上級生でなくても部長になれる』だった。
要はある分野において、超絶的天才センスを持っているヤツなら、三年になるのを待たずに部長になれるというシステムである。
無論というか、当然ではあるが、「お前明日から部長な」、「あざっす! みんなヨロシク!!」と、簡単に事が進むことはない。そのシステムによって一番害を被るのは、現時点での部長だからだ。何せ、優れた後輩が現れた途端、リーダーである先輩の地位が剥奪されてしまうのだ。その先輩の実力は、優秀な後輩と同等か、それ以上である可能性が高いかもしれないのに。……まあ、普通は『自分より下の人間がデカい顔をするのは不快だ』と思うだろう。大体は先輩の反発を食らう。
だから窮地に立たされた先輩のためにも、学園側は救済措置を用意している。
それは、お互いの能力をぶつけ合って勝敗を決めるという――いわゆる決闘である。
先輩が後輩に宣戦布告し、相手が申し込みを受諾すれば、もう準備は完了だ。あとは仲介人を間に用意してルールを定めれば、決闘するだけである。先輩が勝てば部長を続投、負ければ即交代と、勝負はシビアなものだ。勿論、決闘は強制ではないので断ることもできるが、その場合は、暗に部長になることを辞退するという意味も込められているので、決闘をせずに部長になることはできない(先輩が自ら座を譲る場合は別だが)。
じゃあ、何でこんな物騒なルールが存在するのか?
それは生徒達の能力を切磋琢磨方式で向上させると同時に、この学園では年功序列はあまり関係ないと、生徒達に知らしめるためである。
普通の学校とは、やや異なる部分を持つこの学園でも、中学校や高校のように、縦の繋がりはちゃんと存在する。下級生は上級生に対して、基本的には礼儀を持って接している。しかし個々の生徒が持つ能力に関しては、上級生下級生なんて関係ない。日夜、優れた生徒同士の苛烈な戦いで火花を散らす。
学園側はこれに目を付け、先述した制度を作った。これは若い人間でも出世をしたり、年を重ねても大成しなかったり、年代関係なく苛烈な争いに身を投じることもある……といった、社会の現実に早く慣れさせるためという意味合いも込められていた。このようなシステムで遠回しに生徒らを争わせ、腕を磨かせているのだ。
要するにこの学園では、常時下剋上上等なのである。
下克上上等であると同時に、下級生でも地位を持つ可能性があることも存在している。
……だからこそ、生徒会メンバーは一年生で占められているのだ。香澄も美奈も、そして由希も、強力で優秀な力を持っているから生徒会にいる訳である(ちなみに上級生から地位を強奪した訳ではないらしい。それはそれでアレだが)。
なのに、何の特技も持たずに生徒会に入った俺ら兄妹って……。
それに、学園自体にかなり殺伐とした、裏の顔も持ち合わせていたとは。
不穏な感じと、僅かな焦りを覚えて、変な汗がジワリと滲む手のひらを握りしめる俺だった。
二年生で部長がいる理由を説明し終えた由希は、「さ、まだまだ残っているわよ」と、作業に戻るよう促した。
★ ☆ ★
海藤学園全生徒のデータ処理を終えた俺と日和は、電車に乗って帰路についていた。学園から駅までは徒歩五分。電車に乗って家に比較的近い駅に着くまで二十分。プラス、そこから自宅に着くまでの時間が十分。……通学のために、合計約三十五分の時間を、俺ら兄妹は費やしているのだ。
電車の中は満員で、多くの人々が狭そうに身を寄せている。俺達兄妹もギュウギュウ詰めの車両の中でゆらゆら揺れている。
最寄り駅に着き、満員電車から解放された俺達は、改札を出て、そのまま家へと向かう。
駅を出るなり、日和は思い出したみたいに立ち止まり、「ねぇ、お兄ちゃん」と言ってから、
「今日の晩ご飯どうする?」
「晩ご飯? ……あぁ」
俺も思い出し、懐をまさぐって財布を取り出した。浦上家は両親とも共稼ぎで、俺と日和が朝食を食っている途中で、もう支度を済ませて家を出ている。俺ら兄妹が思い出したのは、そんな朝の出来事だった。
母さんが、「今日は帰りが遅くなるから、これで何か買って食べてね!」と、テーブルの上にドンと、千円札四枚を――四千円を置いたのだ。
俺はそれに「おー」と、聞いているともいないとも受け取れるような適当な返事を返した。これは聞き流している訳ではなく、浦上家での毎年の恒例みたいになっているので、真面目に受け取る意味がないのだ。
両親はこの時期になると、仕事が忙しくなって帰りが遅くなるので(それ以外にも忙しくなる時期はあるが)、これで何か買え、と金を差し出すことが多い。
年によっては出さない時もあるが……今年は出した。
だから俺達は、そういう時には何かを買って食うのである。
財布の中には自分の小遣いと、母からもらった夕食代の四千円。これぐらいあれば、ファストフード店に行ってもコンビニに行っても、二人分のメニューや商品を頼むには充分だろう。さすがに贅沢をしようとは思わないから、俺ら兄妹にとっては、これぐらいの額でちょうどいい。
ちょうどいいが……。
「なあ日和」
「うん?」
「今日の夕飯は俺達で作るか」
「何で?」
俺はそれに即答せず、一旦間を置いて、
「…………着服?」
「そんなのダメだよ!!」
『は? 何考えてんの!?』と言わんばかりに大声を上げる日和。
おい、もう夕方だぞ! 周囲の迷惑になるだろうが!
「デカい声出すな! お前にも半分やるから」
「わーい……じゃない!」
ノリの悪いヤツ。それくらい別にいいだろ。
今まで母さんが、「夕飯何食べたの?」って詮索してきたことないし、大丈夫だって。
と、俺はおどけた風に言うが、日和は呆れたように溜め息をついて、
「もしお母さんにバレたらヤバいことになるよ」
「う」
「それに、『夕飯は俺達で作るか』って言っても、お兄ちゃん料理できないでしょ」
「ぐっ……」
反論ができない俺だった。全て正論だからだ。
ウチの母親は基本的に明るく快活な人ではあるが、キレたら震えるを通り越して、思考がフリーズするほどめちゃくちゃ怖い。一度怒ったら、瞬間湯沸かし器並みの早さで激情するので、いくら覚悟を決めても感情の勢いには全然慣れない。日和が反対したのも、きっと(というか、絶対)母の怒号を恐れてのことだろう。他人曰く、お袋の第一印象は「穏和で優しそう」だが、そう言われる度に「ちげぇ、全然真逆だわ」と声を荒げたくなるのは毎度のことだ。
料理ができないという点も、何も言い返せなかった。俺は不器用な上に――あるいは、そのせいで――料理が下手くそなのだ。さすがにまだ、不味さのあまり人を意識不明にさせたり、材料を消し炭にしたり、完成品が吐瀉物や残飯みたいになる域にまでは到達していないが、作った料理を食べさせて、好評だったことは一度もない。俺の料理を一口食った父さんから、「インスタントラーメンを『俺の手作りだ』と胸を張る方が、何百倍も気持ちがこもっている」と言われた時は本当にショックだった。
お袋の怒った時の怖さと、俺の料理の下手くそぶり。
ちょっとふざけただけなのに、ここまでダメージを受けるとは……。
「……冗談だよ。本当に着服する訳ないだろ」
俺は傷心が漏れた声音で、力なく言った。
「全くもう、お兄ちゃんたら……」
母さんの怒号から免れたことにホッとしたのか、あるいは冗談を飛ばす兄貴にやれやれと感じたのか、日和は小さく呟いた。
さすがに俺も、『小遣いでもない金を着服してやろう』なんて、危険性の高い行動はできない。理由はさっき妹が言った通りだ。実行した後が怖過ぎる。
それ以前に、何か買ったら買ったで、「後でレシートと一緒にお釣り渡してね」と言われるのがオチだから、実行すること自体が不可能である。
「じゃあ夕飯どうすっかな。駅前のファストフード店に行くか、コンビニで何か買うか」
「日和が料理を作るのは?」
「せっかくもらった金を、使わない訳にはいかないだろ」
「そんなものかな……」
「そんなモンだ」
俺は財布を閉じて、ポケットの中にしまう。
日和も料理を作れないことはないが、アイツが作れるのは、ハムエッグとか目玉焼きとか、朝食に出そうな単純なものばかりだ。俺個人の嗜好ではあるが、夕食はガッツリ食べて満足したい。
でも、さすがに中一の女子に、プロレベルのクオリティの料理を要求するのは、酷を通り越して非道だ。
……となると、やはり飯は外で済ませる方がいいだろう。
「で、お前はハンバーガーとコンビニ、どっちがいい?」
「コンビニ!」
「よっしゃ、行くか」
夕食が決まった俺達はコンビニへと歩を進めた。
★ ☆ ★
家に帰った俺と日和は、コンビニの弁当や惣菜をモグモグ食べていた。俺は親子丼とアメリカンドック、日和はカルボナーラとツナサラダを買った。あと、日和のはプリンもプラスされている。
その上、俺はスマホをいじりながら、妹は雑誌を読みながら食った。お袋がいると、ながら食いをするなとうるさいので、なかなかできないのだ。これは親がいないからこそできる食い方だった。浦上家のルールは、意外と厳しいのである。
違うな。変な所で厳しく、変な所で甘いのが浦上家だ。
自分でも時々、家ルールで混乱することがあるからな……。
先に食い終わった俺は、ゴミ袋の中に容器やカスを放り込み、テレビを見ようと、そのままソファーに向かった。ドカっと座ってリモコンを手に取り、電源を入れてから、何か面白い番組はないかとザッピングする。
……ボタンを押す度にコロコロ変わる画面を見ながら、俺は不意に呟いた。
「俺には一体、何があるんだろうな――」
「……急にどうしたの?」
「えっ」
コンマ単位で日和の方を向いた。
かなり小声で言ったつもりだが、聞かれていたのか。
「いや……お前、紙をファイルに綴じる時に、由希の話を聞いてたろ」
「あの二年生の部長?」
そう、と俺は頷いた。日和はまだサラダを頬張っている。
「何も特技を持ってないのに生徒会になるってのは、荷が重いんじゃないかなって思ってさ」
「特技かぁ――」
日和はプラスチックのフォークを置いて考え込む。
「お兄ちゃんは何か特技あったっけ」
「それが判らないから呟いたんだよ。これはお前自身にも関わる問題だからな。ちゃんと考えといた方がいいぞ」
「うーん、日和は一応あるんだけどね」
「はあぁっ!? 俺が知らない内にそんなの身につけていたのか?」
勢いよく妹の方を見て、素っ頓狂な声を上げる俺。
同時に、大ボリュームで耳が痛かったのか、日和は不快そうに顔をしかめて耳を塞ぐ。そして耳から手を放して、
「いや、だから一応ね。『何が得意なの?』って訊かれて、答えられるために用意しておいたの」
実際にやって見せたら、大したことないと言われる程度の腕だけどね――と、日和はサラダをもう一口食べる。なるほどな、レベル云々は別にして、自分ができるものを特技として主張するつもりなのか。
「だからお兄ちゃんも、そんなに深く考えずに、勉強ができるとか運動ができるとか、テキトーに言っといた方がいいんじゃないの」
「それで生徒会役員として、学園生活送れるかな……」
「大丈夫だと思うよ。由希ちゃんが言ってたルールはアレだったけど、学園の雰囲気はそんなにギスギスしてなかったもん」
「ギスギス――あっ」
言って、俺はハッと気付いた。
確かに日和の言う通り、これほど苛烈なシステムが存在するにも関わらず、学園の中から殺伐とした雰囲気は漂っていなかった。『それは俺達が何も知らない新入生だからか』とも思ったが、中等部からの在校生や、上級生からでも、そんなに重々しい空気は今のところない。
それに取り柄のない生徒や、競争に負けた生徒が、不遇な立場に追いやられているという話も(入学してから二日目とはいえ)聞いたことがない。これはやはり、海藤学園の校風が自由であるという証なのだろう。
とは言っても、本当に大丈夫だろうか?
……いや、ちょっと思考がネガティブになってるな。
普段ここまで深刻に悩むことはないが、スゴ技を持っている人間の中に放り込まれると、引け目を感じて不安になってしまう。香澄と美奈と由希だって、特別な力を持った、選ばれた人間なのだ。美奈は運動ができるし、由希は相当頭がキレる。香澄は今のところ何があるのかは判らないが……、生徒会役員ということは、きっと何かを持っているのだろう。
そこに複雑な経緯があるとはいえ、何も持たない俺が入ってきた。
その中にいると、どうしても後ろめたい気持ちが湧いてしまう。
「やっぱり何もないって、悲しいな」
「そこまで深刻に悩まなくても、ゆっくり探せばいいんじゃない? それに悩むのってお兄ちゃんのガラじゃないし」
「そうか。……そうだな」
俺の中で無意識に凝り固まってものが、不意にほぐれて軽くなった。
考えてみれば、成り行きで入学した日和も、自分なりに色々と頑張っているのだ。
なのに、俺だけがくよくよするなんて、情けないじゃないか。本当に不安なのは、公立に入る予定だったにも関わらず、俺の都合で私立に入学してしまった日和の方だというのに。
――俺も一生懸命頑張る妹を見習わないと。
そう思い、俺は悩むのをやめた。
大切なのは、自分でコレと言える何かを、時間をかけてでも見つけることである。