第四話 作業中のお喋りは控えるべし
海藤学園とは、世界一の総資産を誇ると噂されている海藤財閥が設立した私立学校である。中等部と高等部のある併設型の中高一貫校で(簡潔に言うと、高等部から新しく入った人間も中等部からの人間と一緒のクラスになるような学校)、その上、一学年につき七クラスもあり、部活動の数も全部で50個ある巨大学園だ。
当然、そんな大財閥が運営する学園だから、敷地も建物も結構デカいし、生徒の数だって尋常じゃないほど多い。由希の話によると、新入生が入った今日の時点で全校生徒の数は約1155人いるらしい。
中等部は一クラスに25人、高等部は一クラスに30人、中一から高三までの六学年と、学年ごとのクラス数から、単純計算で簡単に導き出せる。実際は途中から編入したり、諸事情で退学したりで微妙な誤差はあるが、それでも大人数であることには変わりはない。
そんな海藤学園の教育理念であり最大の特色は、『生徒の長所を徹底的に伸ばす』ことと、『優秀な生徒を全国から集めて育成する』ことだった。
この学園は海藤財閥の持つ莫大な財力を駆使して、多くの生徒が得意としているものに、徹底的に力を注いでいる。普段の授業や部活動など、あらゆる場面で生徒をサポートしている。例えば、陸上が得意な生徒達にはスポーツトレーナーが直接指導したり、音楽が得意な生徒達には音楽家が実際に教壇に立ったりするのだ。
だからここに通う生徒の大半は、実は有名人の子供だったり、金持ちの子供だったりする。もっと言えば、『金持ちの親が自分の子の長所を伸ばそうと思って、学園に入学させた』なんて話もあったりする。それ故、海藤学園は半ば、おぼっちゃま学校やお嬢様学校みたいな側面があるのだ。
そして稀に、学園側が優れた功績を残した生徒を、直接スカウトすることもある。先述通りの者、伸びしろがある者、素質のある者……。勉学が得意な人間だろうと、運動が得意な人間だろうと、とにかく勧誘している。それによって入学した生徒もいるし、人によっては元いた学校から編入した生徒もいるらしい。
要するに、大半の生徒が何らかの特技を持っているのだ。それを学園側は、生徒達の強力な武器にしようと、日々彼らを指導している訳である。
だけど、学校という場所は、色んなヤツが集まる場所だ。それは海藤学園だって例外じゃない。
大半の生徒が特技を持ってるということは、逆にこれといった取り柄のない生徒だっている。
たとえば俺とか、俺とか、俺とか……要するに浦上陽輝だ。
俺には特技だと言えるものが何もない。勉強だってテストに困らない程度の成績だし、運動も特に問題ないが、「運動部の助っ人に参加してくれ」と言われたら少し自信がない。
唯一、特技ではないけど、自信のあるものなら一つだけあるが……あまり胸を張って言えるものじゃない。
普段、そういったことをあまり気にしない俺だけど、学園の特色を思い出すと、マジでどうしようかと頭を抱えてしまう。このまま何もしないで、ボーっと平穏な日常を過ごすというのもアリだが、生徒会の一員という手前、特技が何もないという訳にもいかないだろう。
何か一つでもいいから、コレと言えるものを見つけないと……。
★ ☆ ★
学園内の出来事が全て終わった俺は、昨日みたいに生徒会室へと向かう。今日は身体測定と芸術科目の選択、そして委員会の委員決めだった。
体重はあまり気にしないので、増えたか減ったか判らないが、身長は前と全然変わっていなかった。委員決めも内申点稼ぎのためだろうか、思ったよりすんなりと決まった。
個人的に困ったのは芸術科目の選択だった。
美術、音楽、書道、工芸……。不器用な俺には縁がなさそうなものばかりだった。
とりあえず、俺は工芸を選んだけど、他の三人は何を選んだんだろう?
そんなことを考えながら、生徒会室の扉を開けた。
「こんちわー」
「あ、来た来た!」「遅いわよ陽輝」「今日は陽輝君が一番ビリね」「お兄ちゃん遅い!」
四人とも全員揃っていた。……昨日と違い今日はビリだった。
ちょっと寄り道をしたから、当然と言えば当然だが。
「悪い、少しだけ寄り道してたんだ。だから遅くなっちまった」
「……アンタ、生徒会役員としての自覚あるの? 今日から仕事が始まるっていうのに」
辛辣な言葉とともに、美奈は眉をひそめる。
そうだった……。生徒会活動が今日から本格的に始まることをすっかり忘れていた。由希だって昨日、『明日から頑張りましょう』と言っていたのに。
室内の空気がほんの少しだけ険悪になる。自業自得とはいえ、少し辛いものがあった。
「あーストップストップ。陽輝くん反省してるみたいだから、もういいでしょ? ここに来てまだ日が浅いし、きっと解らなかったんだよ!」
そんな状況を見かねて、仲裁に入る香澄。すると、美奈は沈黙の後、ばつが悪そうに目を逸らし、
「そうよね……。今のは言葉が過ぎたわ。ごめんなさい」
「いやいいよ。美奈の言う通り、俺の方こそ自覚が足りなかった」
俺も少々戸惑いつつ反射的に謝る。
スレたような印象があるが、自分の非は素直に認められるようだ。
「……じゃあ、みんな揃ったことだし、改めて再開しましょうか」
三人の間に起こった光景を見終えた由希は、まるで場を仕切り直すかのように、両手を合わせた。
「再開って、何をしていたんだ?」
「コレをまとめていたの」
日和は言いながら、俺の机の上にファイルを数冊ほど差し出す。生徒会室に入った時点で目に付いていたが、みんなの机の上には、それ以外にも紙の束がどっさりと置かれていた。
しかもファイルと紙もろとも、その量が半端じゃない。見たところ、ファイルは数十枚、紙は数百枚以上といったところだった。数冊は綺麗にまとめられているが、大半は少し散乱していた。
何となく今日は何をするのかを察したが、改めて俺は訊ねる。
「これは……何だ?」
「海藤学園の生徒達のデータよ。s――」
「いや、それって事務の人の仕事じゃないのか?」
私達はそれらをクラスごとにまとめているの、と言うであろう由希の言葉を先読みして、俺は反論する。こういうことを生徒会がやるなんて話、今まで聞いたことがないからだ。
さっきも言ったように、普通は先生か事務員がやることだろ。言っちゃアレだが、これは俺達には管轄外の仕事のような気がする。
「まあ普通に考えたらそうだよね。もっと言えば、前日にやるべきことなんだけど――」
疑問に答えたのは香澄だった。
「これは生徒会の中で使うために、先生側が持っているそれとは別に作っているの。一応、それをコピーするって方法もあるんだけど……、『こういうのは自分達で作った方がいい』というのが由希ちゃんの考えだから、一緒に作ってるの」
「ずいぶん面倒な意向だな、そりゃ……」
細かい手作業が苦手というのもあるが、想像しただけで気分が鬱屈になった。
昔から苦手なんだよこういうの……。
こんなことなら、もう少し遅れて来ればよかった。
「どうりで美奈がすげぇ顔で俺を睨んだ訳だ……」
「えっ、あたしそんなに怖い顔してた?」
「してた。一瞬涙が出そうになったわ」
言いながら、俺は机の横に荷物をかけ、自分の席に座った。
作業がいつ始まったのかは知らないが、開始してから時間が経てば、単純作業の繰り返しでストレスは溜まるだろうし、仮に数分前に始めたばかりでも、この膨大な量のノルマを消化しなければ――と思えば、モチベーションが低い状態で始まるのは当然だろう。
それを遅れてやってきた上に、『寄り道してました』とか言ったら、相手が今の状況を知らないと理解していても、イラっとするだろう。俺なら絶対、「…………は?」とキレ気味に返す自信がある。
だから美奈があんな顔をしたのも当然だし、その時の生徒会室内の空気もピリッとしたから、メンバーも相当ストレスが溜まってたんだろうな――
「じゃ、いっちょ頑張るか」
自分を軽く奮起させて、紙とファイルを手に取った。
本当はもっと派手な仕事を期待していたが……初仕事なんてこんなモンかもしれない。
★ ☆ ★
「あー無理無理! やっぱこういうの無理だ! 退屈過ぎる!」
俺はファイルを机の上に放り投げ、頭を掻きむしりながら、ガキみたいに喚き散らした。
「作業初めてからまだ十分も経ってないわよ……」
感情の起伏がそんなに激しくない由希も、心の底から呆れたような顔で嘆息する。香澄と美奈も『全くもう……』と言わんばかりの表情で俺を見た。日和に至っては一瞥しようともしない。
由希がクラス別に生徒のデータが記された紙を分別し、香澄と美奈が紙を一枚ずつパンチで穴をあけ、俺と日和がその紙をファイルの中に綴じる。それを全て終えるまで延々と繰り返す――さすがに飽きるというか、単調かつ単純すぎてしんど過ぎる。極論を言ってしまえば、何だか拷問みたいだった。
俺の役割が器用不器用関係ないとはいえ、退屈過ぎて違う意味でストレスが溜まってしまった。
「陽輝君、いくら何でも気が短過ぎるでしょ」
「うるせぇ、そんなこと言われたって仕方ないだろ」
俺は背もたれに自分の体重を思いっきり預ける。それこそ、椅子ごと転倒してしまいそうなくらいに。
「なぁみんな、そろそろ休憩しないか?」
「ダメよ」と素早く飛んできたのは、ドライアイス並に冷たい美奈の声。
「アンタ遅れてきたんだから、あたし達の倍働きなさいよ」
「ブラック企業みたいなこと言うな……」
個人的な事情で遅れたのは事実だから、文句は言えないし言わないが。
「お兄ちゃんの悪いところよ。超がつくほど短気なの」
美奈の非難に便乗するように日和も言う。
……うるさいぞ妹。わざわざお前に言われなくとも、俺自身が一番解ってるわ。
「ま、まあ、とにかく作業を続けよ? 集中すればきっと早く終わるよ」
再び悪くなりかけた空気を変えようと、香澄が口を開く。
……彼女の言葉で目が覚めたのと、これ以上不平不満を垂れても、周囲が不快になるだけだと悟った俺は、もう閉口することにした。
「悪かった……」と少し反省してから、再び作業を再開する。
確かに飽きて癇癪を起こしたり、愚痴をグチグチこぼすよりは、黙って集中した方が言うまでもなく効率的だろう。何しろ一人につき一枚の、約1155人分の紙を相手に――五人がかりとは言え――格闘しなければならないのだ。本にすれば辞書レベルに到達できる枚数であり、数字を見るだけで心が折れそうな量だが、頑張れば多分いけるとは思う。
しかし俺の性格から言って、途中で集中力が切れる自信はある。それは確信を持って言える。
なので作業に支障なく、けれど気が紛れることなく仕事ができる方法を、自分で編み出さねばならなかった。
そして思いついたのが――生徒のプロフィールチェックである。
生徒一人一人のデータを記憶に焼きつかない程度に観察しながら、紙をファイルに綴じる。それを取り入れると、思いの外、作業がはかどった。生徒の顔を、結構ハンサムだな、コイツ可愛いな、面白い顔をしてるなと、色々と楽しくなってきた。
また、彼らのプロフィールも見て、過去に何の部活に所属しているのか、今の部活はどうか、何中学校出身なのか、中等部から海藤学園にいるのか……それらも流し読みで確認したりした。データによっては「へぇ」、「ふーん」、「おっ」などの声が無意識に漏れた。
……だが一枚の紙を見てから、「……あれ?」と疑問の声がこぼれた。
俺の声に「どうしたの?」と香澄が反応する。
「いや、……なあ由希」
「何?」
俺は疑問を香澄に向けず、その紙ごと由希に振る。
机の位置的に会長のデスクに届かなかったので、美奈を介して、それを彼女に渡した。
「このデータ、誰かのヤツとミスってないか?」
「どうして?」
「だってよ――」
この紙の誤りについて、俺は説明する。
個人名と具体的な部活名は伏せるが、俺が渡した紙には、ある男子生徒のプロフィールが記載されていた。彼は高等部の二年生で運動部所属。中学時代にあらゆる賞をとっている。学園に入った経緯は、元いた中学校からの推薦によって入学。これだけ見れば、単に優秀な生徒が推薦入学したんだな、と誰もが思うだろう。
ただ、一つだけ異質だったのは、彼が『◯◯部部長』と書かれていたということである。
いや、二年で部長というのは、別におかしくはないが……それは時期が、二学期の途中か後半だったらの話だ。
普通は、二学期ぐらいに大会とか終わって引退する三年から、部長や副部長の座を二年が引き継ぐモンだが、この生徒は二年の時点で部長なのだ。
「これって記載ミスじゃないか?」
誤りを指摘した後、俺は言った。
由希は渡されたデータを無言で数秒くらい一瞥して、
「これで正しいわ」
「えっ!? いや……え?」
俺は動揺した。同時にじんわりと戸惑いが襲いかかる。
だって……この時点で部長って、引退時期が普通の学校と同じだと仮定すれば、一年の時から部を引っ張ってるってことになるぞ!?
少し混乱している俺を尻目に、由希は学園のシステムについて説明を始めた。……聞き終えた後、それは意外だと思ったが、考えようや捉えようによっては、残酷なものでもあった。