第一話 初めましての顔合わせ的なもの
入学式とHRが終わった俺は、自分のクラスの一年C組から、生徒会室へと向かった。
担任から「HR終了後、生徒会室に来るように」と伝えられたからだ。
前日に会長から指示が出ていたので、その情報は前から知っていたが、もう解っていますとは言わなかった。厳密には途中まで言いかけたが、どうにか口をつぐんだ。
――陽輝君は黙ることを覚えた方がいいわ。
……『彼女』の言葉を思い出したからだ。ちなみにこれは父さんと母さんから、耳にタコができるくらいに言われていることである。
生徒会室の前に到着した俺は扉を開ける。
部屋には中学時代に見た、先生が使っているようなデスクが四台。上座には少し立派な木製の机が一台。計五台の机があった。立派なそれと、四つの内二つのデスクには、生徒会メンバーの私物らしきものが置かれており、残り二つの上には何もなかった。
見たところ、誰も来ていないらしいから、一番乗りということになるのか。
でも、後から生徒会に所属しているメンバーがここに来るはずだ。
すると――
「お待たせ! ……って、あれ? 陽輝くんしかいないの?」
ロングヘアの少女が生徒会室に入ってきた。
黒いジャンパースカートに、丈の短い黒い上着。これが海藤学園の女子の制服だ。ちなみに胸元に輝く金色のブローチは高等部の証。緑のフリルタイは一年生の証である。そして今日が入学式だということもあり、髪を一束にまとめて結んでいた。これは校則に則ったスタイルだ。
瀬戸香澄。生徒会副会長。俺のクラスメートであり、今日から生徒会活動を共にする仲間である(正しくは中等部の頃から活動していたらしいから、ある意味俺の先輩になる訳だが)。
彼女についてはアイツから詳しく聞いていた。簡潔にまとめると『明るくて人懐っこい純粋な子』らしい。確かに彼女の他人に対する言動から、あざとさや腹黒さみたいなものは感じなかった。クラス内でも分け隔てなく接していたし、俺自身、話をしていても嫌な気分にはならなかった。
その一方で『頭と運動神経があまりよろしくない』とも聞いていた。香澄の成績がどれほどなのかは、初対面だから当然知らないが、見た目はいかにも才色兼備って感じがするから、ちょっと意外だった。運動に関しては、コイツスポーツが苦手そうだな、というのが何となく解るから、特に何も思わなかった。それっぽいな、というのが正直な感想だった。
「そ、まだ俺だけ。というか、どこに行ってたんだ?」
俺は香澄の疑問に答えると同時に訊ねる。
「ちょっと水飲み場がある所に行ってたの。式が長引いたから、薬を飲み損ねちゃって」
「薬? 気分でも悪いのか」
「いや、大丈夫大丈夫。…………ちょっと緊張してただけだから」
香澄は両手を小さく振って否定する。「今の間は何だよ」とツッコミを入れるも、えへへ、と笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。
やっぱり彼女はとても可愛い顔立ちをしている。
まるで純粋な子供みたいな丸くてつぶらな瞳、どの角度から見ても整っているスッとした鼻、そして真っ白できめ細かい綺麗な肌。
「香澄ちゃんとっても可愛いから、会ったらきっと見とれると思うわよ?」とアイツは言ってたけど、これは確かに可愛いとしか言いようがなかった。
……やがて香澄は髪を解き、上着を脱いだ。同時にブラウスの白い肩口としなやかな身体のラインが露わになる。
思わずやや大ぶりな胸に目が行ってしまったが、気付いていないのか、敢えて無視したのか、彼女は何も言わなかった。
「おい、もう制服着崩していいのかよ」
「式が終了したからもう大丈夫だよ。ねぇ、海藤学園の入学式どうだった?」
「どうって、入学式なんてあんなモンじゃないのか? 生徒会長と新入生代表、あと学園長の言葉があって、新入生全員の名前を読み上げて終わり――」
「違う違う。生徒全員、全身黒ずくめっておかしくない?」
「あ、そうだ! 何だか異様な光景だったな……」
男子は黒の学ランに、女子は黒の上着とジャンパースカート。
全員が全員真っ黒だったので、途中から大規模な葬式やってんのかと思った。
「でしょ? だから女子の制服は式典以外では上着なしでもいいって、校則に書いてあるの」
「はははは――もし授業でもあの格好だったら、毎日が通夜か葬式みたいになるもんな」
俺は笑いながら、空いているデスクに座った。
香澄も小さく笑って、自分の定位置であろうと思われるデスクに座る。
ちょうど俺と彼女が向かい合うような形になった。正しくは互いに真正面ではなく、食い違う形だったが。
「あっ、そうだ。今の内にアドレスと電話番号を交換しない?」
と、香澄はスカートのポケットからスマホを取り出した。だが俺は僅かな沈黙の後、
「……いや、全員揃ったらまとめて交換しようぜ」
「えっ、何で?」
「いや、あの、何というかさ、今やると『二人だけの秘密』的な感じがして恥ずかしいからだよ――あっ!」
そこまで言って、自分が何を言ったかを理解した俺は、慌てて口を塞いだ。
思ったことをストレートに言う悪癖が出てしまった! しかもめちゃくちゃ恥ずかしい例えだし!
「ちょ…………え? 陽輝くん……え!?」
「悪い、今のは聞かなかったことにしてくれ!」
「ふ、『二人だけの秘密』って、まるで――」
「それ以上言うな!!」
香澄の顔が次第に赤くなる。俺は全力で自分の発言を取り消そうとする。
ただでさえ面向かって名前を呼ぶことにちょっと抵抗あるのに、それ以上言ったら、この先、何か気まずくなるから――!
「アンタ達うるさい! 何騒いでんの!?」
……と、鋭く強い鶴の一声で、俺たち二人は沈黙した。
声がした方に視線を向けると、ショートカットで長身の少女がこちらをキッと睨みながら、腕を組んで立っていた。その後ろで、緩いウェーブのかかったミディアムヘア――最初はセミロングかと思っていたが、後で髪型の名前を教わった――でタレ目の少女が、面白いものでも見るかのように、その光景を眺めている。
二人は香澄と同じく、金のブローチと緑のフリルタイを身に付けていた。身なりも黒の上着をまとった葬式スタイルである。
「あ……美奈ちゃんに由希ちゃん」
香澄は小さな声で、二人の名を呼ぶ。
ショートカットの少女は生徒会会計の滝口美奈。
ミディアムヘアの少女は、俺に『黙ることを覚えた方がいい』と説いた、生徒会長の海藤由希だ。
美奈は一言で言えば、香澄の反対――つまり『一匹狼気質のあるクールな子』だった。彼女とはクラスが別だから、教室内でどんな風に過ごしていたのかは知らないが、色々な意味で何となくとっつきにくそうだな、という印象を感じた。精悍な顔立ちに凛としたツリ目。常に警戒でもしているかのような雰囲気。近寄りがたいというのも頷ける要素だらけだった。
彼女の最大の特徴は、とても高い運動神経だった。曰く、大半のスポーツは何でもこなせるらしく、それ故、運動部の助っ人に入ることも多々ある。だが、一部の部からは、重宝されつつも反感も買われているらしい。おまけに勉強もまあまあできるので(だから会計の座に就いている訳だが)、俺の中では、才色兼備という言葉がもっとも似合う人間だと思っている。
もう一人の由希の印象は、『掴みどころがない子』だった。彼女とは入学前から何度も顔を合わせているし、それに関することで散々お世話になっているのだが、一体何がコイツの本当の姿なのか判らない。仲間思いなところもあれば悪魔みたいな一面を見せたり、清楚かと思いきや妙な色気を見せてきたり……。判っているのは、海藤学園を設立した海藤財閥の令嬢だということだけだ。
俺はメンバーのことを初対面であるにも関わらず、下の名前で呼んでいるが、彼女が自分たちのことを、そう呼ぶように促したのである。でも由希以外の人間には、今のところ面向かって名前で呼んではいない。初対面だからとか、まだ親愛度が高くないからというのも理由に入るけど、一番の理由は小恥ずかしいからだ。そこまで仲の深くない人間に対して『名前で呼べ』というのは、なかなかの無茶ブリのような気がする。
ともあれ、瀬戸香澄、瀧口美奈、海藤由希。
この三人が俺の高校生活において、初めての仲間であり友達である。……今は蛇に睨まれた蛙みたいな状況だが。
「いや何でもないよ! ちょっと、その、小さなゴタゴタがあっただけで」
何とか言葉を取り繕おうとする香澄。
「そう? ……ならいいけど、あんまり変に騒がないでよね」
――言って、美奈は肩を竦め、俺の方を見る。まるで『コイツが浦上陽輝ね……』とでも言いたげな目で。
「ふふっ、ちょっとイイ雰囲気だったところを邪魔しちゃったかしら?」
由希はニヤニヤしながら煽ってきやがった。
「いいや全然! つーかどこがイイ雰囲気だよ!?」
「二人きりで会話をするなんて、まるで恋愛漫画みたいなシチュエーションじゃない?」
「さっき黙らせたばっかなのに言いやがった!!」
妙な羞恥心が込み上げ、思わず頭を抱えて絶叫してしまった。
ほら何か気まずい空気になっただろ!
香澄も恥ずかしさのあまり下向いてんじゃねえかよ!
「まあ私は、陽輝君と香澄ちゃんが一緒になることはないと思うけどね」
「返答に困るような発言をすんなや!」
「返答に困るって……まるで『将来一緒になる可能性もある』みたいな含みのある言い方じゃない」
「これで『はいそうですね』っつったら、香澄が理由なく傷つくだろ! まだ顔を合わせて一日も経ってないんだぞ!」
「陽輝君って本当に友達思いなのね。いいわよいいわよ♪」
「やめろ恥ずかしい!」
騒がないでよねと言われたばかりなのに、再びやかましくなる。由希に煽られた俺が声を荒げて、勝手にやかましくなっているというだけの話だが、香澄との会話で起こした自爆の尻拭いの意味もあって、看過する訳にはいかなかった。
必死になって反論する俺。
面白半分にからかう由希。
そして羞恥心いっぱいで不動の香澄――。
「ふぅ……、今まで以上に賑やかになりそうね」
そんな光景を見ていた美奈は、やれやれと言わんばかりに溜め息をつく。でも顔は心なしか、微笑んでいるように見えた。
「とりあえず、これで残りはあと一人ね」
「ん? あぁ、そうだな」
美奈の言葉に反応した俺は頷く。そうだ。生徒会メンバーはあと一人いる。しかもそいつは中等部の生徒で、おまけにそのメンバーは俺を除くメンツ同様、女子である。
生徒会のメンバーが高一四人と中一。そして俺を除いて女子のみ。
……それ以外に思う所は色々あるが、ここでは割愛する。これに関しては入学前にも散々言ったけど、今ここで言っても空気を悪くするだけだ。黙っとこう。
「日和ちゃん遅いわね。どうしたのかしら」
由希は上着を脱ぎながらドアに視線を向けた。上着越しでも解るほどのグラマラスな体型が露わになる。
「迷っているんじゃない?」
美奈も椅子に上着をかけ、俺の隣に座る。ということは、ここが彼女の定位置なのか。
彼女は胸も普通で腰の細いスレンダーな体型だった。見ていると、『どこ見てんのよ!!』とでも言わんばかりの目で俺を睨んだので、慌てて視線を逸らした。
そして突っ伏していた状態から復活した香澄は、
「陽輝くんは、ちゃんと生徒会室の場所教えたの?」
「教えた。……だから多分迷ってないだろ」
海藤学園の敷地は大学よりも広大で、その中に中学・高校の教室棟や、理科室や家庭科室のある特別教室棟(ちなみに生徒会室もここにある)、体育館に図書館に食堂、部室棟や武道場など、様々な校舎が建てられている。それ故、一つの棟から他の棟に移動するにも、最低十数分かかってしまうなんてことは普通にあるらしい。
しかし、それぞれの校舎はうまいこと配置されており、授業する所と部活動を行う所で、きちんと住み分けができている。だから十数分かかるなんて言っても、移動教室で慌てて走るなんてことはない。あるとすれば、階段を上る途中でバテるくらいだろう。校舎によっては階が五階もあるので、運動神経のないヤツは、そこそこしんどいと思う。
まして、ここへと向かっているヤツは中学生の女子だ。
多少ダレるのは致し方ないだろう。
最終兵器としてバリアフリー用のエレベーターが設置されているけど、使ったら先生に叱られるしな――
「はぁ、はぁ、…………疲れた」
……四人でじっとドアの方を見ていると、前髪のサイドをピンで止めたミディアムヘアの小柄な少女が、疲労困憊の様子でガラリとドアを開けた。彼女は頭に生えた二本のアホ毛を揺らして、上がった息を整えようと、深く嘆息した。
「おう日和。――お疲れな」と俺は言った。
うん……、と日和は辛うじて頷く。
高等部の女子と全く同じ黒い制服。そして緑色のフリルタイ。ただ一つだけ違うのは、胸元に輝くブローチが銀色であることのみだ。銀色ブローチは中等部の生徒の証である。
浦上日和。俺の妹だ。
彼女も俺と同じく、訳あって海藤学園に入学している。海藤は中高一貫校なので(本当は幼稚園や初等部もあるらしいが、この敷地内にはない)、『陽輝君だけじゃなく、兄妹一緒に入学してもらおう』ということで今日から在籍することになった。文面だと、ついで感覚というか、おまけ感覚で入学したっぽく見えるが、先述したように、ちゃんとした理由があるらしい。そして俺の入学条件の一つが『浦上日和も入学させること』だった。
もっとも、俺は妹の入学条件を一切知らされていないが。
そして日和も、俺が何故海藤学園に入学したのか全く知らない。
入学式前日に「お前、由希から何て言われたんだ?」と訊ねたが、日和は俺と違って口が堅いので、教えてくれなかった。
追及しようかとも思ったが、負い目があるので、追及できなかった。
妹が学園生活に馴染めるかどうか、割と本気で不安だが……今はきっと大丈夫だろうと強く信じるしかない。
「大丈夫? 何か飲む?」
香澄は言う。しかし日和は、
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「敬語なんて使わなくていいよ。私たちは――」
「待って、それは後で私が言うから。というか私が言いたいから」
と、由希は言いかけた香澄の言葉を遮る。時々悪い意味でメンツを気にするのは彼女の悪い癖だ。
「私が言いたいってお前……」
「初めての顔合わせだから、生徒会長としてちょっとカッコつけたいのよ」
「カッコつけしぃかよ!」
俺はすかさずツッコむ。
「日和は……って、香澄の隣しか座るところがないわね」
じゃあそこに座って、と美奈はエスコートをするように、最後のデスクの椅子を引いた。先輩に促されるまま、日和は「あ、ありがとうございます」と座る。
俺と香澄は食い違う形で向かい合い、香澄の隣は日和の座席になる。
……つまり実の妹と向かい合う形になった。
「まさか学校でも妹の顔を見るとはな……」
「日和も家以外の場所で、お兄ちゃんの顔を見ることになるなんて思わなかったよ……」
兄妹揃って頭を抱えてしまった。
当然だ。だって、その先に待つものは――
「ヒューヒュー陽輝くん! これで可愛い妹と一緒だね!」とか、「アンタも隅に置けないわね! アホ毛の生え方とかそっくりじゃない!」とか、「一体学園内で、どんな兄妹愛が見られるのかしら?」といった、冷やかしの言葉だからだ。
「うっせぇぞお前ら!」
俺は妹がいるだけでからかわれるのか!?
家族が冷やかされてる状況を目の当たりにしている妹の立場はどうなるんだよ!
調子に乗るんじゃねぇよ、お前ら!
思わずキレて声を荒げてしまった。
「あぅ……ご、ごめんね二人とも」
「ちょっと悪ノリし過ぎたかな。ごめんなさい」
「不快な思いをさせて申し訳なかったわ」
三人は驚きの表情を一瞬浮かべた後、すぐに謝った。日和は『やっと治まった』とでも言うかのようにホッと小さく嘆息していた。
「……では気をとり直して、ミーティングを始めましょうか」
と、由希は上座の方へと移動し、立派な椅子に腰かけた。
俺たち四人は自然と彼女を見る。姿勢も正しくなる。そこには、先程までおちゃらけていた少女ではなく、頭脳明晰で才色兼備の生徒会長がいた。
そして彼女は、あの時のように、優しい微笑みを浮かべながら――
「浦上陽輝君、浦上日和さん、我が海藤学園生徒会執行部へようこそ。今日からあなたたちは、私たちの仲間であり友達でもあり家族よ」