第九話 与えられる役割
さっきの話を最後に、美奈と俺は互いに無言のまま、生徒会室に向かった。もちろん周囲の目を気にして、俺は途中で寄り道する形で遅れることにした。
今日のやりとりで、やっと実感が持てたが、前に由希が言ってた通り、香澄と美奈は一癖二癖もある。一筋縄ではいかない何かが、彼女達にはある。
あの時は『何とかなりそうだ』って思ったけど、何だか怪しく思えてきた……。
いや、失望するにはまだ早いか。気長に待てば、意外と何とかなるかもしれない。
俺は自販機にコインを入れ、缶コーヒーのボタンを押す。
ゴトンと落ちてきた缶を取り出し、ベンチの上にリュックを置いて座った。
生徒会室のある特別教室棟は、一階部分が吹き抜けになっていて、そこには、自動販売機やベンチなどのスペースがある(こういう構造の建物には名前があるらしいけど、何ていうのかは忘れた)。この場所は、放課後や休み時間には、多くの生徒が集まってくる。今だって十数人の生徒が、こっちに来ている。
ほら、今も一人の女子が……。
「あ、お兄ちゃん」
「……オッスひよりん」
女子というか、日和が来た。通学カバンを両手で重たそうに抱えている。
缶コーヒーを片手に持ち、足組んでベンチに座っている兄貴に、妹は睨みつけるようなムッとした表情で、
「……こんな所で何してるの?」
「何してるって、見りゃあ解んだろ。休憩さ」
「休憩って、今日も生――」
「おい」
俺は人差し指を口元に当てる。
日和はハッと、自分の口元を左手で覆うように隠した。
「でも遅れたら昨日みたいに空気が悪くなっちゃうよ」
「昨日は昨日、今日は今日だ。今日は多分、そんなに仕事がないと思うから、遅れても大丈夫だろ」
「でも――」
「何か飲み物おごってやるから」
「ホント!?」
魚みたいに目を輝かせて食いついた。ちょろいヤツ。
「だから共犯してくれよ。遅刻したヤツの中にお前がいるだけで、連中の怒りは半減される」
「いや、半減って」
「アイツらは日和のことを可愛がってるからな。対価が足りないならお菓子もつけるからさ、頼む」
「……もう、しょうがないなぁ」
渋々ながらも兄貴の悪ノリに乗ってくれる日和だった。普段は真面目だけど、こういう所はちゃんと乗っかってくれるから、やっぱり俺の妹だなと思う。
食べ物に釣られてしまうところまで似ているのは、さすがにどうかと思うが……。
俺は日和の小さい手のひらに小銭を乗せる。そして、
「で、今日から授業が本格的に始まった訳だが――」
と話を切り出すも、小銭を受け取った瞬間、日和は「ありがとう」の『あ』の字すら言わず、自販機の目の前に移動した。その動きはまるでスリみたいだった。RPGのシーフって、多分こんな感じでアイテムとか盗むんだろうな。
「おごってやるよ」とは言ったが、気が変わった。後で倍額請求してやろうか。
何にするか決めたのか、ピッとボタンを押す。日和が選んだのは、ペットボトルのリンゴジュースだった。
日和が近づいて来るのを確認してから、俺はリュックを寄せた。妹はそれに「ありがと」と言って、隣に座る。
俺は場を仕切り直すみたいに、わざとらしく咳をしてから、
「で、今日から授業が始まった訳だが――どうだ?」
と、缶を封切り、改めて言った。
「え、何て?」と日和はこちらを向く。聞いてなかったのかよ。
「いやだから、『初めての授業どうだったか』って訊いてんだよ」
「授業のスピードが小学校の時より早くて大変だったよ。今はまだ、そんなに進んでないけど」
「そうかー。ま、私立校だからな」
俺はグッとコーヒーを口の中に流し込む。
日和もそれを見て、蓋を開けてジュースを飲んだ。
「でも、お前は要領がいいから、多分うまくやっていけるんじゃね? 小学校の時のテストだって、結構いい点取ってたろ」
「小学校の時よかったからって、中学でも同じなんて限らないでしょ」
「あぁ……確かに」
苦い顔を浮かべる俺。その経験は痛いほど身に染みているからだ。
小学生の時は教科書を読んだだけですぐに覚えられのに、中学校に入ると、それが上手くいかなくなったから、何度も繰り返して記憶することに慣れるまで、時間がかかったものだ。
そのため、中一の時の中間テストでは、結構ひどい点数を取った。当然、教育熱心な親父とお袋は当たり前のように激昂した。あの後、二人がいい記憶法を教えてくれたおかげで、今現在のようにまあまあの成績を維持できてるが、アレはマジで怖かった。途中から泣きそうになったのを必死に堪えたのは、昨日のことのように覚えてる。
親って、あそこまで恐ろしい形相を、可愛い我が子に見せるモンなのか?
思い出しただけでも、背中から変な汗がジワリと滲む。
苦い思い出を塗り潰すように、俺はもう一度コーヒーをあおって、
「また父さんの手を借りることになるかもしれないな」
「お父さんか……。『お前こんな問題も解らないのか?』って言われそう」
しょんぼりとする日和。
「心配すんな。父さんも母さんも昔と違って、そんなに厳しく責めるようなことはしないさ。ほら、人間年を取れば自然と丸くなるモンだからよ。二人とも、そこそこ年食ってるし」
俺は妹を励ますように、ニカッと笑顔を見せる。
「それに、お前はそんなんでヘコむタマじゃないだろ」
「ヘコまないのはお兄ちゃんだけだよ。日和はこう見えて、結構繊細だからね!」
「何言ってんだ、兄ちゃんだってヘコむことあるぞ。鏡で自分の顔を見て、『何で俺って生きてるんだろう?』って思う時とか、たまにあるから」
「いや、それは繊細や図太いとはちょっと違う気がする」
冷静にツッコんで、ジュースをもう一飲みする日和。
あれ? あるあるネタだと思っていたけど違うのか。スベってめっちゃ恥ずかしい……。
俺は羞恥心を振り払うように、
「いや、ま、まあ大丈夫だろ。とにかく、お前は要領がいい上に器用だから、上手くやっていけるさ」
「本当に大丈夫かな……」
「何とかなるなる。もう行くぞ」
俺は最後にコーヒーをもう一あおりし、立ち上がった。
環境に適応できるかどうかの不安の次は、学業に対する不安が出てきたか。だが日和のことだから、これに関しても、入学式の帰りみたいに杞憂に終わりそうだ。
香澄と美奈の件と同じだ。意外と何とかなるかもしれない。
俺はゴミ箱に向かって、空っぽになった缶を放り投げ、生徒会室へと歩き出した。
★ ☆ ★
「二人とも遅かったじゃない」
教室に入った瞬間、由希の冷たい声と視線が、俺と日和を鋭く突き刺した。遅刻に関しては何とかならなかった。『妹を盾にすれば大丈夫か』という希望的観測は、浅はかだったか……。
由希は声の調子を変えずに、「荷物を置いてこっちに来なさい」と先生みたいなことを言った。俺と日和は言われるがまま、恐る恐る彼女の目の前に立つ。
ちなみに教室には美奈しかいなかった。香澄はおそらく既に来ていて、生徒会の仕事のために外出しているのだろう。
ということは、香澄の擁護や弁護といったフォローがない訳だ。美奈は壁にもたれかかり、腕を組んで今の状況を静観している。助け船を出す気配は一ミリもなかった……とは言っても、俺の事情や心情を知らないだろうから、当然と言えば当然だが、せめて「まあまあ」くらいの牽制はしてほしかった。
ま、色々言ったところで、結局俺が悪いんだけどな……。
「とりあえず何故遅れたのか、理由を言ってくれる?」
「あ、いや……」
俺はおずおずと口を開く。機械の合成音声かと錯覚してしまうくらい、彼女の声に、感情が一ミリリットルもこもっていない。
「特別教室棟のところで飲み物を飲んで――」
「そう、ピロティで時間を潰していたのね」
「…………」
何で『時間を潰していた』って判るんだよ。確かに事実だけど、もしかしたら『単に喉が渇いたから、そこで飲んだ』って可能性もあるかもしれないだろうが。
……ていうか、あそこはピロティっていうのか。初めて知った。
「で、その時偶然、日和も通りかかったから、誘って一緒に飲んだんだ」
「それで日和ちゃんも遅れたのね」
「ああ、悪いのは全部俺だ。ちゃんと生徒会室に行く予定だった日和を、俺が食い止めたんだ」
日和を盾にするつもりが、いつの間にか俺が盾にすり替わっていた。
やっぱ、よからぬことって考えるモンじゃないな……。
俺は全てを正直に打ち明け、最後につっかえていた何かを吐き出すように、小さく溜め息をついた。
「今日は二人に大切なことを伝えたかったから、遅れないでほしかったけれど……まあいいわ」
俺の誠実な態度が通じたのか、冷たい視線を向けるのをやめて、すっと立ち上がった。声音も普段通りの優しい声に戻っている。
日和を盾にはできなかったが、お叱りもやんわりと済んだから、結果オーライか。二人並んで立たされたモンだから、もしかしたら、何かお仕置きをされるんじゃないかと思った。……何事もなくてホッとした。
隣にいる日和もホッと胸を撫で下ろしている。怖かったもんな。今の今まで、蛇に睨まれた蛙みたいに、ずっと沈黙しっぱなしだったし(俺もだが)。
ていうか、大切なこと? 一体何なんだ?
「二人が生徒会役員として、生徒との間に入って活動する際の役割を伝えようと思って」
「えっ、それは庶務と書記じゃ――」
「それは生徒会の表向きの仕事。今から言うのは、庶務や書記の仕事とは別にやってもらうことになるわ」
「別に……何だそりゃ?」
言葉の後に自然と疑問符がつく。一瞬だけ横をチラッと見たが、日和の表情も呆然としているように見えた。
「要するに、美奈ちゃんがやってる『運動部の助っ人』みたいな仕事を、陽輝君と日和ちゃんにもやって欲しいの」
「あぁ、なるほど!」
妹は口に出して『理解した』という反応を示した。俺は大きな反応を返さなかったが、由希の言葉に得心した。
やがて由希は、俺達に役割を与える理由を説明した。
実は生徒会というのは、普段は思いの外ヒマで、文化祭や体育祭などといった特別なイベントがない限り、あまり仕事をやらないらしい。実際、他校の生徒会役員は、生徒会活動一筋じゃなくて、大抵は他の部活と掛け持ちしている例が多い。むしろ部活がメインで生徒会がサブ、という姿勢で活動するのが当たり前だとか(あと、それに続けて、『生徒会役員という肩書きなんて、内申点の肥やしよ』とか、身も蓋もないこと抜かしやがった。自分自身も役員なのに)。
だが、由希と香澄と美奈の三人は、諸事情によって部活に入部できず(あるいは、入部しようという意欲がなく)、その代わりとして、生徒達が円滑に学園生活を送れるよう、様々な奉仕活動をしている。この活動は、最初は暇つぶしとして始まったのだが、最終的に生徒会活動の一環として機能するようになった。
香澄は『生徒達の相談役』、美奈は『部活動の助っ人』、由希は『生徒達に勉強を教える』というように、それぞれ役割が分担されている。
勿論、あなた達は自由に部活に入ってもいいわよ。
私達が部活動をしてないから、俺達も何の部活もしないとか、合わせなくていいから。
仕事の内容や、場合によっては呼び出す時もあるけど、それを除けばいつも通りだから、と補足を付け加え、説明が終わった。
で、今から会長が俺達に、生徒を助ける仕事をする時に行うべき役割を与えようとしている訳である。由希は説明を終えるや否や、「陽輝君にはね――」と、早速通告を始めた。というか、伝え方が『今月の掃除当番決め』並にノリが軽すぎる。俺にそぐわない役割だった場合、チェンジできるんだろうか。
「『生徒達の監視役』をやってもらうわ」
「ちょっと待ってくれ!」
俺は速攻でストップをかける。
「いや、監視役って何だよ! 仕事内容が物騒過ぎるだろ!」
「大丈夫。監視役は言葉の綾よ。要するに、学園内をパトロールして、何か見つけたら、私達や先生に通報するだけだから」
「だったらパトロールって言ってくれよ。でも、それならまあ――」
「場合によっては武力行使もOKよ」
「やっぱ物騒過ぎるわ! チェンジだチェンジ!!」
俺は声を荒げて仕事の変更を要求した。当然だ、できるかそんな仕事!
「陽輝君なら大丈夫だと思って、この仕事をお願いしたけど、やっぱり無理だったかな」
「監視という仕事は別にいいけど、力に訴えるってのは、あまり自信がないな。学園には運動神経が優れた人間も結構いるだろうから、負けるのは目に見えてるし」
「お兄ちゃんなら大丈夫でしょ」
消極的かつ否定的な態度で言い訳する俺に、日和が横からメスを入れる。
「お兄ちゃん、運動神経は悪くない方だし、ケンカだって小学生の時は負け知らずだったから、きっとやっていけるよ」
「やっていけるって、お前な……」
「どうするの? お気に召さないなら他の仕事に変えるけど」
由希の問いに即答しなかった。受けるべきか受けぬべきか、思案を巡らせたためだ。確かに妹の言う通り、腕っ節が強い点は自負してるし、運動神経も悪い方じゃない。何かが起こった時には、一応ある程度は、それっぽく立ち回れる自信はある(パトロール自体は大丈夫)。
しかし自信はあっても、所詮はそれっぽく、そして、ある程度、だ。もしも相手が『ガチ』なヤツだったら、絶対に負ける。ガチの強さというのは、腕っ節が強いとか、運動できるとか、そういう次元の話じゃないのだ。それは己の身体で実感&体感している。
……でも、もしもの話だから、その武力行使の可能性は低いか。
向こう――仮想敵のこと――も大人だし、そんな拳を振るうなんてことはないと思う。
色々なデメリットやリスクを考えた果てに、俺は、
「解った、引き受けるわ」
と承諾の返事をした。
「じゃあ陽輝君は監視役で決定ね」
「精一杯、頑張るから。何かあったら教えてくれ」
「ありがとう、とっても頼もしいわ」
嬉しそうに微笑んで、軽く頷く由希だった。
そして日和の方を見て、
「じゃあ、次は日和ちゃんだけど――その前に、陽輝君には退出してもらうわ。というか、今日はもう帰っていいわよ」
「えっ!?」
「日和ちゃんの仕事は、今は陽輝君に聞かせる訳にはいかないから」
とても含みのある言い方をする会長。
余計気になって仕方ないが……。
「ううん、退出というか、もう用は済んだから、後は自由にしていいわ」
「オッケー。じゃ、兄ちゃんは学園の中を適当にブラブラしてるから、由希との用事が済んだら帰っていいぞ」
「解った、じゃあ帰ってるね」と言って、日和は俺に手を振った。
俺は自分の机に置いたリュックを背負って、生徒会室から出た。