おしゃべりなスープ
テーブルの上でスープが湯気を立てている。私はスプーンでスープをすくった。
口の中に物語が広がった。
私は小説家だ。
私には秘密がある。
それは、私の小説はすべて、食べ物が語った物語、ということだ。
どんな食べ物も一つの物語を持っている。
ダイオウグソクムシは人類に反乱起こす人工知能の話、ヤドクガエルは無実の罪で投獄された男の脱出劇、ラフレシアは不治の病に侵された少女の哀しい物語を語ってくれた。
私が食べ物の物語を聞くことが出来るようになったのは、毎日の食事代にも事欠いていた物書きとして駆け出しの頃だった。
酒に目がない私はその日、久々に入った原稿料を手に近所の酒屋へと走った。
ワインの棚を物色していた私の目に、一本のワインが飛び込んできた。深く落ち着いた色合いのそのボトルにはラベルも値札もない。私は店主にそのワインを見せた。
「そんなワインあったかなあ。ラベルが取れちゃったんだろうね。安くしとくよ」
アパートに帰るとワインをグラスに注ぎ、その紫色の液体を口に含んだ。
芳醇な香りが口の中に広がると同時に、舌の上で無数の言葉が踊った。
少年は港の埠頭に腰かけ、海の彼方を眺めている。彼の頬は朝日でバラ色に染められている。
舌がまるで耳になったように、この一節を聞いた。
もう酔いが回ってしまったのだろうか。戸惑いを覚えながら、私はもう一口、口にした。
ワインは続きを語り始めた。私は原稿用紙と鉛筆を机から引っ張り出してくると、夢中になってその言葉を書き留めた。ボトルを空けた時には、行方不明になった母を探す旅をする少年の物語が書きあがっていた。
それ以来、私の舌は食べ物の語る言葉を聞けるようになったのだ。
やがて食べ物はスープ状にしたほうが言葉を聞き取りやすいことを発見した。
ありとあらゆるものをスープにして飲んだ。クマ、イルカ、サンショウウオ…この国で私が食べなかったものはない。私はそれらが語る物語を自分の作品として発表した。
作品のタイトルには、その物語を語った食材の名前を付けた。『イモムシの物語』や、『チワワの物語』とか。それは私なりの食べ物に対する敬意だ。
毎回テーマもジャンルも違った作品に編集者も読者もあきれたが、どの物語も好評で私に大金をもたらしてくれた。
私は食べて食べて書きまくった。読者が私の新作を首を長くして待っているのだ。
ついに国中の食材を食べ尽くした私は外国の食材に創作の源泉を求めた。そこで、専門の秘書を雇うことにした。
私はヨウコさんに白羽の矢を立てた。ヨウコさんは私の小説の熱烈なファンだった。サイン会や講演会で何度か言葉を交わすうちに、彼女が7か国語を操る語学の才能があることを知った。若く美人のヨウコさんに女性としての魅力を感じたことも否定はしない。
世界中のあらゆる食材を食べる手助けをしてほしいという奇妙な要望を、ヨウコさんは心よく承諾してくれた。
ヨウコさんは世界中を飛び回り、見たことも聞いたこともないような食材を見つけ出してきては私に届けてくれた。
ヨウコさんはやがて、絶滅危惧種など狩猟を禁止されている動植物も違法な手段で手に入れてくるようになった。
パンダ、ベンガルトラ、ウミガメ、ジュゴン…。彼女は危険な目にもたくさんあったが、ゾウを狩る密猟者に同行したときなど、地元の警察に銃撃され負傷した。女だてらに冒険小説が好きなヨウコさんは、肩の傷を私に見せて、「まだ弾が体に残っているんです」と喜々として語ったものだ。
ヨウコさんには感謝の言葉しかない。彼女のおかげで世界中の食べ物を食べることが出来たのだから。
ヨウコさんの存在がなければ私の、あらゆる食べ物の物語を作品化するという野望は叶えられなかっただろう。
私はスープの最後の一口を啜った。歯が何か小さな金属の塊を噛んだ。
さて、この物語にはどんなタイトルを付けよう。
『ヨウコさんの物語』で良いものか。